恋 愛 御 法 度
形容しがたい熱の塊。
痛みの度合いを数値で表すと耐えられないほどの痛みじゃないんだろうが、問題は痛みの種類だ。まったく味わったことがないから我慢の仕方が分からない。それでも数秒は耐えたが、遂に体が勝手に痙攣し始めた。
「いっ…た!ちょ、待て、タイム!!」
「動くと余計痛いですって!」
「ちょっと待った、待て、待たないと殺す!!!」
そこまで喚いて、ようやっと八戒が肩の力を抜いた。
焼きゴテのように押しつけられていた八戒の手のひらからすっと熱が引いていく。
「何回中断するんです。全然治療が進まないじゃないですか」
八戒の額にも汗が浮いているから文句は言えない。何せ自分の気を俺に分けてくれようとしているのだ。それでも痛いものは痛い。
「…悪い、ちょっとだけ休憩…」
我慢のしすぎで頭がクラクラする。腹筋運動よろしく膝の上に座り込んで俺がジタバタ動かないよう押さえ込んでいた八戒は、俺の逃亡を警戒してか依然そこから動かない。
「女子高生がピアスの穴開けっこやってんじゃないんです。今日こそは最後までやりますよ。さっさとその傷治してしまわないと、化膿し始めたら悟空が嗅ぎつけますからね。だいたい中途半端に治りかけってのが一番細菌がつきやすいんです」
「…分かってるんだけどよ」
腹に開いた傷口が恨めしい。
氷水の入ったビニール袋を押し当てて感覚を殺す間、八戒は複雑な表情で俺を見ていた。
「…貴方の意地には、呆れる通り越して感心しますね」
一昨日の戦闘の最中、まったくの俺の不注意で、三蔵の流れ弾に腹をぶち抜かれた。
「伏せろっつったろ、この大ボケ!!」
こめかみに青筋たてて三蔵が怒鳴り散らすもんだから、つい「掠っただけでぎゃあぎゃあ喚くな、このノーコン!!」と怒鳴り返したところが、何だか尋常でない大量出血に慌てて八戒に助けを求めた。
その場で軽く止血してもらった時はアドレナリンが滾っていたせいかちっとも痛みを感じなかったのに、さあ本格的に傷を塞ぎましょうとなったらもう痛いの痛くないの、麻酔なしでザクザク縫われた方が数段ましだ。だが八戒の地獄のような荒療治をいったん受けておけば、明日から綺麗さっぱり鬱陶しい包帯ともじくじく滲む体液ともおさらばだ。三蔵から逃げ回る日々にも。あれは精神的に相当くる。
「はい、休憩終わり」
厳かに宣言すると、八戒は両手を軽く擦り合わせた。気合いの入った寿司職人のようだ。極上の寿司ネタじゃなくてすいません。
「だいたい貴方の傷塞ぐの初めてじゃないじゃないですか。いい年して処女喪失みたいに大騒ぎしないでくださいよ」
「清一色の時は意識なかったじゃねーかよ。三蔵だって治療ん時、もし意識あったら俺より騒ぐって。いや泣くね。いってえもん、まじで」
「そりゃ一度切れたもの無理矢理つなげるんですから痛いですよ。虫歯の時でも麻酔の注射のほうが痛いでしょ、あれと同じ」
「違うと思う」
「僕だって好きでやってんじゃないんです。今度暴れたら問答無用に気絶していただきますから、そのつもりで」
「…はーい」
八戒に差し出された手ぬぐいの端を銜えると、体の力が抜けるよう深呼吸した。
「…今度痛いとかやめろとか言ってもやめなくていいからな」
「誰がやめるもんですか」
最後の「か」と同時にどっと衝撃が来た。何と言ったらいいのか、皮膚をべりべり引っぺがされていくような(逆なんだが)血管がカミソリで一本一本ぶちぶち切られていくような(逆だって)。
数分の死闘の後、腹の傷は再生したばかりの柔らかな皮膚でうっすらと覆われていた。
「………さんきゅ…」
「…いーえ」
ふたりして汗だくになり、荒い息をつきながら一本のミネラルウォーターのボトルを回し飲み。
「…なんか一発やった後みてえだな」
「下品な冗談やめてくださいね」
八戒の声音が鋭かったので俺はピタリと黙った。俺の三蔵への態度に対する怒りが再燃したんだろう。呆れるを通り越して感心すると言った舌の根が乾いたか。
「何でそんなに三蔵に意地はるんです。一言怪我してるって言えば振動の少ない助手席と代わってもらえたし、夜になってからコソコソ隠れて治療しなくても良かったのに」
「や…それはまあ」
もっともだ。八戒の言うことはいつももっともだ。
「それはまあ、何です。三蔵にそんなに弱ってるとこ見せたくないですか。足手まといとか役立たずとかボケとか死ねとか言われるのがそんなに嫌ですか。今更」
まったく自分に非がないのに、俺のせいで余計な気遣い背負い込んだ八戒だ。にしても刺々しいな、おい。
「おまえはいいよ。治療もできるしジープの飼い主だから」
「愚痴ですか」
ハエを叩き落とすような八戒の口調に、いちいち怯むようなら最初から愚痴らん。
「俺は体が資本なの。体が壊れてたら何の役にも立たねえの。あのクソ坊主は毎日平穏な心で生きてくだけで忙しい御方なんだから、体以外取り柄のねえ俺が怪我したなんて、わざわざ教えるこたねえだろ。胸くそ悪いが俺ら、あいつのお供なんだからよ」
「…そうですけど」
「おまえにしか愚痴らねえよ」
窓際で夜風に当たっていた八戒は何故かその一言で弾かれたように俺を見たが、俺が立ちあがると黙って一歩引き、場所を空けてくれた。窓を開け放して身を乗り出す。
「悟空に愚痴ったら即、三蔵に筒抜けですからね」
だからって訳じゃねえけどな。
「おめーも人のこと言えねえだろ。雨の夜に毎度俺と同室になるのは偶然とでも言い張るか?」
「偶然ですよ、勿論」
「あーそう。俺はまた、ふっきった振りして未だにうなされるみっともねえところを、三蔵や猿には見せたくないのかと思った」
即座に反論が返ってこないので、俺は少し気分を良くして、ひさしぶりの煙草に火をつけた。
どこも痛くないってのは本当に気持ちいい。体が資本の俺にはそう何日もない日だが。
「…あのふたりには、かっこつけていたいですねえ、確かに」
沈黙の後、八戒は溜息混じりに呟いた。
「俺もあいつらには余裕かましてたいの。おまえいらないって言われたらそこまでだろ、もー点数稼ぎに必死よ」
俺は決して三蔵が好きじゃない。
ただ、あいつには何かしら、あるのだ。軽蔑されたくないというか、役に立ちたいというか、そう思わせるところが。
その「何か」があるから、偉そうにモノ言われるのが何より嫌いな俺が、毎日怪我三昧で、三蔵仕切りの三蔵メインの三蔵のための旅なんかに脇役に徹して付き合っている訳で。
崖から三蔵と他の誰かが落ちそうになってたら、一瞬も迷わず三蔵を助ける。
八戒もそうだ。でなきゃお供の意味がない。
何をおいても三蔵。三蔵が一番。そう決めたのは自分たち。
だからさ。
ダメなんだよ。
分かるだろ?
肩が触れるか触れないかの距離で延々黙っていられる関係がどうとか、たまに間違ったようにトンと触れてくる指先がどうとか、考えるわけがないんだよ。
fin
みなつき様のリクエストは「悟浄と八戒の甘くない日常」。
近くにいるけどくっつかない、告白もなしという私を萌えさせるリクでした。
甘い気がするのは気のせいです。
三蔵めが!!
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