Coffee&Cigarettes





「そういや俺、昨日連れにこえー話聞いちゃった。聞く?」
 真新しいハイライトの封を千切った瞬間の香りで、唐突に何かを連想したらしい。
 なんの脈絡もなくコロコロ話題が変わるのは悟浄の癖のようだ。返事をする前に勝手に話し出すのも。
「本当にあった話でよ、どっかの国の王様と料理人が顔がそっくりだってんで、話してみたら誕生日も出身地も奥さんの名前まで全部同じで、しかも同じ日に同じ原因で死んだっていう。恐るべしドッペルゲンガー現象!どーする俺らがそうだったら。ドッペルゲンガーに会うと死期が近いんだってよ?こえーっしょ?」
「…おまえ全然怖そうじゃねーぞ」
「こえーよ!その連れも前に自分そっくりな奴に会ったっつって、自分で話ふっといて怖がってやんの。どーする、いっとくか?」
「何言ってっか分かんねえよ、もう呑むなてめえは」
 既にできあがりつつあるこの酔っぱらい二人組は、さっきから随分と周囲の視線を浴びている。最近は物騒で、深夜でも人の少ない隠れ家的なバーに二人が現れたのは、1時間ほど前のことだったろうか。
 扉が開いた途端、店内の空気が変わった。場数を踏んだバーテンダーの声が思わず上擦る。
 一人は、一度見てしまうとしばらく瞼に残像が焼き付きそうな真紅の髪に真紅の瞳。愛想のいい笑顔に、女性にはたまらないだろう甘い声。もう一人は逆に上から下まで黒ずくめで、軽々しく声がかけられないような威圧感。
 まったく似ていないのに、驚くほど似ていた。顔も体型も、触ったら切れそうな、ナイフのような眼光も。
「…お客さん方、兄弟かなんか?」
 カウンター越しにマスターが声をかけると、ふたりは予期していたように、極自然な笑みを交わしあった。
「他人、他人。会ったばっかし。俺の身内から軍服フェチなんぞ出してたまるかって」
「もろ軍服。本物。何度言ったら覚えんだ、耳あんのかチンピラ」
 冷たくあしらわれるのに慣れきっている悟浄は、くっくと喉の奥で笑った。
「チンピラって響きいいなー。俺、結構好きかも」
 捲簾は不思議な心持ちで目の前の男を見つめた。
 本当に、こいつが俺なのか。
 来世と言うよりむしろ時を逆行した昔の自分に見える。無邪気で、子供で、無防備で。そう演じているようにも見えて。
「…悟浄」
「あ?」
「おまえよくわかんねえな」
 悟浄は、捲簾が思わず漏らした本音も笑って流した。
「そっかあ?俺の連れなんか、悟浄は本当に分かりやすいですね〜って毎日誉めるぜ」
 それ誉めてるのか。
 よく分からないのは当然だ。会ったのは今日が最初だし…最後だ。


「時間というのは紙の端と端みたいなもんでな。ほっとくといつまでも交わらねえが、折り曲げると幅がどれだけあろうがぴったり重なるんだよ。折り曲げて欲しけりゃ曲げてやるが、どうする」
 観音の講義は理屈では分かっても感覚的にはよく分からなかったが、捲簾にとって必要なのは次元物理学の修得ではなかった。
「曲げてくれ」
 天蓬を失ったその瞬間も、今も、悲しいとか寂しいとかいう感情は捲簾にはない。ただ、自分が死の存在しないはずの天界で永遠に生き続けるとしたら、その間、天蓬がどこでどうしているのかが気になった。もしそこにあいつの好きな本がなかったら、欲求不満でまたもや死んでしまうんじゃないか。もう誰もあの目や声や手を見ることができないとしたら惜しい。綺麗な男だったのに。
 自分では冷静で普段と変わらないつもりだが、端から見るに、相当異常な行動が目立ったらしい。突然畑違いの観音の私室に呼びつけられたくらいだから。あの金蝉すらいてもたってもいられなくなるほど、自分は儚げなのだろうか。
 観音と金蝉の条件は「必ず戻ってくること」だった。この二人は自分が過去に戻って天蓬に会いたがっているとでも思っているのだろうか。行きたいのは先だ。それも、うんと先。
 自分が自分のままそこにいるのか、天蓬が辿ったであろう道を自分も通り抜けるのか、どうしても知りたい。
 

 悟浄には、わりとすぐ会えた。行きたい場所に行ったら、いた。
 既に相当いい気持ちで河岸を変えかけていた悟浄は、酒場を出た瞬間に捲簾をみとめ、ぎょっとしたように立ち止まった。
「…よ」
 捲簾の簡潔極まりない挨拶に、悟浄は驚くべき屈託の無さで対応した。
「俺の兄貴より俺に似てんな。どーよ一杯」
 いつもこんな調子で男もナンパするのかと聞いたら、どうも宿に帰りたくない理由があるらしかった。
「理由聞きてえ?」
「興味ねえ。つーか読める。怒らせて顔あわせづらい奴がいるんだろ」
 かく言う悟浄は、捲簾に名前さえ聞いてこない。 
 子孫さえ残せば輪廻から逃れられるというのが天界での定説だった。悟浄がここにいるということは、どうやら自分は血を残さないまま死ぬらしい。
 こいつに生まれ変わるなら、悪かねえかな。
 なんだか仲間もいるようだし、何かしら目的もあるようだし、何より自分と同じように退屈する暇はないらしい。悪くない。全然悪くない。
「いいのか、こんな時間まで単独行動して。怒らせた連れってのが一層怒んじゃねえの」
「んーにっこり笑ってこうだな。悟浄、貴方がどこで何しようと勝手ですけどね、僕は香水の香りにあたるんですよねぇ。高級品ならまだしも安物となるとどうも体が受け付けなくて。しばらく僕に近寄らないでもらえます?」
 捲簾の指から煙草の灰が落ちた。
「おい、落ちたぞ?」

 ……天蓬?

 まさか。
 
 不意に黙り込んだ捲簾の方に、悟浄はふたりのちょうど真ん中に置かれた灰皿を押しやった。
「服が焦げるぜ捲簾」
 名前を教えた覚えはない。
 口を開こうとした捲簾を、悟浄はハイライトを挟んだ指をかざして黙らせた。
「あんた本当は俺じゃなくて、俺の連れのこと聞きたいんじゃねえの」
「…悟浄?」
「さっき話したじゃん?俺の連れがさ…八戒ってんだけど、前に自分にそっくりな奴に会ったことがあんだって。髪とか目の色とか違うんだけど、顔も声もすげえ似てて、そいつが俺のことばっかり聞いてきたって」
 頭がグラグラするのは、酔ったせいだろうか。
 捲簾は既に氷水になりつつある水割りのグラスを額に押し当てた。
「ちょっと待て悟浄。…とりあえず、なんで俺の名前知ってる?」
「俺も八戒もドッペルゲンガー見たってことかな。それともあんたと、そいつが知り合いってオチかなぁ?」
 悟浄は捲簾の問いなど全く意に介さず、半分宙に浮いたような口調で話し続ける。このぶんだと明日になったら今夜のことなど記憶からキレイさっぱり消えている。
「もしかして、あんたらが未来からきたとか。あんたが俺の子孫で、八戒の子孫があいつとか」
「…逆だ。それはいいから悟浄、人の話を聞け」
「そっか、生まれ変わっても一緒にいたいほど、あんたらは仲がいいのか」
「悟浄」
「俺と八戒が腐れ縁でずるずる一緒にいるのは、あんたらのせいなのか」
「悟浄!俺の名前をどうして知ってる!」
 さっきから店員が隙あらば近寄ろうと様子を窺っている。つぶれる前に追い出そうとしているのだ。
「だから、そいつが……八戒のそっくりさんが八戒に言ったんだと。そいつの連れが、つまり捲簾って名前で、でもあんたの名前かどーか俺は知らないんだけど」
 完全に酔っぱらいだ。都合がいいような悪いような。
「いつ」
「いつって」
 気を抜くとまたすぐ悟浄の視線が彷徨いだす。
「おい寝たらぶん殴るぞ!いつだ!」
「…2年?くらい前だって言ってた気がすんだけど」
 天蓬が、死ぬ前に、一度ここに来ていた?観音が来させた?
 天蓬はかなり正確に自分の死期を悟っていたはずだから、死ぬ前にお願いとかなんとか言ってここに?俺と同じように?
「訳わかんねーな…」
 天蓬の考えることなんか、今も昔もひとつも分かんねえよ。
 捲簾の喉元に、ひやっと冷たいものが当たった。悟浄がナイフを押し当てたのだと分かるまで、2,3秒かかった。
「もし今、あんた殺ったら、俺どーなんの?消えんの?」
 至近距離で目が合った。
 捲簾はゆっくりと、ナイフごと悟浄の右手を握りしめ引きはがした。なんの違和感もない。皮膚も、手の熱さも、ほんの少し滲んだ血も、全部自分と同じだ。俺は次にこの目をもって生まれてくる。
 ああ、悪くないどころじゃねえよ。
 マスターがこの尋常でない光景にめんくらって、慌ててカウンターを飛び出すのが見えた。
「ちょっとお客さん!喧嘩なら外でやってよ」
 途端に悟浄はナイフを勢いよく目の前の皿に放り込んで立ち上がった。
「悪いマスター、長居しちまって。勘定カードで」
 悟浄は毒気を抜かれたような捲簾に向かって、会った時と同じように屈託のない笑顔を見せた。
「生まれ変わりとか未来とか、そんなもんある訳ねーじゃん。くだんねえよなぁ?」

 空が白み始めた。
 地面も空も薄明かりで区別がつかなくなる日の出の瞬間の美しさは下界には敵わないと、遠征のたびに捲簾は思った。思っただけでなく、隣にいる副官に何度も言った。下界は、天界より更に上にある宇宙に愛されているんだと思うと。
「じゃ、俺ここで。結局寝ないで待ってるから、あいつ」
「…おう、俺も帰るわ。別に待ってる奴もいねーけど」
 八戒って奴が天蓬の生まれ変わりかどうか確かめようか。
 悟浄に失礼だという妙な感情がわいて、捲簾はその思いつきをあっという間になかったことにした。天蓬だって悟浄に会わずに帰った訳だし。
「んじゃ、な」
 踵を返そうとした捲簾の腕を、悟浄が掴んだ。
「…なんだよ。野郎に名残惜しまれたくねえぞ」
「んー…いや、楽しかったわ。あんたの名前、結局知んないんだけど。もしもう会わないんだったら聞かねーほうがいいかな?」
 捲簾は、ゆっくり深呼吸をした。
「聞かねーほうがいいな」
「そうか」
 悟浄はあっさり手を離した。
 必ず戻れって、このことか。名残惜しいのは俺じゃねえか。

 いくら遠ざかっても、悟浄の赤はなかなか朝靄に消えていかない。



fin

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