不適合率100%
俺と八戒は淡いピンク色の機械を挟んで、しばらく呆然としていた。
100%?
周囲の喧噪が喧しい、日曜日の真っ昼間。
やがて、八戒がひょいと向こう側から顔を出した。
この結果について屈託なくコメントできるなら、この後我々の間には何も起こらない。いつものようにお茶でも飲んで散歩して夕飯の買い出しをして、家までの道を仲良く並んで歩ける。残念ながら俺にはコメントできそうにない。八戒が頼みの綱だ。
頼みの綱は、ナチュラルとはほど遠い笑顔で「お腹すきませんか」と言った。
ほんの時々だが馬鹿にされて嬉しい時がある。おまえは馬鹿かと一笑に付して欲しい時。
そのような時を迎えたので、俺は慶雲院に赴いた。
土産も持たずにひとりでやってきた俺をさも嫌そうに部屋に通すと、三蔵はレトロなじょうろで窓枠に並べた鉢植えに水をやりだした。何が顔を出す予定なのかはあえて聞かない。悟空はといえば三蔵の書机に腰掛けてゴミ箱を抱え、真剣そのものといった顔で爪を切っている。人がふたりいるという光景は実に不思議だ。まったく意識していないように見えて、動作のひとつひとつが、ひとりでいる時と微妙に違う。
「ゲーセンの相性診断で喧嘩してちゃ世話ねえな」
「可愛いねー」
悟空に可愛いと言われた。事件だ。
「だいたいおまえら、自分の誕生日もよく知らねーんじゃねえの」
「川流れに言われたくねえし、このテストは誕生日関係ねえの」
俺と八戒はどの占いを見てもしてもことごとく相性が悪い。なんのそれでも俺らは逞しかった。
十二星座じゃ今時、ねえ。誕生日も曖昧だし。おまえ一遍生まれ変わってるじゃん。そうそうそう言えば名前も変わってましたね。旧字だとまた画数が変わるし。手相も毎日変わるんだぜ、ほら。ほらって言われてもそこまで覚えてませんよ。血液型は?これは変わんないでしょ。BとAB。まあまあだっけ?このカード、買ったばっかりだからいまいち信用度が低いですね。もっと年季入れないと。そういうもんか?そういうもんです。多分。
今回のは選択式で、同じ質問に対する自分と相手のリアクションを想定して答えるというやつだった。いくら子供だましでも、ほら分かるだろ、構造が定かでない機械からレポートが弾きだされてきて心理テストとか銘打たれたら何となく神妙になるだろう、人の常として。
それが100%からぶりゃ驚くさ。吃驚だ。何だそりゃ。90%ならまだ笑えた。100%だ。完璧だ。
「告ったのはおまえが先だろ!」「貴方ですよ、覚えてないんですか!?」から始まって、俺が浮気したらあからさまに報復に出るくせに「涙を呑んで知らないふり」などと答えやがり(鍋で殴っといて知らないふりかよ)選ぶ色から行きたい場所まですべて、全部、丸ごと食い違った。
お互いお互いのことをまるっきり分かっておらず理解もしていない。と、その機械は言った。
貴方は相手に夢を見すぎていませんか?
相手のリアクションをすべて自分の都合のいいように改ざんして現実から目を逸らせていませんか?
少し冷静になってお互いを客観的に観察する必要があります。
目の前の人は本当に貴方の理想的なパートナーでしょうか。
価値観の食い違いを思いこみで補うのにも限度というものがあります。
不信感が大きく膨らむ前に等身大の相手と勇気を出して向かいあいましょう。
ふたりの相性は残念ながら最悪です。
このままでは近い将来破局は免れません。
人との別れは決してマイナスなばかりではありません。
経験が貴方を磨き、より輝かせることでしょう。
不適合率100%
「ですって」
八戒はゲーセンの向かいのコーヒースタンドでクランベリージュースを啜りながら読み上げると、診断結果を捻って灰皿に突っこんだ。
「輝きたいものですね!」
「知るか!」
八戒が紫と茶色のどっちが好きだか知らなくたって実のところ無問題だ。ただ俺は茶色が好きなのかなと思ったんだよ何となく。デートは山や海など自然の溢れるところ?もしくは町中?町だよ当たり前だろ夜の新宿は俺の庭だ。何が悟浄は海で入り日を眺めるのが好きなはずだだ勝手に決めるな。
些細なことでも、かける100。
3年もべったり一緒に住んでいて、いったいこれは何事か。
俺は買い物帰りの夕暮れの坂道で、いきなり唐突に八戒に好きですと言われたあの瞬間を映画のように覚えている、脳裏に焼き付いたこれを再現ドラマにして見せたいくらいだ、気温も声もその時飛んでた鳥の数も八戒が着てたシャツまできちんと覚えていて、そのシャツが綻びたといって八戒がさくっとゴミバコに突っこんだ時には叫んだわ。だがしかし八戒は、その前に俺が雨の中ずぶ濡れになって帰ってきたと思ったら突然八戒を抱き締めて好きだとか何とか言ったのであってあんな感動的で心震える名シーンは人類誕生以来初めてに違いないと主張し、それをまるっきり覚えていない俺を罵倒するだけでは飽きたらず気孔波まで飛ばす怒りようだったが覚えてないんだから覚えてない。かくいう八戒は夕日の坂道を覚えてない。
更に、なんと言いますか最初の夜だって、俺の記憶では八戒が感極まって涙ぐんだはずだが、八戒はそんな訳ないだろうそれはどこの処女かと大激怒し、泣いたのは貴方だ僕が如何ほどに感動したかときたものだから何で俺がと大激論になり、どうも総合するに「最初の夜」の認識さえ一致していないことが判明した。そこに至るまでがまた、どっちがどっちにどこまで挿れたの挿れないの未遂だの暴発だの生々しくも大騒ぎだった訳だが、そのような喧嘩を俺たちは何とコーヒースタンドで総て済ませた。
「もういいです」
八戒はいつもの一発をかますと財布をつかんでひとりで店を出てしまい、俺はいくら何でも店にもおれず、財布に家の鍵が入っていたので帰るに帰れず、女のところへ行くほど性根が腐ってもいなかったので、こうして慶雲院に来た訳です。
「説明が長いしクドい」
三蔵は窓をバンと閉めると、悟空に近寄って両手を揃えさせ、爪の切り具合を確認すると重々しくOKを出した。
「夕飯の支度出来たか下行って聞いてこい。あとマルボロ一箱」
「うん」
悟空は俺にひらひらと手をふって出ていった。帰れということか。
「即、帰れ」
即とな。
「おいおい小坊主。迷える子羊に適切なお導きとかねーのかよ」
「迷わず帰れ。すぐ。至急。ただちに」
三蔵は有無を言わさず俺を部屋から蹴り出した。まあ充分馬鹿にされて気も紛れたのでよしとしよう。
八戒のメモリアルな雨の夜に、多分俺は何かあって荒れてベロベロに酔っぱらってぽろっと何か言っちゃったんだろう。三年も前のことなんか覚えてない。夕日の坂道も三年前だが。あれもきっと八戒にとっては何かの話題の延長で、ただの日常だったのだ。いやいやもしかしたら「好きです」は俺にではなく鳥かシャツか夕日に言ったのかも。
…貴方は相手に夢を見すぎていませんか。
「悟浄」
斜陽殿の正門に、買い物袋を抱えた夢見る八戒がいた。どうやら三蔵は窓から八戒が来るのを見たとみた。
「何しに来たよ」
「貴方と一緒」
しょせん溺れた時につかむ藁も共有だ。
俺は八戒の重そうな方の荷物をひったくった。わだかまってる証拠に、八戒は一歩右後ろから着いてくる。
…少し冷静になってお互いを客観的に観察する必要があります。
冷静になるまでもなく八戒は思いこみが激しいし、俺は都合の悪いことはすぐ忘れる。誰から見ても、どちらも誉められた人柄じゃない。一緒にやったことでも喋ったことでも、自分に心地いいところだけを拾って勝手にガンガン妄想を膨らますようなことが、これからもきっとある。
きっとそうやっていく。
「悟浄」
「何」
「呼んだだけ」
俺はぐるっと振り向いた。
「今日のことは忘れんなよてめぇ」
「何でこんな胸くそ悪いこと覚えてなきゃいけないんです」
「キスしよう」
「ここで?」
「ここで」
ガキの頃にひとりで放り出された時も、生きてるか死んでるか分からないほど退屈な時でも、誰かだの何かだのに保証書をもらおうなんて考えたりしなかったはずなのに。
俺とこいつはいったいどこまでずるずると情けなく弱く恥知らずになるんだろう。
恋愛して強くなったり偉くなったりする奴なんて本当にいるんだろうか。
八戒はちっとも怯まずに、三蔵が呆れ果てて上から眺めているであろう道の真ん中で、もう救いがたいほど容赦なく激しいやつをやらかし、俺はその長い長いキスの間、八戒の背後に舞い上がる鳥を数えた。
…目の前の人は本当に貴方の理想的なパートナーでしょうか。
いや全然。
fin
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