Vinegar&0il

「Coffee&Cigarettes」のサイドストーリーのようになってます。
読まなくても分かると思いますが先にそっちを読んで頂くとより分かりやすいかもしれません(そうでないかもしれません)。





「風邪ひきますよ」
 知らない男に声を掛けられた。こういう時の反応に困る。
「ああ…ええ、大丈夫です」
 飛沫と暗闇で相手の顔も確かめられないまま、八戒はぼんやり答えた。
「誰かに声を掛けられたくて、雨の中突っ立ってるんじゃないんですか?」
 うるさい。
 今度は頭の中だけで返事した。口をきくのも億劫だ。
 自分が女だったら、そう見られても仕方がない。今まで何度もこうして豪雨の中で濡れるままになっていたが、大概夜中で人通りもないうえ、どこから見てもヤバい奴と見られるのか声を掛けられたことはなかった。確かに、八戒はヤバい状態だ。悟浄なら、こんな八戒を見つけても声をかけるようなまわりくどいことはしない。有無を言わさず自宅に強制連行して、何かしら喋り出すまで辛抱強く待ってくれる。
 無粋な男がいつまでも動こうとしないので、八戒は重い足を引きずってその場を離れようとした。
「ちょっと」
 ほっといてくれ、と言いかけて膝から崩れた。冷え切った関節がうまく動いてくれない。
 ふっと呆れたような溜息をついて、男は八戒の傍らに膝をついた。
「とりあえず僕の部屋へいらっしゃい。肺炎で死んじゃいますよ」
 八戒は目を見開いた。
 自分と同じ顔のその男は、着ないよりましです、と白衣≠投げて寄越した。


「…旅の方ですか」
 男は天蓬と名乗った。強引に連れて行かれた部屋は街で唯一の宿屋で、三蔵と悟空が遊びに来た時にはここに必ず宿をとる。悟浄の家にはベッドがひとつしかないから。
「旅っていうか…まあそうですね。そんなものです」
 天蓬はヘビースモーカーらしく、窓際でのべつまくなし煙草をふかしている。
「どうぞ冷めないうちに。ミルクの方が温まるんでしょうけど」
「いえ、ありがとうございます」
 コーヒーを受け取った八戒がふとサイドボードを見ると、空き缶に山のように吸い殻が突っ込まれていた。悟浄以上だ。
 思わず片づけたい衝動にかられたが、それはあまりにも失礼だ。
 白衣とネクタイ。風貌は学者然としているが、学者がこの街になんの用だ。どう見ても長期旅行者には見えない。そっと見渡しても荷物らしい荷物は机に積まれた本くらいで、その本も統一感がまるでない。
 自分とそっくりな八戒の顔に、驚くふうもないのは何故だろう。それにこの敵意は気のせいだろうか。
「…天蓬さん」
「天蓬でいいですよ。まんざら他人でもないんですから」
 後ろの方の言葉は独り言のようだった。口調は一貫してぶっきらぼうで、時々投げて寄越す視線が妙に鋭い。
 だんだん腹が立ってきた。
 誰も助けてくれと頼んだ訳ではないのだ。自分で勝手に部屋まで連れてきておいて、初対面の相手にこの態度は何だ。
「…天蓬。僕に何か用があったんですか」
「用があったのは貴方でしょう、八戒」
 いつ名乗っただろう。
 天蓬はガラスを叩く雨に目をやった。
「また随分と悪趣味ですよね。雨に打たれるなんて自虐的な態度は僕は大嫌いなんですが、貴方に倒れられると困る方がいらっしゃるかと思いまして」
「…悟浄のお知り合いですか?」
「ええ、大昔の。彼は覚えてないでしょうが」
 コーヒーカップの中で揺れる自分の姿がそのまま自分の動揺を現しているようで、八戒はカップを握る手に力を込めた。
 自分にそっくりな、悟浄の昔の知り合い。
 ふっとカップに影が射した。射すような視線が、八戒を真上から捉える。
「単刀直入にお聞きします。貴方、悟浄をどうするおつもりです」
「……どうって」
「彼はどこにいるんでしょうね。この雨の中、貴方を捜してるかもしれない。家でひたすら待ってるかもしれない。もしくは」
「ちょっと待ってください、貴方いったい」
「もしくは貴方のことなんか思い出しもせずに、どこかで誰かとコトの真っ最中とか」
 立ち上がった八戒の顔色など意にも介さず、微笑さえ浮かべて天蓬は続けた。
「座りなさい。返事を聞くまでこの部屋から出しません」
 人に命令し慣れている。
 ごく自然に、当たり前のように人を使う独特のオーラに肩を押されて、八戒は腰掛けていたベッドに戻された。
「彼は昔からお人好しで馬鹿みたいに優しい男です。僕に言われるまでもないでしょうが。知っていて何故自分を痛めつけるような真似をするんです。何故彼を傷つけるような真似するんです。何の権利があって貴方のトラウマに彼を付き合わせたりするんです。貴方は彼をどうするつもりなんです。貴方は彼の何なんですか」
 全部、八戒が毎日自分自身に問いかけてきたことだった。
 天蓬が誰なのか、何故こんな尋問を受けなければならないのか、何故天蓬の刃物のような視線を甘んじて受けているのか。そんなことすら、八戒にはどうでもよくなっていた。
「…悟浄が好きです」
 息を吐きながら、八戒は初めて悟浄への気持ちを言葉にした。
 誰にも言ったことのなかった、悟浄すら知らない本当の気持ち。
「とても好きです。この世の中で一番」
 いつか悟浄にした懺悔のようだ。
 天蓬の指先から糸のように流れてくる煙に先を促されるように、声を絞り出す。
「僕は昔愛した人に未だに引きずられて、そのせいで悟浄を振り回しています。もうしばらくはそうでしょう。悟浄がいなければ、もっと長い間、そうです」
 心臓が痛い。
「だからあの人に傍にいて欲しい」
「もの凄いエゴですね」
 一見冷たい言葉だったが、天蓬の口調は和らいでいた。八戒には、そう聞こえた。
「悟浄の気持ちは関係ないんですか?」
「悟浄の気持ちなんか僕には分かりませんよ」
 八戒は、目を上げた。鏡の向こうから、同じ目が見つめ返してくる。
「それでも多分…愛されてると思うから」


「雨、止みましたね」
 天蓬が呟いた。
 開け放たれた窓から吹き込む、雨上がり独特の綺麗な空気が、天蓬の黒髪を散らす。
「もしかして貴方、悟浄に会いに来たんじゃないんですか」
 おそるおそる、といった八戒の声音に、天蓬は笑った。
「もういいです。貴方のノロケが聞ければ充分です」
「ノロ…」
「あの人、何年たってもちっとも好みが変わらないんですねぇ」
 八戒の頬に微かに赤味が射した。
 自分のことを「悟浄」の昔の恋人か何かと誤解していることは痛いほど分かったが、天蓬に誤解を解くつもりなど更々なかった。
 これくらいの意地悪は許してもらってもいいでしょう。貴方には悟浄がいるんだから。
 自分はもうすぐ捲簾をおいて逝く。500年後にまた会えると分かっていても、少し寂しいから。


振り返りながら家路に向かう八戒を見送り、天蓬は煙草に火をつけた。
「…僕は…」
 思わず声に出して、苦笑した。
 生まれ変わっても相変わらず、もの凄いエゴの塊なんですね。



fin
キリリクをメールで頂いて5秒後には書き出していました。書きたい話だったのです。
あまりかっこよろしくないおふたりですが楽しかったです。
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