今朝のイリープラネット





「こういうの悪くない」
 作業の合間に呟いた捲簾の顔は泥まみれだ。
「貴方、何でそう無駄に土を跳ね上げるんです。こう掬ってこう放れば、ほら飛び散らない」
「金蝉がさ、毎日辛気くさそうにしてんじゃん?悟空来てからはちょっとマシだけど」
 僕の指南などまったく無視して、捲簾のスコップはまた土を盛大に跳ね上げた。僕は疲労とその他のもので返事する余裕もなかったので、黙って飛んできた泥を払った。
「そんな退屈なら軍人になりゃいいんだよ。俺らそもそも死なないわけじゃなくてほっといたら死なないだけでほっとかなかっ、たら死ぬわけ、だ、から、ほら、全然こういうのは現、実だから」
「休みますか?」
「いやいい。つまり退屈する奴ってのは、こういうことにだな、向かい合う、強さ、がだな」
「休みましょう」
「うるせえな」
「すいません」
 捲簾はさっきからやたら無駄に動いて支離滅裂なことを喋り続け、その結果息も絶え絶えだが、おかげで夜中に下界でふたりして泥まみれになっているのは何故だろうかと我に返らずにすんだ。
 このへんは雨が多いからと強力に主張する捲簾に従って必要以上に巨大な穴を掘りあげると、僕は冷たく軽くなった「彼」を抱きかかえ、捲簾に手渡した。捲簾は穴の底にそれをぼんと横たえ、しばらく見下ろしてから、泥だらけの手で頭を撫でた。
「感謝しろよ。俺様にこんな重労働させやがって」
「僕もしましたが」
「おまえは当たり前だ」
 そのとおりだ。
 埋葬が終わると、捲簾は腰にぶら下げていた酒瓶を逆さにして全部振りまき、桜の枝と火をつけた煙草を土饅頭の上にぐさりと立て、跪いて手を合わせた。
「化けて出るなら天蓬んとこに出ろ。おまえが死んだのは全部このバカのボケのせいだ」
 このバカであるところの僕は、その光景を突っ立ったまま眺めていた。
「行くぞ。夜が明ける前に戻らねーと大騒ぎになる」
「こんなところでいいんでしょうか」
「ここしか駄目なんだよ。ここで生きてたんだから」
「ひとりにしていいんでしょうか」
「いいんだよ。ひとりで生きてたんだから」
 まだ逡巡している僕を泥まみれの手で引きずって歩き出した捲簾は、森を抜ける間中、鼻歌を歌っていた。


僕が下界から連れ帰り、悟空に見せてやろうとひとまず部屋の中を好き勝手歩かせていた猫は、悟空に会う前に部屋の雪崩に巻き込まれてあっと言う間に死んでしまった。部屋の扉を勢いよく開けて雪崩を起こしたのは捲簾だが、雪崩が起きるようなインテリアを施していたのは僕だ。何が起こったのか分からず呆然としていた僕の前で、捲簾はまだ名もない猫を本の下から慎重に掬い上げ、体をひっくり返して耳を押し当てた。そしてあっさり言った。
「だめだ」
「…だめ」
「死んだ」
 捲簾は、非難というより不思議でしょうがないといった顔で僕を見た。
「何で連れてきた?おまえが趣味で拾ってくるガラクタと同じつもりか?」
 深く考えたわけじゃなかった。
 ただ下界にいた頃に動物が好きだった悟空が喜ぶかと。
「動きが鈍いと思ったら、結構年くってるぜこいつ。悟空に看取らせるつもりだった?それとも仲良くなってから奪い取って下界に返すつもりだった?これも情操教育の一環か?」


夜明け前に部屋に戻った僕と捲簾は、ソファーの上とソファーの前の床に座り込んでコーヒーを啜った。当然床が捲簾だ。
「疲れた?」
「いえ、あなたほどじゃ」
「じゃあ反省してんの?」
 いったい僕はどういう顔をしてるんだ。
「何が辛ぇの」
 辛そうなのか。
 最初っからいなかったみたいにこっそり埋めるような死なせ方したのが申し訳なくて。
 目の前でいきなり生き物に死なれたことがショックで。
「好きだったんだろ」
「…何をです」
「あの猫をよ」
 好き。
「一日しか一緒にいなくて言葉も通じないものを、何でか自分は好きで、向こうは好きでも何でもないまま終わっちゃったのが哀しいんだ。あ、悔しいのか」
「…そうかもしれませんが貴方は僕を苛めてんですか慰めてんですか単に怒ってるんですか」
「聞いてるだけ」
 捲簾が急にソファーに座った僕の膝に掌を載せたのでぎょっとしたが、単に僕の脇にある灰皿に用があっただけだった。
「何でも終わるときは突然だから、後悔のないように、殴りたい奴はその日に殴って、好きなもんには好きって言って優しくしておきましょうね?と言いたいだけ」
「好きです」
「…うん。猫な」
「猫もですけど」

 雪崩が起こった時から、今晩のことを忘れないような気がしていたけど。
 人の死も何度か見てきたし、猫と長年暮らしてきた訳でもないのに、哀しくて哀しくて呆然とするほどで、何か教訓があったのか、空しいのか、自己嫌悪なのか分からなかったけど。
 真剣に天井を睨んでいると、寝たと思った捲簾が煙草に腕を伸ばし、鼻歌を歌いながら火を点けた。
「…それさっきも歌ってましたよね。鎮魂歌かなんかですか」
「何だっけ」

私達はこんなに遠い 時間も場所も ここへ置いていって 

 捲簾は珍しくきちんと口ずさんでくれたが、励まされるような歌詞でもなんでもないうえ鼻歌のほうが巧かったので、正直に言ったら怒って寝てしまった。と思ったらまた起きて「全部歌わないと気がすまない」と勝手にオールコーラス歌いあげ、もう思い残すことはないから寝ると宣言して今度こそ本格的に眠ってしまった。
 
 私達はこんなに近い 同じ思いで

 僕は捲簾に死を見せてしまったのが辛いんだ。
 この人が一生それを知らずに生きてくれればいいと夢みたいなことを思ってた。
 気持ちの出所がはっきりしたところで初めて本格的に真っ直ぐに哀しくなって、例え死ぬんでも悟空に会わせて悟空の中に住ませてやったらもっと幸せだったかもしれない、悟空はそういうところがあるから、でもそんなこと猫にしか分からないから、僕はせめて捲簾の言うとおり殴りたくなったら殴ろう、それが捲簾でもそうしようと、あまり優しくないことを思いながら目を閉じた。

fin
FOOL様のリクは、歌う捲簾。
ちなみにこの曲は矢野顕子のDavid。をカバーした槙原敬之。

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