暇つぶしによくやる遊びだ。
 俺は向かいで退屈そうにカフェオレを掻き回している悟空の爪先を、机の下でトンと突いた。
「…何、三蔵」
「今入ってきた客」
「お」
 悟空は直ちに了解して、さり気なく店の入り口に目をやった。
 この喫茶店は駅のそばだが地元の人間でもなかなか気付かない奥まった路地裏にあって、昼間から薄暗くて閑散としている。いい豆を揃えて器にも凝っているが、採算度外視のマスターの愛想は極めて悪く、滅多にカウンターから出てこない。コーヒー以外のメニューもほとんどない。要するに地元の年輩客で保ってる通好みの店だ。店内の客は俺たちを除くと、窓際でゆったりコーヒーを啜っている初老の紳士と、たった今扉を押して入ってきた二十歳前後の男の4人だけ。
「…じいさんの連れ…って訳じゃねえな。学生か」
「この店に来たのは初めてっぽいね。席がどの辺まであるか、今確認した」
 男は店内をぐるっと見渡すと、真ん中を横切って壁際の席についた。
「あーありゃ待ち合わせだ。ひとりだったら窓側に行く」
「相手は女かな」
「男だろ。店の指定は相手がした。女好みの店じゃねえよ」
「分かんないよ?別れ話しようとしてるとしたらぴったりじゃん。それに凄い二枚目」
 男はマスターに慣れた調子でモカを注文した。
 落ちついた声と穏やかな物腰。見た目よりは年が上かもしれない。
「モカだと。貧乏学生って訳じゃねえな」
「三蔵、あの灰皿の移し方見た?煙草は吸わないけどこれから来る相手は煙草を吸う」
 非喫煙者の悟空は、いつも俺にするように灰皿を押し出してみせた。
「…だな」
 俺たちは相手に怪しまれないよう外に(といっても向かいのビルの壁だが)目をやりながらひそひそ話した。
「品行方正な好青年。大学生。目つきに特徴があるから多分近眼。あのシャツb-basの春の新作。地味だけど時計も靴も安物じゃねえし手も顔も綺麗だから、わりといいとこの坊」
「…普通すぎ。待ち合わせ相手に期待ってとこ?」
「あいつのダチなら似たようなタイプじゃねえか?植物性の」
 どうも対象としてはいまひとつ面白くない相手だった。
 ところが2,3分たった頃、もうひとり客が入ってきた。
 カップを持ちあげていた好青年の手が、一瞬止まった。
「…おいおい、予想外の連れだぜ」
 髪が赤い。サングラスを鬱陶しそうに外したその目がやたら鋭い。
「な、何。チンピラ?ホスト?消費者金融の取り立て?」
「こういうのはどうだ。好青年は実は学生兼小説家でヤクザ編集と打ち合わせ」
「あ、それいい。さすが三蔵」
 男はまっすぐ壁際に歩いていき、音を立てて好青年の向かいに腰かけた。
「よ」
 好青年は軽く眼鏡を押し上げた。
「…遅刻」
「わり。俺ブレンド」
 思わず悟空と顔を見合わせた。
「…外れだ」
「どうやら立場は同じか、好青年のほうが上っぽいよ」
「ろくでなしの勘当息子と、見捨てようにも哀れで見捨てられない優等生の弟ってのはどうだ」
「兄弟にしては似て無さ過ぎない?」
「じゃあ腹違い」
 悟空はちょっと笑った。
「ドラマチックだね」
 ブレンドが運ばれてくる間、ふたりはひとことも会話を交わさなかった。別にきまずい様子でもない。極々自然に相手を無視しあっている。あそこまでいくには相当深いか長い付き合いがあるはずだ。
「…慣れきってるな」
「…親友か幼馴染み」
 チンピラがジャケットの内側から煙草を取り出しテーブルに置こうとした。その指に、好青年がふっと腕を延ばして触れた。
「…ああ。女にもらった」
「派手すぎ」
 一瞬迷ったらしいチンピラはあっさり指輪を外し、好青年が乱暴にそれをひったくって自分のポケットに入れた。
 …何だか妙に生々しい。もしやできてんじゃねえだろうな。
「…三蔵。今のどう思う」
「赤いのの女関係は乱れまくり。それを責める親友…」
「普通の友達ならほっとくよ。やっぱ兄弟かもしんない」
 壁際のふたりは、ようやくポツポツと喋り出した。当然俺らの耳はダンボだ。
「来週、休みとれそうですよ」
「ふーん。どっか遊びいく?」
「草津。箱根。奥湯河原」
「ジジくせ」
「海外は無理ですよ」
 悟空はもうとっくに飲みほしたカフェオレを口に運びかけて慌てて戻した。
「…学生でもなくって…兄弟でもない…?大学なら半月や1ヶ月行かなくても平気だよね…」
「といって会社員ってふうでもねーんだよな…」
 赤いのはトンと灰を落とした。
「今のうち次の引っ越し先探すって手もあるな」
「ああ…そうですね。今度は海側にいきます?安いですよ」
「家少なくて返って目立つ。しかも地下鉄っきゃねーじゃん」
「今のトコも古くて狭くていいんですけどね。もう半年いましたっけ?」
 おいおい一緒にお住まいか。どういう居住条件だ。
 そもそも、こいつら、何で一度も名前で呼び合わない。
 名前の呼び方で、大抵のことは分かるのに。友達か、それ以上か。
 窓際の初老紳士がゆっくり立ち上がり、俺たちの脇を通り抜けた。紳士に続いて、謎のふたりも立ち上がる。
 職業もふたりの関係も分からないまま帰られたら後味が悪い。
 俺はふたりに目を凝らし、発見した。
「悟空悟空、好青年の左手のブレス、赤いののとお揃いだ。カップル確定」
「え、嘘!袖が邪魔…」
 ふたりはくるりとこっちに向き直った。
 おっと、さすがにここまで騒ぎゃーからまれるか。
 身構えた瞬間、チンピラの服の下で何かが光った。


 暗転。







 外に出ると悟浄はサングラスをかけ直し、袖に散った火薬をぽんぽんと払った。
「正解出すまで待っててやろーと思ったけど日が暮れちまうわ」
「今週のノルマはこれで達成」
 八戒は手帳のリストに二本線を引いて、パタンと閉じた。
「さ。さっさと逃げますよ」
「なぁ、あいつら毎日あんなとこで延々だべってんのかな。普段仕事とか何して」
「黙って」
 八戒はいつも直接手は下さない。そのせいか元々の性格か、テンションの切り替えも早い。ゆっくり路地を抜けたところで悟浄の腕を掴んで走り出し、発車直前のバスに飛び乗った。あっと言う間に街路樹も車も人も一緒くたに流れてく。
 カップル確定か。笑える。ただの首輪がわりだ。
「人間とみなしていいのはもうお互いだけだって何度言わせるんです。他人に興味なんかもったら殺れませんよ」
 悟浄は小さく頷いた。
 …少なくとも同業者じゃないことは確かだ。
 呑気にあんな遊びができるようじゃ。
 
 
fin
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