海の向こうで戦争がはじまる





「おまえ、捲簾のことまったく信用してないだろう」
 いつだったか金蝉に問われた時、確かこう応えたと思う。
「信用、はしてますよ」
 信用はしている。捲簾は絶対に自分を裏切らないし、嘘もつかない。
 彼は天蓬の切り札だ。大切な駒だ。大将の地位にある彼が好き放題暴れてくれればくれるほど、上層部は彼を嫌い警戒する。大将より上位の元帥である天蓬が捲簾をかばい続けることで、ますます捲簾の命綱は天蓬ひとりの手に握られることになる。彼を派手に泳がせてさえおけば、こちらは自由に動きまわれる。
 上層部の尻尾を掴み、目的を達したその後は。
 時期を見計らって綱を放してしまえばいい。「さすがの天蓬も、とうとう捲簾を見限った」そう噂されればこそ、誰も自分を責めはしない。それまでは捲簾大将と天蓬元帥の仲がすこぶるうまくいっているという徹底したアピールが必要だ。捲簾の大将解任騒動の折に、わざわざ李塔天を殴ってみせたのはそのためだ。
 捲簾など生きようが死のうが構わない。
 それが天蓬の本音だった。

「捲簾、部屋の片づけ手伝ってもらえませんか」
 そう声をかけると、捲簾はぶつぶつ文句を言いながらも約束の時間通りにやってきて、あっという間に天蓬の「巣」を「家」にまで戻してくれた。一気に部屋の奥まで射し込んだ日光の眩しさに、天蓬は冬眠から覚めた熊の如く気持ちよさそうにあくびをした。反して捲簾は汗だくだ。
「いやあ、持つべきものはマメな上司ですねえ〜」
「…いい加減に片づけ癖つけねえと、埃で気管支炎になるぞ」
 肉体労働の礼に茶ぐらい出せと喚き続けた甲斐があって、ようやく冷たい金木犀茶を振る舞われた捲簾は、派手にため息をついた。
「っつっても今更なおらねえわな、その性格は」
「分かってるならもう言わないでくださいよ。貴方は疲れる、僕は耳にタコができる、時間と労力の無駄です。双方の利益を取らずとも双方の不利益は回避する。戦の鉄則でしょうが」
「…俺の利益はいったいどこにあるんだ」
「こうして僕の役に立って、僕に感謝されてるじゃないですか」
「あーそうね。光栄です、元帥サマ」
 飄々とのたまう天蓬に真っ向から応戦するのは、とっくの昔に諦めている捲簾だ。
「天蓬。わざわざ休日に呼びつけたのは部屋の片づけのためだけじゃねえんだろ」
 捲簾の手元でマッチが擦られ、微かに硫黄の匂いが漂った。
 雑な言動に反して捲簾の手先はおそろしく器用だ。手の中でマッチの軸を転がしたと思ったら、次の瞬間煙も残さず灰皿の中にポトンと落とす。
「…なんだよ」
「いつもながら鮮やかだなーと思いまして。どうやって消すんです?」
「それはヒミツ。女の前でやるとウケるんだわ、これが」
「飲み屋のオヤジのぷち手品みたいなもんですか」
「おい、話があったんじゃねえのか」
 トン、と机を叩かれて、天蓬はようやく真顔になった。
「ええ。次の遠征のことなんですがね、会議の席上では…」
「待った」
 捲簾が気だるそうに遮った。
「会議の席では部下の手前、俺に後発部隊の指揮をしろと言ったけれども、理想としては単独で陽動作戦をとって欲しい。だろ?」
 天蓬は目を瞬かせた。正直、ここまで勘がいいとは思わなかった。
「…察しがいいですね。助かります。…さすがに言いにくかったので」
「大将に囮になれたあ、如何にもおめえさんの考えそうなこった。今更言いにくいもねえだろ。…ま、軍大将の俺の面が割れた相手だから言われなくてもそうするつもりだったし構わねーよ」
 あまりに淡々と続けるので、自分で仕掛けておきながら、天蓬は不安になった。
 まず死ぬことはないだろう。だがそれは闘神に匹敵する腕をもつ捲簾だからであって、並の軍人ならほぼ間違いなく生きては帰れない。
 捲簾が抗議しない以上、天蓬から撤回するわけにもいかない。
 …やはり捲簾は自分を信用しているのだ。「勝算があるから火の中に飛び込め」と言ったら飛び込む気なのだ。天蓬は心中、苦笑いしながら茶をすすった。
 …なんてお人好しだ。
 馬鹿と紙一重だ。
 正式に軍議で発言していない以上、もし捲簾がこの戦で命を落としても天蓬の責は問われない。捲簾が元帥に逆らって単独行動に出て自爆した事になる。成功したらしたで万々歳だ。
「…もうこんな時間か。俺、帰るわ」
「そうですか。わざわざ、ありがとうございました」
 見送ろうと立ち上がった天蓬を手を振って押しとどめた捲簾は、扉の前で振り返った。
「いい気分だろ、天蓬」
 その声があまりにも穏やかだったので、危うく聞き逃すところだった。
「はい?」
「俺がおまえの思惑どおりに動くのを見てると、気分がいいだろっつったの」
 天蓬の手からグラスが滑り落ちた。
「…捲簾…?」
 まさか。ねえ。
「他人を掌で転がすのは楽しいもんな。別に責めはしねえけど、俺がおまえに飽きて一抜けした場合のことも見越して作戦立てた方がいいぞ。今はおもしれーから遊ばれてやってるが」
 何か言おうとしたが、喉の奥が詰まったようで、ようやく絞り出した声が掠れた。
「……僕は…貴方が嫌いです」
 思ってもみない言葉が口をついた。
 実を言うと、捲簾のことは好きでも嫌いでもない。使える駒だという、ただそれだけだ。
 自分がある意味、見下していた捲簾に不意をつかれて動揺した。それが悔しい。
「図体ばかりでかいけれど、やってることはガキ大将そのままです。後先も考えず好き放題で後始末は全部人まかせで、その癖、頭がきれる。…まあそれが僕の仕事ですから構いませんが、遅かれ早かれ貴方の身を滅ぼすのは、間違いなく貴方の性格そのものですよ」
 捲簾は、ドアノブに手をかけたまま黙って聞いていたが、突然噴き出した。
「何がおかしいんです!」
「いやぁー、いちいちもっともだと思って」
 女房役の副官にここまで非難されておきながら、この態度は何なのだ。
「言われっぱなしじゃなんだから一言だけ言っとく。俺はおめーの思い上がった俺様主義が結構好きだ」
「…好きって、どの好きです」
「どの好きもこの好きもあるかよ。好きっつったら好きしかねーだろ」
 臆面もなくぽんと返されて、かろうじて残っていた天蓬の余裕が消し飛んだ。
 まさか。
 もしかして。
 天蓬の思惑を全部分かっていて、大人しく騙されたふりを。
 捲簾の手綱をとっているつもりだったのは自分だけで、本当は。
「あ、それと」
 捲簾は心底楽しそうな笑顔で、青ざめた天蓬に追い討ちをかけた。
「おまえの言うこと一から十まで全然信じてねーから」
「…え?」
「俺が信用するのは俺の勘だけ」
 ウインクひとつ残して扉が閉められたあとも、天蓬はしばらく西日に染まり始めた部屋で動けずにいた。
 何だ。
 手綱を取られてるのは自分の方じゃないか。
 表面上、捲簾の面倒を見ているつもりで、甘やかされていたのは自分の方だ。
 馬鹿は自分か。
 気がついたら窓を開け放っていた。
「捲簾!」
 ちょうど窓の下を通り抜けようとしていた捲簾が、驚いたように見上げてくる。
「信用しないでくださいね」
「何?よく聞こえねー!」
「嫌いじゃないです、貴方のこと」
「へー?まったく信じらんねーけど、あ、そう。ふーん?」
 捲簾のニヤニヤ笑いが壮絶にむかつく。
「…やっぱり嫌いです」
「好きになったり嫌いになったり忙しいなあ、おい」
「好きだなんて言ってないでしょうが、一度も!」
「あ、そう。俺は好き。おっとデートに遅れちゃう〜。またね〜天ちゃん」
 思わず窓から鉢植えでも落としてやろうかと思ったが、天蓬の部屋にそんな小粋なものがあろうはずもなく、彼の憤りは行き場を失ったまま立ち消えてしまった。
 やがて、天蓬は我知らずクスクス笑いだした。
「…なんだか戦争みたいですねえ、こういうの」
 今まで眼中になかった相手が思わぬ強敵に化けた。
 …面白いじゃないですか。
 相手の心理を読んで地盤固めて罠はって駆け引きして攻略して…まあようするに、おとせば勝ちでしょう。問題は、あきらかに相手の方が場数を踏んでるってことですが。
「ま…なんとかなるでしょ」

いつの世も戦争は静寂で始まる。



fin

リクエスト・捲簾に振り回される天蓬。
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