まるで落ちる感じ。

 三蔵は窓際で煙草をふかしながら、聞くともなしに悟浄と八戒の会話を聞いていた。

  みんな全能の時期があるよな。何でも自分の思い通りになると思う時期。
  ああ、ありますね。だからぐれたんでしょ貴方。
  おまえは今でも全能だと思ってるだろ。
  思ってますけど子供の頃はもっと思ってましたよ。

 大雨だ。大きな雨粒が地面に引きずられて落ちてくる。為す術もなく悲鳴もあげず。
 今日は本当に散々だった。落ちるし落ちるし落ちるし。
「三蔵」
 こちらに背を向けてぼんやりしていた悟空が振り返った。
「…あのさ」
「あ?雨で聞こえねぇ、こっち来て喋れ」
「足が折れてる」
「手で来い」
 言いながら肋骨骨折の三蔵はピラミッドの石でも運んでるような足取りで悟空の隣に体を引きずっていった。呼んでおきながら一向に続きを言わない悟空に特に催促もせず、三蔵はまだ何となく震えているような背中を撫でてやって、新しい煙草に火をつけた。
 3人の乗ったジープが妖怪に追い回されて濡れた地面に後輪を滑らせ、崖をもんどり打って落ちたのが昼間。事前に錫杖の勢いが余って間抜けというか強運というかジープから振り落とされていた悟浄が、崖の下でのびた3人を文字通り拾い上げて宿まで搬送した。
 …落ちる感じ。あの感じ。
 三蔵の頭は終始冷静だった。怖くはなかった。そもそも落ちてるんだから怖がってもしょうがない。引力が自分をどうする気なのか、息を詰めて待つしかない。八戒は落ちてる最中、いつも通り笑ってた。悟浄も3人が目を覚ました時には傍で平然と煙草をふかしていた。だから悟空ひとりがしばらく口もきけないほど衝撃を受けたらしいのを見て、三蔵は少々仰天したのだ。
 もしや怖かったのか。なんだ、こいつはまだそんなガキだったのか。
「…死にかけたことなんか何度もあるだろうが」
 独り言のように呟くと、悟空はのろのろとこちらを見た。
「…戦ってる時はいいんだよ。自分が何とかすれば何とかなるじゃん。死んでも自分のせいじゃん」
 ああ。…悔しいのか。ただ待つだけだったのが。
「…走馬燈は見えたか?」
「何それ」
「あー…こうクルクルと…まぁ映画みてえなやつだ」
 悟空はようやく少し笑った。
「見えたよ。でっけえ太陽とか三蔵とか」

 おまえらはともかく柔肌の三蔵様までよくもまあ何故かご無事で。悪は栄えるというか何というか実に喜ばしい。菊でも飾ろう。
 三蔵はいいとして何で僕にまで死にやがれモードなんです。
 俺が落ちたのにてめぇは置いてった!
 置いてったから貴方は無傷なんでしょうが。

「おまえら、もういい。思い出させんな」
 三蔵が唸るとふたりはピタリと黙り、搬入係の悟浄が悟空をひょいと抱き上げた。



「何もあんな凄い目で悟浄を睨むことないのに」
 三蔵は八戒の台詞に含まれた微妙なニュアンスを無視して、騒音けたたましい隣室の壁を足で蹴った。
「貴方肋骨折ってんだから。担げないでしょ」
 八戒は、頼みもしないのに三蔵の眼鏡に息をはきかけ丁重に磨いている。隣室と隣り合った壁側のベッドを三蔵に押しつけたご機嫌取りだ。確か指を3本折ってるはずだが。
「三蔵。最初に自分ではどうしようもない事があるって境地に至ったの、いつでした?」
 隣が急に静かになった。
 三蔵は八戒の視線を重々承知で凭れた体を90度反転させ、壁に耳を押しつけた。壁を挟んだすぐそばのベッドにいるのは悟空だ、間違いなく。眠れるだろうか。
 三蔵にも全能の時期があった。自分に操縦できないことがあるなんて知らなかった。
 だがある日突然落ちた。不意に、暴力的に、真っ逆さまに、悟空に。
 あの感じ。慌てても泣いても足掻いてもどうしようもないあの感じ。
 悟空はあの引力をまだ知らない。三蔵に教えておきながら、まだ知らない。
「…落ちた時だな」
 随分たって、三蔵は呟いた。
「僕もです。悟浄もね」
 八戒は眼鏡を電灯に翳すと、三蔵の返答にかレンズの輝きにかは不明だが、満足げに頷いた。
「何迷ってるんです?」
 あの感じ。快感だ。


 
 落ちる月間か。
 というぐらいよく落ちた。
「や〜ひさしぶりに泳ぎましたね」
「だからあんなボロい吊り橋やめろっつったんだ!」
 悟浄と八戒がなんとか岸に這い上がって周囲を見渡しても、轟々と流れる水面に三蔵と悟空の姿は見えない。
「ときに、あいつらどうしたかね」
「…なんと悟浄。あそこに間違いなく落っこちたら昇天ものの滝がありますよ。僕、滝好きなんです」
「…うん。滝はいいな荘厳で。後でゆっくり鑑賞しよう。ついでに滝壺でも浚おう。出るのは死体か埋蔵金か」
 慌てても仕方ないので、ふたりは髪を絞って靴をひっくり返し、折角なのでキスをした。

 落下に耐えられない奴もいる。自分ではどうしようもない事に向かい合えない奴もいる。迷ってるのはそこだけだ。
 俺には絶望と快感のごちゃ混ぜだが悟空にはどうだろうか。
 みるみるうちに遥か下に消えていった悟浄と八戒を見送ると、三蔵は深々と溜息をつき、何とか崩壊寸前の橋に捕まった悟空と目を合わせた。
「怖ぇか?」
「…もう流石に腹くくった」
 岩肌と水壁と高い木々に囲まれた空が遠い。
「落ちたら泳ぐよ」
 悟空が笑った。
「…そうだな」
 何迷ってる。





 突き落とせ。


fin

三&空+浄&八、後ろのふたりはいなくても可。
三蔵が悟空を好きなことを誇りに思う話。
だったんですが察するに私には悟浄八戒ぬきの三蔵も悟空も他の誰も何もあり得ないようです。
と確信したところで謝ろう。す、すいませんでした。

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