日記
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日記
6/29
ネットスーパーの配達の人にみんなの写真を渡したら、ネットの部門のものにもっていきますと言ってくれた。手から手へと渡っていく間にいろんな人が知ってくれたらいい。 なるだけLEDのあたっていないものをと注文のときに書くけれど、あたってるのか、さっき食べた納豆は味はわからないけど、食べたらぞわぞわ落ち着かなかった。
LED空間においてあったエレキベース(低音部を受け持つ普通のエレキギターよりかなり太い弦ばかりのギター。普通のエレキギターの一番太い弦よりも、エレキベースの一番細い弦は太いです。)の一番細い弦が切れるということがあった。ケースに入れてあるから直接の原因はLEDではないかもと思っていたけれど、野菜の芯の部分から傷んでいくことを考えたら、ケースに入れてあることは関係ないかもしれない。奏者の人は、ベースの弦が切れるなんて考えられないと。弦をゆるめようとしたら切れたと。演奏中だったらどうなっていただろうか。ちょっとあぶない。弦は一か月に一度は張り替えてあります。
6/28A
副団長さんは自分の買ったとまとが、表面はきれいな赤い色なのに、切ってみたら中がまだ真っ青だったり、別のトマトは中身が茶色で、スーパーに持っていったら取り替えますと言ってくれたけど、なんでこうなるのか知りたいと言ったら、とりかえるだけで、何も答えてくれなかったという話までしてくれた。そのスーパーはLEDかどうか意識してなかったけどと言ってくれたけど、選別段階で一瞬でもLEDにあたっていたらどうなるかという写真も渡せた。玄米発芽しないの〜?え〜?!とびっくりしていた。周辺のスーパーはほとんどLED照明です。
6/28@
合唱の練習場所がLEDでしんどくなった話を副団長さんにして、みんなの写真を見てもらったら、すごく驚いていた。「そしたら、人はどうなるの?!」って。野菜の芯がくさることや、みかんの味が今年はおかしかったこと、味の劣化、植物の成長が早い=老化が早いということなど、それぞれ真剣に聞いてくれて。「いや〜どうしよう。やるなら徹底的にやりたくなるのよね〜」と。なにかうごきそうなのかな。ある意外な人もLEDは目がしんどくなるから苦手ということも教えてくれたりした。植物も食物も人間も体験しているんだもんなあ。
すべては自然現象だなあ。葉っぱのようにそこにいたらいい。のどが痛いの?いつかなおるよ。はじまりがあったら自然におわりもある。永遠に終わらない流れの中でのできごと。みんなみんな。
6/24A
区役所に用事でいったら、頭が痛くなって、天井がLED。頭痛いです、と案内の女性にみんなの写真とLED感染(1)とを渡した。区役所の設備担当のところへ直接行くことを案内されたけれど、案内の女性をから持って行ってもらうことにした。なんとなくこの女性にも詳しく話して、知る人を増やしたほうがいいかなと思って。
家庭菜園や園芸が趣味の妹に写真のページとLED感染(1)を送ったら、びっくりしていた。まだ蛍光灯などが製造中止になると思っているみたいなので、仲間が載せてくれていた照明工業会の文章も送ってみた。妹はほんとうに驚いていて、こわいといっていた。歩く時もスーパーでも注意するねと。人類はどうなるんだと。蛍光灯が調子悪いのでLEDを買わないといけないかなと思っていたところだったと。知ってもらうところから。
6/24@
影響を与えていた分今いろんなことが自分に跳ね返ってくる。正しいとしんじて疑わなかったことが、生命としては全くの間違い。周囲には柔らかい人たちがたくさんいて、それを教えてくれている。おかしな自分だけの常識の中には、やっぱり奥底におそれがある。もうそれもいらない。ちゃんと、ていう言葉がすごくいらないものに感じる。
スポットライトのLEDがギターの人も苦手になってきたので、手でもって方向を変えた。帰り道、その手がしびれていた。お店の人にわざわざスポット調整してくれたのにすみません、ギターの人もLED苦手になってきたのでと、伝えてみた。別の日2時間ほどギターの人はLEDの部屋にいなければならず、いつもちょっとあしが自由にならないのだけど、その日の帰りはすごく足が動かしづらかったといっていた。
6/20
数日前ころんだのは捻挫ですんだ、きょうは打撲で済んだからよしとしよう。その瞬間にもいろんなものが浮かんでくる。ぱっとつかまえて、見てみると、全部いらないものばかり。流れる方向に流してみると、そこにはひろい海が待っていた。
6/17
結構大きな病院に付き添いで行ったら、売店がコンビニになっていて入ると頭が痛くなるので、たぶんLEDだとおもうので、皆様の声という紙に書いて、みんなの写真も添えて箱に入れてきた。
いろんな自分を見せられている。見たくないもの、経験したくない感情など、出てくる。周囲と連動して。うわ〜っとなりながら坦々と。
自分のやりたいことってやっていいんだろうかとおもってしまう。多分いいんだろうけれど、ときどき、それは自分の病みがやりたいことなんじゃないのかと。生きるためにこれしかできないから、と、書くと、なんだか気持ちがスムーズじゃない。楽しいからやってるんだけど、楽しんでいるだけでいいのか、もっとちゃんとまともに働いて、生活費かせぎなよって言ってる自分もいる。やりたいこと、やっていること、自分が引き寄せた現実。すべて浄化されに浮き上がってくる。そのなかで何が残るんだろう。何も残らなかったらいいのかもしれないな。
北海道の地震で、展示してあった縄文土器がちょっとこわれたことのニュースをちょうど見てしまって、なんか見えないさくりゃくてきなものを感じてしまった。なんか感じ方がおかしいのかわからないけれど。他にもニュースにすることあるだろうと思った。そんな思惑まであきらかになってくるのだろう。
6/15
体調が不調なときはどうしてそうなったかとか、今は調子がいいとか、ようやくわかるようになった。今までは、全部自分の気持ちの持ち方がいけないのだとか、気持ちもすごく連動していたようだったし思っていた。あまりにも不調すぎたり、それが普通になっていたので、症状に耐えることに精いっぱいで、そんなこと感じる余裕もなかったみたい。普通になりつつある今がうれしい。
未来のお母さんとかを対象に子守歌の講座みたいなのをやってみる?と言われてふと思い出したのは、子守歌って自分の子育てのときは歌ったことがないということ。それより静かにして早く寝かしつけて、自分が休みたかったから。それだけ体調に余裕がなかったんだろう。子守歌ってもしかしたら大人のためにあるのかもしれないな。なんかそんな眠る前の安心と心地よさを思い出して、あじわいたくて。
6/14
無農薬で無化学肥料の野菜を作っている人の野菜を食べた。大根の葉っぱをいためて食べた。大地のエネルギーていうかそんな感じが伝わってきて、こんなに力強い野菜が市場にあふれたら、みんなおにくなどはたべたくならないのじゃないかとおもった。一口でいろんなことを感じさせてくれた野菜。黄色いズッキーニも、春菊はこんなに香ばしかったのかと、思わせてくれて、玉ねぎも生で時間がたってもおいしくて。作っている人もまた、自然な素朴な人で、LED黄色い感じがして嫌ですよねと。LEDで土壌まで変わっていくのはこまる。みんなの写真をある人に渡したら驚いていた。自分はカメラをもって探して歩いても、なかなかはっきりとしたことが見えなくてまだ撮れないけれど、できることを少しずつ。
ある産婦人科医がLEDを使用したグッズを作っていたので、メールしてみた。お返事はきたけれど、あたりさわりのないこと。本当に命のことを考えていたら、みんなの写真のリンクも貼ったメールから、人間として何か感じる感性はあるはずだけどなあ。立場が上の人は下だと思っている人の話はまともにとらえようとしないのかな。
6/9
なんで〜?みたいなことがおこってもいままでほどにあわてないでいれるようになると、これまでの自分のあり方が見えて、周囲に与えていた影響とかやっと感じられるようになって、まだたくさんいらないものはあるけれど、少しづつ見えるようになってきたこと、自覚できるようになる気がする。昨日はあまり縁したくないひとにあやまりに行かなければならない状況がやってきて、なんで?となったけれど、そんな感情ももういらないんだということ、自覚できなかった病み、そう、これも病みなんだ、、と少しづつ、体から離れかかっている。まだだけど。いらないものはどんな小さなこともいらないもの。全部浄化されていく。いっぺんになくならないときは、また次の浄化のチャンスがやってくる。
6/6
LEDの記事を紹介してくれた人が、仲間たちの写真を見てくれて、「こわいですね、実は自分の部屋だけLEDなんですが、最近怒りっぽいのはそのせいかな。」と言っていた。ほんとうに、植物や食物のかなしみがたまらない。
いろんなことがつながり始めて、うれしいんだけど、またどこかで足を引っ張られる気がして、そんなこと考えなくていいのに、そういう予防線を張りたくなる自分が、まだいる。
6/2
ニュースで街路樹が枯れて倒れたり、枝が落ちて人がけがをするということが続いているといっていた。画面ではわかりにくかったけれど、街路樹のそばには普通、街灯が立ってるよな〜とおもって。なんとなく気になる。ニュースでは街路樹の植えられている土壌環境や寿命が重なっていたりする可能性を言っていたけれど。広々と根を張れるところに植えてあげられるようになったらいいなあ。そもそも、木は自分で環境を選んで生えるものだよなあ。
人が喜ぶことってこんなにうれしいものなんだなと、やっと感じられるようになってきたことがうれしい。わたしをどうぞ全部ご利用くださいとなんだかおもえる。そんな中でプライドみたいなものが邪魔するときはこんなことも病みだったんだ!と、おどろく。ごめんさないとおもう。
5/31A
声は写真に撮れないのですが、@の日記でLED空間で心地よく歌っていた存在が、総会の時間に議事進行をするときは話し声の声がかすれていて、数時間フルで歌い続けたような疲れ方の声に聞こえました。おかしいなと思いました。その人は歌の経験年数は長いので疲れる歌い方はしていないはずなのにです。練習も疲れるような内容ではなかったし、いつもより総会のために早く歌の練習をきりあげたのにです。LED空間は平気な人には調子がよくどんどん声を出させるけれど、結果発声器官の疲れは早く、長期間続けると、声の衰えが早くなるのではないかとちょっと背中が寒くなりました。 わたしはその空間では歌い続けることができないので自分のデーターがわからないのですが、頭痛と息切れで歌い続けられないということでじゅうぶんでしょうか。
5/31@
ようやく午前中に普通に起きて動けるようになって、なんだか、やるぞ!みたいな気持ちに久しぶりになってきた。何年ぶり?何十年ぶり?こころが体を動かしてる。なんでもいっぺんにやろうとするから足が絡まって、こけて、おかしくなる。
土曜日の合唱団の練習がLEDの部屋だったのでしんどくなって、心配してくれた人にLEDのことを話したらLEDの6年前の記事を教えてくれて、お礼にページをお知らせしたら、「貴重な情報をありがとうございました。電気代が安く長持ちとのことで、安易にLEDに取り換えることが多くありますが、
リスクもあるということを認識して、今後注意します。」とお返事をくれた。ほんとうにまず、知ってもらうことから。
LEDの部屋で合唱の練習で歌ったら、呼吸が苦しくて、歌が続かない。頭もフラフラで、細胞がなにかを一生懸命防御しているみたいで、脳がとても忙しくなる感じがして、しんどかった。その中でとてもよく声が聞こえて、よく響いて、気持ちよさそうに歌っている人がいた。その団の責任ある立場の存在は、なぜか団を無意識に成長させない方向にもっていっている。その存在へ団員が感じていた違和感が本来のものだということが、その日の総会からもはっきりして、違和感を違和感として表現していいのだということをやっとみんな認識できるようになってきた感じがした。団の存続もどうなるかわからなく、なくなるものはなくなっていい、ここでゼロにするような分岐点に来ているねと、団の人と話した。
もう、ごく普通に本来のことを表現するだけで、ほとんど何のちからも必要なく、本来でないものは崩れるというようなところに来ている感じがする。
5/27A
こう動きたかったのだと感じました。それを感じさせないためにあった今までのしないでいい経験は後ろにおいて、いまから歩き始める道はやっとその道を踏みしめながら歩ける感じがします。
22日に阿倍野区民センターにイベント撮影のバイトでいったら玄関に縄文土器が!やっと出会えました。それまでのなにかが吹っ飛んでいきました。なんだか無条件に入ってくるながれこんでくるものを感じました。ありがとうとおもいました。
5/27@
ある劇団がヒロシマ・ナガサキのことを題材にしたお芝居を上演されると、案内が来て、おもわず私の長崎生まれの何かが反応して、劇団にメールを送ったら、そのあと、自分から何か重たいものが出てきて、感情とともに。そしてあの光はLEDと通じるものがあると感じた。一瞬か、長時間か、その影響は。すごく、すごくなにか、今のこのタイミングを感じる。これからは生命が安心という言葉もいらない、普通の中でただたんたんと暮らしていく時代を引き寄せる。
5/20
ココナッツオイルでパンケーキを焼くと、ほんとにおいしいおやつになるなあ。
前に進むことは大事だけど、何かしようしようとする気持ちだけがあった。
五月に入ってずっとおなかがおかしくて、ただ痛いだけでトイレ関係も、検査しても何もなかったのだけど、おととい風邪薬をもらって(LED病院のお医者さんは少し柔らかくなっていた。)飲んだりする中で、少し余裕が少し出て、ふと目についた未消化の感情を包んでみたら、痛いところから、冷たくなって、何かが出て行った。それからかなり軽くなった。
初めてのバンドの練習には体調もあって行けなかったけれど、他にもいろんなことがよってたかって押し寄せてきて、そんなに練習に行かせたくないのかなと思った。それだけ自分にひっかかる病みがあるということを見せてもらった。またか〜という被害者意識でくりかえさない。少し前に久しぶりにたくさん話せた仲間にアドバイスもらったことも大事にしていく。
ギターを独学で弾けるようになるのはすごいとおもう。左手指の皮がむけてきました。コード覚えられません。みんな若い時にどんな情熱でこれを弾きこなそうと思ったのか、すごいなあ。
5/17
眠りがおかしいのでふと横を見ると、こたつ布団をとったために見えるようになったテレビの下のなんかの器械の時刻表示の光にじっと見つめられていた。布で隠すとほっとして眠れた。
耳コピで覚えてその人なりにうたう歌って縄文土器みたいだなあ。
車内が青白〜い電車が走ってきた〜とおもったら、中はやっぱりLED。一駅だけれどたまらなかった。
LEDスポットが自分にあたってなかったから今日は楽だった〜とギターの人が言っていた。
たくさんお酒を飲むバンドの仲間の人が私の歌をたくさん聞いてくれた後、熱を出してお酒を飲むのをそれ以来やめているというのは偶然かもしれないけど、面白いなあ、よかったなあ。あまりたくさんのまないでほしかったから、よかったなあ。なんか散髪に行ったらしくすっきりしていたなあ。
食事のためにそこしかなくて入ったLEDのレストランでは食事中にまつ毛のきわがちりちりしてきて、トマトとエビのパスタも土のような味がして、会話もだんだんおかしくなった。久しぶりに入ったけれど、もう行けないなあ。
美容院に行ったら髪が痛みすぎていて、パーマをかけないでいいように美容師さんが上手に誘導してくれて、安くすんで助かった。LEDは少しだけはいっていてLEDが苦手と話すと、蛍光灯が残っていてよかったです〜と喜んでくれた。素朴な感じの人だった。普通の会話の中で、LEDのことを話すのにそれまで肩ひじ張っていた自分が見えた。
5/8
なんでかバンドをやることになった。それも自分から一番遠い世界と思っていた、ブルースとかロック好きのお兄さんたちと。なんか自分の音楽に足りないものを、教えてくれている。
気持ちだけすごくハッピーで、体がそれについていこうとしている。からだはLED食品の影響でか、膀胱炎になってLED病院に行くしかなく薬もらって。先生に待合のLEDしんどいです大豆や食品の影響、しんどい人周囲にいるんですと言ったらうんうんときいてくれて挙句、「ぜ〜んぜんわからん。僕たちは科学的根拠がないと動きません。」だって。バンドのオリジナル曲は「NO!LED」にしてみよう〜!
かいものがいやで、どこにいったらいいかわからない。ご飯作りもおかしなことになってる。玄米に救われ、やっとLED使ってない横山製粉の全粒粉でパンケーキを毎朝焼いて食べるとか、そのくらいであとは野菜をたべるとか、乾物とか、豆乳とか。LEDじゃないスーパーとか歩いて調べるというのがすごくおっくうになっていて、これではいかんのだけど、今はそんな感じ。
4月末のイベントは開催さえあやぶまれるほどの、メンバーとの意見の違いがあったけれど、なんだか全体がいいほうに動いて奇跡のような展開だった。今回はけが人もなく、病気になる人もなく、全員で出演できて、ありがたかった。皆さんのサポートのおかげです。
最近朝とても心身ともによくなかった。ふとおもいついたのは、朝から毎日苦手な声の人の歌がドラマの主題歌で流れているらしいということ。う〜ん。
連休明けまでのんびりしてから仕事探すとおもっていて、もう今日で終わりの連休。この数年で一番のんびりしていたなあ。音楽しかできないなら音楽の仕事来ないかなと思っている。収入のために自分にとって無理な仕事やっていたら自分の場合はこけてしまうんだとわかったから。
そんな感じでいろんなことのパターンが見えてきた最近。なにかをすれば必ず邪魔が入るしおかしなことになるし、とか少しは学習し、予測できるようになって過剰な期待はしないようになったり、あきらめじゃなく、歌声サロンだけで行こうと決めたら、バンドみたいに他からお呼びがかかったりとか、あるんやなあ。前からやりたいことだったのでうれしい。
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