悟浄は夜コーヒーを呑むのが嫌なんだそうだ。
食事も酒も夜も一日も全部終わりだという気がして。
全部終わり。
「話があるんだけど」
悟浄の気持ち堅めの声に、八戒は強いて軽く応じた。
「でしょうね」
「わーばれてるし。さすが八戒」
八戒は曖昧に笑うと、悟浄がぺたんと座り込んでいた土手の横に腰を下ろした。買ったばかりの荷物が斜面を転げ落ちていかないように、動揺してもうっかり動けないように、背中に凭せ掛けて。
悟浄には、こういうところがある。相手に先に「いつもと違う」と気付かせるところが。こちらが不意をつかれないように覚悟する時間をくれる。怪我や悩みを隠そうとする時、悟浄はまず自分から騙す。そんなものはないと自分で信じてしまう。平気。大丈夫。痛くない。苦しくない。そして本当に痛みを感じなくなる。
気遣いから人との間に築き上げてしまう壁や、気遣いからそれを不意にぶち壊してくれる器用さが、悟浄に自覚がないだけに見てる方にはたまらない。
買い出しの荷物持ち。
絶対に断りはしないが、いつもなら如何にもめんどくさそうに足を引きずってついてくる悟浄なのに、今日は八戒が万能カードを受け取って立ち上がり「さて」と言った途端もう扉を開けて待っていた。
蜩が鳴き出し風がようやく心地よくなった夏の夕暮れを、今か今かと待ちかねていた人々がどっと市場に繰り出す時間。普段八戒の右側を歩く悟浄が、今日はくるっと左に回った。
「…どうしたんです?」
「なにが?」
軒先の日陰側に入れてくれたんだと気付くまで数秒。
町はずれのこの土手に来るまでに、少しずつ少しずつ八戒は覚悟した。
優しくされると言うことは、だ。
と言うことは。
どっちだ。
悟浄とは、よくひとつのベッドで寝た。気も合うが肌も合う。お互いがお互いのお気に入りの毛布かぬいぐるみみたいな感じ。昼間どんなに喧嘩して気まずかろうが、一旦布団に潜り込んでしまえば解決する。髪も腕も肩も目も唇も声も全部お互いの好きにできる。どれだけ狭い寝床に体のどこを重ねて寝ようが一度も邪魔だと思ったことがない。悟浄もきっとそう思ってくれていたはず。なのに、うっかり。
「やなんだよな、それ」
昨晩ベッドの傍でコーヒーを啜った八戒に、悟浄が腹這いのまま呟いた言葉にカチンときた。
「僕だって、した後に貴方に煙草吸われると嫌ですよ。これで終わりって言われたような気がし…」
悟浄は弾かれたように八戒を見た。
八戒も自分に驚いて言葉が続かなくなった。
それで、友人同士、仲良くやっていく為のちょっとした遊びが遊びじゃなくなった。
「ちゃんと」
それだけ言って、悟浄は何度も膝の上で指を組み替えた。夕陽の照り返しで全身真っ赤に染まった悟浄の指が、最後の光を味わうように前に伸ばされる。
「ちゃんと、返事したほうがいいよな」
夜のコーヒーを淹れる時に自分がどんな顔をしているのか知らないが、その日最後の一服を味わう悟浄のような、今の悟浄の横顔のような、こんな顔をしてるんだろうか。
遠くを見る目。気怠そうな、でもどこか穏やかな。
一日の終わりがくる。
太陽の終わり。
夏の終わり。
世界の終わり。
たった数時間の恋の終わり。
一旦きっぱり悟浄を諦めた八戒は、再び淵から足を滑らせた。
どっちだ。
吐き出す煙に勢いがなくて、いつまでも悟浄にまとわりつく。その煙に妬いていた。
毎朝。
毎晩。
朝に似てる。
あまりにも始まりに似すぎてる。
fin
セキアカコ様へ誕生日プレゼント…にしてはどうだか(いつものことです)。
とりあえず二度と過ちは繰り返さない。ちゃんと誕生日に送りました。
小説って華がない。プレゼントって感じがしない。
もしもピアノが弾けたならソナタの一曲でも献上するのに
私に弾けるのは「猫踏んじゃった」と「エリーゼのために」だけです。
猫踏んじゃった…すごいタイトルだ。踏んじゃったって。気をつけろよ。
夏が終わる。そしてまた来るという感じ、とのリクでした。
難しいよエリーゼ!
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