戦場のメリークリスマス







「やっぱり帰れませんでしたね」
 いきなり後ろから声をかけたのだが、気づかれていたようだ。思った通り返事もしない。
「夜に吸う煙草っていいですね。真っ暗な中で火をつけると、やっちゃいけないことしてる気がしてドキドキしません?」
 勢いよく吐き出した煙も、風のない闇の中ですぐ勢いを失ってまっすぐに立ち上ってしまう。
「…まあ、明日には片がつきそうですし、そんなに気に病むこともないですよ捲簾。思いの外手こずりましたけど、帰還予定が数日遅れたところで騒ぐのは竜王ぐらいで」
「うるせえな」
 ようやく返ってきた悪態にも力がない。
「何もこんなことで子供みたいに落ち込むことないじゃないですか。志気に関わりますよ?」
 隣に腰を下ろした天蓬を、捲簾はほんの一瞬睨んできた。
「…言い返して欲しいんだろーが、おまえと遊ぶ気分じゃねえの」
 捲簾は煙草を足下の砂地に乱暴に突っ込んだ。
「…それは残念」
 頭上には、天界では見ることのない「瞬く」星。西方軍が下界に降りて3度の夜。
 ふたりが直接指揮をとる後方部隊は数名の見張りを置いて全員寝静まっている。
「そろそろ疲れが見え始めましたしね。明日には分隊を合流させないと…。予定通りなら帰還は昨日…」
「黙れっつの」
 捲簾の苛つきは、家庭持ちの部下を予定外に巻き添えにした自分自身に向いている。
 言葉で言い表せば「退屈」の一語に尽きる天界の連中は、どんなにくだらない噂にでも、どんなに些細な事件にでも飛びつく。今日が明日とほんの僅かでも違うという証がなければ、不意に足下を見失ってしまうから。退屈が人を壊し、生きたまま廃人にする。どんなことであれ…それが誰の誕生日であれ、天界で生きていく糧になる。捲簾のように退屈を知らない男が異端なのだ。
「おまえも寝ろ。俺はもう少し黄昏れてるから」
「心外ですね。僕にも黄昏れる権利はあるでしょう」
「おまえがいると黄昏になんねんだよ。失せろ」
「八つ当たりは止めてくださいよ。僕だって今日くらいは硝煙の匂いなんか嗅ぎたく」
 天蓬が言葉を切るのと捲簾が手元の小銃を引き寄せるのが同時だった。
「……鳴き声からするに雑魚ですけど…近いですね」
「面倒くせえな。夜は寝ろっつーんだ、どいつもこいつも」
 心底忌々しそうに舌打ちすると、捲簾はいきなり立ちあがった。
「…貴方、ひとりで片づける気じゃないでしょうね。いくら小物でも相手は夜目がききますよ」
「誰がひとりだって?」
 捲簾がようやく見せた笑みに、天蓬は溜息をついて軍服の裾を払った。
「…行きますか」
 
 こんなふうに気を遣われたところで部下は嬉しくないだろうに。軍大将に容赦なく叩き起こされる方が、彼らには誇りになるだろうに。よりによって「今夜」を戦場で迎えさせたことで上司が鬱になってるなんて知ったら、どれだけ慌てふためくだろう。
「貴方って人は本当に見当違いに優しいですね」
「どーゆー意味だ」
 天蓬が返事する暇はなかった。
 目の前の小山が動いたのだ。
「天ちゃんよ。なーんか…でかいぜ?」
「…声が細かったから小型かと思ったんですけど…見込み違いでしたね。逃げますか?」
「…と言っても向こうの都合もあるし、なっ」
 言い終わらないうちにばっと身を伏せた捲簾の頭上の空気を、もの凄い勢いで妖怪の「尾」が薙ぎ払った。
「ひーこえ〜」
「捲簾、これマジに怖い事態ですよ」
 一応麻酔銃の照準を合わせてはいるものの、これだけ大きいと1発や2発じゃ効かない。おまけに動きがとんでもなく速い。
「天蓬、首狙え、首!」
「…と言われましても首がどこだか」
 照準内に突然捲簾が割って入った。
「どいてくださいよ!」
 顔を上げた天蓬の体に、生暖かい水が勢いよく降り注いだ。それが捲簾の血だと解るまでに、2,3秒。
「捲簾!」
「いいから下がれ!下がってとっとと撃て!」
 傷は肩だ。例え深手でもすぐには死なないと見切って、天蓬は遠慮無く後退した。が、すぐに武器を放りだして前に出た。
「こら、とっとと撃てと言うのが」
「当たっても30分は効きません、時間の無駄です」
 捲簾は無言で自分の血で汚れた頬を拭った。
「ここには僕と貴方しかいませんよ」
 それで意味が分からないような付き合いはしていない。捲簾はそれ以上ぐずぐず迷ったりはしなかった。
 懐から短銃を抜き出すと、唸りを上げて向かってくる妖怪の目と目の間に銃口を向けた。
 この傍若無人な男が上司になると決まった日、天蓬がこっそり造って手渡した、天界に2丁しかない実弾入りの護身銃。
「…メリー・クリスマス。ゆっくり休みな」
 捲簾が引き金を引く瞬間、きっと自分は微笑ったと思う。
 ふたりして生き物を殺めようというこの時に、こんなに世界は静粛だ。

 誰も知らない。
 ここには僕と貴方しかいない。

「見つかりませんかね。死体、ここにほっといて」
 手当しようとした天蓬の腕をさり気なく押しやって、捲簾は「軍師というのはあだ名だったのか」と呟いた。言外に軍の連中を丸め込んで進路を変えさせろと言っているのだ。
「死体はともかく貴方の怪我がばれたら元も子もないと思いますが。痛み止めくらいうった方が」
「…俺は痛い思いしたほうがいいんじゃねえかなあと」
「はい?」
「ほら…あれよ。殺生した罰に」
「義理堅いことですね。何をしようとなかったことにはなりませんよ」
 …なかったことになんかして堪るか。
 天蓬は身を屈め、ようやく血の止まった傷口に舌を押し当てた。地獄まで一緒に行くしかない。


fin
今日は12月20日ですがもの凄いことに
リクエストは 「クリスマスネタ」じゃないんですよ。「怪我の治療」なんですよ!いつ治療。
BACK