日記
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日記
12/13A
ある会場で、鍵盤を押すと、鍵盤が赤くLEDで光るキーボード(楽器)しかなくて、4時間弾き続けたら、光学マウスを使っていた時みたいに、指の関節が固まった。ひじまで固定されたようになった。変にだるく痛くなった。機能を表示する中央部分はLEDで青く光るので、眼鏡ケースとかでふさぐしかなかった。 楽器メーカーにまでメールすることになろうとは。
LEDの赤い光を直接顔にあてて美肌効果を、という美容道具もあるみたいだけど、実験した人はいたのかなあ。肌は活性化(代謝が早い=成長が早い=老化が早い=エネルギーはないので枯渇する)するように感じるだろうけれど、顔の骨とか痛くならなかったのかなあ。
12/13
茶葉を取り扱うお店にLED使用をきいたところ、入荷してから出荷まではLEDは使用されておらず、お店の外の照明にはLEDを使っているということを教えてくれたけれど、製造、運搬、保管などの自社以外のところのことはわからないとの返事だった。製品の質だけでなくどの点においても販売する商品に責任は問われると思う。
むすめがある音楽会(ある先生の門下生の発表会)に出て、非常に疲れて、翌日の今日になっていろいろ言葉になって出てきたのを包んでいたら、かなり楽になったみたい。帰りの電車はLEDだったしというけれど、昨日の話を聞いていると、反応がすごかった。
会場がもしかしてLEDだったかもしれないと言っていたのと、出演者がお互いに出している想いの性質やエネルギーの影響もかなりあるのではないかということ。
LEDに似ているものだったかもしれない。
そんな世界でやる音楽。自分もわからなくなっていたけれど、最近よしあしでなく、普通に本来大事にされるものを大事にすることを少し思い出してきたかもしれない。
本来であれば、技術とか得る必要もなく、そうなっているんじゃないかな。こころがなくても、形だけまねしようとして、そうなれる技術を学ぶことが、勉強とされてしまったのではないのかな。
普通の人が普通に楽しんで、喜んでくれたらそれでいいとおもう。
12/8
季節はずれのほうせんか2、樹形の変形、エコですか?、11月22日の日記の桜の葉の、桜の葉の枯れ方の違和感。
どれも近所の風景。
11/22
今ホウセンカが咲いていた。
変わった紅葉をしているさくらにもであった。さくらって赤くなってから落葉すると思うんだけど、いつまでも緑と黄色のオブジェのような葉の色が続いている木がある。その近くにはLED街灯がある。
LED街灯から離れている木は、普通に紅葉してしばらく葉は木にとどまっている。
上記のオブジェのような木は、木の上部だけちょっと赤くなり少し落葉している。
11/15
LEDが靴の底についている靴のメーカーにメールしてみたら、定型文のような返事が来た。LEDで光る枡を作っている会社からはまだ返事が来ない。慎重に検討してくれているのだったらうれしい。
楽しいとおもえてどんどんアイデアがわくことも、これは中庸ではないなあ。
11/9
10月下旬に行ったラグビー場の近くのイチョウ並木は、ラグビー場に一番近いイチョウが葉っぱはまだ緑色なのに、銀杏がたくさんなっていて実がすでに下にたくさん落ちて掃除された跡があるくらいだった。 他の木はなぜかもう葉は黄色くなっていたけれど、実はなっていなかった。
木の幹の中心部まで露出するくらい木肌がけずられていた並木の中の一本は、駐車場の一番近くだった。
身近な並木はこれほどまでに剪定するのかというような状態まで剪定されている。この時期。人間の都合で、落ち葉の掃除がたいへんだから?
枯れたら切ればいい。それもばっさりと、何の思いやりもない木の切り口。
なんで?がそれはそうだろうなあ、に変わった。密度の濃い一年。一年ではない一年。 いろんな人に出会い、機会が来て、全部現実的にはおじゃんになったけれど、その手前のところで、たくさん仕事したかもしれない必然。
LEDつきのコップとか、足の裏にLEDランプが付いた靴とか、報道している放送局に、メールしてみた。安全性を確かめてから、報道されてはどうかと。受けましたというお知らせはきたけれど、感想は来ない。そういうシステムなのか、スタイルだけなのか。お客様の声は何のためにあるのか、どれくらい社内で共有されるのか。真実の姿が浮き上がってくるだけ。
10/18
夜にタクシーを待つ間、ずっとヘッドライトを見ていたら、こんなにすごいのか〜と思った。すぐに目を開けていられなくなりました。
ボブディランのリアルタイムの活躍時期に私は幼くて、よく知らないけれど、フォークの生い立ちみたいなものから言うと、賞とは関係ないものだと思う。フォークの根幹が問われる。そして賞を与えようとする存在の思惑も感じる。LEDと一緒にしないでほしい。音楽もそんな世界の影響を受けてる部分が多いと思うけれど。
10/13
私の家はマンションの4階(写っていないです)ですが、娘の部屋には、このLED街灯からの光が届きます。遮光カーテンで覆って眠るようになってからは、娘の様子が何か違ってきています。よく眠り、心身に余裕ができたようです。
信号の角度の関係で、横断歩道の直進方向と、左方向への信号が、同時に見える場所があり、直進が赤のときに、バックの建物の色と重なって、なんだか混同して、左方向への青信号を直進だと思い、横断歩道を渡ってしまいそうになって危なかったと、娘が言っていました。かなりのスピードの点滅を見つめているとどこか判断も鈍るような何かが起こるようです。
枯れていく道路わきのツツジです。8月に撮りました、植え込みの照明はLEDではないのに、まだらなおかしな枯れ方をするので、迷っていましたが、夜に見える景色はツツジにとって、しんどいもののようで、きになって、アップしました。
10/5
すごく、楽しいことをしてその結果お金をもらうことまでの過程が、なぜかとてもしんどい。でももらわないと食べていけない。 音楽て職業にしてはいけない性質のものなのかもしれない。
もっとふつうに楽しんで生きていいんだ。
ボール式のマウスにしたら、手がかたまらないし、いたくないです。ありがたいです。
9/30
コンプレックスと思っていなかったものがそうであるとわかったり、偽善を偽善と思わずやっていたから収入がおかしくなっていたことに気が付いたり、無有日記の15がアップされた日に、まさに自分の思いのままに表現することが普通であることを周囲から教えられたり、今までの自分の在り方が、一変したような日々を何度も繰り返し、気がついたら9月の終わりの日。
植物の様子を見ながら歩いていると、微妙なものが多くて、枯れていても、近くの照明がLEDかどうか確かめるすべがなかったり、普通のコケが木肌についているのかわからなかったり、そんな中で、写真を撮れずにいた木が次に行った時にはもう、切られていた。次、というのはないと。
大阪市内の公園でもヤマブキが咲いていた。仲間の写真のおかげで、今咲くのはおかしいんだと気づくことができたくらい、自分もおかしくなっている。微妙に、静かに、誰にもわからないように進んでいくLED化の影響。微妙だからその声を聴く。
打ち合わせでカフェはハロゲンだったけれど、なんかおかしいとおもったら、目の前の空気清浄機の表示ランプがみごとに3色の小さなLED。きょうはおとなしいねと周囲に言われるくらい、おかしな状態だったらしく、まったく気力が出ず、だるく、あたまが働かなかった。空気清浄機も昔はいらなかったはずなのに。その清浄機って何か大切な人の想いまで砕いてしまうのじゃないかって、出回り始めた時に感じたことがあった。
また違うカフェに行くと、そこは雰囲気はナチュラルなのに、お店の人がなんだかゆったりしてないし、テーブルの上の花もよく見ると造花だったりして、そのうち左まぶたがピリピリしてきた。天井左手に照明。よく見るとプチプチが3個あつまってガラスで包まれているLEDだった。家に帰ってからは、なぜかピリピリした左まぶたのちょうど下の涙袋がしばらくかゆかった。
公園の木の高い位置の木肌が荒れていて、しばらくなぜだかわからなかった。ふと横を見ると、2階建て駐車場が。木肌の変化です。
9/13
保健婦さんと面談する機会があったので、要件のあと、LEDのことをじっくり話を聞いてもらった。知らなかったです、と少し驚いていた。LEDの影響の写真とLED感染(1)を受け取ってもらえたので、皆さんで見てもらえるようにお話ししてみた。
音楽関係の人に、自分がLED照明の練習場所や、打ち合わせ場所は苦手なことを話したら、その人のお母さんが急に不調になったのは、お母さんの部屋を最近LEDに変えたからかもしれないなあといっていた。写真なども見てもらった。
あるスペースに下見に行ったら、子供たちが植えたというひまわりが元気に育っていた。施設の人が、ほんとうは子供たちの目の高さぐらいで花が咲いてほしかったんですけどね、元気良すぎて。こんな品種なんでしょうかね。と、いうひまわりの背の高さは、茎と、花の大きさからすると、ちょっと異様な高さだった。そばにはLED街灯があった。あわただしく、なにもはなせなかったけれど、次回必ず、と思う。
お店などに入って、ただ警戒してしまって、今までよく見ないでいたけれど、仲間に教えてもらって、形からハロゲンとわかったり、さわってみると温かさのある照明だったりして、ほっとすることがある。
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