いつも心に革命を
「貴方は感情で動いてるだけの馬鹿だと思っていましたが、考えて結論を出すのが恐ろしく早いので感情と感情の間が詰まって見えるのだということが分かりました」
天蓬は真顔だ。
「…それはどうもありがとう」
「いいえ」
「ところで、それは今言うべきことか?」
目の前では大将と副官の会話に目を丸くした部下たちがずらっと並んでいる。
「副官が大将を信頼に値するとみなしたという事実は、皆様に表明しておくべき重要事項かと思いまして」
「そうかね」
捲簾は手にした万年筆で頭を掻いた。
「他に皆様に表明しておくべき事項がなければ、今日の軍議は終了ということにしたいんだが」
「ああ、もう一つ」
天蓬は手にした議事録をパタンと閉じた。
「これから僕は捲簾大将に対して多少贔屓目で接する可能性がありますから、皆様にその旨ご了承願いたい」
「なーんか、今日も今日とて呑みたい気分…」
軍議終了後、ぼやきながら廊下を歩いていた捲簾は、さっき別れたばかりの副官とまたもや出くわしてしまった。今日はこいつの顔だけはもう見たくなかったのに。
「捲簾、貴方いったい何してるんです。回廊ぐるぐるまわってても外に出られませんよ。ひょっとして地球が丸いことも知らないんじゃないですか?」
「…最初に会った奴と一杯やろうと思ってたんだよ」
「いいですね、是非。ちょうど相談があったんですよ。部隊編成のシミュレーションについてなんですが」
「冗談じゃねえ、おまえは無効だ」
踵を返した途端、肩を掴まれた。
「もしかして怒ってるんですか?」
悪気の欠片も感じられない天蓬の笑顔に思わず立ち眩みそうになる。
前からおかしいおかしいとは思っていたが、やっぱりこいつはおかしい。
「仕事が終わってまで仕事の話なんぞごめんだ!おめえは軍事オタクだから仕事も趣味も軍議もプライベートトークもいっしょくただろうが、俺はONとOFFはきっちり分けたいの!アフターファイブに俺を拘束するならOFFモードで付き合うか残業代払え!」
「また威勢のいい男ですね」
「聞いてんのかよ人の話」
「聞いてますけど」
天蓬は目顔で部屋に促した。例え仕事と何の関係もない友達同士の会話だったとしても、捲簾と天蓬はあくまで上官と部下なのだ。公共の場で言い争うと後々尾ひれがついて面倒な事になる。
「聞いてますけど、貴方相手にOFFモードにはなれませんよ」
天蓬の部屋に場所を移した後、部屋の主は淡々と言い切った。
「僕の貴方に対する言動はすべて上司である捲簾大将に対するもので、捲簾自身へのものじゃありませんから」
「あーそう」
いつもの癖で足下に散乱した書物をその辺に積み上げながら、捲簾は投げやりに相槌をうった。
「今まで馬鹿だと思ってただの、贔屓目でみるだの、ありゃ非常に個人的なおまえさんの感情じゃないの」
「捲簾大将に対する考え方ですよ。だから会議の席で発言したんじゃありませんか。捲簾自身が馬鹿だろうがなんだろうが僕には関係ないし興味もないし」
「おまえさ」
「はい」
「俺のこと好きなの?嫌いなの?」
仕事フィルターを通さない答えをひきだそうと頭をひねった結果、出てきた質問がこれしかなかった。
「…そりゃ好きですよ。多少無謀で必要以上に挑戦的な態度はどうかと思いますが、磨けば光る逸材だと判断した結果、こうして貴方の下で働かせていただいてる訳ですし」
これが果たして上司に対するコメントか。
「俺が大将でなきゃ話す理由も会いたい理由もないわな」
「…何を言わせたいんですか貴方は」
綺麗な眉をひそめて天蓬は呟いた。
「僕の何が気に入らないのかしりませんが、誤解があるなら早目に解消しておきたいですね。でないと今後の仕事に支障が」
「仕事から離れられんのか!」
手近の椅子を蹴り倒すと捲簾はぐるっと天蓬に向き直った。
「いいか!?俺はおまえを優秀な副官であると同時に友達だと思ってたから部屋の片づけも手伝ったし、おまえの明らかに無礼な態度も大目に見てやって今日まできたんだ。俺がおまえにとって上司でしかないんなら、俺もおまえを一部下としか見ねえ。今までどおりの付き合いはできないからそう思え!」
すぐに反論が返ってくるかと身構えたが、天蓬は意外にも固まったままだ。
これ幸いと扉に向かって突進する捲簾の背に、天蓬のためらいがちな声が届く。
「…捲簾。もしかして僕は」
何度か口を開きかけて、また黙る。捲簾はドアのノブを握ったまま辛抱強く待った。
「僕は、何」
「…僕はつまり、他の部下の方々と同じ立場になる訳ですか?」
「そうなるな」
「それは嫌です」
目の前にちゃぶ台があったら確実にひっくり返しているところだ。
「人を傷つけておいてからにその言いぐさはなんなんだ!!」
「傷ついたんですか?」
「俺はおまえが好きなんだよ!」
天蓬はあからさまに驚いた顔をした。ここまでダイレクトに言わなきゃ通じないのか?
「ちょー個人的に好きなの。元帥だろうがなかろうが好きなの。そんなもん軍の連中にもおまえにも了承して頂く必要はまるでない!」
「…ありがとうございます」
「別に。俺の勝手だ」
言いながら、捲簾は憑き物がおちたような気がした。
そうだ、俺の勝手だ。
「ところで俺はこれから個人的に酒に付き合ってくれる奴と呑みに行くから、明日の朝まで捲簾大将は店じまいっちゅーことで。大将へのご用命は以上か元帥。締め切るぞ」
腕組みしたまましばし宙を睨んでいた天蓬は、やがて不可思議な笑みを浮かべて捲簾に目をやった。
「…利用なさればいいのに」
「は?」
「ONだのOFFだの簡単に仰いますが人の身体はひとつしかないんですから。個人的な感情のために仕事を利用するのも、個人的な感情を利用して仕事に活かすのも、僕は智恵だと思いますよ捲簾」
天蓬の言葉が耳から入って頭に浸透するまで、しばし時間がかかった。
「…公私混同を奨励しているように聞こえるが?」
「奨励なんて生ぬるい。これは僕の理想です」
天蓬はにっこり笑って捲簾の側までやってくると、ドアノブを握った。捲簾の、右手ごと。
「そんなに僕以外の方と行きたきゃ、どこにでも行ってらっしゃい。明日も早いんですから、あまり夜更かしなさらないでくださいね」
勢いよく部屋から押し出される。
「ちょ…ちょっと天」
「僕の方は健気にも、貴方のために24時間副官営業してますから?」
バタン。
目の前で閉められたドアを、捲簾は長いこと眺めていた。
部下の扱いは本当に難しい。右手の熱を、どうしてくれる。
fin
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