ほどける








 天蓬は窓枠に寄りかかったまま捲簾を眺めていた。
 新入社員に支給される「正しい電話の取り方」や「正しいお辞儀の仕方」同様「正しいノックの仕方」マニュアルがあったとしたら、さっきの捲簾のノックはまさにそれだ。歯切れのいい規則正しいノックが2度。間を置いて2度。
 天蓬が返事もせずに外の桜を眺めていたら(いつものことだ)一瞬の静寂ののち、ダンプが突っ込んだような勢いでドアが蹴破られた。震動と風圧でその辺に積んであった本の山があちこちで雪崩を起こし埃が舞い上がる。流石に天蓬は眉を顰めた。が、モノも言わずに軍人の命である刀を床にガンと放り投げ、いきなりベルトを引き抜いた捲簾が次に何をやらかすのかさっぱり読めなかったので、半ば呆れ半ば興味津々で口を挟まずにいた。
 その捲簾は胸元の髑髏を鎖がちぎれるんじゃないかと思うほど乱暴にブチッと外して手袋と一緒に書机に投げ出し、上着のポケットを探って煙草とライターを引っ張り出してこれもそのへんに放り投げ、その場でUターンして扉の鍵を内側からガチャンと下ろし、ちらっと壁の時計を見上げて軽く舌打ちし、こちらにツカツカやってきたのでようやく何か言うかと思ったら、開け放たれていた窓を部屋の持ち主の了解も取らずにバタンと閉め(白衣の裾が窓に挟まったが何となく捲簾の邪魔をしたくなかったので、天蓬はほんの少し窓をあけ、裾を引き抜いてすぐ閉めた)ブラインドを下ろし、唯一点灯していた卓上スタンドを、コードを足で引っこ抜くという極道なやり方で消した。
 そろそろ何か言った方がいいかとは思ったが巧い言葉が見つからなかったので、天蓬はまだ黙っていた。
 まだ夕方だというのにたちまち薄暗くなった部屋で、捲簾はソファーを一発の蹴りで壁際まで寄せると、かろうじて肩に引っかかっていた上着を鬱陶しそうに脱いだ。そしてソファーに寝っ転がって上着をかぶると、すぐさま寝息をたてだした。
 天蓬の指から火をつけ損ねた煙草が落ちた。
 彼の行動を理解しようと努めるか否かはさておいて、期待をかわされて動揺していることを素直に認めるほどいい性格ではない。自分の冷静さを試すために、天蓬は足音を忍ばせて隣室に移り、受話器を取り上げた。
「僕です。捲簾に代わってください」
 内線の向こうの相手はしばし沈黙した。
「…ということは、大将は元帥のところにはいないんですね?」
「そりゃそうでしょうね」
「我々も探しているんです、あの人。徹夜で始末書書いててまだ謹慎中だってのに、ちょっと目を離した隙に逃げちゃって。ちょうど、こちらから元帥にお電話しようと思ってたところだったんですが…」
 天蓬は新しい煙草にゆっくり火をつけ、深々と吸い込んだ。
 何をやらかしたんですかと聞いて、ご存じないんですかと打ち返された時に怒鳴らないですむように。
「何をやらかしたんですか」
「ご存じないんですか」
 天蓬が受話器をたたき切る前に「そっちにいったら捕まえといてください」と向こうから慌ただしく切られてしまった。
 捕まえる。ね。
 来たときと同じようにそっと書斎に戻ると、捲簾はさっきとまったく同じ姿勢で眠りこけていた。
 いつもいつもいつも、この人の吐くメトロノームのように静かな息が大嫌いだ。
 ソファーの脇、ちょうど捲簾の顔に影を落とす位置に立ち止まると、天蓬は眼鏡を外して未だそびえ立つ残り少ない本の山のてっぺんにそっと置いた。固結びになったネクタイを無理矢理解いて椅子の背目がけて放り投げ、シャツのボタンをひとつひとつ時間をかけてはずし、裾をズボンから引っ張り出してから、ようやく思いついて銜えたままのタバコを丁寧に揉み消した。ポケットに入ったままのボールペンやタイピンを全部出してその辺りに放り投げてしまうと、もう他にやることがなくなった。
 便所下駄を脱ぎ捨てると、視力の弱さと部屋の暗さのせいで寝顔がはっきり見えない事に密かに感謝しつつ、捲簾の上に乗り上げた。どうしても両耳のすぐ脇についた掌に体重がかかる。あからさまに起こしにかかるのも癪だ。
 自分の腕が痺れるのが先か、捲簾が起きるのが先か。
 馬鹿馬鹿しいのですぐ折れた。心の中でカウントして,捲簾の吐いた10回目の息を吸い込んだ。
 メトロノームが一瞬止まって乱れた。

「…だる…」
「第一声がそれですか」
「おまえこそ第一声がそれかよ」
 一本の煙草を一言毎に奪い合う後ろでしきりに電話が鳴り続ける。
「…重い」
「僕のソファーの上で僕がどうしようと僕の勝手です」
「どけって」
「捕まえとけと頼まれました」
「…じゃあ電話取れば?」
 天蓬は捲簾の唇から煙草を引き抜くと、浮かせかけた腰をまた落とした。
「……っ!」

自分の前で規則正しく呼吸なんか、絶対させない。



fin

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