あ の 人 の 憂 鬱
「最近猿が異常に懐いてくるんだけど」
「あらそうですか。僕もですよ。頼んでもないのに買い出しに着いてきますし」
「おやつ買って欲しいだけじゃねえの」
「着いてこなくても買って帰ってるじゃないですか」
悟浄と八戒は並んで用を足し並んで手を洗った。
「貴方とふたりになるのひさしぶりですね。必ず悟空がいるような」
「それがトイレってのも何だか…」
言い終わる間もなくバタンと扉が開いた。
「やっぱここかぁ!そろそろ買い出し行くだろ!?」
これは変だ。
今日の買い出しは量が多くなりそうなので、八戒は最初から悟浄か悟空のどちらかを誘おうとは思っていた。できれば三蔵を、いや三蔵でなくても一行の誰かをひとりにすると厄介事に巻き込まれるのは経験上ストーリー上もはや必然の真理といえよう。面倒はできる限り回避したいものだ。
「悟空、今日は三蔵とお留守番しててください」
「やだ」
「我が儘ぬかすな。大人しく待ってろ」
「やだ」
ふたりは顔を見合わせた。
三蔵を避けているのだ。三蔵と悟空がまともに喧嘩する訳はないから、これはやはりつまりどこかで根拠のない誤解が生じているに違いない。ふたりにじっと見詰められて悟空はしどろもどろに呟いた。
「…三蔵、俺がいると嫌そうだから」
「そんな訳ねえだろ!」
「そんな訳ないです!」
「三蔵はおめえが可愛くってしょうがねえんだ分かんねぇのか馬鹿!」
「そうですよ、きっと寂しく思ってますよ!」
「一緒にいてやれ!」
「話せば分かります!」
両側から肩を掴まれぶんぶん揺さぶられて、悟空にはふたりの動きを止めるために頷くほか手がなかった。首を傾げながら宿の階段を上がっていく悟空を見送り、扉が開いて閉まる音がしたところで、八戒と悟浄は無言のまま大慌てで宿を飛び出し角を曲がったところでようやくほっと溜息をついた。
「やっとふたりきりになれましたね悟浄!」
「そっちかよ」
八戒は隙あらば宿の方を気にする心配性の悟浄をずるずる引きずって街に向かった。
「今日はしばらく帰りませんよ絶・対・に!まずお茶ですお茶。お茶して手をつないで散歩して食事して映画みて呑んでホテルでフルコースです。あのお馬鹿なふたりをふたりっきりにしてやろうという親切心と僕と悟浄をたまにはふたりっきりにさせてくれという切なる願望から!」
願望が親切を明らかに上回っている。
「か、買い出しは?」
「ああ買い出しね。買い出しもしましょう。やはりショッピングは外せませんね!」
忠実なる下僕にお馬鹿呼ばわりされた事など露知らず、三蔵は憂鬱のまっただ中にいた。
憂鬱の種は当然悟空だ。
悟浄と八戒がベタベタ鬱陶しいのは前からで、種どころか発芽して今まさに毒花満開といったところなので三蔵としては「仕方がないので水でもやるか」という境地なのだが、悟空に関してはまったくの予想外だった。
誰が。
誰が捨て子猿の常軌を逸した成長速度を予想する。これを詐欺と言わずしてなんと言おう。「悟空はもう子供じゃないんですから無下にしちゃいけませんよ。ちゃんと僕らと同じ目線で話してあげないと性格が歪みます」などと既に歪んでしまった保父のアドバイスを受けるまでもない。子供扱いに慣れて子供ポジに収まってはいるが、何かの折りに返ってくる返事はもう立派に大人の男だ。分かっていても急には変われない。参った参ったと思ってるうちに、いったいどう扱っていいのかさっぱり分からなくなり、しまいにはふたりでいると何とも息苦しくなってしまった。
苛々と机の上のマルボロに手を延ばした視線の先に、いきなり悟空がいた。
「わあ!いつからそこにいた!買い出しに着いてくんじゃなかったのか!」
「と思ったんだけどさ」
悟空は三蔵の向かいの椅子に腰かけ、しばらく黙ったあと椅子ごとガタガタと三蔵のほうに寄ってきて隣に落ち着いた。
「…まあ、たまにはごじょーと八戒をふたりにしてあげないと色々と…」
だから何故いつからそういうことを考える。
「おまえはそんな余計な気遣いせんでいい」
「何で」
「…何だかそういうことはして欲しくない気がする」
またストンと沈黙がおちてしまった。
とりあえず煙草を口に銜えたところで、悟空がさり気なく火を近づけてくれた。
「お、悪ぃ」
三蔵はゆっくりと煙を吸い込み、いきなり吹きだした。
「だからおまえはそういうスマートな気遣いせんでいい!びっくりするだろうが!ああびっくりした!」
「俺はじゃあ何しろっての!何が気に入らないんだよ!妖怪ぶっ殺して飯食って寝てればいい訳!?」
「そんな事言ってねえだろ!」
「言ってるよ!」
言ってるな。
三蔵が吹いた勢いで散らした灰を「何だよひでーな三蔵のばーか」などとブツクサ言いながら綺麗に払ってゴミ箱に捨てるのを、三蔵は宇宙人でも見るように眺めた。
「…灰散らすと八戒が怒るんだよ」
うん、そうか。そうだな。これはごく普通の躾だな。そうそう。…ああ。
もっと普通にまともな同年齢の奴が身近にいれば、そいつを扱うように扱えばいいのだろうが、八戒はどう考えてもちょっと何かのベクトルが違うし、悟浄ほど穢れてるとは思いたくない。
ぐだぐだ悩んでいても仕方がないので三蔵は率直に話すことにした。
「俺はだな、おまえをペットか子供だと思っていたわけで、即ちそのように扱っていた訳だな」
「…うん」
「しかしどうやら最近違うようだ」
「ようだ、じゃないよ…」
「じゃあおまえは俺の何だ。友達か?」
うんと言われたところで友達の扱いも三蔵にはよく分からない。はたと気付けばこの一行に真っ当に「友達関係」にある奴などいないのだ。元親友同士がいるが見事に腐ってしまったし、強いていえば悟浄と悟空か。…そんな関係を築くのは三蔵が三蔵である以上無理だし嫌だし冗談じゃない。
「…つまり三蔵は何、俺と一緒にいるのが嫌なの?」
「いや、是非いたいが」
率直すぎた。
「…いや、いるのが普通だ」
「そっか」
「そうだ」
「じゃあ家族だ」
家族。
不思議な言葉だ。…家族。
「…ペットも子供も家族じゃねえか」
「ペットや子供は一生一緒にはいないじゃん。そういうんじゃなくてもっと…えーとほら…ごじょ〜と八戒は家族だよ」
「ありゃ家族か!?」
「家族じゃなきゃ何なの」
何なのって言わせるかそんなことを。
「八戒が言ったんだよ、悟浄と僕は家族ですよって。旅が終わっても同じ家に帰ってふたりでずっとずっと一緒にいるんだって。一緒にご飯食べておいしいですねって言って一緒に寝て起きておやすみとおはようを言ってお正月も誕生日もお祝いしておめでとうって言って、どっちかが死ぬときも一緒にいて、悟浄が死んでも死んだら行くところでちゃんと待っててくれるから寂しくないんだって。八戒が先に死んでもちゃんと悟浄を待ってるから、それを悟浄は知ってるから悟浄も寂しくないんだって。大切に大切に大切にして絶対に寂しくなんかさせないんだって。それでまた会うんだって。何度でも会うんだって。ちゃんと何度でも言うんだって」
羨ましくて羨ましくて涙が零れそうだ。
なあ悟空。じゃあ、家族だ。
何度でも好きだって言うんだって。
ずっとずっとずっと好きだって言うんだって。
分かったよって笑われるまで、何度でも。
fin
39本命崎谷たくみ様のリクは「三蔵が悟空が好きなことが分かる話」。
それさえクリアしていればふたりが出なくてもいいということでしたが私の本命も混ぜてこんな感じで。
あ。と言う間にできました。びっくりした。最短記録です。凄く楽しかったです。
八戒も楽しそうで良かったね。
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