泣 き な が ら 星 を 見 る に は 最 高 な
起きたら時計の針が5時を指していた。
「…ひゃー」
5時。なんで5時。俺、明け方帰ってきてすぐ寝なかったか。何時間寝てんだ。
俺はのろのろ体を起こし、あちこちにぶつかりながら台所へ辿り着いてコーヒーメーカーのスイッチを入れた。玄関に新聞が挟まっていたので内側から引っ張ったのだが今日に限ってなかなか抜けず、舌打ちして戸をあけたら朝刊と夕刊が一緒にどさどさっと落ちてきた。
…昔あったな、こんなこと。
俺は靴をひっかけて外にまで散らばったチラシを拾い集めた。
三蔵の出張中に悟空が風邪をこじらせて寝込んだというので、八戒は昨日、赤ずきんちゃんの如くお菓子の詰まったバスケットを抱えて斜陽殿に出掛けた。寺の連中だって手当してくれないほど薄情ではないのだが、歓迎されていない身の上では不安だろうからと。
優しい男。
濃すぎるコーヒーを3杯立て続けに流し込みながら、俺は新聞を分解した。片手で読むのに軽いほうが便利だからだ。八戒が来る前はいつもそうしてた。几帳面な同居人は常に一面からきちんと順番に読まなければ気がすまず、折り目が狂ったまま畳むと新聞回収の時にかさばると文句を言うので、いつも俺は奴が読み終わるまで新聞が読めない。カップの下にコースターを敷かないとテーブルに跡がつくとこれまた文句を言うので常にカップとコースターを一緒に持って歩き回らなければならなかったが、今日はお一人様一個限り洗剤278円!の上に心おきなく染みをつけた。
ふっとある感情が湧いた。…やな感じ。
その感情の正体を突き止める前に、電話が鳴った。
「やっと起きましたか」
「…おかげさまで」
「朝から何度も電話したんですけど。今日不燃ゴミですよ」
あ。
「…わり。ついでにあと2本ばかし瓶が増えてる」
「それは資源ゴミだから明後日でいいんですけど。…また1週間出せないんですか。参りましたね」
何で参る。腐るもんでもねーんだから積んどきゃいーじゃねーか。
「悟空はどうよ」
「今、ライター擦ったでしょ。窓開けて」
俺は足を伸ばしてサッシを開けた。さむ。
「だいぶ熱は下がって食欲も普段の三分の二はあるんで心配はないと思うんですけど。三蔵が明日には帰ってこれるそうなんで、明日の夕方までこっちにいます。戸締まりだけは気をつけてくださいね」
あ。
俺、昨日鍵締めて寝たっけ。ていうか窓の鍵、今開いてたね。やべーやべー。
「別に盗られるもんもねーじゃん」
「開けてましたね」
正直な俺。
「何度言えば分かるんです、戸締まりの習慣つけてくださいよ。現金だの貴金属だのはなくても貴方が賭博でせしめたドンペリとかキャビアの缶詰とか持ってかれたら困るでしょ」
「そんなこともあろうかと昨日どっちも空けちゃいました」
密かに酒好きな八戒が怒鳴り出す前に俺は電話を切った。
あ、あいつがいねえうちに女の機嫌もとっとこ。
「悟浄!ひさしぶりじゃん、どーしたのぉ。いっつも慌ただしいんだからぁもお」
「悪いな、ゆっくり電話できなくて。今日あいてるけど?どう、朝までデートでも」
「いきなり言われても無理よ」
だよな。
「悟浄、本気で女の子と遊びたいんだったら同居人の都合で動くのやめてくれる?」
…しまった。
正体が分かってしまった。
迎え酒に缶ビールを空け、そこに吸い殻をぼんぼん突っこみながら窓を閉めた。
…俺、喜んでないか。
あいつがいないこと。
ずっと我慢してたんじゃないのか。煙草の吸い方、コーヒーの飲み方、新聞の読み方、何から何まであいつに押しつけられて嫌だったんじゃないのか。今まではいはい言ってたけど、あいつが留守にしただけでこの解放感。いやこういうことはお互い様だから、八戒は八戒で俺のやることなすこと全部むかついて小言に疲れ切ってんのかもしれない。
参ったなあ。こういうこと自覚したくなかったなあ。
風呂に入って目を覚まし、賭場に出て大勝ちし、儲けた金を全部ひとりの女に注ぎ込んだ。明け方に戻ってきて倒れるように寝て、起きたら5時だった。
「やっと起きましたか」
酒の匂いと煙草の匂いが充満していた我が家は八戒の手により換気中で、家の中だというのに風がびゅーびゅー吹いていた。
「…遭難する」
「三蔵、ケーキ買って帰ってきましたよ。ケーキですよケーキ。ストロベリーショートケーキ。しかもホール。13号。蝋燭付き」
「…アホか」
「ちょっともらってきちゃいました。食べません?」
俺は八戒に服を着ろと命令されて服を着、食卓に引っ張っていかれ、きちんと一面から新聞を読まされ、三杯目のコーヒーは胃に悪いと取り上げられ、その間にも部屋の散らかり具合に文句を言われ、表に蹴り出されて台所の窓の下で震えながら煙草を吸った。
「悟浄」
頭の上のほうから、洗い物の音に混じって八戒の声が降ってきた。
「はいよー」
「僕がいなくて寂しかったですか?」
俺は思わず黙った。
八戒の口調は極々軽かったが、こういう時こそ真剣なのだ、こいつは。
いなくてすっきりした。とか言ってみようか。
別に男と女じゃねえんだし、お互い我慢してるなら何も無理してこんな生活。
しばらくして、水が止まった。
「僕は貴方がいないとこんなに気が楽なんだと思って、向こうで吃驚してました」
俺は壁伝いにずるずる座り込んだ。
「貴方もそうじゃないですか。離れたら有り難みが分かるっていうけど、そんなに綺麗にいかないですよねえ。別のことが分かっちゃうこともある」
煙草を地面に擦りつけて消すと、俺はまた煙草に火を点けた。煙がまっすぐ上がって窓から家の中に入りかけ、ふっと押し出されてまた外に出てきた。
「悟浄。…います?」
「……いる」
…我慢できないほどの小言じゃなかったよ。うるさいし鬱陶しいけど、嫌で嫌でってほどじゃなかったよ。
「…駄目ですね。離れると」
カラカラと、窓が閉まった。
離れると。離れたから。…離れ…。
「…離れなきゃいいんじゃん」
いきなり目の前がぼやけた。
…好きなんだ。俺はあいつが好きなんだ。だから我慢も苦じゃなかった。
俺はまだ弱い。まだ離れたら駄目になる。
「悟浄」
いつの間にか外に出てきた八戒が俺の頭の上から上着をばさっと落とした。
「夕飯の買い物でもどうですか。…散歩ついでに」
八戒は俺を掴んで引っ張り起こした手をそのままに、星が出てる時に泣くといいんですよ百倍綺麗に見えるんですなどと真顔で言うので、俺はそうすると返事して、日が暮れてきた町への道を並んで降りた。
fin
椎名様のリクエスト、泣く悟浄。
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