飛 ぶ に は 寒 い


 

 


 1週間前からひとりの男を監禁している。
 誰にも見とがめられないようこっそりと、日に三度食事を運び、そこで1時間程過ごし、空だったり手つかずだったりする食器を下げて、部屋の外から鍵をかける。本人同意の上ではあるがそれも今に限った話。
 ポケットに手を突っ込んで鍵を握りしめ、深呼吸した。扉を開けるのに、ぼちぼち覚悟がいる。軍部宿舎から離れたこの部屋なら、中でいくら暴れても声も音も漏れない。だが昨日は部屋に入った途端フォークが飛んできて、手首の皮を危うく削いだ。相手は立派な成人男子、しかも軍人。死にもの狂いで暴れられたらこちらも無傷とはいかない。
 …いい子にしてろよ。頼むから。



「僕に何か隠してませんか」
 天蓬は今日も今日とて本のページを繰りながら、のんびりと呟いた。
「山ほど隠してるけどどれのことかな」
 床から灰皿に向かって延びてきた捲簾の、左手首の上に本が落ちた。
「いっ!」
「それです」
「…腱鞘炎」
「いつから利き腕が逆になったんです」
「刀は右手でヌくのは左だ。隠してて悪かった」
 天蓬は微笑んだまま轟音を立てて本を閉じ、捲簾は小さく肩を竦めて床からソファーに座り直した。
「話は前に進めましょうね。僕はあまり気が長い方じゃないんです」
「短い方だ。謙遜すんな」
「東方軍にいた頃に貴方がさんざん苛められてた機動連隊長、クビになりましたよ。先週」
「苛めてたんだ」
「ヤク中で。鎮痛剤溜め込んでたらしいです。西方軍にもいそうですね。ひとりやふたり」
 捲簾はしばらく手首をさすりながら天蓬の笑顔を眺めていたが、やがていたずらっ子のように笑ってソファーにひっくり返った。
「もうバレたってか〜。後つけた?」
「何故かたまたま貴方が前を歩いてたんです。隠れて犬でも飼ってるのかと思ったら人ひとり監禁とはね。何考えてんです」
「手っ取り早い。3週間ありゃクスリは抜ける」
「早けりゃいいのはトイレだけです。きちんと医局に報告して治療を」
「駄目だ。上にばれたらあいつ二度と軍に戻れねえ」
 自業自得だろうがと怒鳴りたいところを、天蓬はすんでのところで呑み込んだ。捲簾が駄目だと言ったら何が何でも駄目なのだ。医局といっても治療と称してやることは監禁と変わらない。医者にされるか捲簾にされるかの違いだ。
 戦場に出るストレスに耐えきれず薬に手を出す輩は多い。好奇心で試すぐらいのことは、天蓬にも捲簾にも経験はある。ハマるとなると話は別だ。そもそも面倒だ。金もかかるし手間もかかる。大概の連中はそこで引き返す。が、何年かに一度は何をどうしたものか立派に中毒患者にまで出世する者が出て、医局経由で除隊処分を受ける。
 …どうしてこう、この男は身内に甘い。だいたい手放すに惜しいほど価値のある男が薬に溺れたりするものか。
 異論を喉から指先に移し替えて、天蓬は乱暴に吸い殻を押し潰した。
「…貴方に何かあったら、彼、飢え死にしますよ。念のため僕にも鍵の在処を。共犯になります」


 その晩、天蓬はまだ渋る捲簾にくっついて監禁場所に出向いた。
「ひくなよ」
「は?」
「一番キツい時期だから。すぐ落ち着くけど、波があって」
 捲簾は手首の傷をトントンと指でついて見せた。天蓬が頷いたのを確かめて捲簾は扉を小さくノックし、額をくっつけんばかりにして小声で囁いた。
「俺。入って平気?」
 天蓬はぎょっとして捲簾を見た。何だ今の甘ったるい声音は。
 中から微かに返事らしき声がしたが、後ろの天蓬までは届かない。捲簾は小さく舌打ちした。
「おまえ外にいて。今やべえわ」
「何が」
「荒れてる」
 捲簾は忙しなく鍵を外すと中に滑り込んで背中で戸を閉めた。
 つもりだろうが正確には天蓬が下駄の先をねじ込んだせいで、閉まりきりはしなかった。
 捲簾に支えられた男の顔はここからはよく見えないが、確か捲簾直属の抜刀隊のひとりだった。か?
 天蓬は「人の名前と顔を覚える」ということにかけては天才的に無能だったので、というかその方向に知性を割いていなかったので記憶は多分に怪しいが、きっと余程の有望株なんだろう。捲簾は剣の使い手には問答無用に思い入れるタチだから。そうだきっと。それだけだ。
 戦場で出回るのはたいがい阿片、禁断症状も激しい。彼の声はほとんど荒い呼吸で聞き取れず、捲簾のほうは小声で聞き取れない。でも、甘い。
「…大丈夫。もう少しで楽になる」
 天蓬は扉をそっと閉めた。途端に足が縺れて、思わず壁に手をついた。
 
「…お。待っててくれたんだ」
 捲簾が部屋から出てきた時には40分は経っていた。
「月が綺麗で」
「素敵な言い訳。ときめいたね。月はどこよ」
 捲簾はくすくす笑いながら、天蓬の隣に並んだ。40分間ずっと握っていたアークの箱を差し出すと、いつもは不味いと手も出さないくせにあっさり1本引き抜いた。
「悪かったな」
「別に勝手に月見てただけですし」
「だから月はどこだよって話だし」
「呑みたい気分なんですけど、どうですか。奢りますよ」
「…なんだ?今日はえらく優しいねおまえさん」
 捲簾はしばらく甘ったるい煙の行方を眺めていた。
「怖ぇな」


 数日後、彼は夜中に「何かの急性中毒症状」でふらふら敷地内を歩いているところを保護され身柄を医局へ移された。捲簾は、竜王の口から彼の除隊辞令を聞いた。
「残念だが致し方ない、他の者に示しがつかんからな」
 捲簾は一礼して退室し、回廊を抜け、軍部棟を抜け、部下たちがどう声をかけたものかと戸惑う前をさっさと通り過ぎて、外へ出た。
 天蓬は二階の部屋の窓から、遠ざかる捲簾の背中を見送った。どうせ今日は一日木の上でサボる気だ。自分を正面から問いただしたりはしない。済んだことをグダグダ言う男じゃない。捲簾にも引け目はある。明日になったら何事もなかったように「おはよう」を言いに来る。それで元通りだ。でも。
 …今のうち追いかけて、言い訳したほうがいいだろうか。
 しょうがないでしょう。貴方のためですよ。今回なんとか乗り切ったところであんな心の弱い輩はまたすぐ薬に逃げる。貴方は何度も裏切られる。費やした時間と労力を裏切られる。声も優しさも裏切られる。そうしたら貴方、悲しいでしょう。だからです。だから。
 突然、捲簾が振り返った。
 その目。
 しばらくぼんやりしていた天蓬は、のろのろと手を伸ばして窓を閉めた。それでも足りず少しでも窓から離れようと勝手に体が後ずさり、ぶつかったソファーに膝をさらわれてすとんと腰が落ちた。

 …悪いのは貴方だ。あんな声出すから。

  呼び戻すにはもう遠い。
  飛び下りるには、もう寒い。



fin

ねこ三四郎様のリクエスト「天蓬の作戦」。
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