BRAIN DANCE





「しょうがないですねぇ」
八戒のしょっぱなのセリフがこれだ。

 …しょうがないですねぇ?

 呆気にとられた顔の見本、みたいな顔をしていたと思う俺は。
 孤児院から流れ流れて生きてきた八戒にとって、今一番身近にいて、しかも濃い付き合いをしているのは俺だと思う。人間関係を円滑に運ぶためならソレ相応に努力を惜しまない俺なので、ここは呆れて見せるべきだと思えば呆れてやるし、ここは発砲させといた方がいい場面だと思えば発砲させてやる。馬鹿ザルや、したいことしかやらない鬼畜坊主より余程人間ができてる。要するに八戒の意味不明な言動を、分からないなりに丸ごと受け入れてやるくらいの度量はあるわけだ。
「悟浄はこういうのが好きなんですか。僕にはよく分かりませんけど」
 言葉を失うほど呆れたのは生まれて初めてだ。初体験だ。
 今この瞬間、俺より呆れている奴は世界中探してもいないだろう。
「はい、できましたよ」
 ぽん、と荷物を置くように俺はベッドの上に「置かれた」。
「……あの」
「何ですか。まだ何か注文があるんですか」
 呆れている俺に、いかにも呆れたという表情で八戒は目を向けた。特に怒っているふうでもない。いつもの八戒だ。
「……あのさ」
 何を言えばいいんだ。
「……何これ」
「何これって」
 八戒は、まるで教師が不出来な教え子に向けるような憐憫と愛情の入り交じった複雑な顔をした。ひょっとして俺が間違っているのだろうか。
「それはこっちのセリフですけど」


 典型的な俺らの日常を説明すると、こうだ。朝メシを食って宿を出る。前日に三蔵と八戒が決めたルートを西に向かってひた走る。だいたい2時間おきに休憩して、日暮れまでに次の街に入る。妖怪どもが襲ってきたら殺す。1週間に2度は野宿だな。4人同室ってことはあまりなくて、だいたい八戒が適当に(か故意か知らんが)部屋を割り振る。
 悟空は、何故そこまで全力で生きるのか不思議なほど食ったり笑ったり怒ったりして夜になるとばったり倒れる。
 三蔵は、何故そこまで全力で不機嫌なのか不思議なほど不機嫌に吸ったり飲んだり読んだりして、いつの間にか勝手に寝ている。
 八戒は、何故そこまで以下略。
 今日も典型的な日常の中の、なんてことない一日だったはずだ。
 なのに何故、平和な夕飯の後、俺は宇宙一、銀河系一、呆れるはめになってるんだ。
 ふたりして部屋に戻って、ぱったんと扉を閉めた途端、何故俺が小荷物よろしくきっちり丁寧に緩みもなく縛られて、更に「しょうがないですねぇ」などと溜息つかれなくてはならないんだ。
 頼んだか? 
 俺が縛ってくれと頼んだか?
 心の中では饒舌な俺だが空前絶後の成り行きに、いったい何と抗議すれば八戒がこれを解いてくれるのかさっぱり分からない。こいつは「悟浄はこういうのが好き」だから「僕にはよく分かりません」けど「しょうがない」から縛ってやったと言っているのだ。
 八戒とは何回かやったが、SMもどきの行為を強いたことも強いられたこともない。そもそも女とやる時だって「痛い」と言われたら途端に萎えるくらいだ。人に痛がられるのが嫌だから自分が痛いのも当然嫌だ。で、痛いんですけど腕が。
「どうしたんですか、悟浄」
「ど…どー…どーしたって」
「好きなんでしょう、そういうの」
「そ、そーゆーのって」
「好きなんでしょう?」
 大真面目な八戒に、ふざけるなと怒鳴っていいものか。
「……多分、好きじゃない…と思うんだけど」
「好きなんですよ」
 どうしよう。
 八戒はベッドに置いた俺を自然に無視して、荷物の整理を始めた。
「…おい」
「だから、何ですかってきいてるじゃないですか」
 振り返りもしねえ。しかも口調に苛立ちが混じってきた。この小荷物な状態で八戒を怒らせたら一晩中でも放っておかれるんじゃないかという恐怖で、俺は思わず黙ってしまった。一度黙ると喋り出すきっかけが掴めない。時間が経てば経つほど解けと言いにくい。
 ----なら何で縛ったときに言わないんですか。
 呆れて。
 ----呆れたとしても口くらいきけるでしょう。
 そうだな。
 うーむ…どうしよう。
 身動きができない状態で無視されると言うのは、何だか自分が壁か床にでもなったみたいで、たとえ自分に何が起ころうと人ごとで済むような気楽さが…ない。痛い。
 痛みが、俺が壁や床じゃなく生き物だと間断なく伝えてくる。
 これ、癒しの効果とかあったりして。嫌でも自分とは何かを考えるよな。何だろう俺は。
 まじで何よ。
 ぽてっと横に転がって(というより横倒しになって)目を閉じ自己の探求に耽っていたところ、不意にベッドが揺れて八戒が傍らに腰を下ろしたのが分かった。
「……八戒?」
「はい?」
 優しく返された。それはもう、涙が出そうになるほど優しく。
 虐げられるのに慣れた野良猫が突然そっと抱き上げられたら、こんな感じだろうなっていう感覚。
 八戒の手が俺の髪を撫でた。
 …やば。震えが来るほど気持ちいい。こいつに髪を撫でられる事など日常なのに、俺、どーかしちゃったんでは。
「悟浄。好きでしょう、こういうの」
「……どーだろ」
 俺の正直すぎる応答が気に障ったのか、八戒は髪にからめていた手をそのまま握りしめ、ぐいっと牽いた。
「つ…!」
「好きでしょう?」
 睫が触れ合うほどの距離。とろけそうに甘い声。腕の痺れが脳や舌まで犯し始めたのだろーか。
 八戒が、今、俺だけを見てる。こんな気持ちよさ、他に知らない。
 ところでさっきから縛られた縛られたと言ってるが、何で、どう縛られているのか、間抜けなことに分からない。
 後ろから、つと手首を掴まれたと思ったら「あ」という間もなくガッチリ手首が固まっていたのだ。
 さっきの放置で何だかぼんやりしている俺を、八戒は仰向けにベッドに押しつけた。
「いっ」
自分の体の下で骨が軋む。
「何か?」
 こいつの機嫌を損ねて体を離されることに比べたら、これくらいの痛みなんか全然軽い。
 にしても何でこんなに手際がいいんだ。さっきの速攻縛りは、どう考えても「練習した」としか思えない。俺はネクタイの結び方を覚える時に椅子の脚で練習したけど。
 俺の縛り方を、この涼しい面した男が事前に「練習した」かと思うと何だか…
「いだだだだだっ!」
「余裕ありますね悟浄。考え事ですか」
 骨が割れるかと思うほど凄まじい力で両肩に指が食い込んだ。
「…ごめん」
 どう考えても俺は悪くないのだが、もうそういう問題じゃない。八戒は俺から視線を外して軽く溜息をついた。その溜息がまた恐ろしい。やっと俺に向いてくれた視線が宙を泳ぐのが、たまらなく怖い。
「貴方の好きなこと、してあげてるつもりなんですけどねえ…」
「…はい」
「じゃあ、ちゃんとどうして欲しいか言ってください。口で」
「………え?えーと」
「やめてもいいんですよ?僕には一銭の得にもならないんですから」
 頭のどこかはまだ冷静で、「何様だてめえ」とか「酷ぇ男」とか色々抗議は浮かんだが、ほんの一瞬で立ち消えた。もう恥も外聞もない。こいつにあっさりベッドを降りられたら、またさっきみたいに放り出されたら耐えられない。
「頼むから」
「頼むから?」
「…触ってて」
 言い終わった途端、かっと顔が熱くなった。さ…さわっててって俺。
 その時の八戒の表情なんか死んでも見たくなかったので慌てて俯いたが、このサド野郎が我が意を得たりとばかりにくすりと嗤ったのはしっかり聞こえた。恥ずかしいわ、視線が俺に戻ったのが嬉しいわでもう何が何だか分からない。
「いいですよ」
 八戒は俺の上半身を引き起こして正面に座ると、ぎゅうっと俺を抱きしめた。
 突き放したと思ったらこれでもかと言わんばかりの優しい扱い。好き放題振り回されて、もう俺はこいつのおもちゃだ。
「手首、痛くないですか?」
 吐息が耳朶を嬲ってくる。
「…痛いは痛いけど、いい、この方が」
 俺がうっかり抵抗したり、余計な事口走ってこいつを怒らせないように、上から下まできっちり縛り上げて口まで塞いでくれた方が気が楽だ。さすがにそこまで言う度胸はなかったが。
「痛い方がいいんですか?やっぱり貴方って」
 なんだ、どっちにしろ恥かかされるんなら言えば良かった。
 八戒の唇が耳から首筋へ滑り落ちてくる。密着もしない、完全に離れもしない、お互いの体温や息だけがかろうじて伝わるもどかしい距離が余計に背筋をゾク ゾクさせる。いつ不意に見捨てられるかと思うと、緊張と気持ちいいので、いつもと比べものにならないくらい息があがる。肝心なところは掠めもしない。
「八戒…」
「何です?」
「もっとちゃんとくっついてくんない?」
 これも縛られたまま口にするにはいい加減恥ずかしいセリフだが。
「して欲しいことは口できちんと具体的に言ってくださいって、何度言わせるんです」
「…だから」
「だから?」
 人を虐めて楽しいか。楽しいんだろうな。
「…物足りない、んだって」
「そうですか?」
 また嗤う。憎たらしくて、両腕が自由だったら殴りたいような、お返しにむちゃくちゃにすがりついて掻き抱いてしまいたいような。
「でも息あがってますよ。何だかよさそうですね、触ってないのに」
 何の前触れもなく、いきなり前を撫で上げられた。
「…っあ!」
「お手軽な体で羨ましい」
 一瞬だったのに、背中から頭のてっぺんまで快感が突き抜けた衝撃で体が跳ねた。
 もう…もう視界が…グラグラ…多分涙目になってる、俺。
「はっ…かい」
 心臓が痛いほど打ってて声出すのが辛い。
「何だかしてあげるばっかりで、つまんないですね」
 ぎゃー!ここまできて何を言う。
「ねえ悟浄。僕にしてして言う前に何かあるんじゃないですか?することが」
 必死で酸素を供給して心臓の爆音を2割り増しくらいに押さえ込むと、俺はまた離れようとした八戒の体に自分から上体を押しつけた。どんなに鬼畜だろうが人でなしだろうが意地悪だろうが、今、楽にしてくれるのは、目の前のこの男だけだ。というふうに仕組まれたんだが事実この男だけだ。
 熱すぎる視線を十二分に感じたまま、俺は歯で八戒のジーンズのファスナーを下ろした。こんな屈辱、何でもない。
 八戒の長い指が髪を掻き上げてくれる心地よさに陶然とすらしながら、まだ勃ちあがりもしていないそれを舌で捕まえた。
こいつとやる時に俺が受け身になることはあんまりない。女との時も相手にリードをとらせたことはない。
 相手をよがらせるのが楽しくて事に及ぶようなもんだから、言っちゃなんだがこういうのは、されるがままになってるよりは得意だ。わざと音立てて吸い上げて、こいつのが段階ふんで大きくなるのを確かめてから(永遠に勃たなそうなスカした顔してるからほっとした)わざと口ん中に入れたまま聞いてみた。
「…どお?」
 一拍おいてから、不自然なほどの低音。
「…………まあまあですね」
 何だその間は。
 息が荒れるのを無理矢理押さえ込んだんだと急にきがついて、思わず笑いそうになった。
 さっきから俺ひとりで発情してると思ったが、先に仕掛けてきたの、こいつじゃねえか。わざわざ縛る練習してこんな流れ仕組んでる時点で負けはてめえじゃねえか、余裕ぶっこいて涼しい顔しやがって。こっちは痛いの我慢してんだから、ちょっとじらしてやっても罰あたんねえだろ。
 などと気をそらした途端いきなり罰があたった。
 後頭部を押されて、喉の奥限界まで、つうか既にそこは喉じゃないってところまで容赦なく突っ込まれた。
「………っ!!!」
 声も息も詰まって目の前が一瞬真っ白になる。それだけでも死にそうなのに、この悪魔は俺の髪を無造作に掴んで、2度も3度も充分すぎるほどでかくなった自分のを喉奥に叩きつけた。
「まあまあだって言ったでしょ。手ぇぬかないでくださいよ。ばれないとでも思ってんですか?」
 追い討ちのように「好きで銜えたくせに」と呟かれた。勝手に溢れた唾液と噴き出した冷や汗がシャツの中に滑り込む。このためにわざわざ服も脱がさず突入したのかと思うほど効果的に、濡れた服がまとわりつく気持ち悪さと八戒の暴言で取り戻した余裕が消し飛んだ。
 …このまま犯り殺されたりして。口で。今まで無理矢理奥まで突っ込まれて死んだ奴いねえのかな。
 冗談じゃなく死を意識したが、八戒が俺を押さえつけた手の力をぬかないので、竦みそうになる舌でなんとか愛撫を続けた。頭と体の回線が切れたみたいに。
「やればできるじゃないですか。…もう少し美味しそうな顔したらどうです」
 もう俺の頭には一刻も早くこいつをイかせることしかない。顔まで手がまわるか。
 幾度も血管をなぞり上げていい加減舌の付け根が痺れる頃、八戒がようやく手の力を緩めた。
「悟浄」
「……な」
 咥内からずるっと引き出されたものが目の前でびくんと跳ねた。
「………」
「好きですもんね貴方。こういうのも」
 顔にかけられたと気がつくまで、たっぷり5秒はかかった。
 こ、こんなこと女にもしたことねーのに。
「結構上手でしたよ悟浄。ご感想は?」
 八戒の指が、避けようもなく拭いようもないまま生暖かく濡れた頬をたどって、顎を持ち上げる。服も髪も、いや体中こいつのせいでドロドロで気持ち悪いのに、屈辱と酸欠で眩暈がするのに腹が立たない。
 中途半端な小雨や泥跳ねは不快でしかないけど、大雨だの泥沼だので汚れるとこまで汚れると、訳の分かんないハイテンションになる、あれに近いかもしれない。ただそれが…こいつのってだけで。
 腹が立ってるのはむしろ自分にだ。
「いい顔してますよ。すっごい、やらしい」
 こんな言い草で嬉しがってる俺のどーしよーもない体にだ。
 出した直後に、何事もなかったようにこんなセリフを吐ける八戒の意地は感嘆に値する。
 唇に押しつけられた八戒の指を、こいつが出したもので濡れた指を躊躇なく舐めた。うまい具合に潤んでる目で、視線を八戒から外さないように。
「…誘うのもうまいですね」
 苦笑した八戒の、それでもだんだんぎらついてくる目がたまらない。睫が触れあうほどの距離で、八戒が俺から降参の言葉を引き出そうとしていて、俺は八戒の忍耐が限界にくるのを待っている。
「貴方の頑張りに免じて、手、ほどいてあげますよ」
「…いいよ」
 そんなことはいいから俺の中途半端なものを何とかしてくれ。何してもいいから。
 当然の如く無視された。八戒はベッドに座り込んだ俺の後ろに回ってさっさと両手首を縛めていたものを外してしまった。ぽん、と八戒がシーツの上に放りだしたそれを見て、俺は今度こそ肝を潰した。
「何それ!!」
「手枷ですけど」
 道理でびくともしねえ。
「何でそんな本格的!?つかそれ何!おまえ三蔵のカードでそんなもん買っ」
「誰に向かってきいてるんですかね、その口」
 横っ面張られたように、俺は口を閉じた。
「なんなら三蔵も呼びますか。こんな面白いもの見られると解ったらあの人も文句いいませんよ」
 …手枷があるということはだ。他のものもあるということでは。
 頭と体の配線がきれたままだ。パニくる頭をよそに、俺の視線は八戒から離れず、下半身は別の生き物のように痛いほど暴れる。八戒はベッドを降りると壁際の椅子に腰掛けて悠々と足を組んだ。
「脱いで」 
「……は?」
「脱いでください。見ててあげますから」
 いつでもぶん殴れるのに。すぐさま三蔵と悟空の部屋に逃げ込めるのに。
 俺は馬鹿みたいに八戒を見詰めたままシーツに縫いつけられていた。
 全身が暑いんだか寒いんだか、ガタガタ震えだしたまま止まらない。
「貴方はね、甘え方が下手なんですよ。いつでもつっぱって人に頼られるのに慣れてて。だから、たまには自分で何も考えないで人の言いなりに なってみたかったんですよ。…ね、悟浄。そうでしょ?貴方の嫌がることなんかひとつもした覚えありませんよ」
 しょせん人形遣いと人形だ。
 その操り方があまりに見事な手際だから、人形の方が恍惚としてしまっただけ。
「八…戒」
「なんです?」
「…頼むから」
 自分でも嫌になるほど媚びた声。
「聞いてますよ。なんですか?」
 挿れたいんだろ。なあ。おまえだって俺ん中突っ込んで思いっきり掻き回してえんだろ。
「言わなきゃ解りませんよ」
 絶対解ってる。
 言い返すかわりに、俺は肌にべったり貼り付いた服を引き剥がした。
 時間の問題だ。どこまで俺が最後のプライドを無駄に保ち続けるかだ。何分後かに俺がしているであろう恥も何も忘れた痴態。焦らされに焦らされて挿れてくれと泣き喚き、八戒がどんなに残酷な笑顔でそれに応えるか全部見える。
 まるで少しでもこの拷問のような時間を引き延ばしたいかのように、俺はこれ以上はできないほどゆっくりとしたスピードで、ボタンを一つ一つ外していった。




fin

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