冬の生活派
友達というのとはちょっと違う。
性格も気性も好みも見かけも正反対で、お互いさほど相手に興味ないから喧嘩にもならない。
八戒が家事全般を切り回してくれるおかげで随分助かっているが、家賃代わりの家事労働だから特に御礼を言ったこともない。
あいつはあいつで「夜遊びがすぎませんか」とか「煙草吸いすぎですよ」とか思い出したように意見はするが、暇なおばさんが挨拶がてらお隣の息子さんに声をかけてみた程度の関心レベル。要するに自分の生活サイクルの邪魔にさえならなければ、どうでもいいのだ。
似ているところと言えばただひとつ、「相手が聞いてくるまで何も言わない」。「買い出しするんで荷物持ちに付き合ってくれませんか」とか「洗濯機買い換えたいんだけど乾燥機もいる?」とか一つ屋根の下に住む者同士の必要最低限の話し合いはするが、雰囲気はマンションの管理組合集会のようによそよそしい。
八戒は面白い奴だが(笑えるという意味じゃ決してなく)、普段から男女問わずスキンシップ大好きな俺が、あの鬼畜坊主の頭すらよしよしできる俺が、あいつとは、部屋の中ですれちがいざま肩がトンと触れただけで「悪い!」「あ、すみません!」と頭を下げあう、そういう仲。
俺と八戒の同居生活はだいたいそんな感じだ。
1年のうち、4分の3は。
「そろそろ夜は冷えますねぇ」
八戒が熱い緑茶を(自分のために)淹れながら、何気なく呟いた。本人は何気ないつもりだろうが、同居を始めてから1年めにも2年めにも言ったことを3年めの今年も蒸し返そうとしているに決まっているので、俺は特に返事もしなかった。
「僕のベッドなんですけどね」
ほらきた。
「悟浄の部屋に入れちゃいけませんか、冬の間だけでも。貴方の部屋から僕の部屋まで戻る間に体が冷えちゃうんですよ」
この時点で既におかしいだろ、主張が。
「貴方は子供体温だから手足が冷たくて眠れないなんて経験ないでしょうけど、お湯で温めてもすぐ冷えちゃうし、お酒呑むと余計目が冴えるし、低温火傷しやすい体質だし、貴方も迷惑でしょうが僕としても最終手段として嫌々提案してるんですからって話の途中ですよ悟浄!」
最後の方で叫んでいるのは、俺が八戒を無視して洗面所で歯を磨きだしたからだ。
「去年も一昨年も同じ話聞いた」
「去年や一昨年と同じリアクションするつもりですか?芸がない」
褒美もないのに芸してたまるか。
「俺が女連れ込むたびにベッド出したり入れたりする根性があるなら、どうぞご自由に」
思った通り、八戒は聞こえないふりで茶を啜った。
この3年間、一度も女なんか連れ込んでない。
冬になると妙なことになる。
体温で布団がぬくぬく暖まってきた頃に、この末端冷え性の男はご丁重に枕を抱えて部屋に乱入してくるのだ。俺が熟睡してようが爆睡してようがお構いなくごそごそ潜り込んできて、氷のように冷え切った体を容赦なく押しつける。
「★◎■▽〒○※◇!!!!!」
「あ、起きちゃいました?」
「これで起きなきゃ死んでるわ!」
「すみませんね」
100パーセント口だけだ。酷いときは足の間に割って入ってくる。更に酷いときはシャツの中に手を突っ込んでくる。よい子は真似しないでください。冬場にいきなり人を水風呂に放りこんだり、襟から氷を流し込んだり、こっそり便座カバーをはずしたりすると心臓発作で死にます。そーゆーことだ、こいつがしてるのは。
逃げかかる俺の背中から、あまりの体温差に轟音をたてんばかりに熱が向こうへ雪崩れ込んでいく。だいたい30分ほどそうやって温まるだけ温まると、来たときと同じように唐突に、奴は枕と共に「お邪魔しました」と出ていく。残された俺は八戒の形に空洞が出来た布団をぽんぽん叩いてつぶし、冷たい壁と冷たい人に挟まれて鳥肌のたった腕をこすりながら、体温再製造に励む羽目になる。
1年めの冬にこれをやられた時は、真剣に八戒の頭の中身を疑った。つか殺そうかと思った。
「何!何おまえ!!」
「いや、寒いんで」
「寒いんでって、だから何!」
「だって貴方、体温高いから」
こいつの中では、手足が冷えて眠れないから温めよう→俺。という訳の分からん理屈がきっぱり通っているのだ。ベッドが睡眠をとるための家具でしかない八戒と違って、俺には愛を奏でるステージ、いわば聖域とでもいいましょうか、間違っても男の侵入を許していい場所ではない。しかして、こうもきっぱり人を温かい物体としか認識していない奴に「男とくっついて寝るのは変だ」と正論を主張するのも馬鹿馬鹿しい。ちなみに何故30分かというと「朝までいると暑いし、第一狭くて寝れない」という分かりやすくも身勝手な理由による。奴が俺に一片の下心もないことは、夏になると「貴方が部屋にいると室温が2度は上がる」と抜かして外泊を奨励することにより証明済みだ。
それはもう重々分かってんだけど。
1年のうちの4分の1の、1日のうちの30分、季節限定・時間限定・場所限定でくっついてくるあいつが本当のあいつな訳はないんだけど。
寒くなる。これからどんどん寒くなる。
背中から抱きしめてくる力が日に日に強くなる。
熱が移って体表温度が同じになって、押し当てられた掌が違和感なくなるまでの時間がどんどん長くなっていく。
その夜滑り込んできた八戒の体はしばらくガタガタ震えていた。3年ぶりの大寒波。
「今日はまた一段と冷えますねぇ…雪降るかもしれませんね」
「雨よりましだろ、音がしねえだけ」
「一緒ですよ」
「…おい大丈夫か、歯の根合ってねーぞ」
「手足切っちゃいたいくらいです」
冷たいを通り越して既に「痛い」そうだ。この世に寒い以上の苦痛はないそうだ。何せ切っちゃいたいくらいだから。お隣の息子さん程度の俺にしがみつくぐらいだから。
「悟浄、前から言おう言おうと思ってたんですけど」
しかしいくら寒くても凍死するわけでもあるまいし。
…凍死するかも、こいつなら。おお、実に凍死が似合うじゃねーか。もう凍死しろ。永久に冬眠してろ。
「背中って案外冷たいんですよ」
猫とか犬とか暖かそうな動物飼うってのもアリか。マスターが新顔の女の子が子猫のもらい手探してるっつってたから、猫は八戒にやってあの娘は俺がもらって一石二鳥。…あ?
「何つった今」
「背中って、耳朶の次くらいに冷たいんですよって」
「…だから?」
「こっち向いてください」
「や、ソレはいくら何でも」
変だろ。いくら美人でも聖域で至近距離で男の顔は見たくない。
だが抑揚のまったくない声音が鬼気迫って、いや正直怖くて、俺は素直に180度反転した。途端にぶつかるようにしがみつかれて結果的に顔は見なかったが。
「八戒!痛ぇって!」
細い体のどこにこんな力があるんだ。さっきの子猫話は却下だ。間違いなく抱き潰される。丈夫でよかった俺。
鎖骨のあたりで八戒が長い溜息をついた。これは、あれだ。人が温泉に浸かったときに思わず漏らすあれだ。
どうしよ。どうしましょうね。正面から抱きつかれた時って、手を。手の置き場が。普通にすると背中に回るんだがそれはどうよ。
「あのー八戒さん」
「………ん」
「…俺は手をどーすれば」
「………」
うわ。
寝やがった。初めてここで寝やがった。
そおっと体を離して覗き込むと、それはもう気持ちよさそうにぐっすりお休みだ。八戒の寝顔を見るのは悟能以来だ。このままここで寝かしてやったほうがいいのか、決して寝相の良くない俺が蹴り出す前に部屋まで運んでやった方がいいのか、それとも俺が八戒の部屋で寝るか。ちょっと考えた挙げ句、一旦起きあがって、さっきまで俺が寝てたベッドの壁際に、八戒をゴロンと転がしてやった。少なくとも落ちねえだろ。なんて優しい俺。
ようやく眠れると思った途端。
「…ありがとうございます、悟浄」
うわ。
いちいちびっくりさせるな。
「…好きですよ」
半分寝てたらしい八戒はそれだけ言うと、さっさと眠りに戻ってしまった。
なあ。冬だけ好かれてもなあ。
わりと好きな季節だったのに、今じゃ怖い。
春も夏も秋も全部冬に向かってる。
fin
八浄で「寒い夜」+「精神戦」。
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