日記
最初のページへ
以前の日記へ
日記
4/12
ラン○ムからの返事は、倉庫や工場で一部LEDを使用していること、メールさせてもらった内容を工場、倉庫に伝えること、そしてお客さんの”肌”を守りたいということは強調してあった。肌のことだけ責任を持つという感じがしたので、またメールしてみる。ディ○ールからはメールを受け取りましたという最初の連絡さえも来ない。
5歳からオルガン楽しくてたきびとか左手で和音つけて、ハ長調の場合「しもやけ」のところはCなのかFなのかAmなのか迷ってたことを思い出す。小学校で合唱に出会い、コンクールとかに出ると優越感や劣等感から音楽をやるようになっていった。クラスの中でピアノが弾けるというのも大きな優越感で、日ごろさえない自分がそこだけはみんなに認めてもらえて、そこに救いを見出していた。いつのまにか専門知識と経験は音楽を始めたころの楽しい気持ちを忘れさせ、差別感へと成長した。どんな人にもありがちなそこだけは、みたいな感覚は、縄文時代はなかったはずで、必要もなかったはず。どんな自分が音楽をやっていたか気が付いてしまった。そこにあるのはさびしさと優越感と、劣等感。そこからうまれる音楽においての人間味のなさ。平気で人を評価し、優越感から人を支配しようとしてしまう気持ち。今回はそれを利用されておどらされているので、自業自得。その中でも自分の否定感情に気づく原因にできたことはありがたい。
なぜ一番好きな歌うことの場がないのか、それはそんな自分が音楽をやっていたから。そんな音楽、誰も聴きたくないもんね。今までついてしまった知識、経験は簡単に消すことはできないなら、それをお客さんが喜んでくれるために使っていくしかないと思うしそうしたい。自己満足な演奏や自分のための拍手を求めるのは、小さな喜び。みんなで音楽を楽しめる自分のところにいて、これからは大きな喜びへいこう。
4/4
いろんなことがいっきに終わって、ほっとした今だから出てくるものがあって、仲間たちとの交流で、しんどさを感じているのは自分だけではないとわかったりしながら今はいろんなことがゼロになっていく感じがしている。変に、前向きでいなくちゃとか、身体が終わることについてかんがえちゃいけないとか思っていたけれど、今はご飯を食べて、呼吸をして、お風呂に入って、ねむって、それだけでいいとおもう。あ、トイレもね。じっとしててそれだけやってたら生きていられる。それいがいのことはやらないし、考えないから、どうか、もう、じゃましないでほしいと正直思う。音楽の意欲もいまはゼロ。今までやりたいと思わされ続けて数十年。お金と労力を使わされていたことにやっと気が付いた。どうしたってうまくはいかない。それでもなにかを疑わずに続けてきたけれど、そうさせられてきたんだなと。今はなにもかもゼロになるいい機会。
4/1
30日の日記を書いてたとき、すごい眠気が来て、どうやってアップしたかも覚えてないほどでした。起きたらミーが旅立ちました。その少し前処方箋をしたら開いていた瞳孔と呼吸がしばらくの間もどり、すごいなあとおもいました。生命はすべてつながっていることを教えてくれました。今は少し心身がつかれているので休んでいます。ダウンしてる暇はないよと怒られそうですが、今までは疲れていることもわからずこれは自分がさぼりだからいけないんだとおもって無理して動いていたと思います。いまは、これは本来の状態ではないとわかるようになりました。そういうことも教えてくれてると思います。復活したら原因を生きます。今もきっと休むことが原因なんだと思えます。
いろんな化粧品会社が紫外線に匹敵するブルーライトのダメージに気が付き始めている。肌の微小炎症の誘発、過剰な色素沈着につながることをディ○ールは突き止め、プロテクトベースクリームを売り出している。ラン○ムもブルーライトが紫外線より深く肌に入りこむ事実を発見し、プロテクターを発売している。そしたら、これを売りにされてしまうのか、ちょっと疑問だけれど、いい方向に影響されていくといいなあと思う。
3/30
一週間が2倍ぐらいに感じました。生命についていろいろありました。継続中です。身体の継続はご飯を食べたらできます。自分でご飯が食べられないとき、意志が続く限り、それをサポートします。途中自分の心身がしんどくなりました。SOSも出しました。仲間たちからも応援もらいました。すっと何かが軽くなって、ミーの介護をできるようになりました。わたしの気持ち次第なんだなとおもいます。ミーは今落ち着いています。
LEDの店舗で胃が痛くなり、蛍光灯の店舗に移動したら、治ってしまった。こんなにはっきりしているなんて。
美容雑誌の見出しに、日焼け止めがブルーライトと大気汚染も止める!みたいな見出しが。LEDはあかんて、もうみんなわかってる。
むすめにあやしい人といわれながらロックとななちゃんに遊びに行ってもらったり、むすめも受験先の大学においてきたり、いろいろです。
3/22
新しい区民ホールで第九のコンサートがあり、お客さん750人、出演者は歌う人、220人、オーケストラ60名くらい。ホールやごみばこや、ろうかやいろんなところに少しなな種まきしてきました。ステージのスポットはあたたかかったので多分違うと思うけど、天井はLEDで、ろうかも部屋もすべてLEDで。そんな中で、あきらかに違和感のあるひとの行動というのは浮き上がってきて、恥ずかしげもなく、無意識にそれをやってしまう、自分の正体をばらしてしまうことがたくさん見えました。自分の病みも前日から浮き上がり、へろへろで仲間にSOSで送ってもらい動けたものの、本番前にエネルギーを使い果たし、また仲間にSOSを送りたくても、ななちゃんと一緒のポケットに入っていた携帯はこわれました。あとで家に帰ったら復活したのですが。なんとか本番ステージに立てました。客席を見てたら、なんだかもういいんです、もういい、、となにかがはらはらさらさらと流れていく感じと、ステージを作ったみんなへの感謝が出てきました。とちゅう仲間に包んでもらっていた人が客席に入ってきたのが見えました。とたんに、わたしは感情が引っ張られます。でもそうではない、これからは、とおもえて途中口パクにしてエネルギー保ちながら、なんとか終了しました。
昨日4月イベントのフォークなどの練習で、メンバーがなんかおかしいなと思ってたら、病みのためとわかり、本当に大きな病みは周囲の動きをとめるし、翻弄します。また自分の病みも浮き上がり、ちょっとおかしかったです。久しぶりに感情の高まりがありました。練習のとき、ロックとななシートをキーボードの譜面台に置きました。もろに病んでいる人の方向に向けることになったので、自分も、その人も、そうだったのでしょう。関係性はその数時間後に変化することになりました。
おまけ2が自分のことのようで、たくさんの人を自分の狭い価値観だけで、判断し、違和感を口にし、そこで終わっていました。今までは、縁してみて初めてわかる、あれ?が日増しに大きくなり、人や、場所から、離れざる負えなくなることを繰り返しています。そういう縁をしてしまう自分はどうなのか。音楽することで、そういうところに縁してしまいます。そこにいるのなら、そこで普通の自分を生きることしかないのかな。
3/18
このごろなぜかものがたてつづけになくなったり、テレビが勝手についたり消えたり、娘のけいたいにいれてるおんがくがとつぜんなりだしたり、消したはずの主人の携帯の目覚ましがまたなりだしたり、スイッチ入れたはずの洗濯機がとまっていたりします。わかりやすくてつい、そこらへんにむかって、、そんないたずらするんなら、さつたばもってきて。10センチくらいの。そうしないとムーさんにいうで〜と、むすめとふたりで言ってみました。
京橋にあるゆったりできる喫茶店は、マスターも、バイトの若い人たちと一緒に楽しくおしゃべりしながら、コーヒー入れたり、楽しい雰囲気。で、LEDのこと話してみたら、あ、その話聞いたことあります。と。もうだれか言ってくれたのでしょうか。テーブルの上のライトは一か所だけLEDだけど、色が気に入らないから、オレンジのものにしてますとか、天井はLEDですとか、正直に話してくれた。冊子は受け取ってもらえなかったけど。
P○L○化粧品は、工場でLED使用していると教えてもらった。体に影響のない安全な範囲で、とか、よくわからない返事だったので、こんど、お話しさせてもらう。
なぜ声楽を学んできたのか、原因は体を共鳴させることが楽しくて、それで声を自在にコントロールできたら楽しいから。そこに、人との差を求める自分がいたら、辞めなければいけないと思った。たしかに、ちいさいころから、オルガンから始まって、世間の人から見たら、太っていて、あまりかわいくなくて、口下手で、さえない私への評価を音楽でまとめてお返ししているようなところがあった。それにすがらないと、今まで生きてこれなかったかもしれない。でも、なにかを学んで身につけるということは、いらない作業のような気がしている。それで、ときどき、ボイストレーニングとかしていたときの違和感を思い出す。どんな思いで、トレーニングを受けに来ているのか、今の自分を認められたいのか、ほめられたいのか、うまくなって、人との差をつけたいのか。ふつうにうたっていればいいんじゃないかな、わたしは生命としてまちがったことを教えてるんじゃないかなとか、そういう思いが浮かんできていた。声を出すひとの、声のことにだけ、つまり、結果にだけ、反応して手厳しいような自分もいて、ムーさんの日記に私だと思った。原因も感じながら、原因がずれてると、やはり、そこに反応してしまう自分もいて、声のことじゃなく、学ぶ姿勢のありかた、そのひとの、本当の想い、とかが見えてきて、何とも言えない思いになったこともある。声だけよくしていくアドバイスをしていればいいというものではないと思った。実際、声楽の世界では、とんでもない人が、とんでもない地位にいたりする。合唱団でも、ちょっと声が出る出ないで、いろいろなことがおこるし、これ以上おかしな歌の世界を続けないためには、これ以上発声のことに関してはいわないことだとおもう。自分からは広げないことだと思う。みんなが自由に自分の声で歌えることを、応援していこう。自分が得てしまった、生命としてずれている声の出し方は少しづつ、自分からなくなっていけばいいと思う。LEDから離れてると、こんなことまで、落ち着いて出てくるようになるんだなあ。本来を生きていればいいだけだ。もし、自分の本来が音楽ならば、そうであるように生きるだけ。
3/14
ノートパソコンのモニターを古いテレビのにして、ノートPCのほうの画面を斜めに折り曲げ文字を打っていたら、画面の光がもろに手の甲にあたってびりびりひりひりする感じがしてななシートでおおったらかなり楽になったけれど、キーボードも別のをつないでしまったら、楽になった。
バイトが終わり、制服を返しに行き、なんかほっとしている。ますます感じるようになるLED。(H○○A)化粧品会社の返事はLED感染を読んでくれたんだけど、なぜLEDがわるいのかわからないというわからない返事だったので、大豆の写真や、これまでの事例をまた送ってみた。そんなひともいるんやなあ。
仲間が送ってくれたLEDシートを枕にしいたらすごいいきおいできつさが抜ける。抜けていくときはしんどくて(ワークの前日だし、誕生日前後だし)、仲間のおもわぬサポートがあったりしてなんとかうごけるようになって12日以降は背中がどこか軽くて。なくなるはずのないものがなくなったり、あるはずのないことがおこったり、いろいろの毎日。思わぬ人が、思わぬ感情を表したり。今はなぜそんなことがおこるのか、わかるから、楽。ひきこまれそうになるけれど、はっときがつけばそこにLEDとLED感染となな。
3/9
自分の分の仕事をつい忘れてしまう。音楽することでなく、その行為を通して、伝わるものが伝わっていくこと。
たくさんの年上の人と一緒にいて、なんでこんなこともわからないんだろうと感じることがある。団体でやる合唱という行為の中で、「みんな」ということが全く念頭にないひと、目立とうとする人、自分の存在価値を認めさせようという人、自分の子どもや孫が、もし、そんなわがままや「みんな」を無視した行為をしたらなんといいますか?それをあなたはやっているのです。恥ずかしくないですか?あ、そうか、恥ずかしさがわからないから、やれるんだ。すみません。こちらがそれをわかってなくて。あれ? これが今の日本の年配の世代の縮図なら、この国がこんなになってしまったのもわかるし、その原因が本当に・・・。練習場は蛍光灯だけど、ななのプリントをもっていってはいたけれど、次回はたくさん置いてみよう。
そんな音楽世界ののぐるぐるの中にいることが仕事。それにしても、トニーと、ガガはハッピーだ。ハッピーでいて、みんなをハッピーにさせる、そんな音楽の仕事を収入も少しはいただきながら、やっていたい。本当の普通の大人のエンターテイメントを。
3/8
昨日5日ぶりぐらいにバイトに行ったら、一日半たっても頭痛が治らない。今日も朝起きても痛い。けどバイトに行った。LEDの中で、よく作業を続けていたなと思う。今日はネガティブにならないうちに終わらせて帰ってくることができた。あとは木曜日でやっと終わり。
オーガニックスキンケア化粧品の会社(H○○A)もLED使用は倉庫や工場、配送車などを調べてくれたら、混在しているらしく、安全性を確認していきたいという返事だった。改めて大豆の写真を貼って送ってみた。お問い合せという項目はどこの会社のHPにもあるけれど、形だけならいらないと思う。これを書いていたらP○L○化粧品の人からもモニター依頼の電話があって、工場、倉庫、配送車のLED使用について確認してもらえそう。
近くのスーパーのいくつかに、なぜかまだLEDのことを言いに行けなくて、行く前になにか疲れてしまう。ななには活躍してもらっているのだけれど、なぜかお店の人と直接話すのがおっくうになってしまっている。LEDは本当に、不必要な仕事をさせるなあ。
変わった夢や、こわい夢を6、7日と続けて見た。じゃまがわかりやすくなっていくる。ときどきう〜っとなりかけるけれど、私たちはもう、先へ行くんだと、どこかで声がして、新しい次へと意識が向くようになって心が軽く明るくなってきた。
3/4
なんだかからだがふぁ〜っとどこまでも広がっていく感じがして、100人でも一億人分になるんじゃないかなとかちょっとおもった。うたもふわ〜っとしたものをうたっていたくなる。
温かいお湯につかっていたら、でたくなるのと人は同じかなあ。十分あたたかさにつつまれると、動き出したくなる。
やっと自分のテンポをとりもどしたら、すごくゆっくりだった。その中ではいくらでも細かい♪を刻むことができる。だからゆっくりでいい。大丈夫。時間からも自由かもしれないな。
3/3
LED車両に乗ってしまってすわっていたけれど、短時間でもやはり頭痛と気持ちわるさがきて、少しは本来の感覚がもどってきたかなとおもう。さっそく7に活躍してもらった。帰りの車両でも。LEDに敏感になるほどに本来ではないいろんなことに敏感になる。というか、普通の感覚になっていく。イヤホンでジャズを聴きながらLED車両に乗ったら、ホームで聞いていた時とは何かが違い、耳がしんどくなってしまった。音が鳴っているのに、身体に入ってこない感じで、頭はおかしなことを考えてしまう。
3/1
ワークから帰ってから、ミーがすごく元気になりました。ワークの次の日は落ち着かず(ほかの2匹もすごくうれしそうでした。)歩きまわって早く処方箋やってよと言われてる気がして、やってみたら、ごろごろ言って眠ってしまいました。ワークの前々日は後ろ足がフラフラで、トイレにさえちゃんと立てないほどで、かなしかったけれど、別に何を変えたわけでもなく、数日前から7のプリントをベットの下に敷いたり、玄米おかゆを復活したりぐらいで(ぐらいってこともないですね。7だもんね。)以前のように普通に歩いて夜中に起こしに来るし、みーみー言ってなにかちょうだいだの湯たんぽの温度低いだの、しゃべって、家の中を歩きまわるようになり、こちらはうれしいやらなにやら、涙でそうです。ありがとうございますです。そういえば、1週間ほど前は舌の先が黒っぽく変色して、どうしようとおもっていたけれど、獣医さんにもいろいろいわれかなり落ち込みましたましたが、それも原因にして、そこから復活しました。ミーもわたしも。病院にある知識はそこだけのもの。そんなことを軽〜く超えた、本来の真実が生命の中にはあるんだと、言える今があります。ミーの舌はきれいなピンク色です。
|