Vinegar&0il 2
注意・言うまでもありませんが「Vinegar&Oil」の続きです。そちらを先に読んでいただけると助かります。貴女が。
 




 明け方に復活したかと思われた天候が、また崩れだした。
「…今日は洗濯はやめといた方がいいですね」
 湯気の立ち上るカップを目の前に置かれた悟浄は、さも心外といった顔で八戒を見上げた。
「八戒、俺コーヒーぐれって言っだんだげど」
「風邪には生姜湯です」
「風邪じゃねえっで」
「その鼻声でまだごちゃごちゃ抜かしたら尻にネギ突っ込みますよ。風邪にはそれがてきめんに効くんです。僕が塾の講師やってた時に生徒が熱出してですね」
 悟浄は左手をヒラヒラ振って八戒のジェスチャーを止めると、それでも結局は素直に右手でカップを持ち上げた。
「…ねぇ悟浄」
 向かいに腰かけて、八戒は頬杖をついた。
「僕の顔、そんなにいいですか」
「…ああ?」
「僕の顔。お好きですか?」
 悟浄は初めて見るようにしげしげと八戒を見つめた。
「お好きですね」
「そうですか」
 それっきり黙って窓の外を眺め始めた八戒に、悟浄はつられたように窓ガラスを洗い出した雨に眼をやった。
「…おまえも生姜湯飲んだ方がいいんじゃねえの?」


 ほんの1時間前、八戒は天蓬と別れて家に戻った。
 家に悟浄がいてくれることを心臓が灼けるほど祈りながら玄関を開けると、いきなり食卓につっぷして悟浄が寝ていた。髪にも服にもぐっしょり水を吸わせたままで、どうやったら眠れるのか。
「…悟浄」
 聞こえるか聞こえないかの小声だったが、律儀な同居人は即座に跳ね起きた。
「ああ。お帰り」
 髪を滑って水滴がパタパタ机に落ちる。
「もしかして貴方」
 もしかしなくても、ついさっきまで自分を捜していたに決まってる。地元の街の宿屋にいた八戒が見つかるはずもなく、こうしてここで八戒を待っていいるうちにくたびれて眠り込んだに決まってる。
「や、別にそういうんじゃねえけどよ。なんつうか、寝相悪くて」
 言ってるそばからクシャミだ。寝相が悪くて寝室からここまで転がってきたとでも言いたいのか。八戒のほうが恐縮してしかるべき場面なのに、このまま黙っていたら逆に悟浄があやまってきそうな勢いだ。
 こみ上がってくる甘い塊を、八戒は必死で飲み下した。
「…とにかく着替えて、体温めてからベッドで一眠りしましょう。風邪ひきますよ」
「…そーだな」
 気をぬくと泣きそうで、かえって声が硬くなる。
 わざと淡々と振る舞って忘れたふりをしているうちに、本当に天蓬のことがあやふやで朧気になっていく。冷やかな瞳で八戒を悟浄のためだけに非難した、あの男。
 もう天蓬の顔が思い出せない。鏡を見ずに自分の顔を思い浮かべろと言われたら咄嗟には出てこない。投げつけられた言葉は覚えている。コーヒーの苦みも残っている。空き缶に山と突っ込まれた吸い殻も、その瞳も指も。パーツは浮かぶのに全体となると一気に輪郭がぼやける。
 本当にいたんだろうか。
 雨でおかしくなって見た夢だったんじゃないだろうか。あの会話は、自分から自分への自問自答だったのか。
 そうだったら、どんなにいいか。
「八戒」
「はい?」
 風呂に湯をはって戻ってきた八戒の髪に、悟浄がふと顔を近づけた。
「な…何ですか!?」
「髪に煙草の匂いついてる」
 一瞬、自分を介して、天蓬と悟浄が触れあった。
「だから何ですか!」
 ほとんど飛びずさった怪しすぎる八戒の反応に、悟浄はさほど頓着しなかった。
「何って、よかったなあって」
「…何が」
「屋根のあるところにいたんだろ?」

 貴方は彼の何なんなんですか。
 貴方は彼をどうするつもりなんですか。

 確かにいたのだ。嫌な男。

「八戒」
 生姜湯を飲み終えてしばらく待ってはみたものの、いつまでたっても物思いからさめない八戒に悟浄が痺れを切らした。
「……はい?」
「飲んだぜ」
 生姜のせいで鼻のとおりが良くなった悟浄がカップを持ち上げて見せたが、八戒の表情はぴくりとも動かない。
「他には?」
「…まだ俺に飲ませたいもんがあんのか?」
「顔の他には?」
 悟浄はポカンと口を開けた。同居人の思考は、たっぷり5分間(悟浄は猫舌だ)同じところをグルグル回っていたらしい。
「…顔以外は、特にこれと言って好きなところはねえな」
「じゃあ僕と同じ顔してりゃ僕じゃなくてもいい訳ですね?僕がスモーカーだったら吸い殻だ灰皿だ言われなくてすみますもんね。案外今までおつき合いなさってた方々も似たようなお顔だちで」
「…てめぇ何を朝っぱらから喧嘩売ってんだ?おまえと同じ顔の奴なんざそうそういてたまるか」
「会ったんですよ、さっき」
「あーそう。誓うか?誓うな?賭けるか?」
「だって会ったんですよ、さっき」
「眼の色は?」
 途端に八戒は言葉につまった。
 眼。眼の色は…確か黒か焦げ茶か。
「エメラルドグリーンで右目は義眼?俺はな、これ!こ、の、顔が好きだと言ってんだ、分かっ」
 盛大にクシャミして、悟浄はトントンと自分の胸を叩いた。
「…分かったか」
「…じゃあ僕の眼が紫だったら好きじゃないんですか」
「面倒くせえ男だな。そしたら眼がムラサキで黒髪が好きになるから安」
 クシャミ3連発。
「…安心しろ」
「風邪薬飲んでください」

 本格的に寝込んだ悟浄には申し訳ないが、珍しく大人しい同居人の枕元に座って聞く雨音は好きだ。
 悟浄が天蓬を覚えていないのか、天蓬がそもそも八戒の中の幻だったのか。もうどっちでもいいが。
 シーツに散った紅い髪を軽く引っ張って、悟浄が間違いなく熟睡しているのを確かめた。

 …悟浄、貴方、僕をどうするつもりですか。
 貴方は僕の何なんですか。

 こんなこと聞く人、どうですかね、貴方的に。僕よりずっと面倒な人だと思いません?
 

 だが勿論、幻ではなかった。
 それから約2年後、悟浄は自分と同じ顔の男に会う。



fin

なんか別の話っぽくなっちゃった!この続きがcoffee&…(捲簾&悟浄編)になるわけですね。
わけですねって、もう、ああ、ナナ様、どうでしょう…。
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