とある事件と記念日と  4 




 とくに何も起こらないまま時間が過ぎていた。
 何日も外に出ない事など有栖にとってはそれこそよくある事なのだが、籠っていろと言われるとそうすることが何だかとても
不自由で窮屈に感じてしまう。
 しかも例の無言電話も火村に言われた通りに録音してやろうと思っているのがばれてしまったかのようにぱったりとかかって
こない。こうなってくると人は悪い事か余計な事を考えるものらしい。もしかして知らないうちに盗聴器つけられているのかもしれ
ないなどとありえない事まで考え出して今日は思わず家探しをしてしまった。
「……アホか俺は…」
  床の上に足を投げ出して座り込みながら有栖は疲れ切ったようにそう呟いた。
 大体ほとんど家に自分が居るというのにいつ盗聴器をつけられるというのだ。
「ああ……もう…」
 本当に自分らしくないと有栖は思った。
 だが、間違われて襲われたという事と、最初から自分がターゲットで襲われたというのはやはり気持ちの中では雲泥の差がある。
 ナイフで襲われるほど自分は何をしたのだろう?隣人のストーカーの線が消えたのだから、やはり有栖自身がどこかの誰かに
恨みを買うような事をしたという事になるのだろう。だが思いつかないのだ。
 まったく、これっぽっちも判らない。
 火村はGWまでにはカタをつけると言っていたが手掛かりが何もなく、相手からのアクションもないのだからこれではさすがの名
探偵も手も足も出ないだろう。もっとも下手にアクションを起こされても困るのだが……。
「……とりあえず、何か食べよう」
 ひとつ大きく息をついて有栖はゆっくりと立ち上がった。
 そう、昔から腹が減っては戦はできないというではないか。もっとも戦をするつもりはないが、腹が減っているとどうも思考もナー
バスになってくるものだ。
「何しようかなぁ」
 幸い食材は先日火村が山のように買い込んできている。
「パスタでも作るか」
 余分な探し物で疲れてはいるがあまり単純に済ませてしまうとまたおかしなことを考えだしてしまうかもしれない。少しだけ(自分に
とっては)手間のかかるものを作った方がいいと有栖はパスタを取り出した。
 その途端インターフォンが鳴る。一瞬ドキリと跳ね上がる鼓動。
「……アホな事を考えるな、有栖川有栖!」
 そう口にして有栖は電話機型のそれをとる。もっともその時には今度はテレビモニター付のドアフォンにしようと思っていたのだが。
「はい……」
 思った以上に低くなってしまった声に、けれど帰ってきた声は。
『よお、先生。約束通り籠っているな?悪いが開けてくれ』
「火村?」
 合鍵を渡してある筈なのにと思いながら有栖は玄関へと向かい、鍵を開けた。開いたドア。
「どないしたんや?こっちで何か事件でも…あ」
「こんにちは。先日はどうも」
 火村の隣にいたのは天王寺署の顔見知りの刑事だった。ということはやはりフィールドワークがあったのだろうか?だがそれならば
どうして刑事と火村が揃って有栖の家に来るのだろう。
「約束通りに解決だ」
「へ?」
 ニヤリと笑う火村に有栖は思わず素っ頓狂な声を出してしまった。
「とりあえず、中に入れてくれ」
 火村にそう言われて有栖は慌てて二人をリビングに通す。
「……なんだ?大掃除でもしてたのか?」
 微妙にずれたり動かされている家具や壁にかけられている小物を見て火村が言う。
「ああ…ちょっと気分転換に模様替えでもしようかなと思ってその辺をチョコチョコと」
 まさか疑心暗鬼に駆られて盗聴器を探していたとは言えない。
「ふ〜ん」
「ソファはカバーを変えたから綺麗になってるで」
 そう。例の物を探しているうちにずいぶん前に衝動的に購入したような気がするソファカバーを発見してついでに変えてみたのだ。
言い訳的には体裁を繕ってくれた。モンステラ柄の爽やかなグリーンに変わったソファに腰を下ろす火村たちを横目に見ながら有栖は
胸の中でホッと息をついてインスタントのコーヒーを淹れて二人のところに戻った。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
 ペコリと頭を下げたのは千種警部の下にいる島田という刑事だ。被害届を出しに行った時、たまたま千種警部が有栖たちを見つけて
わざわざどうかしたのかと尋ねてくれたのだ。その時に対応をしてくれたのが
島田刑事だった。
「あの、さっき解決って……」
 前のソファに座って口を開いた有栖に島田は「ええ」とうなづく。
「先ほど容疑者が交番に出頭しまして、こちらに連絡が入りました」
「自首してきたんですか?」
「はい」
「…………」
「まぁとりあえずコーヒーを飲みながら経緯の説明をしよう」
 そう言いながら火村はカップに口をつけた。

 

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「ほんまに人っていうんわ、どこでどんな風に恨みを買ったり、憎まれたりするか判らんのやなぁ」
 刑事が帰った後、何度目かの深い深い溜息をつきながら有栖がそう口にした。
「まぁ今回は若干有名税が入っていたようなところがあるけどな」
 そんな有栖に火村はキャメルを燻らせながら口を開く。
 今回の事件の全容は単純に行ってしまえば焼き餅と八つ当たり、もしくは痴話喧嘩に巻き込まれたと言っていいだろう。
 付き合っていた彼女が1か月ほど前に行われた有栖のサイン会に行った。彼女はミステリー好きで有栖川有栖の大ファンだった。
 興奮してその時の事を話す彼女に焼き餅半分ついついあんなのどこがいいくらいの事を言ってしまうと彼女は「もう付き合わない
別れる!」という捨て台詞で出て行ってしまった。メールアドレスは変えられてしまったようで電話も着信拒否。最初は余計なひと言
を口にしたと自分自身反省したが、そのうちにこんな事になったのも『有栖川有栖』なんてふざけた名前の作家がいたからだと思う
ようになった。
 そう思っていた矢先、目の前に『有栖川有栖』が表れた…………。
「それにしてもまさかポイントカードを作って狙われるようになるなんて夢にも思わなかったわ」
 そう。たまたま立ち寄った新装開店のアパレルショップでその系列店だけでなく他の提携店でも使えるというポイントカードを作った
のがこの事件のはじまりだった。
 偶然といえば偶然すぎる偶然。有栖がポイントカードを作ったそのアパレルショップには他の支店から手伝いとして派遣されていた
今回の“犯人”となる男がいたのである。
 判らなければそのままあいつのせいだと胸の中で理不尽な逆恨みをしているだけだったのだが、目の前にその相手が現れると気
持ちは一気に膨れ上がり『こんな奴のせいで』と恨みは明確な形をとりはじめる。
 そしてついつい、顧客と店員という立場で手に入れた住所を辿ってそこにやってきてみれば、恋人らしい女性が彼にかけて寄ってく
るのが見えた。自分は付き合っていた恋人に振られたというのに相手は恋人もいて、こんなマンションに暮らしている。
 怒りは憎悪に変わり、同じくその時に手に入れた電話番号に電話をして無言電話をかけてみたりした。
 これで疑われて『有栖川有栖』もあの彼女と別れてしまえばいい、そう思ったのだそうだ。
 だが、有栖の生活は変わったところがないようにみえた。無言電話もまるで気にしていない。
 そして………あの日、あの後何回か訪れていた有栖のマンション近くでコンビニから出てきた本人を見て、衝動的に犯行に及んだ。
 だが、ナイフで人を切りつけると言うのはドラマなどで見ているよりも難しいし、恐ろしいものだった。
 我に返ってみれば何てことをしたのだと思い、今度は警官を見るといつか捕まると思って怖かった。様子を探るようにその後2度ほど
電話をかけてみたが、逆探知でもされたらと思って止めたのだそうだ。
 そうこうしているうちに刑事らしい人間が訪ねてきたことを知って、捕まるよりは自首をした方がいいと出頭してきたのである。
 もっとも彼のアパートを訪ねてきたのは刑事ではなく、勿論火村でもなかった。
 隣人の真野早織を調査していた探偵社の人間だ。
 火村は有栖の部屋を後にした後、警察に戻り近辺で類似の事件が発生していなかったか、そして真野早織を調べていた探偵社を
確認した。警察を通じて探偵社に連絡を入れ、彼女の調査中におかしな人物を見かけていないか。また資料の写真の中にそれらしい
人物が写っていないかを確認させてほしいと依頼したのである。
 そこから今回の犯人が浮かび上がってきたのだ。
 探偵社も真野早織の件での失敗もあった為か快く了承。警察に協力をするという形で写真に豆粒のように映っていたマンションを伺
う男の身元を割り出した。その探偵社の人間を刑事と間違えて犯人が出頭。
 なんというかこうして話を聞くと何だかドタバタのコメディのようである。
 もっともこの話にはおまけがついていて、男の出頭に付き添ってきたのは、付き合っていた彼女なのだそうだ。共通の友人に有栖川
有栖に怪我をさせて、刑事に身元がばれたみたいだから捕まる前に自首すると彼女の共通の友人にメールを入れたところ、音信不通
だった彼女から連絡が入り、男は付き添い付きで交番に出頭したのだそうだ。
 だからやっぱり痴話喧嘩に巻き込まれたというのが一番正しいのだろう。
 有栖は先ほど出していた被害届を取り下げた。
「隣人の恋人に間違えられたっていうお前の推理はあながち間違いじゃなかったけどな」
「それはもうええわ」
 ニヤリと笑う火村に有栖が小さく顔を顰める。
「それにしてもほんまに……ポイントカードもひょいひょい作られへんな」
「まぁな」
 吸い終わったキャメルを灰皿の上に押し付けて火村はふうと白い煙を吐き出した。
 どうやら今日はちゃんと買い占めたキャメルを持っているようだった。
「ところで、アリス。盗聴器は見つかったのか?」
「!!!!」
 有栖は弾かれたように顔を上げたまま声を失ってしまった。
「やっぱりな。そんなところだろうと思った。まぁ大掃除にもなって良かったじゃねぇか」
「………おおきに」
 もしかしてこの男は人の心が読めるのではないか。
「さてとそれじゃあ帰るか」
「え?帰るんか?」
 そう言って立ち上がる火村に有栖は思わず声を出した。
「夢の黄金週間まであと一日働かないといけないんでね。もっとも帰ってほしくないっていうなら明日はここから出勤するのもやぶさかでは
ないけどな」
「…………」
 ふざけるなというのは簡単だった。でもどうやら自分は茶番のような痴話喧嘩にちょっとばかり毒されてしまったらしい。
「じゃ、帰らんといてな」
「!!」
 今度は珍しく火村が声を失う番だった。だが、勿論火村は「珍しい事もあるな」等と口を滑らせる事はなかった。
「了解」
 短く返ってきた答えに。
「ありがとう」 
 と返して。
 思わず笑って、引き寄せられるように顔を近づけて。
「……後でパスタ作ってな。たらこのやつ」
「判ったよ」
 首に回した腕。
 それと同時に重なった唇。
 こうして二人は一日早く黄金週間に突入することとなった。

 

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 青い空と白い雲。絵に描いたような五月晴れの空をリビングのベランダに続く窓から眺めて有栖は大きな欠伸をした。
「何だまだ寝たりないのか?」
 それを見て火村が声をかけてきた。
「誰かさんが毎晩無茶をするからな」
 ムッとしたような有栖の言葉に火村は日本茶を淹れながら心外だと言うように口を開いた。
「そうか?でもお前も結構その気でもっととか……」
「うるさい!それ以上言ったら殴る!」
 顔を赤くして怒鳴る有栖は、言ったらもっと怒りそうだが結構可愛いと火村は思っていた。
「ほら、日本茶が入ったぞ」
「おおきに」
 返事をしながら有栖はダイニングテーブルの方に移動した。テーブルの上には日本茶と柏餅が乗っていた。 そう今日はこどもの日だ。
「いただきます」
「どうぞ」
 火村はあまり行事とかイベント事に関心はないのだが、有栖はこういった事が好きだった。
「やっぱりうまいなぁ。端午の節句に柏餅。正しい日本人やな」
 端午の節句はどうでもいいが、やはり恋人の嬉しそうな顔を見るのは悪くはないと思いつつ火村もまた柏餅を口に運ぶ。
 穏やかな穏やかな午後。
「ああ、もう一日でGWも終わりやなぁ」
「なんだ?物足りないのか?じゃあ今夜はもっと」
「!もうその話はええっちゅうねん。そうやなくて、なんか休みが終わるのってなんか淋しいような気分になるやろう?」
「……そうだな」
「今、一瞬、お前は年中休みって思うたやろう」
 小さく睨みつけてくる有栖に火村は「さあね」と短く言って日本茶を啜った。その顔を見ながら有栖は何かを思いついたように口を開いた。
「なぁ」
「ああ?今度は何だ?俺は何も言ってねぇぞ」
「明後日は大学に行くわ」
 また何の脈絡もない事をいきなりと思いつつ火村はニヤリと笑う。
「何だよそんなに俺と離れがたいのか?」
「アホか。5月7日やから久しぶりに学食のカレーを奢ってもらう」
「!」
  有栖が笑った。
 そう、あの日……。
『その続きはどうなるんだ?』
『あっと驚く真相が待ち構えてるんや』
 動き出した歯車。
「奢ってやるじゃないのかよ」
 笑う火村に有栖が返す言葉は一つしかなかった。
「もちろん--アブソルートりー--」





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