ゴ ド ー 再 襲 撃







 俺は人を待っている。
 笑いあって肩でも小突いてじゃあなバイバイを言うために。

 何故か八戒も待っている。
 怒鳴りつけて腕でも捻って関節外すために。

「誰もそんなことしませんよ」
「ならいいけど」
「しませんよ」
 したいのだ。
 八戒はさっきから無意識だろうが、というか無意識であって欲しいが指の骨をぽきぽき鳴らしている。そんなことしたら関節が太くなると思ったが、こいつの関節が太かろうが細かろうが俺には関係ないので言わなかった。言わなかったが太くならないほうがよかったので手を延ばして止めた。八戒はいつものように鬱陶しそうに俺の手を振り払い、黙って両手をポケットに突っ込んだ。マスターがふたりのちょうど中間に、遠慮がちにボトルを置いた。
 俺らにはつくづく進歩というものがない。昨日会ったのとあんまり変わらない。
 家にいても弾まない会話が場所を移したからって弾む訳もなく、概ね黙り込んで酒をちびちび舐めている。
──なんであのふたり一緒にいるんだろうねぇ。
 酒場の陰口にはもう慣れた。
──嫌いなら別れりゃいいのにね。
 ていうか付き合ってないし。嫌いでもないし。
 俺は壁の時計を見上げた。1時間。あと1時間しか俺は待てない。
 1時間後には店が閉まって追い出され、夜明け前には荷物を纏めて西へ行かなくてはならない。

 鷭里は随分長いこと俺のツレだった。
 根性は拗くれ曲がってて人相は悪く下品で小賢しくて、辛うじていいのはノリだけだった。でもあの時の俺はノリさえよければそれでよかった。そもそも人生がノリだった。最後に別れたのは3年近く前で、詳細は省くが俺を見捨ててひとりで逃げた。八戒が助けに来なかったら俺は死んでいた。八戒はぶつぶつ言ったが俺は怒らなかった。鷭里の逃亡癖は昔からだ。だいたい怒るなら怒るでもっと早く怒るべきだった。1度目に、いや遅くとも2度目には「もうやるな」と怒るべきだった。今まで怒らずきたものを今更怒る理由がない。そんな事は奴だってよく知ってるはずなのに、だから俺をツレにしたんだろうに、奴は今回に限っていつまでも戻ってこなかった。俺が死んだと思ったのだろうか。生きてるのに。ちゃんと生きてる。勿論今日戻ってくる当てなんかまったくないが、ただもう、今日しかないから。
 気休めだ。

「…来る訳ないのに」
 八戒はずるずると椅子を滑り落ち、テーブルの下で俺の靴をコツンと蹴った。
「虚しくないですか?」
「おまえに虚しさに付き合えなんて言った覚えありませんけどね」
「もし来たら」
「来る訳ねえんだろ」
「もし来たらですよ」
「来ねえよ。安心しろ」
「…来たら、仲いいふりぐらいしてくださいね」
 俺はぽかんと八戒を見たが、本人は飛沫が飛ぶほど勢いよく水割りをシェイクしている。
「3年も経ってまだぎこちないのかなんて思われたら僕の立つ瀬がない」
「はあ?」
 八戒は忌々しそうに舌打ちして身を乗り出した。
「あのねぇ悟浄。今の貴方のツレは僕でしょう」
「そうなのか!?」
 一瞬店中の注目がテーブルに集まった。
「…そうでしょう。同居して一緒に動いてんだから」
 そうだけどそうなのか?ツレってもっとこう、お互いに対する信頼とか友情とかが先立ってなるもんじゃないのか?鷭里にそんなもんがあったとも言えないが、少なくともこんな物理的になし崩しに二人組になったからってそれは果たしてツレなのか?それともこいつはあれか、俺に対して信頼とか友情とかがあっ……
「……あったり?」
「大事なとこ省かないでくださいよ。貴方の悪い癖です」
 とりあえずそのシェイクを止めてくれないか、落ち着かない。俺はまた手を延ばして八戒を止めた。
 止まった。
「…何であんな薄情者を貴方が待つのか3年間考えたんですけど」
「3年間!?」
「いちいちうるさいですね3年間ですよ1095日ですよ僕が何年何考えようと僕の勝手じゃないですか」
 俺は何も3年丸々鷭里を待ってた訳じゃない。どころか待つのは今日が最初だ。そして最後だ。
 読点が減るのは八戒が怒りだした証拠なので、俺は急いでまだ握ってた手を放して八戒の頭を撫でた。端から見たら変だろうが八戒に口で返すとうるせえのが倍になって返ってくるので、考えるより先に手がでる。
 八戒はこれまたいつものように振り払い、だが多少は口調を和らげた。
「…考えてはみたんですけど、貴方が鷭里さんを好きだっていうそれだけのことでした」
「…まあ、そうかな」
「だからもういいんですそれは。しょうがないから。でももしあの人が来たら、ちょっとは僕のメンツも立ててくださいね」
 …俺が生きてる時点で充分立ってると思うんだが。
 テーブルの下で、言葉に詰まった時にいつも頼る自分の両手をじっと見た。何て言おう。
「来ねえよ」
「だからもし来たらですよ」
「…来ねえんだよ、もう」
 カチン。
 遠慮がちな音がして、店の照明がすとんと落ちた。
 
 もう鷭里は鷭里じゃない。 俺のことなんか全部忘れた。
 昨日言ってた、三蔵が。妖怪は皆暴走したって。
 最後の夜に来ないと分かってる男を待ちながら、ここにいない男の話をする。三蔵に言わせりゃ「無駄」だよな。
 だけど鷭里が、あのろくでもねえ男が、3年も経った今、俺らに何かしようとしている。
 八戒を突き飛ばして、今俺を小突いている。

 明日になったら俺たちは二人組でも同居人でもなくなるな。
 家に着いたら眠気に負けて、すぐさまベッドに潜り込んで寝てしまう。

「八戒」
 八戒は俺の斜め後ろで、掠れた声で「はい」と答えた。
 何て言えばいいのかな。下手なこと言うとすぐに噛みつくこいつの口を塞ぐには。
 惚けて付き合ってくれてありがとう、とか。
 別に嫌いじゃねえよ、とか。
 ツレなら横に並べば?とか?
 
 ポケットの中の俺の手は、いつものように面倒なことはすっとばし、体のどこかをさっさと掴んで引っ張りたくてうずうずしている。


fin

森沢様よりリクエスト。8558で頭脳戦。
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