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じ ゃ な
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 西方軍の先発隊の名は通称捲簾抜刀隊という。
 正式名称は第なんとか部隊だが細かいことはどうでもいい。
 捲簾抜刀隊。ふざけた名前。
 あのヘラヘラした軍大将。昼間っから酒かっくらってる背のひょろっとした細っこい奴。趣味悪い髑髏チャラチャラぶら下げて。何が凄い?腕が立つ?へえ、東方軍じゃ下から数えたほうが早いって成績だったらしいけどな。人望なんかあったらトバされやしねえよ。だあれも庇っちゃくれなかったんだろ。でなきゃんなとこにいるかよ。俺、おもしれえこと知ってんの。すげえこと。…上司の奥サン寝取ったとかいうヤツか?んなもん男でアレがついてて馬鹿なら誰でもできんじゃねえか。そんなんじゃねえよ。
 あいつ、もう終わりだよ。


「ひさしぶりですね」
 天蓬元帥は相変わらずだ。どこもかしこも埃の薄く積もった書斎の、一番奥の本の山を掻き分けて顔を出した。俺を見ると1秒間をおいて、懐かしそうに笑った。
「どうしました。何か御用ですか?」
「…元帥。本、減りましたか?」
 以前この部屋に来たのはいつだったかと頭の中で指を折った。半年は経っていない。錯覚か。いくら経とうと増えはしても減るなどとは考え難い事だ。元帥は決して本を捨てる人ではなかった。
「ああ、減りました。いくつか箱で処分したので」
「…処分?」
「最近秘書を雇いましてね。これがまた見かけによらず優秀で。調べてもらったら全集と単行本と両方あったり二版と七版の装丁違いがあったりして。僕はとにかく読めりゃいいんで、中身がだぶってて値がつくものは見積もってもらって、処分を任せたんですよ。一財産できたうえに部屋も片づいてお買い得でしたねこれが。ところで何か御用ですか?」
「それは捲簾大将のことでしょうか」
 最後の質問は無視して尋ねると、元帥は極普通の調子で「ええ」と答えた。
「元帥」
「はい」
「部屋の掃除もそいつに任せた?」
 そこでようやく元帥は、僅かに怪訝そうな顔になった。
「…ええ。1ヶ月に1度ってとこですけど。捲簾が何か?」
「俺には部屋の物には一切触るなと仰いました」
 一旦本の向こうに消えた元帥は、少し離れたところへごそごそ出てきて、膝を払って立ち上がった。
「掃除も洗濯も灰皿の灰を片づけるのも、というよりこの辺り」
 俺は部屋の入り口から書机のあたりを指で指した。
「…以外の床を踏むことも御法度でした。夕方5時以降の入室も一切厳禁。忘れちゃいましたかね」
 ポケットから煙草を取り出して火を点ける間、元帥の顔から微笑が消えることはなかった。返事がないので、俺は続けた。
「今、東方軍の書記官をしてます。こちらの棟にお邪魔することも多々。元帥の部屋の前もよく」
「そろそろ本題に入りませんか。貴方も新しい部署でお忙しいでしょう」
 元帥は言った。微笑はそのまま、視線は窓の外のまま。
 …涼しい顔しやがって。人のよさそうな顔しやがって。よくもまあ。
「元帥、ココで、毎晩どなたと何なさってんですかね。ココっていうか、ま、ぶっちゃけ、そこのソファー?この扉、薄いっすよ結構。あんま声出さないほうがいいんじゃないですか、どっちの声か知りませんけど気持ち悪いし。竜王のお気に入りの元帥様ならともかく、こーゆーのがバレたら相手さんはかなり立場マズいでしょう。ただでさえ普段から問題行動の多い人だったりなんかすると」
 俺は途中で言葉をきった。元帥がこっちを見たからだ。微笑ったまま。
「扉、ね。耳を押し当てないと聞こえない程度には抑えてたつもりだったんですけど。ソファーの位置を変えてみますか。…御用ってそれですか?」
「俺が喋んないとでも思ってんですか。俺、あんたに首きられたんですけどね」
「はあ」
 元帥は小さく欠伸した。
「正解でしたね」
 俺は本の山をひとつ蹴り崩して、後も見ずに部屋を飛び出し轟音をたてて扉を閉めた。頭の中がぐつぐつ音を立てる。
 …何だあれ。
 何だあれは。
 何だあの態度は。
 あの男、俺を、最初から、犬かなんかみたいに。…舐めやがって。
 俺は元帥の部下だった。元帥に尽くしてた。元帥に命も懸けるつもりでいた。
 顔を上げた途端、心臓がガタンと妙な音で鳴った。

 捲簾がいた。

 窓枠にトンと腰掛けて、足をぶらぶらさせて煙草をふかしていた。
 …聞かれた?
 この軍大将とは入れ替わりの異動だから直接の面識はない。逆光でよく見えないが、ひょろっと背が高いだけの細っこい男。軍議で見たそのまんまだ。なのに何で足が竦む。
 こっちを見てはいなかった。視線は俺を通り抜けてどこか遠くを見ていた。足早に前を通りすぎようとした途端、そいつはぽつんと呟いた。
「可哀想に」
 そのひとことで我を忘れた。気が付いたら真っ黒なそいつを突き飛ばしていた。
 避けもしない。何の手応えもない。鴉かなにかのように窓の外にふわっと浮いた。
 目があった、と思った次の瞬間そいつは5階の高さから、そのまま消えた。
 俺は今度こそ、振り返りもしないで逃げた。

 逃げたのだ。




 翌日、俺は吐き気をこらえながらそれでもなんとか勤務した。…あいつは、軍大将はどうなったんだ。死んでたら軍部中大騒ぎのはずなのに、まったくもって風景はいつもどおりだ。無傷ではあり得ない。頭から落ちた。間違いない、頭から。あいつは怒ってなかった。瞳も揺れていなかった。元帥以上に落ち着き払って、そのうえ、俺に同情した。俺に同情して、わざわざ突き落とされた。何を。何で。
「すいませんが」
 顔を上げると、西方軍の軍服が目に入った。変なふうに視界が歪み、慌てて机に手をついた。
「演習場、午後空きます?もしそちらで予定がなかったら使わせてもらえると有り難いんですが」
 俺がぼんやりしていると、その見慣れない新顔は慌てたように付け足した。
「ええと、2時頃から3時間ほど。時間は前後しても構いません。あ、西方軍の抜刀隊です。大将の印はここに」
 抜刀隊?
「…捲簾大将は…お元気で?」
 妙な質問だ。そいつは困ったように笑って「はあ、かなり」と言った。
「たまには元気がなきゃ助かるんですけど。朝から30人斬りとかしてますよ。ほら僕もここに大痣」
 あの鴉は化け物か!
 廊下に飛び出した途端、頬を張られた。目の前が真っ赤になってから真っ黒になり、頭のてっぺんからつま先まで弦を弾いたような痺れがきて壁まで吹っ飛ばされた。
 元帥は俺の目がまともに見えるようになるまでそのまま待っていた。
 それから「確かめる前に殴っといてなんですけど、貴方でしょうね」と、何年も傍にいたが見たことも聞いたこともないような低音で唸った。
「…何」
「本人は寝てたら落ちたとか言ってましたが、貴方でしょうね」
「…朝から30人…」
「ええ、ええ、意地っぱりでね。足が折れてても立つんです」
 元帥はもう背中を向けていた。
「今度やったら拳入れますよ」


 捲簾は木の上で煙草をふかしていた。俺は五体満足でもそう簡単には登れないような桜を見上げた。
「大将」
「立ち聞きは俺も趣味だ」
 歌うような口調だった。とめどなく降る桜が足下に積もって柔らかい音を立てた。
「今度の休みに釣りとか、どう。あいつとはまったく趣味あわなくてよ」
 あ、俺はもうすぐ泣くな、と思った。
 二度と着られない軍服も、埃の舞うあの部屋も、抜刀隊の連中も、天蓬元帥も、全部、遠くて、光ってて、もう見えない。
「あがっといで」
 捲簾が言った。
「落とさねえから」
 景色が揺れる。俺は上を向いたままもう一度「捲簾大将」と呟いた。




fin

リクは捲天でハンティング/激情(衝動)+限界/捲簾の弱点。
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