花の刺青に近づくな
桜は極道者
菊は川向こう
紫陽花は阿片
梅は伝染病
百合は色情狂
赤い椿は首が落ちる
…
俺らが子供の頃から数え歌みてぇに覚えた文句だ。聞いたことねえか、花持ちの話。
花の刺青をした奴のことを昔は花持ちって呼んだんだ。花によって意味合いは違うんだが、普通は家族から縁を切られてまともな職にもつけず、疎んじられてそのへんで野垂れ死ぬもんだった。…酷い?そうか?そうかもな。だが刺青に限って言えば自分の意志で彫るもんだった。自分の業を自分ひとりで背負うという意思表示だった。おまえには分かりにくいかもな。人は平等だなんて、誰も、夢にも思ってやしなかったんだ。
俺が18まで老舗の宿屋に奉公してたって話はしたな。家が貧乏で親に売り飛ばされた、出身も年もバラバラなのがわさわさ働いてた。主人に子種がなかったから奉公人の誰かに嫁とって跡継がせようとしてたんだが、跡継ぎは俺か、でなきゃ八戒だというのが大方の予想だった。俺はそう仕事熱心でもなかったが交渉事だの金勘定だのは巧かったんで、歳のせいですぐ寝込む主人の替わりに帳簿全般を請け負ってた。八戒は愛想が良くて下の奴を仕切るのが巧かった。綺麗な顔してたな。女客に人気だった。ライバルと言えばライバルか。でも俺も奴もそう暖簾に拘ってた訳じゃねえから、まあまあ巧くやってたよ、途中までは。
花持ちはいつ出てくるんだって話だな。待て、順番に話すから。
客が来たんだ。花持ちが。
夕日が部屋の奥まで歩いてきたような感じだった、髪が赤くて。
そう、その日はちょっと凄い夕焼けだった。仕事帰りの男たちがわざわざ道端に立ち止まってぼんやり空を見上げていたからよく覚えてる。今は珍しくもねえが、その時は宿屋がこの辺りじゃ唯一の二階建てだった。八戒はよく仕事の合間に二階の隅の、一番景色がいい窓から身を乗り出して遠くを見てた。同じ景色を毎日毎日眺めて何が楽しいんだか俺にはよく分からなかった。そう言うたび八戒は笑った、そんな事ばかり言ってるから人生がつまらないんだとか何とか。それじゃ、あいつのあの人生は何だったんだかな。…まあとにかく俺は、あちこち探し回った挙げ句、例によって夕焼けを熱心に眺めてる八戒を見つけた。結局のところ、俺には八戒しか相談できる奴がいなかった。
「さっき来た客見たか?着流しの、髪がこれくらい長い」
「いいえ?」
「花持ちじゃねえかな」
八戒はその場で飛び上がった。
「泊めたんじゃないでしょうね」
あの宿には花持ちがいるなんて噂がたったら明日から全員路頭に迷う。俺も八戒もまだガキだった。花持ちがなんなのか、どれほど危ないものなのか、実はよく分かっていなかった。とにかく真っ当に生きていきたいなら縁を持っちゃいけない汚いものだと教え込まれていた。
「…胸んとこ詰めててはっきり刺青見たって訳じゃねえんだ。病の匂いもしねえし、いいもん着て態度もきちんとしてる。出入りも激しい時間に往来でちょっと着物脱いで見せろなんて言えねえしよ」
「じゃあ何で花持ちだと思ったんです」
「勘」
根拠はなかった。着物の奥にちらっと赤いものを見たような気がしたが、合わせ目に夕日やら髪の赤やらが流れ込んだだけかもしれない。名前は悟浄といった。少なくとも宿帳にはそう書いてあった。「もしかしたらひと月ほど世話になる」そう言って、いきなり30日分の宿代をぽんと出した。花が宿屋に泊まりにくるなんてこと自体おかしいし、大金を持ってるのもおかしい。だが俺の勘は結構信用があったから、八戒はちょっと黙った。それから諦めたように溜息をついた。
「…それで僕は何をすればいいんです?」
話が早いのがこいつのいいところだ。俺は、長逗留の客にはいつも出す茶を八戒に出してくれと頼んだ。八戒というのがまた、そういうことが得意だった。一夜限りの客と話し込んでると思ったら自害を思いとどまらせたなんてこともあった。人の中にするっと入り込むのが巧かったんだ。客商売には向いてたな。
夕餉の片づけが一段落した頃、八戒が俺に目配せし、丁重に茶をいれて二階の端の部屋まで持ってった。
ここからは八戒に聞いた話だ。
悟浄は頑として部屋に八戒を入れようとしなかった。とにかく人と顔を合わせようとしなかった。
最後までそうだった。
「俺がそんなに気になる客?それとも気になってる誰かに頼まれた?」
「重要ですか」
「そりゃそうだ」
八戒は少し考えて後者だと言った。
「ならその誰かに直接来いって言いな」
ばっさりやられた八戒は…ここらへんがよく分からない奴なのだが、俺があくまでさり気なくと言ったにも関わらず、これ以上ない程の直球で尋ねた。貴方は花持ちかと。花持ちだったら出ていってくれと。そうとでも言わないとこの人には相手にされないと思った、と後から言ってた。たいした度胸だ。悟浄は淡々と、例えそうでも迷惑はかけないと返した。
例えそうでも。
それ以上は押しても引いても無駄だった。仕方がないので八戒は、襖をほんの少しだけ開けて茶を差し入れた。
結局八戒が悟浄の部屋に入るまで1週間はかかったかな。それが俺には意外だった。つまり八戒がそこまで粘ったってことがだ。そういうタイプの人間じゃなかった。表面上人当たりはいいが、言い方を変えれば淡白極まる奴だった。単なる意地だと、その時は思った。
「全然分かりませんが」
戻ってきた八戒は、明らかに客を口説きそこねて不機嫌だった。
「桜でしょうか」
桜は徒党を組んで阿漕な稼ぎをするから金を持ってても不思議ではないが、単独行動はしない。 花持ちだという確信は俺と八戒の中で膨れあがったが、
相変わらず悟浄が何者かは謎のままだった。
悟浄は絶対に宿で飯を食わなかった。風呂も使わなかった。朝一番にふらっと出掛けて、夜更けにふらっと戻ってきた。だから奉公の連中もほとんど悟浄の姿を見なかった。最後まで見なかった奴もいただろうな。幸せだ、そういう奴らは。俺も奴の顔は思い出せない。最初に顔を合わせた時も逆光でよく見えなかったし、それからもずっと見ないようにしてた。見たくなかったんだ。見ちゃいけないもののような気がした。ああ、俺は怖かったんだ。花持ちが怖かった。病気持ちじゃないにしろ、何かを伝染されるような気がした。勘だ。
廊下の端で赤いものを見ると、その場で方向転換した。かといって追い出す理由もなかった。一番手のかからない良客だったからな、とにかく早く1ヶ月過ぎて何事もなく出てってくれればいいと思った。
おまえ夢は見るか?怖かったり嬉しかったりしたことは覚えているのに、起きた途端何の夢だったか思い出せないことはねえか?つまり…そういう感じの奴だったんだ。気配が薄くて、いつ出掛けていつ帰ったか、表に出ていた奴でさえ気付かない程なのに、印象だけは強烈だった。
八戒は俺とは逆だった。悟浄が部屋から出る時間を狙って、わざわざ二階に用事を作ろうとした。見たがったんだ、悟浄を。それでも部屋の外で奴を捕まえるのは骨だった。本人が逃げてるんだから当たり前だ。それでますます意地になった。俺にはもう奴が何の花持ちだろうが大人しくしてるんならどうでもよくなっていたが、八戒はそうじゃなかった。もう構うなと止めたら逆に食ってかかられた。
「貴方が素性が気になるって言ったんじゃないですか」
俺は憑かれたような八戒のことも何となく怖くなった。それからだんだんと、俺と八戒は話をしなくなった。
ある晩戸締まりを終えて灯りを落とし、さて寝るかと暗い廊下を歩いて角を曲がったら、そこに悟浄がいた。雨戸の隙間から漏れた明かりは極僅かで、柱に凭れた髪の縁が赤く光っていなかったら誰だか分からなかった。俺は何とか平静を装って何か用かと尋ねた。
「頼みがあんだけどな」
煙草の煙がすうっとこちらに延びてきて、俺は思わず一歩後ずさった。言い忘れたが、悟浄の声というのがまた驚くほど平坦で人形のようだった。わざとそうしてたんだ。
「あの眼鏡の坊やに俺の回りちょろちょろさせんのやめてくんねぇか。鬱陶しい」
俺がさせてる訳じゃなかったが、最初にけしかけたのは確かに俺だ。仕方なく伝えると返事した。
「伝えろと言ってんじゃねえ。やめさせろ」
俺はこの晩のことを八戒に言わなかった。八戒と、悟浄の話をするのはもう嫌だった。八戒は相変わらず毎晩茶を運び、襖ごしに話をしていた。そしてとうとう部屋に入るのに成功した。というよりそうしないといつまでもやめないと思ったんだろう、八戒を部屋に入れて望みどおり花を見せた。
「気がすんだか?」
椿だった。左の肩から這って右の腰の辺りまで舐めた真っ赤な椿。
刺青自体が肌に傷をつけるもんだから言い方は変だが、皮膚をはぎ取ったような傷そのものに見えて、凄まじかったそうだ。俺はそれを聞いて気分が悪くなったが、八戒は「綺麗だ」と形容した。もう、どうかしてた。
さっきの花持ちの文句、覚えてるか。赤い椿は首が落ちる。
変だろ。他の花ははっきり何だと説明してあるのに、椿だけ意味が分からない。花弁が散るでもなく一枚ずつ枯れるでもなく突然首がもげたようにぼたっと落ちる奇妙な花。
俺は初めて主人のところへ行って悟浄のことを全部話した。跡継ぎの話はこれでなくなると思ったが、もう黙っていられなかった。主人は相変わらず床に伏せっていたが、俺の話を聞き終わると真っ直ぐ起きあがった。体は弱っていても眼光はまだまだ鋭く、俺は叱られるものと居住まいを正した。
「追い出したりすんじゃねえぞ」
「…は?」
「椿の機嫌を損ねるような真似はするんじゃねえ。他のお客さんと同じようにな、丁重に扱え」
俺は吃驚して何故かと聞いた。何故花持ちを丁重に扱わなきゃならないんだ。その時の主人の顔は何とも不思議だった。随分経ってからぼそりと呟いた。
「首が落ちるからだ」
それ以上の説明はなかった。俺には花持ちに関する知識が無さ過ぎた。そこで老人衆…商家の隠居だの番頭だのにも尋ねたが、元々花自体があからさまに口にする類の話ではなかったうえに、椿となると一層口が重かった。椿の話はするな。椿と目を合わせるな。それだけを繰り返した。
もう遅い。八戒は悟浄に夢中だった。悟浄に惚れたんだか花に惚れたんだか知らねえが、毎晩毎晩悟浄の部屋で夜明かしした。俺は悟浄の素の顔も素の声も知らないままだった。
何故花なんだろうな。綺麗なもんじゃねえか。何故もっと疎ましいものを差別の象徴にしなかったんだろう。一度百合とすれ違ったことがある。あちこちで袋だたきにあってボロキレのようになってたが、腕を這った百合は無傷だった。本当に綺麗だった。肌の上にあるというだけで、実際の花より更に美しくて野蛮だった。許されるならいつまでも眺めていたかった。もしかしたら墓など持たずに死ぬ奴らに、生きてる間に世間が手向ける花なんだろうか。それとも人間の暗闇を引き受けた花持ちに、唯一施された希望なんだろうか。
悟浄が宿に来てから2週間ほど経って、辻斬りが出た。早朝、道端に忽然と死体が現れる。数日おきに、計3,4人が死んだ。誰も騒がなかった。死人の身内も、役所に届けもしなかった。まるで寿命を全うしたかのような静かな葬式が出た。その都度奉公の連中から数人を手伝いに出し、三回目の葬儀には俺と八戒が出向いた。老舗宿所の跡継ぎと噂されていた俺たちは丁重に謝辞を述べられ、黙々と香典の整理を手伝っていた。俺はひさしぶりに近くで見た八戒に驚いた。前から整った顔立ちではあったが喪服のせいなのか色がますます白く、目の色はますます濃く、はっとするほどの美貌だった。
椿は
俺と八戒は凄い勢いで振り返ったが、喪服の弔問客の黒波のどこからそのセリフがでたかは分からなかった。
今年の椿は何人殺
気が付いたら俺は八戒の腕をひっつかんで境内の裏まで引っ張っていた。
「悟浄じゃねえか!」
八戒の表情はまったく読めなかった。
「悟浄なんだろ辻斬りは。首が落ちるってそういう意味か。知ってたのか?」
八戒は、微笑った。
微笑っただけで何も言わなかった。俺の手をそっと外すと、喪服の襟を直して、また人波に戻っていった。
処刑人には二種類いる。ひとつは文字通り処刑場で罪人の首を切る役人だな、これは昔から菊の役目だった。もうひとつが椿だ。これもお上から直で雇われてるって意味では役人だ。法に触れない悪事をやらかしたり、悪事でなくてもお上の邪魔になったり、何もしてなくてもこれからしそうだったり、しそうでもねえけど嫌われてたり…とにかく正規の手続きを踏めない処刑を実行する。椿の殺傷は勿論法には触れない。つまり悟浄には人を殺す権利があったんだ。
おい、驚くところじゃねえぞ。いつの時代もそういう役目の奴はいたし今もいる。おまえが知らないだけだ。上にいる奴は何をしてもいいんだ。人が人を裁き合ってる世の中に公正だの正義だのはあり得ねえんだよ。だろ?
俺には人を殺した奴が、殺せる奴が、傍にいて平気だというだけでも正気の沙汰じゃなかった。「首が落ちる」の意味は、悟浄の機嫌を損ねたらこっちが首を落とされるという意味だと思い込んでいた。本当は逆だった。首が落ちるのは、あくまで花のほうだった。
悟浄は「今年の椿」だったから、上から殺せと言われた奴だけを殺した。その後、自分の首を掻き切った。それで終わりだ。
最初からそういう役目だった。仕事を終えたら口封じに落とされる花だった。椿は生殖機能がないか同性愛者かのどちらか、つまり子供を残せないか残す気のない奴だそうだが、奴がどっちだったのかどっちもだったのかはこの際どうでもいい、俺は悟浄も人間だということを忘れていた。花持ちも人間だということを忘れていた。声音を消したあの口調、気配を殺したあの行動の裏で何を思っていたのか想像もしなかった。八戒をはね除け続けた悟浄の気持ちなんか、ましてやその悟浄に惚れた八戒の不思議な微笑の意味なんか、まるで考えなかった。考えたのは随分後だ。
椿に近づくな、の本当の意味は、近づいて知って関わっても、ましてや惚れても1年で首が落ちるからだ。
悲しいからだ。
悟浄には人を殺す権利はあっても、自分を誰かの記憶に残していいという権利がなかった。誰かを好きになる権利も誰かに好かれる権利もなかった。何もなかった。
…八戒か?さあなあ、どうしただろう。悟浄がいなくなった後宿からふっつり消えて、そのまんまだ。椿と椿に惚れ込んだ奴が、もう先なんか何もないふたりが、町中で一番遠くまで景色が見えるあの部屋で、何を話して何をしたんだろうな。俺には想像もつかない。
信心の欠片もねえ俺が俗世間と縁を切って寺なんぞにいるのはそういう訳だ。死ぬほど退屈だが冬が長くて花が咲かない。
…長ぇ話だったな。もう寝ろ、悟空。
fin
…く。長い…。
キリリクで書く話じゃない…のですが柚原様よりのリクが
お花絡みで本編外伝CP問わず(でもCPはあり)。
わーいと好きなモノを書いてしまいました。すすすすいません。
CPは…八と浄…三と八……?
キリ番を「2回踏む」という方が多いのが不思議です。
私も2回踏みました。うちで。
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