夕立と助教授

 ピンポン・ピンポン・ピンポン…!!
 半分自棄のように鳴り響くインターフォンに部屋の主、有栖川有栖は苛立ったようにバタンッ!と書斎の戸を開けた。
「やかましい!どこのどいつや!一体!!」
 急ぎの原稿ではないものの、珍しくノッて書いていたところに聞こえてきた雷のようなインターフォンの音。
 未だに鳴り止まないその音に「うっさいんじゃ!アホゥ!」と廊下で怒鳴るとその声が聞こえたかのようにダンッとドアを叩かれた。
「・・・・・・・・」
 思わず固まってしまった足。
 ヤバイんじゃないのか。
 まずいんじゃないのか。
 一体全体どこの借金取りが来てしまったのだろうか。
 間違っても自分は借金取りの世話になるようなことはしていない。それともこれもまた身に覚えはないが、ヤのつく自由業の方でもいらしてしまったのだろうか。
「・・どちらさん?」
 部屋を出てきた時の勢いはどこへやら閉まったままのドアの前で声を出すと、予想に反して聞き慣れた声が返ってきた。
「居るなら早く開けろ!!」
「!!!」
 かなり苛立っているが、それは間違いなく長年の友人であり、恋人でもある火村英生の声だった。
 有栖は慌てて鍵を開けて、ドアを開いた。
「どないし・・」
 だが、有栖はその問いを最後まで続ける事は出来なかった。
「・・ったく・・まさか今まで寝ていたなんて言うんじゃないだろうな」
「・・・・・いや・・」
「なら何をしていたんだ。起きていたならとっとと出ろよ。おい、タオル」
「あ・・・うん・・」
 言われるままに有栖は廊下を取って返してバタバタと洗面所に駆け込んだ。そうしてバスタオルを掴むと再び玄関に戻ってくる。
「ほら」
「・・・ああ・・」
 差し出されたバスタオルを受け取って火村は頭をガシガシと拭き始めた。
「・・・・・・一体・・どないしたんや?」
 驚くのも無理はない。火村は頭のてっぺんから足の先までズブ濡れだった。
「ああ?どないしたも何も。見りゃ判るだろう。雨だ。夕立ち。駅を出た途端降り出しやがって。なんとか行けるかと思ったらあっという間にバケツの底抜け状態だ。ついてねぇ」
「・・・そりゃまた・・」
 駅からここまででその状態では本当にすごい降りなのだろう。玄関の火村が立っている足元は濡れて黒く色が変わっている。
「なんだよ、雨が降っているのも気付かなかったのか?」
 マジマジと眺めている有栖の視線に気付いて火村は呆れたような声を出した。
「うん。書斎に篭もってたから」
 だが返ってきた言葉に拭く手を止めて、火村はバスタオルの下からもう一度有栖を見た。
「〆切前か?」
「いや、まだちょっと余裕がある。珍しく」
 言って笑う有栖に火村は「自分で言うな」と言いながらスーツをパンパンと叩いてとりあえず水気を取った。
「とりあえず、シャワーでも浴びろや。着替えは出しておいてやるから」
「ああ、悪いな」
 どうにか水が滴り落ちているということはなくなり火村はようやく玄関を上がるとその場で靴下を脱いで風呂場に向かって歩き出した。
 その背中を見ながら有栖は慌てて寝室へと駆け込んだ。とにかく着替えを用意しなければならない。 もっとも予備はしっかりと置いてあるのでその点は問題ないのだが。
「・・・・・・うわ・・」
 着替えを持って部屋を出ると、有栖は何気なくリビングの向こう、ベランダへの窓へと視線を走らせた。そして見えた景色に思わず小さな声を上げてしまう。雨の線がはっきりと見えるほどのひどい降り。確かにこれではあの状態になるのにそんなに時間はかからないだろう。
「火村、これ着替え。雨ほんまにすごい降りやな」
 言いながら有栖は洗面所、兼、脱衣所であるスペースのドアを開けた。
「・・おっと・・すまん」
 だが、そこに半裸状態の火村の姿を見て、思わず1歩引いてしまう。
「なんだよ」
「いや・・えっと・・ここに置くし」
「照れるなよ」
「誰が照れとるんや。あほ。早よ入り。風邪引くで」
 確かに男同士で何をとは思うが、いきなり裸に近い状態を見せられたら普通は焦ってしまうと思う。
 何となく気まずくなって有栖はそそくさとドアを閉めた。けれど。
「アリス!」
「なんや」
「悪いけど、このスーツ、ハンガーにかけてどこかに干しておいてくれ。下にタオルか何かを敷いておけばいいだろう?」
「判った」
 すぐさまかけられた声にフゥと息を一つ吸って、吐いて、有栖は再びドアを開けた。
「頼む」
「ん」
 差し出されたスーツ。伸ばした手。
「!」
 だが、次の瞬間、有栖は受け取るべきスーツと一緒に火村の腕の中にいた。
「え・・うわ!冷たい!火村!!」
 シャツからジンワリと伝わってくる水気。
「何考えとんねん!俺までびしょ濡れやんか!!」 怒鳴る有栖に火村はひどく楽しそうに口を開いた。
「丁度いいじゃねぇか。一緒にシャワーを浴びようぜ?」
「!?」
「下手に照れると寝た子を起こすってな」
「・・・・・」
「なかなか夕立も捨てたもんじゃないな?」
 先程までの怒りはどこへやら、ニヤリと笑うご機嫌急上昇中の助教授に、有栖は水のしみてくる冷たさを感じながらハァッと大きな大きな溜め息をついた。


有栖川ユリさんからのプレゼント。ありがとう。いつか私にこの後の話を(笑)