幻想エクスタシー
■side-A
「なんっでこんな時に貴方と仲良く出陣しなきゃいけないんですか!」
俺の隣で廊下をドカドカ歩いている天蓬が、サラリーマンとは何かを根底から問うような奇妙奇天烈な事を口走った。
「なんでこんな時にって、出陣に何でもクソもあるかよ!滅多なこと言うんじゃねえ、部下に聞かれたらどうする!」
だいたい今日のこの時間にコレがあるってのは1ヶ月も前から分かり切ってたことだ。これから敖潤の執務室に正式に出陣の訓辞を受けにいくところなのだが、並んで歩いていたはずが天蓬は怒りに任せてどんどんどんどんどんどん早足になり、俺は何が何でもこいつに追い抜かされまいとそれに合わせて歩調を早めているうちに遂に駆け出す羽目になり、100メートル全力疾走の後、ぎりぎり天蓬より一歩先にドアをぶち破った。先にこいつを入れて「西方軍が出陣しなくていい100の理由」を蕩々と並べ立てられたら話がややこしくなる。ただでさえ天蓬には甘々な上司だ。せっかくの出陣=昇給チャンスを逃してたまるか。
「おう、敖潤!行って来るぜ!じゃあな!」
勢いが止まらず背中にぶつかってきた天蓬が口を開く前に外に押し出そうとしたところが、いきなりこいつの肘が鳩尾に入った。
「…ってっめ…っ!」
「邪魔です」
「…俺に拳あげてただで済むと思ってんのかこの野郎」
「上等ですね。クビにでも何でもすりゃあいいじゃないですか、望むところですよ。貴方の顔なんか二度と見たくない」
呆気にとられていた敖潤は、流石に状況をおおまかながら把握したらしい。
「天蓬元帥…は、外に出てくれ」
これで俺に出ていけというような上司だったらその角引き抜いて耳に突っ込んでくれるわ。
命令は的確だったが、完全に頭に血が昇った天蓬の虫のいどころは右から左に移動しただけだ。
「ご覧の通り我々は今こんな有様なので指揮系統がまともに機能するとは思えません。ああ、もしかしたら永遠に機能しないかもしれません。とにかく今回の出陣は他の軍に」
黙れクソ天今頃何抜かす大体我々たぁ何つー言い草だブッ壊れてんのはてめえだけだ軍師が聞いて呆れるわ馬鹿野郎!
と叫びたくて死にそうだったが、ここでふたりして醜態さらしたら実にヤバい。何がって西方軍が。
「わり、こいつ今ちょっと頭おかしいんで!じゃ!」
「僕の頭がおかしいんなら貴方の頭はないも同然です!」
ああ殴りたい殴りたい。
とにかく色々と聞きたそうな言いたそうな敖潤に「下界で買ってくるものはねえな!?」と財布を預けられて買い出しに行く旦那のようなことを言いおいて天蓬を廊下に蹴り出し、奴が体勢を立て直して噛みついてくる前に勢いよく頭を下げた。
「俺が悪かった!!!!!」
もう先制攻撃であやまり倒すしかない。この場だけでも宥めすかして出陣してくれないことには話にならない。
「それが望みなら遠征から戻ったら異動願出して、おまえの前から消えてやる。でも今回だけは頼む、このとおり!」
天蓬は懐からさっきの乱闘でポッキリ折れた両切を銜え、煙草の葉を盛大に撒き散らしながら火をつけた。
「………行きますよ。仕事ですから」
俺が頭を上げた時には、天蓬は随分先の角を曲がるところだった。
正直に言う。俺は何で天蓬が怒っているのか知らない。
■side-B
大将と副官が言葉も交わさず目も合わせない冷戦状態だというのに誰にも気がつかれないまま、速やかに任務終了してしまった。
何をどうやっても捲簾の考えも動きも隅から隅まで読み尽くせてしまう。向こうも同じだろうが。
「…不覚」
部屋に戻るなり零れる本音。
見てしまった。やっぱり見てしまった。捲簾のアレを。戦場に出たおかげで、今一番見たくないものを。遠征から戻ったら本気であの男をよそに飛ばすつもりだったのに、ついうっかり。
また最悪に絶妙なタイミングで現れる。
「おっつかれ〜天蓬」
「なんで血まみれのまま来るんです!!!!」
ノックと同時に開いたドアに向かって投げつけた四字熟語辞典は、捲簾がひょいと捻った耳を掠めて床に落下した。
「…まだ怒ってんのかよ、しつけーな」
透明な階段でも昇るように宙を駆け上がる身の軽さ。剣が生き物のように呻り目標物を薙ぎ倒す、隙も乱れも欠片もない見事な剣さばき。部下に返り血を浴びさせない主義の捲簾の上に、赤い糸のように幾筋も走って、最後は球になった血の雨がパラパラと降ってくるあの光景。
アレが好きで。血と泥で汚れた捲簾のあの姿が大好きで。アレを見てしまったらお終いだと思ったから。だから。
「なあ、もうやめよ?あやまるから教えてよ。俺、おまえに何したの」
乾いて肌に貼り付いた返り血を落としながら捲簾が呟く。口調は飄々としているが、本当は僕が怖いのだ。その証拠に視線は寄越さない。
「…もう怒ってません。汚れてると、しにくいから嫌なだけです」
「何を?」
正面からひたと見据えているうちに、気怠そうだった捲簾の表情がふっと緊張した。ようやっとあげた視線が一瞬合ったと思ったら、ウロウロと泳ぎだす。
「…何をよ」
ほらビビった。ちょろい男。ただのガキ。この男がそれなりに見えるのは戦場だけだ。
そばまでツカツカ歩いていって襟首を掴んで壁に押しつけ、唇で唇をきつく吸い上げる間、捲簾は目を見開いたまま身動きもせず、人形のようにされるがままになっていた。
「……え…え、あ?」
「好きですよ捲簾」
好きだよ。
睫が触れあうほど近い。捲簾は何度も何か言いかけて呑み込み、瞬きを繰り返した。無意識に後ずさろうとして靴の踵が後ろの壁に当たり鈍い音をたてる。
どこに逃げようっていうんですかね、このバカは。
「ろくな男じゃないのは分かってるけど、やっぱり貴方がいいです。貴方といる時が一番気持ちいい」
ろくな男じゃねえのは分かってんだけどよ。
真顔で囁きながら笑いを堪えるのは大変だ。何ですかこのセリフ。素面じゃ辛すぎ。
「え…ちょい待って…何?マジ?冗談?」
「そんなことも分かんないんですか」
可哀相に。余裕かまして笑いたいのと驚いたのとで舌が縺れてる。
「返事は1週間待ちます。考えてください、真剣に」
掴んでいた襟をぱっと離すと、捲簾の体は壁伝いに10センチほどずり下がった。ほっといて窓を開け放ち、煙草に火をつけて吸い込んだところで、ようやく諦めきった声がした。
「……結局、俺は何をしたんだよ」
忘れちゃいましたか。そうでしょうね。泥酔でしたもんね。でもね、あんなセリフでも、あんなキスでも貴方だってだけで結構動揺しましたよ。でなきゃ1週間も掌で転がしたり突いたり眺めたり貴重な脳細胞を無駄に費やして悩む訳ないでしょう。それを「なんだっけ」とは言ってくれますよ。バカみたいじゃないですか。いやバカです。1週間後に「何でしたっけ」と言ってやるくらいしか仕返しを思いつかないくらいです。
自己嫌悪で窓枠にゴツンと額を押しつけたところへ、ためらいがちの声がかかる。
「…あのよ天蓬」
いつまでいるんですか鬱陶しい。そんなに僕にその姿を見せたいですか。かっこいいですよ。ええ。
「考える間もなくおまえのことは好きなんだけどよ。俺、何したのよ。酷いこと?」
…どう…しましょうかね。
fin
リクは天捲「戦闘前・戦闘後」
■BACK