螺 旋 階 段
の
上 の 闇
「…嫌すぎ」
「まあまあ」
悟浄の心の底からの呻きをさっくり流して手摺りを握る。
「たかだか7,8階ぶんですよ。何とかサマのとこに行くのに昇った階段に比べたら、階段と呼ぶのもおこがましい」
階段は階段だ他に何て呼ぶんだ俺はあれから階段という階段が大嫌いなんだよそもそもなんで体力バカの悟空に行かせねえんだっていうか元凶のてめえがひとりで行きやがれバカ。
とか何とか愚痴りながらも5,6段昇ってくれている悟浄の背中に「来てくれなんて頼んでないです」の代わりに囁く。
「ひとりじゃ寂しいじゃないですか」
「嘘つけ」
灯台、だっただろう昔は。
吹き込んでくる潮風に長年晒されて剥げ落ちた塗料と、昔は白かったであろう外壁。円筒状の建物の中には螺旋階段が、役目を忘れたような顔で壁に白い蛇のように貼り付いている。白昼の真っ白な光に洗われていればもっと寒々しかっただろうが、夕刻の今は舞い散る塵も蜘蛛の巣も積もった砂もオレンジ色に染められて、ちぐはぐな印象が薄れている。
見事な廃墟だ。
「…酷い荒れようですね。そのへんからしゃれこうべが出てきても驚きませんよ僕は」
「驚くわ」
悟浄は手摺りから身を乗り出して上を見上げた。
「真っ暗だぜ。鍵かなんか掛かってんじゃねえの?」
「でもこんなに古けりゃ鍵も錆びてて簡単に壊れ」
続きを飲み込んで反射的に悟浄の腕を掴んだ。
「な、何!?」
「…手摺りが」
体重がかかった手摺りの根元が腐っていたのだろう、微かに外側に傾いでいる。下から吹き上げる冷たい空気が、息を呑んだ悟浄の髪を舞い上げた。
「…おいおい、昇ってる最中に階段ごと落っこちて死んだりしねえだろうな」
「さあ」
「冗談じゃねえよ」
軽く舌打ちして、悟浄は無造作に手を握ってきた。
「…なんです、気持ち悪い」
「道連れだ」
少しずつ計画が狂っていく。朝からジープが臍を曲げたと思ったら敵の襲来も半端な数ではなく、それでも日暮れ前にはとっくに街についているべき時間に断崖絶壁に急停車する羽目になった。勿論三蔵の不機嫌は最高潮で、それが伝染った悟空は腹減ったと喚く元気もなくへたり込んだ。
「…あの灯台の上から見たら位置の見当がつくと思うんですけど。ちょっと行ってきます」
ジープを降りて数十メートル行ったところで、悟浄がトコトコ着いてくるのが分かった。
振り返らなかった。
「昔、螺旋階段に閉じこめられる小説を読んだことがあるんですよ」
積もった塵や砂や鉄の粉で足下が危ない。ゆっくり踏みしめて昇っているつもりでも、時折不意に靴底が滑って、そのたびにお互いの手に力が入る。きっと降りる方が難しいだろう。
「昇って昇っても頂上に着かなくて、怖くなったんで降り始めるんですけど、今度は降りても降りても下に着かなくて」
「階段の次は怪談かよ」
「これは恋愛小説です」
「どこが?」
「永遠にふたりきりですよ?」
悟浄は微かに息をついた。振りほどくかと思ったが手は離さない。
「…嘘ですよ。本当は会えるんです。急に消えた人が、実はみんな、螺旋階段に捕まっていて」
一歩進む毎に確実に闇が深くなり…靴音が急に増えたような気がした。自分と悟浄と、もうひとつ。
「…上から降りてくるんです」
花喃
が
ガァン!!!
耳を劈く大音響に思わず閉じた瞼を暴力的に割って真っ赤な光が突き刺さる。
「…到着ー」
展望台に続く扉を必要以上に勢いよく蹴破った悟浄が、振り返った。燃えるような紅が闇を砕く。
「街ってのはあれか?南東の…森の脇……22、3キロってとこか」
ああ、こんな場面が昔あった。旅に出る前に、街が一望できる丘の上で、こんな夕方に。
世界が手に入るような気がしねえ?この世のものが全部自分のものみたいな気がする。
この人は闇を許さない。自分の中の闇を許してくれない。気を緩めると噴き出すこの人へのどうしようもない征服欲も独占欲もきっと受け入れないくせに、闇に住むあの人の幻にすら縋らせてくれない。
「悟浄」
「ん?」
「飛べそうな気がしません?」
「試してみれば?」
悟浄はまだ手を離さない。
fin
雪花様へクリスマスプレゼント(誕生日合わせのつもりが早く書きすぎましたよ)に。
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