笑 っ て る 場 合
「で、何事ですか」
酒場に現れた八戒は、左手にスーパーのチラシを握っていた。
「…何それ」
「ああ、これ、だって貴方が」
八戒はほとんど握りつぶされた感のあるチラシを丁寧に伸ばして俺の目の前でひっくり返した。この時間にここに来いと、出掛けに俺が書き殴ったやつだ。
変な奴。
「ちょーど飲み代儲けたとこだからさ。飲も」
まだ何が何やら合点のいかない様子の八戒を窓際のテーブルに引っ張っていって座らせると、いつもなら手を出さないボトルを張りこんだ。
「はい、乾杯」
「…何事ですか」
「何事もねえよ」
「何で僕と外でわざわざ飲むんです。貴方の誕生日か何かですか?」
うるさいのでとっととグラスを握らせた。こいつは外食中のファミリーをつかまえて「何で家で食べないんですか?」とか聞くのかよ。
「乾杯!!」
「…乾杯」
店のおねーちゃんや顔見知りがチラチラ合図を送ってくる。そんな露骨にしたらバれるっつに…
「悟浄、やたら視線感じるんですけどね!」
「おまえら、いいからほっとけ!」
振り向きざま怒鳴っといて、店の隅に椅子ごと移動した。ここなら店の客からは死角になる。
「ここなら文句ねえだろ!」
「何か家ではしにくいお話ですか?言ってくれないと落ち着きませんよ」
こいつに真っ正面から真顔で見詰められるとどこをどーしていいのか分からん。
「…お互いをよく知ろう」
「は?」
ねーちゃんが噴きだした。畜生。
「俺とおまえ、ほっとんど生活時間帯すれ違ってて話もしねえじゃん。1ヶ月も一緒に住んでる同士って感じしなくねえ?おまえいつまでも他人行儀だし」
「…ひょっとして僕がいるせいで居心地悪いんですか?」
「そうじゃなくてだな…」
いきなり八戒がロックを一気にあけた。
「おかわり頂きますね」
返事する前に、八戒はドボドボと音をたててグラスにたっぷりウィスキーを注いだ。
なーんだ、なーんだこいつ、呑めんじゃん。酒好きなんじゃん。
俺は思わず八戒の肩を掴んだ。
「なあ、腹わって話そう!」
「また割るんですか?」
わーギャグだギャグ!塞がったばっかなのにな!そっちの腹じゃなくてなっ!
「俺、正直、おまえのことすっげーとっつきにくくて坊主や猿みたくどついて遊べなくて要はどうしたらいいのか分かんなかったのよ。もっとこう、普通に仲良くしたい訳!」
「はあ、すいません」
「したら連中が、悟浄がいつもダチにするようにすりゃいいって言うから」
「って言ってるのに、八戒は早起きだからとか酒好きじゃないかもとか、らしくないことばかり言うから。ねえ、みんなで悟浄さんがそんなおかしな気をつかうから八戒さんも打ち解けないんだって話してたの」
「うるせえ黙れどっか行け!」
いきなり乱入したバイトちゃんを追っ払って振り向くと、八戒とまたまともに目が合った。しばし見詰めあううち、八戒がまた突然微笑んだ。
「…そんなこと思ってたなら、早く言ってくださればいいのに。嫌われてるかと思いました。今日だって、出ていけって言われるのかと思わずチラシを握りしめ」
なんでじゃ。
「これでも打ち解けてるつもりなんです」
へー…。
「そういうことなら分かりました。いいですよ、腹でも胸でもわります。何話します?普通こういうときって色恋沙汰なんでしょうけど、僕、生憎姉の話しか手札がなくて。聞きたくないですよね、そんな話」
ふ、触れちゃいけねえのかと思ってただけですが。
「姉でも何でもおめえの女だろ、全然聞きてえよ?どっちから告ったとか」
「目と目で」
うわあ凄い。
「美人?」
「綺麗でしたよ」
「ま、おめえの姉貴なら綺麗だろうな」
「またまた悟浄ったら何さらっと言ってくれちゃってんですかもう照れますよ〜」
何ですか、このはじけたキャラ。
…いーね。いーじゃん。何だよ、それでいいよ。
「で、で、何。もういきなり両想いであっさりいっちゃったの?」
「最初は、今頃誰とどこにいるんだろうと思うと気になって気になって」
「うんうん恋だねえ」
「一緒に暮らしだすと別の不安があるわけですよ。物理的にはそばにいるから、今頃どうしてるという不安はなくなるでしょう?そうすると疑惑の対象が本人に向くんです。一緒に住んでるんだから好きは好きだろうけどその好きはどれくらいの好きなのかとか、昨日はいいけど今日は僕に飽きたんじゃないかとか」
「辛ぇなあ」
「と、思いきや」
思いきや?
「花喃とはそういうドキドキはゼロです。いきなり両想いであっさりいっちゃいました」
八戒は俺のグラスに慣れた手つきで氷を足してくれた。
「自分が思ってることをこの人も思ってるんだって信じてました、百パーセント。嫉妬も不安も何もなしです」
「…姉だから?」
「姉だから」
「結局そこに戻るわけ?」
そういう愛情を味わいたくて世の中四苦八苦してるんだろうに、八戒はそれが残念だとでも言いたそうだった。まあ人のことは分かんねーけど、貴重な恋愛であることは確か…
「おまえ二股かけてたの!?」
今まさにナッツを口に放り込もうとしていた八戒は、口を半開きにしたままこっちを見た。
「姉貴が最初の女だろ?」
「…そうですけど」
「で、あの事件があって、すぐ俺がおまえのこと拾ったろ?姉貴の前にも後にもいねえとしたら、同時進行で二股かけてたんじゃん」
八戒はまだポカンとしている。
「えー…と?」
「今更隠し事はねーだろーが色男!他にいたんだろドキドキな相手がよ。今頃どーしてんのか気になって?昨日はいいけど今日は飽きたんじゃねえかって?んなの、やった事ねえと分かんねーじゃん。誰、誰」
何だよまだとぼけるか。一途で純情なのが偉いなんて、俺はちっとも思わねえのに。
…いや待てよ。
一緒に住んでるんだから好きは好きだろうけど?
「悟浄」
グラスをテーブルにトンと置く音で、俺はようやく顔を上げた。
あ。
…ああ?
いやまさか。
「…なーんか、ほんとにわるとこまでわっちゃいましたねぇ…」
八戒がへろっと笑った。
「次、貴方の番ですよ」
はは。
笑ってる場合か。
fin
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