そこにいて。2
私生活・三蔵&悟空編
この話は連載「私生活」の番外編です。本編を最後まで読まないと分からないかもしれない…。
パソコンの画面に「只今八戒校了中要注意」の文字がヒラヒラ舞っている。
悟空はその妙なスクリーンセーバーを、頬杖をついたまま延々眺めていた。
三蔵が山のような出稿物を抱えて3階の編集部を巡回し、4階に上がって経理部と営業部に私情を巧みに交えた苦情を申し渡し、ついでに社長に「何でエレベーターを使わないんですか」などと言われながら2階に下りてフロアを覗いた時にも、まだ悟空はそのままの姿勢でいた。あんな顔見せられたらほっとけない。
どうしたものか。
今更だが三蔵の容貌は大変目立つ。いつまでも他社のエレベーターホールに突っ立ってるとかなり妙だ。だからといっていきなり仕事上なんの接点もない悟空に話しかけるのも妙だ。妙というより危険だ。
出版関係者にとって三蔵と懇意になることは八戒クラスになって初めて許される名誉らしく、自分が下っ端の悟空に構うことであれこれやっかまれている事は八戒伝手に聞いていた。
つまり構わなければいいのだが。
無理。
三蔵は諦めが早かった。
あくまでさり気なく、少なくとも本人はさり気ないつもりで、三蔵は悟空の席に近づいた。
「何だそりゃ」
「うん…」
いきなり頭上から降ってきた声に、悟空はまるで驚いた様子もなく振り向きもしなかった。
「悟浄が暇つぶしに作ったやつなんだけど」
ショッキングピンクの文字が大きくなったり小さくなったり点滅したり爆発したりしながら黒い画面を舞い踊る様は歓楽街のネオンサインの如きえげつなさだ。加えてあからさまに八戒に対して非礼を許された特別な関係にある者が制作したのだという傲慢な印象を醸し出しており非常に不愉快だ。というような想いを三蔵はひとことで片づけた。
「悪趣味だな」
「うん」
「らしいけどな」
「うん」
「今晩あけとけ」
「うん」
三蔵がUターンした途端、一斉にフロア中の連中が目を逸らした。
脳裏に赤いのと緑のの顔がよぎる。
あいつらがこんな置き土産を残すと分かっていたら、大人しく見送ったりしなかった。
八戒行きつけの接待用バー…は、パス。最後に4人揃って会った場所だ。嫌でも思い出す。悟浄御用達の居酒屋…もパスだ。いや近場の店は軒並み悟浄と悟空で行き尽くしてるに違いない。今日は何が何でもあいつらと何の関係もない場所で何の関係もない話題で乗り切ってやる。
三蔵が頭の中にグルメまっぷを広げ、丹念に×を付けて回ってようやく立てたプランは、夜8時ちょうどに携帯を鳴らしてきた悟空の「お好み焼きが食いたい」のひと言であっさり崩れ去った。
「それならそうと最初に言え!」
「さっき急に食いたくなったんだもん」
すっかり気が抜けて適当に入った店だが、月曜日の夜に繁盛しているところを見るとそれなりの人気店らしい。座敷で向かい合うと、鉄板からあがる煙と豚肉の焼ける匂いに、悟空は昼間の憂い顔が幻だったかのように勢いよく割り箸を割った。
「おまえ元気なのか?」
「ん?元気やほ?なんへ?」
「…いい。黙って食え」
パーカーの胸元から伸びた紐がソースに触れないよう服の中に押し込んでやりながら、三蔵は深々と溜息をついた。
悟浄が会社をクビになってから2年半、八戒まで何をとち狂ったか軽やかに退社してから3ヶ月。名物編集長である八戒と三蔵が旧知の仲だったからこそ、その八戒と切っても切れない悟浄と嫌々口をきく羽目になり、極々自然に隣の席の悟空と付き合えた。あくまで4人の中の2人。話題は主にあいつらのこと。反抗期の子供を抱えた親同士の愚痴の零しあいのような連帯感。
だから突然悟空とふたりで置き去りにされると、もうどうしていいのか分からない。
あいつらが消えて呆けたようになってる悟空に「俺はいったい何なんだ」と怒鳴りたい気にもなるが、何なんだも何も、何でもない。ただの出入りの営業屋だ。
「三蔵、別に俺んとこ寄る時、周りに気ぃ使わなくていいよ?」
あっと言う間に豚玉一枚平らげた悟空は、おそるべき手際の良さで2枚目の生地をシェイクし始めた。
「ふつーに来てふつーに喋ってよ。平気だから」
「平気じゃねえだろ。悟浄が…」
ああ!あいつらの名前は出さないと心に誓っていたのに出してしまった!
まあいい。
「おやじ、生、追加!」
三蔵は立ち直りが早かった。
「悟浄がクビになった理由を考えろ。人間関係には細心の注意をはらう、それが嫌なら出世する、無理なら独立する、会社員が生き残る道はみっつにひとつだ。な?」
悟空は箸を銜えたままマジマジと三蔵を見た。いくら何でももうガキで許される歳じゃないだろうに、スーツの自分と並ぶと親戚の子供でも連れて歩いてるようにしか見えない幼さだ。
「てことは三蔵は、俺は出世もできなきゃ独立もできないって言ってる訳?」
真剣な瞳に一瞬たじろいだ。
「…できる訳ねえだろ。てか、するな」
三蔵は正直だった。
「えー何で」
「するな!!」
「はい生一丁〜」
いきなり割って入った店のオヤジと、ジョッキを流れて指を濡らす水滴の冷たさに我に返って、三蔵は前屈みになっていた姿勢を正した。
「…あいつらみてえになりてぇのか。いつ道端で刺されてくたばるか分かんねぇ編集長やら、勤務先の上司に手ぇついてまで借金して過労死寸前のチンピラやら見てて、あんなふうになりてえと思うかよ。このまま会社の専属でいりゃあ食いっぱぐれもねえ、余程の事がなきゃクビにもなんねぇ、おまえはこのまま平和にのんびり生きてけばいいんだ。この不況時に生半可な覚悟でわざわざ辛い目にあうな」
嫌になる。説教したい訳じゃないのに。いくら年上でも親でも上司でもない三蔵にプライベートでこんな説教かまされるいわれはない。
「三蔵、どっちが辞める時も止めもしなかったじゃん」
「引っ張って止まるような連中か!そもそもあいつらの事なんぞ俺はどーでもいい、俺はおまえが」
「お客さん、火ぃ止めるよ〜」
オヤジがその場を離れる間に俺の言ったことは忘れててくれ頼む。と願ったが、おやじの向こうの悟空は相変わらずでっかい目を見開いて三蔵を見ていた。
「…三蔵は」
続きはなかった。悟空が鉄板の端から端まで掬って箸を置く音がやけに響いた。
「あのね。ほんとはまだ言っちゃいけないんだけど」
「あ?」
「もうすぐうちの会社、デザイナー部署廃止するんだって。今俺ひとりしかいねえし、だったら外部にまとめて発注かけたほうが効率いいから。だから、もうふつーに喋って平気」
開いた窓から、まだ生暖かい夜風が吹き込んで、白煙の残りを綺麗に拭った。
「ありがとね」
何故もっと人を好きになっておかなかったんだろう。
何故もっと人と真剣に関わっておかなかったんだろう。
そうすれば、目の前の年下の男に、もっと違う形の気遣いができただろうに。もっと何かしてやれたのに。
こんなに長く生きてきて、言うべき時に言うべき言葉も見つからない。
自分と同じように仕事人間だった八戒が、悟浄といてみるみる変わっていくのを、三蔵はただただ驚いて見ていた。辛そうだった。辛いはずだ。辛いに決まってる。羨ましいんじゃない。
ただ、今の八戒ならうまく優しい言葉をかけてやれそうで。
悟浄ならもっと分かりやすい態度で示してやれそうで。
教えろよ。
「…家まで送るか?」
「うん…まだちょっと仕事あるから会社の前までいい?」
「会社なら車出すより歩いたほうが早いだろ。あの辺り確か一通…」
「だから歩いて送って」
アスファルトにふたつ伸びる影の、その長さの違いがますます三蔵の口を重くする。
俺はただ。
「早く食い過ぎたせーかな。腹の中、すっげ熱くない?」
真横で、悟空が呟いた。
「熱いな」
「あ!三蔵、全然お好み焼き食ってねえじゃん。熱いわけねーじゃん」
「熱い」
「嘘ばっか」
「触ってみな」
自分より随分下にある肩に腕を回して、思いっきり抱き締めた。
熱くて熱くて涙が出る。
fin
ミラクル★キューブのウメさんにリクエストいただき、
大学生編「そこにいて。」を差し上げたセキさんとウメさんが姉妹のようで(加藤ビジョン)
既に頭の中でペアなので、ペアつながりでこれは2です。
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