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 朝起きたら凄いことになっていた。
 もういつ雪が降っても不思議じゃない寒空だというのに汗はびっしょりで、心臓は痛いほどばくばくいっていて、あがった息がおさまらなくて、熱くて熱くて、おまけに。
「何事ですかいったい」
 思わず口に出してみたが、何事も何も自分のことだ。深呼吸を何度かくりかえして、八戒はベッドを滑り降りた。床の冷たさが心地良い。
 とにかく、悟浄が起きる前になんとかしないと。朝食作りは後回しで、洗顔と、風呂と、洗濯と…
 鏡を覗いて、思わずその場にへたりこんだ。
「だから何事なんですかって!」
 目は潤んでるわ肌は火照ってるわ、したばっかりの獣みたいじゃないですか。ああそう言えば夜中にこっそり帰ってくる悟浄はよくこんな顔してますね。汗だの香水だの酒だの煙草だのに体臭そのものだのが混じりまくった、直接体の奥ににガンとくる匂いをまき散らして後ろめたいような甘えるような、見ててイライラすればいいのか抱きしめればいいのか分からないあの顔。
 …後ろめたい?
 別に後ろめたい事なんてないですよ。夢の責任までとれませんしね。
 八戒は勢いよくシーツとパジャマを洗濯機に突っ込んだ。


「…おはよ」
 悟浄がリビングに姿を現したのは、いよいよ午前が終わろうというギリギリの時間だった。
 今朝の同居人は八戒に負けず劣らずひどい顔だ。ただでさえ赤い目が、白くあるべき部分まで真っ赤で妖怪のようだ。
「最近夜遊びしてないのに、どうしたんです」
「…あー…だからかな」
 ぼりぼりと頭をかきながら、悟浄はようやくソファーまでたどり着いた。目が泳いでいるのに気がついて、煙草と灰皿を手渡してやる。
「なんか…変な夢見た…」
 勝手に跳ね上がった心臓を、しかし八戒は非常な努力で落ち着かせた。
「そ、そうですか…夢見が悪かったんですね」
「…悪かった…つうか…良かったっつーか…疲れた…」
 僕も疲れましたよ。死にそうに。
「コーヒーでもいれますよ。それとも食事に…」
 言いかけて八戒は、唐突に悟浄の胸ぐらをひっつかんだ。
「んだよ、煙草、危ないって!」
「なんですかこれは!!」
 悟浄の左の首筋、鎖骨の少し上に、くっきりとついた赤い跡。
「…なんですかって?」
 ぼんやりした反応にいらついて、八戒は寝起きの悟浄を容赦なく怒鳴り飛ばした。
「キスマークですよね!?キスマーク!」
「…そう、かな?」
「いつ、誰が、どこで!」
 ソファーごと壁までぶっ飛ばされそうな剣幕に、悟浄はようやく真剣に記憶を辿った。
「…………さあ」
「さあって」
「だって最近、女抱いたの…先週…か、その前…ん?そんなの残んねーよな…」
 八戒はしばらくまじまじと悟浄の真っ赤な目を覗き込んでいたが、やがてため息をついて体を離した。
「…もういいです。分かりました。僕が悪かったんです」
「…そうなの?」
「それつけたの、多分僕です」
 妙な沈黙。
「…つまり…おまえ俺の寝込み襲っ」
「そんなことする訳ないでしょうが!」
「今そう言ったじゃねーか!」
「僕以外にいないから、多分僕だって言ったんですよ!だって昨日はなかったんだから!」
「訳わかんねえ、分かるように話せ!」
 分かるように話せ?言えるわけないじゃないですか。昨日夢で貴方としたなんて。消えてしまわないように、おもいっきりきつく吸い上げたあの跡が、同じ場所にあるなんて。
「……もしかして僕は夢遊病の気があるのでは」
「ないない」
 悟浄はあっさり手を振った。
「おまえ寝相すげえいーよ。寝付きもいいし寝ぼけたことも寝言聞いたこともない」
「わかんないじゃないですか、そんなの。今まではそうでも」
「昨日は俺、部屋のドアに鍵かけて寝てたし」
 自分がこんなに動揺しているというのに、この男がどんどん落ち着きはらってくのはどういう訳だ。
「じゃあ、じゃあ貴方も寝ぼけてて鍵あけたかも」
「ねーよ」
「僕が窓から入ったとか」
「冬だぜ冬。窓も鍵かけてました。コーヒーくれ」
「悟浄!」
 ぽんと肩に手が置かれた。
「あのさ」
 悟浄は八戒をまっすぐ見た。夢ではなんとなくぼやけていた彼は、やっぱり偽物だ。本物はこんなに鮮明で、あったかい。
「怒るなよ?」
「…はい?」
「昨日、おまえとやる夢見た」
「はい?」
「夢でここんとこにキスされてさぁ、あんまリアルだったから俺の思いこみでついたんじゃねーかなーって。ほら、聖痕とかあんじゃん?自己暗示で血が出たりするアレだ」
 僕の夢遊病よりあるわけないじゃないかそんなこと。
 同じ夜に同じ夢を見るなんてこと。
 黙り込む八戒に、悟浄は困ったようにふっと笑った。
「…ごめんな?」
「…なんで貴方があやまるんです」
 慌てて済ませた洗濯物が、風に煽られて揺れている。



fin

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