殺すほど愛していた!
 砂埃に目の眩みそうなある昼のころ、何の意図もなく道をただ歩いていたおれの足を、そんなひどく高潮した声が不意に止めた。いざ立ち止まってみると、何故それまで気付かなかったのか訝しく思うほどの人だかりの中、不自然な整い方をした顔の男が一人、物売りかなにかのように熱弁をふるっていた。
「……そうして僕は、そのいとしい人を永遠にしました」
 男がそこで一つ区切りをつけて、聴衆をぐるりを見回した。その焦点の合っていないような目がまるで見たことのないような色で軌跡を描いたことは、もしかしたら見間違いだったかもしれないが、右の目だけがまったく微動だにしなかった事実だけは確かだ。それに何気なく惹きつけられ、聴聞者の一人としておれもその半円に加わった。いとしい人、なんて色っぽい話ではないか。
「その人との出会いは、必然でした。とても美しい人です。会ってすぐに二人の間に相通ずるものを確信しました。幼い頃に失った破片をようやく手に入れた思いで僕は浮かれ、結ばれることを当然ととらえて疑いませんでした。しかし、この土地では、僕たちのような関係は、禁じられていたのです」
 話も最初の半分ほど聞いていないせいか、愛したその女とどういった間柄であったのかおれには分からなかったが、つま聞く限りで憶測するに、他人のものか、出生のせいか、はたまた血縁か。どれであっても人目を憚って然るべき二人であったことは間違いない。
 しかしおれはそんな不遇の関係性などにはあまり興味を持たず、ここまでの顔の男に、美しいと言わしめるとはどれほどの絶世の美女かと、今やこの世に存在していない女の面影を想像し、口の端を上げた。不謹慎と思われるかもしれないが、周囲の連中もみな同様の顔をしているのだから、この男の口上の楽しみ方としては妥当であろう。
「そして、ここから逃げおおせようかというそのときになって、唐突に己の真の声を聞いたのです。その日が何か平常と違っていたというわけではありません。しかしその人の後ろ姿を眺めているうちに、自分としては当然のようにその露になった首に手が伸びたのでした。いざという時のために用意してあった短刀を、何の躊躇いもなくその愛しい柔らかな咽喉に突き立てました。開いた穴から血液が沸き立つかのように溢れてきたのを見て、僕は悔いるどころか、より愛が深くなったと感じ、喜びさえしたのです」
 半ば笑った顔のまま聴衆全員が唾液を飲み込んだのが聞こえた。己の咽喉も風通しが良くなったような気持ちになってくるのが不思議だ。この男の通る声のせいかもしれない。耳障りの良いしっとりとした音だ。
 おれは呼吸をするたびに感じる違和感に顔をしかめ、咽喉のあたりを何度も撫でた。
「そこから横に刀を引き、より大きな刃物を使ってまずその頭部を完全に身体から切り離しました」
 魚をさばく手順を教えるような口ぶりが異様なほど冷たく、しかしその奥にある愛しい女を想う意思だけはそれと反比例するほど煮えたぎっているように響いていて、その差がひどくおそろしくあった。そのおそろしさと滑稽さを求めてこれほどの大人数が人だかりを作っているのだからおもしろい。おれは身振りの少ないその男の話にすっかり聴き入っていて、素直に続きを待った。
「首を切断するとき、誤って首を蔽っていた髪にまで刃が当たってしまい、血に濡れた肉片に絡まる様だけは、どこか気味が悪いように感じました。それというのも、手の中にある顔と、床に倒れこんだ身体が同じ人物のものとは思えなかったせいでありましょう」
 刃物の腹と死骸の切断面との間に細い髪が幾本も攀じれて絡まり、キイキイと刃の切れ味を悪くしている感触を思い描き、手の指の股がむず痒くなった。女の髪は色気と恐怖の両方を持ち併せているものだ。
「あばら家の床板に染み込んでいく赤い液体を僕は、己の足に触れても尚、避けようとは思いませんでした。その場でその血液の上に座り込んで、死骸を五つに解体してゆきました。まず右の脚、」
 不意に生温い風が着物の裾をあそび、おれはその先の期待と妙な高揚感に下駄に接した親指に力をこめた。次に左の腕、などとやり始める男の指がその通りの箇所の関節をなぞるたび、実際に己まで切り離されていくような錯覚に陥った。刃物が肉や骨を砕く音すら洩れ聞こえるようで、耳の裏にも鳥肌が立った。
 男は、そういったこちらの反応を熟知しているとしか思えないほど的確に声音を選び、一つ一つの部位を切っていく様を、そのいとしい身体をあえて死骸と呼んで淡々と語りつづけた。
「……そうして六つの物体と化した、元の想い人を、僕はまたひとつの人間の形につくりなおしました。あの眼を腐らせないようにするのには、たいへん苦労を致しましたが、あれがなくては意味がありませんからね」
 そこで周囲から笑い声が起こった。「さてさて始まった、人形屋!」と叫ぶ見物人の声に乗っかるようにして、さらに聴衆が囃し立てる。
「死骸から人形をつくる、そんなことが可能かとお疑いか。ご心配には及びません、僕の技術をもってすれば、そんな芸当、朝飯前」
 これが、情人を殺し、死蝋として蘇らせた男のする表情であろうか。どこを見ているのか皆目見当もつかない目で、にやりと笑い、おれとは反対の方角を向いて一度お辞儀をした。
「奔放であったあの人も、今では僕の思いのまま。何時如何なる時であっても抱きしめることができる。まさに永遠を手に入れたのです」
 心酔した顔つきでそう言うと、その顔が再び一周し、遅れて右目もついてきた。こんな涼しい顔をして人形の女を抱くというのか。死蝋を作り上げたということよりも、そちらのほうに驚いていると不意に、今までどこか遠くに馳せていた男の視線がおれを捉えた。少なくともそのように感じた。
 瞬間、脳裏にその男の生きたままの表情が唐突に浮んだ。今この目で見ている、死人の如き顔ではなく、見たこともないはずの生き生きとした顔が、厭になるほど鮮明に、影絵のように浮んですぐ消えた。
 聴聞人の「そのひとがたをオメェ、売ってるってんじゃあなかろうな」という嘲笑によってようやく意識が戻ってき、ふらりと倒れそうになりながら男を正面から見据えた。やはり見も知らぬ顔だ。安堵のため息を吐いた。
「まさかそんなこと!僕はただあのいとしい人と一生涯共に居たかっただけなのです。…まあ、ときには役に立ってもらうこともないとは言えませんけれどね。店番のかわりなどを」
 男が左の、醤油屋と蔵との間の小路を見た。つられてそちらに視線をやると、そこには一軒のしなびた人形屋があった。今にも崩れ落ちそうな白い格子戸の前に吊るされた暖簾の臙脂色が、突然、頭の奥を刺激した。見てはいけないと警告するような痛みだ。
「あんなに堂々と飾ってあれば、誰もあれが死骸だとは思いますまい」
 ゆっくり笑った目線の先、店屋に気付いたのは自分だけだったようだ。誰一人としてそちらに目を遣っている者はいない。
 しかし男の目に誘導されるかのごとく視線を向けてしまったおれは、その店頭の人形を見た途端、頭の中がすべて白一色になった。ぐらりと視界が歪む。
 大小様々な大きさの人形たちの中に座らされているひときわ精巧な一体。蝋の奥に隠された生身の肌と、苦心したと豪語していた対の瞳が、生きているかのように、否、死んでいるかのようにそこに居た。
「どうです、素敵でしょう」
 おそらくこちらだけに聞こえるような音量でそう言い、笑い声と野次が飛び交う中、ふたたびその男は「殺すほど愛していた!」と繰り返した。どっと沸き上がる聴衆の声に併せて風すら男をからかったが、今度はおれの着物を揺らすことはなかった。このおれだけの。
 がんがんと頭痛が増してきた。その痛みは次第におそろしい場所へとかわっていく。おれは「僕がどんなに彼のことを愛していたか」という恍惚とした声の半分も意味を理解しないまま、咽喉を掻き押さえてうずくまりそうになった。
 彼、と言ったか、今。ああ、いつこの男が女の話をしていると言った?いとしい人が禁じられた関係にある女であると、いつ明言したというのだ。自らの思い込みを確かめられもしないまま、痛みは咽喉から右の脚へ、左の腕へ、重みを消して移っていった。
「ええ、もっとも記憶に残っているのは、あの長い髪が血溜まりに落ちていく情景です。僕の大好きだったあの赤い髪がまるで溶けてしまったかのように吸い込まれて――、」
 男の声はそこから一切耳に入ってこなくなった。
 そうだ、おれはこの男の名前を知っている。名前だけではない、顔も身体も癖も体温も何もかもすべて。おれと出会ったことを、失った破片を見つけたようだと言ったその声も。
 急激な眩暈と共に倒れる寸前、店頭に鎮座している人形の赤い瞳と目が合った。おれは己に見つめられたまま、足から消えるようにして気を失った。
 陽炎が、己の身体と同化する。




【 終 】

恋する薬剤師。