僕らは兎に角金がなかった。


 開け放した窓から入った風が、風鈴の破れた短冊を揺らした。涼やかな音が響いたが、眼下に広がる世界はまだ涼を必要としていない。傾いた西陽が六畳ほどの部屋いっぱいに差し込み、豆腐屋の喇叭の音と、それに釣られた犬の遠吠えが耳に入る。
 そういえば、そろそろ腹が減る刻限だ。
 下の階からゆるりと上ってきた味噌汁の匂いに、腹の虫がキュウと啼いた。
 ごろりと体を返せば目に入るのは、ささくれ立った古い畳と、草臥れた煎餅布団。それと、これだけは手放せなかった、本の山。
 家財道具など一切ない、簡素過ぎる部屋の主がこの僕だ。
 否。僕ともう一人、悟浄という名の奇妙な男が、この部屋の主だった。
 頑固で愛想の無い親父がやる下駄屋の二階。通りが一望出来る事だけが取り柄のこの部屋に、悟浄が転がり込んできたのはいつのことだったか。六畳一間に大の男二人が四六時中詰め込まれていると思うと鬱陶しいことこの上ないが、幸いにして僕には碌な家財道具がなく、悟浄は寝に帰るだけの生活で、兎に角金が無かった僕らは利害の一致と大いなる妥協の元に同居を決めた訳である。


 悟浄という男は、実に奇妙な男だった。
 まず目に入るのは、その派手な頭髪。生まれつきだと悟浄は言ったが、長く伸ばした毛髪は、領事館で見掛けた異人のそれよりも赤かった。いつぞや金魚のようだと笑ったこともあったが、道行く人に奇異な目を向けられる程度には、その彩は異質だった。
 更にそれを煽るような、群を抜く長身。僕自身六尺一寸の上背があるのだから、世間から見たら十分大男の部類に入る。だが悟浄は、その僕よりも僅かばかりではあるが更に高く、僕らが並んで歩いている姿をみた知人が「電柱が二本並んで歩いてきたのかと思った」などと評したものである。
 加えて面構えは決して悪くなく、全ての要素が相乗効果となって、彼を酷く華燭絢爛な人間に見せていた。
 惜しむらくはその性根が善人には程遠かったというところだろうか。
 僕とて聖人を気取る訳ではないが、それでも常識という枷がある。そもそも貧相な下宿とはいえ屋根の下で暮らせ、一汁二菜に欠けようとも食うや食わずという訳でもないのは、全て奨学という制度のおかげである。この制度は僕のような金も縁故もない人間には大変有難いもので、ある程度の成績さえ収めていれば学府へ収めるべき授業料だけでなく最低限の生活費も保証され、住居の斡旋もしてもらえる。世の中学があれば良いというものでもないが、それでも何も持たぬよりはマシである。僕のような身一つしか持たぬ者には、尚更のこと。うっかり奉公にでも出てどこぞの商家で馬車馬のように働かされることを考えれば、ただ好きな学問をしているだけで清貧なれど衣食住にありつけるこの生活は、正に夢のようだ。
 話は長くなったが、そういう理由で僕には箍を外すような真似は出来ず、学業以外はただ只管に凡庸であれと己に課してきたのである。だが、悟浄は違った。
 その容姿が災いしたのか、悟浄は凡そ「常識」とか「凡庸」とかという言葉とは無縁な男だった。口を開けば喧しく、態度は横柄で強引。その上手癖も悪く、彼が時折見せる戦果に僕は幾度となく頭を抱えさせられた。悟浄の自慢は未だ官憲の世話になったことがないというもので、下駄屋の親父が無関心なのを良いことに同居を決め込んだ僕としては、少なからず良心の呵責に苛まされた。だが、悟浄の語る四方山話はどんな小説よりも僕を魅了していたのも事実で、僕はその喜びから手を離せないでいた。
 彼の語る話の大多数は世間一般で言われるところの犯罪ではあったのだが、それもまた、僕を魅了した一因であったのだろう。とかく人間は暗がりを恐れながらも惹かれるものだ。また彼は話術も得意で、独特の抑揚を付けて語られるそれらの話に、僕は否応なしに引き込まれていったのである。その全ての話をここに書き記すわけにもいかぬから割愛させて頂くが、彼の話は何れも甲乙付け難く見事であった。
 さて、そんな悟浄が少なからず得意としたのは、矢張りと言おうか己の起こした犯罪劇である。彼は身振り手振り、時には小道具も交えて僕にその詳細を語ってくれた。
 ある時など、彼が懐から取り出したのは、何の変哲も無い二銭銅貨だった。彼は僕にそれを手渡すと、これはそんじょそこらの二銭銅貨ではないのだぞと笑って言った。もしや贋物かと思って記憶の限り眺めてみたが、手垢で黒く汚れているせいか、どこがどう違うのかも判らない。そもそも二銭では鳩豆を買うのが精々という按配だ。贋物を作るのならば、もっと高額の紙幣を作った方が効率が良かろう。結局降参した僕から銅貨を受け取った悟浄は、そのまま銅貨をぱくりと割って見せた。驚きのあまり見開いた僕の目は、二銭銅貨のそれよりも大きくなっていただろう。もう一度触らせてもらえば、二銭銅貨が丁度膏薬入れのような形に細工されているのが判った。悟浄の話では、元来この二銭銅貨は刳り貫かれた部分に細い糸鋸を入れ、獄中の仲間に差し入れるという脱獄用の道具なのだそうだ。それでは娑婆にあっては無用なものなのかというと、そうでもないらしい。二銭銅貨というありふれた隠れ蓑に、密書や阿片その他諸々、隠せるものなら何でも隠して持ち運び、受け渡せるのが利点だというのが悟浄の言い分だ。例えが具体的であったのは、彼自身そういった仕事をしたことがあるからなのだろう。とある筋から譲り受けたというそれは、悟浄にとって御守りなのだとその時聞いた。
 また、彼はことある毎に人の記憶のいい加減さというものを僕に説いた。
 先にも述べたように、彼は例を見ない赤髪と長身を持ち合わせている。だが人というものは、彼が染め粉を使っただけで彼と判らなくなるというのである。確かに彼の外見は酷く目立つものだが、彼の印象はといわれればまず「赤」である。その頭髪の赤さばかりに目が行く為に、彼の顔相はどうしても霞んでしまう。人というのは奇異な物ほど記憶しやすく、その逆に対してはあまりにも不得手なのだ。
 彼はそれを度々利用して、別人に成りすましているということだった。ほら、と彼が指を刺したのは窓から直ぐ見える煙草屋の看板で、あそこの婆さんは何度行っても俺が俺だということに気が付かないのだと笑ったが、そもそも煙草屋の婆さんは僕から見ても骨董品の置物かと思うような人物なので、悟浄の腕前の程は定かではない。
 まあこんな悟浄だからこそ他人を利用したり巻き込んだりすることには遠慮会釈なく、寧ろこれまで僕がそれらの事柄から無縁でいられたという方が奇蹟とも言うべき出来事だったのだ。

「八戒」
 悟浄がこんな声で呼ぶ時は、大概碌なことがない。僕が無言のまま振り向けば、案の定彼はへらりと笑った。
「これ、持ってて」
 差し出されたのは件の二銭銅貨で、僕は一瞬反応に困った。
 これが普通の二銭銅貨でないことは、当の悟浄から聞いて知っている。そしてこれを悟浄が大切にしているのも知っていた。堅気が持つには少々いわくのある品物を、どうしてそう易々と受け取れようか。
 だが悟浄は半ば強引にそれを僕の手に押し込むと、両の手で押さえ付けるようにしっかりと握らせ、その上に静かに額を付けた。
 彼の吐き出す息とかさついた皮膚が、僕の指先に僅かに触れ、直ぐに消える。
 俯いた悟浄の日に焼けぬ首筋が目に入り、その白さに僕は、何故だか羞恥に似た感情を覚えた。
 伏せた瞼。時折擽る長い睫毛。そして、僕の手に恭しく接吻ける、悟浄の姿。
 見てはならぬもの、触れてはならぬものに近付いてしまった、そんな罪悪感が、身体の奥底から湧き上がる。
 その不可思議な感覚に怯える僕に気付くこともなく、悟浄は再び顔を上げると、ちょっと出掛けてくるからとだけ残して、消えた。

 そう、それは比喩でも何でもなく、悟浄はその日からぱたりと部屋に帰ってこなくなったのだ。
 一日二日なら僕もそう気にはしなかった。寧ろ悟浄と対峙してしまっては、あの時感じた得も言われぬ感情に翻弄されるのではないかと恐れていたのだから、悟浄が帰ってこないのは好都合でもあった。
 だがそれが四日になり五日になり、十日を迎えた。
 流石にこの頃には僕も心配になり、悟浄が何か厄介ごとに巻き込まれたのではないか、はたまた遂に憲兵の手に落ちたのかと、なけなしの金で新聞を買い悟浄の名を探すようになった。
 赤髪の男などそういる筈もない。だが、何がしかの騒ぎになれば直ぐに見付かる筈だという僕の思惑を嘲るように、悟浄の消息は杳として知れなかった。
 僕は途方に暮れた。
 思えば僕は悟浄のことなど何も知らず、その名前が本当のものなのかすら判断が付かない。生まれはおろか、悟浄がどういった暮らしをしてきたのか、仲間がどんな奴だったのかも、僕は何ひとつとして知らなかったのだ。
 僕と出会い、この部屋で眠り、大いに笑い、語り合った、その男が本当に悟浄なのか、それすらも自信がなくなってくる。
 この部屋に悟浄の私物は全くない。悟浄が確かに此処に存在していたのだという証拠が、全くない。
 僕はその事実に恐怖し、意味もなく部屋を荒らした。何か、何かひとつでも、悟浄がいたという痕跡が見付かれば良いのだ。
 幸いにも、僕の望みは直ぐに果たされた。文机の引き出しの中に、あの二銭銅貨を発見したのだ。
 僕は震える手で、その銅貨を捧げ持った。
 悟浄が意味もなく、あれほど大事にしていた御守りを僕に託す訳がない。僕はそのことに早く気が付くべきだったのだ。
 二銭銅貨を二本の指で押さえて廻せば、然したる抵抗もなく二つに割れる。
 中からは、四つに畳まれた小さな紙片が現れた。
 そこには酷く縒れた文字で、御免、と書かれていた。


 さて、悟浄に関する記述は残念ながらこれで仕舞いとなる。
 諸君が如何に不満に思おうとも、僕がそれ以降悟浄と逢うことは二度となかったから、仕方がないと諦めて頂くより他にない。
 ただ、僕自身納得出来ないことが幾つかあるので、それをここに書き記しておこうと思う。
 一つは、僕の記憶があの紙片を見てから数日、さっぱりと消え去っているという事。
 記憶がないのだから定かではないのだが、下駄屋の親父に聞くところによると、僕はその数日の間毎日方々へ悟浄を探し歩いていたらしい。だが、結局見付からなかったのだから記憶があろうがなかろうが同じことなのだろう。
 次にもう一つ、僕の記憶の限りでは、悟浄は字を書いて見せたことが一度もなかったという事。
 戯れに絵のようなものを描くことはあったが、自分は文字を知らぬのだと笑って、僕の書物に興味すら示さなかった。だから僕は、悟浄の書いた文字というものを知らない。もしも彼が本当の事を言っていたのだとしたら、あの紙片は一体誰が書いたものなのか。
 更にもう一つ。僕は先にも述べた一時的な記憶障害の後、例の二銭銅貨を紛失してしまっていた。
 何処へ持ち出したのか、はたまた仕舞い込んだのか、可能な限り調べ尽くしたのだが、二銭銅貨諸共あの紙片すら僕の部屋には残っていなかった。もしかしたら、あの二銭銅貨が僕の無くした記憶を持っていったのかもしれない。そんな非科学的なことまで思い始めた矢先、僕には恩師の声掛りで留学の話が舞い込んできた。その留学は僕が予てより望んでいたもので、全ての費用が国費で賄われ、帰国後は官僚の道を約束されたも同然という、僕にとっては僥倖としか言いようのない話だったのだ。その渡航準備に追われる中で、僕はいつしか二銭銅貨のことを忘れた。
 そして今、僕は甲板の上にいる。
 船は跳ね板を上げ、ゆっくりと港を離れ始めていた。
 眼下に広がる岸には、見送りの人達で黒山の人だかりとなっている。その中に、決して仲が良いとは言えなかった学友の顔を見付け、僕は片手を外套から出して振った。そして恩師が餞別代りに用意してくれた上物の外套の中で、僕の左手は懐かしいものを握り締めていた。
 いつの間にか外套のポケット入り込んでいた、二銭銅貨。僕の指先はその硬質な感触を辿りながら、その中に秘められた物を思い起こしていた。
 吃度、長い留学生活の間、良い御守りになってくれるだろう。
 僕は見るともなしに黒山をもう一度眺めた。徐々に小さくなっていく人達は皆、船に向かって手を振っている。その一団からいち早く離れた人影に、僕の目は釘付けになった。人よりも少々高い上背に、短く刈り込んだ黒髪。少しだけ猫背になって歩く癖は、彼のものだ。
 そして何よりも、一瞬だけ垣間見えたその瞳が、僕の霞む記憶にあった、彼のものに酷似していた。
 唯の他人の空似か、彼の血縁か、はたまた彼本人だったのか、僕に確かめる術はない。
 船は刻一刻と岸を離れ、僕を海原へと送り出す。
 僕は再びあの銅貨を、強く強く握り締めた。


 カラカラとなる二銭銅貨の中には、まだ仄赤い、骨の欠片がひとつ、入っていた。





二銭銅貨というのは、五百円玉よりも更に大きな銅貨でございます。
こ…小指の骨くらいは入る筈です。多分。きっと。恐らく。