ナマコ 2001/01/28

ナマコは美しい。まさに天然の美である。

こういうこと書きそうと思われているのかもしれないが、それは過大評価というものである。ナマコは見た目気持悪いし、それだけでなく別に旨いとも思わない。ここが肝心なところである。見た目気持悪くても旨いならともかく、別に旨くもないのだから、ナマコの存在意義がどういうところにあるのか分からない。

というより、考えてみると私はナマコを食ったことがあるのだろうか。なんか未成年の頃親に連れられてどっか海の方に行ったときに、山海の珍味とか言って出てきたことがあるような気もする。ホヤは食った記憶があるが、ナマコに関しては食ったことないような気もして来た。ひどい話だが、食ったことないのにまずいと決めつけている。ナマコ業者の人には悪いが、もし食ったとしても旨いはずがないことはほぼ決定している。先入観が強いというやつであろう。

ここに至って明らかになるのは、ひとつには私の保守的かつ決めつけ的な性格である。ヘンなものに興味を持つようでいて、かなりノーマルな嗜好なのではないかと思っている。誰が言ったか知らないが「珍味にうまいものなし」である。

それは味覚に限ったことではなく、私は男だが別に男が好きということもないし、女性についてもきれいに越したことはなく、ナマコ的な女性が好みということもない。部分的にはナマコ的でもいいかもしれないが、その程度である。ナマコ的な女性ってどんなのか良く分からんな。それにナマコ的でいい部分って一体どこ?ていうか何言ってるのかさっぱり分からない。もろもろひっくるめてご想像にお任せします、ていうのはどう?どうでもないか。どうでもいいか。

エロビデオについても至ってノーマルな趣味で、愛し合っている(あるいはそういう設定の)男女が正常位で普通にするのが一番いい。まあ女性上位でも座位でも後背位でもそこに大きなこだわりはないが、3Pとかスカトロとか強姦ものとかになるとあんまり良くない。昔は入手自体にためらいがあったので3Pでもなんでも一生懸命見ていたが、最近は3Pものが出てくると見ないで飛ばすくらいである。スカトロもおしっこくらいなら飲んだりかけたりしても悪くないかもしれないが、固形物あるいは一般に固形物になるはずのものの液状物などが登場するとやはり見ないで飛ばす。まさに一般人。なんでこんな話になったのだ。というか今昼間なんですけれど。でも食事しながら書いている訳ではない。極めてまともである。

自分はまともということを主張するのが主旨ではなかった。ナマコの話に戻るが、ナマコはなんかどう考えても気持悪い上にまずい。でも、これが美しいとか旨いとか感じる人はいるに違いない。少なくとも旨いという人がいることはほぼ間違いない。つまり、やや少数だがナマコは珍味と言って珍重する人は確実にいる。さらに少数だがナマコが美しいと感じる人もいるだろう。こうして考えると自分がどの程度一般からハズレているかの判定にナマコは利用できる。ロック評論家で実業家である渋谷陽一の言う踏み絵的効果である。

踏み絵的については一般的ではないのかもしれないので、簡単に説明しよう。踏み絵自体はご存じのとおり、表では自分は教徒でないと言っていながら実際にはキリスト教を信仰していた隠れキリシタンを暴くためのもので、マリアやキリストが描いてある。信仰心のあるものはマリアやキリストの姿はたとえ絵とは言え踏むことはできなかったので、それで教徒かどうかが見分けられたという。それほどはっきりしたものではないが、ある特定のバンドなり曲のファンはそのことだけで人間の傾向が明らかになってしまうと考えられる。そういうロックを踏み絵的と言ったのである。ブラックミュージック愛好者かどうかの踏み絵的アーティストは元プリンスがまた元に戻った元元プリンスというかただのプリンスである、というような使い方をする。例なのに分かりにくいのはなぜなんでしょうね。男の場合は98%はポルノ好きなので、ポルノを踏ませるよりアニメ絵を踏ませたり、軍艦を踏ませた方が良好な結果が得られそうである。女性の場合はローターを踏ませたり、SM雑誌を踏ませたりすると何か分かるかもしれなくて、その結果今度は逆に靴で踏まれたりすることになったりするのかもしれない。実際はそんなこたないので、世の中潤いが足りない。

ナマコはどこへ行ったか。ナマコは足がないので海へ行ったというよりは海にいた。 違う。ナマコの話題はどこへ行ったか。そう遠くへは行ってない。ナマコ好きっていうのはまあ何パーセントか分からないが、ある特別の人種に属すると言っても過言ではない。その中でもナマコの味だけでなく造形に引かれる真のナマコ好き、言わば真性ナマコ愛好症候群が世の中の0.何パーセントか0.0何パーセントかはいるに違いない。そしてナマコ好き同士の結束はマイナーなだけに固いのである。そこにナマコの存在意義はある。神がこの世に多様性を持たせたのは、そのためである。書いている本人でもどのためか分かるようなよく分からないような気分ではあるが。

さて、恒例の蛇足コーナー。新世紀最初の年の元旦に私はテレビを見る以外にこれといって何もしなかった。そこで見たテレビ番組がモーニング娘。の新春スペシャルである。それって日テレ。普段そんなに見てないんだから、いいじゃないか、っていうかおっさんになってやっとアイドル好きになったんだから、私の幸せを壊さないで。壊すほどの幸せなんてねえよ。あ、開き直った。ひとりで遊んでいる場合じゃない。番組の内容はモーニング娘。の面々がくじ引きで適当に分けられた組ごとに世界各地に散らばり、指令を遂行するというものである。中澤裕子がひとりで中国に行って自転車で周っていたりして面白かったが、それはともかく、その中でどこか忘れたが南国に行って自分たちのカレンダーを作れという指令を受けたのが子供ふたり(加護・辻)とおねえさんふたり(よく分からない。消去法で行くと飯田・吉澤・ゴマキのどれか)の四人組であった。いくつかのスポットで写真を撮ってそれを元ネタにカレンダーを作るのだが、ゲームみたいのをやらされて負けた人はバカな格好したりしないといけないなどのハンディが付く。そこで登場したゲームのひとつがナマコ取りゲームであった。南国なだけにかどうかビーチの浅瀬で手でつかめるようなところにナマコがうようよいる。取った分をバケツに入れておくが、子供のどっちかは人が取ったバケツからナマコを海に戻したりしている。まあご愛敬なんだが、ずるいガキ。蹴飛ばしてやろうかと思った。テレビを蹴飛ばしても足が痛いだけなのでやめておいたが。しかし、ナマコ取りゲームをしたり、ナマコをぶつけられてキャーとか言っている人間ってホントに傲慢。ナマコの気持にもなってみろ、ってそんな必要ないが。

ナマコに特別に強い思い入れはないんですが、この前、テレビでナマコを見ることがあって、で、その見た目のグロテスクさにちょっと笑いました。地元の漁師さんがナマコを刺身にして、橙を搾ったものをかけて、地方局のアナウンサーのオトコにすすめていました。アナウンサーはウマイともマズイともわからない複雑な表情で「歯ごたえがある」とかそんなようなことを言っていました。ナマコを捕まえる様子を録画した映像も映ったんですが、海の底にいるナマコを「拾う」って感じのあっけない漁でした。ゴーグルのデカイやつみたいなものを海の中に突っ込んで海底を覗いているその漁師さんがちょっと滑稽でした。

出来るだけ思い入れのなさそうなお題をと考えて、とりあえずナマコにしてみました。(エス)


mail home next Last modified: Mon Feb 26 04:21:19 JST 2001