「う…」
 慌てて口を塞いだが間に合わなかった。
 ばっと冷たい壁に貼り付いて息を殺す。が、部屋の中からは意外に穏やかな声がした。
「いいですよ、悟空」
 結局自分が顔を出さなければ、八戒がここまで来てしまう。
「……ごめん」
 動揺でしどろもどろに部屋の中に足を踏み入れた悟空は、八戒の何の拘りもない笑顔に驚いた。
「何謝ってるんです。用があったんでしょ?」
 八戒のひとり部屋だったはずが、ベッドの上にもう一人。その悟浄も悟空にちらっと目をやっただけで淡々と煙草をふかしている。むしろ、いつもより機嫌は良さそうだ。
「えーと…明日、出発の前に買い出ししたいからって三蔵が」
「そうですか。じゃあ…8時起きですねぇ」
「げ」
「何が、げ。です。貴方は昼間ジープで眠れるでしょう」
「寝れるかよ」
 悟空は大きな目をさらに見開いて八戒と悟浄を見比べた。気まずさの気の字もない態度は、繕っているとは思えない。
 …何ともないんだ。
 このふたりには自分なんか、何ともないんだ。
「は…8時起きな。分かった!じゃ、おやすみ!」
「ええ、おやすみなさい」
 廊下に飛び出して扉を閉める寸前、悟浄のクスクス笑う声が漏れてきた。
「…何慌ててんだアイツ」

 悔しい。
 4人の中じゃ、確かに歳は下だけど。

 人の存在を頭っから無視したような悟浄の態度も、わざとらしいほど優しい八戒の口調も。そりゃ何も知らない子供やペットにならあんなとこ見られたって平気だろうけど。俺は。
 起床時間の確認にいったはずの悟空が世にも不可解な表情で足音荒く戻ってきたので、三蔵は新聞から目を上げたまま、しばらく固まった。
「…どうかしたか」
「8時起きだって」
「どうかしたかと聞いたんだ」
 悟空はばふっとベッドに俯せた。
「…見ちゃった」
「何を」
「はっかいとごじょーがしてるとこ」
「何を」
 枕に埋まった顔を右半分だけ出すと、三蔵はきちんと真っ直ぐ悟空を見ていた。
 三蔵はあいつらとは違う。
「…キス」
「ふーん?」
「キス…なんだけど、いつもと違うやつ」
「おまえは謎々がしてえのか。どうせ言葉が不自由なら、せめて一生懸命喋れ」
 悟浄と八戒にキスされたことがある。悟浄には酔っぱらった時にからまれて頬に。八戒には、三蔵が死にかけた時、励ましを込めて髪に。だから、さっき見たのだって、ただのキスならこんなにざわつきはしなかった。
「…なんか…キスの、その次がある感じのキス。もう絶対その次が、まさにすぐ目の前にあるって感じの」
 我ながら見事に意味不明だったが、とりあえず一生懸命さは伝わったらしく特に文句は出なかった。
「分かった。それで?」
 三蔵は新聞をキチンと畳み、眼鏡を外した。
「何が不満だ」
 目を閉じた。
「羨ましいか?」
 それでも鋭すぎる四感で、自分がして欲しいようにしてくれる気配がはっきり分かる。
「…俺だって男だよ」
「知ってる」
 ベッドが軋む。
 
 三蔵が好きだ。強く弱く瞬きながら、でも絶対に消えない俺の光。
「……っふ」
 光に口づける時は、それだけ。触れた唇だけ。絶対に自分から引き寄せたり欲しがったりしない。だって、三蔵は光だから。
 誰が太陽を直に見つめたりするだろう。降り注ぐ以上の光を欲しがって足掻くだろう。
「悟空、目ぇ開けていいぞ」
「…いいよ」
「開けろ」
 悟空にはキスもセックスも、一方的に恵んでもらうだけのものだった。それなら絶対に三蔵を不快にさせたり失望させたりしないから。それで満足だったのに。本当に幸せだったのに。あのふたりが平気でやってのける喰い合うような浅ましいキスが本当だとしたら。互いに恥も外聞もなく欲しがることが正しかったら。
 光を相手に、俺は、何を。
「男なんだろ?悟空」
 三蔵の冷たい指と舌。中は、熱いだろうか。
 悟空はゆっくり目を開けた。

 近すぎて見えない。 
 光のくせに。




fin

セキアカコ様へ押し売り。悟空は難しい。
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