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宗教における原理主義と改革主義
一牧口常三郎の挑戦一
宮田幸一
創価教育研究第2号
講演目次
1 牧口研究の個人的動機
1-1 末法年代の問題
1-2 東大法華経研究会編『創価学会の理念と実践』
1-3 新学生同盟
1-4 哲学的探求
2 現代宗教の諸問題
2-1 支配的文化の変動
2-2 現代宗教の役割の変化
2-3 信仰の諸形態
3 牧口常三郎の改革主義的運動
3-1 牧口常三郎の世界観
3-2 日蓮仏法受容の特徴
3-3 後期の科学的宗教観
3-4 牧口に残る原理主義
4 残された問題
4-1 教義的諸問題
4-2 運動上の諸問題
1牧口研究の個人的動機
1-1 末法年代の問題
ただ今ご紹介に預かりました宮田です。よろしくお願い致します。皆さんのお手元に配ったレジュメに添って大体のお話をしたいと思いますが、まず最初に「牧口研究の個人的動機」という話です。私自身が創価学会員としてもう40年くらい生きていて、創価学会の運動ということを考える場合に、牧口先生の宗教観は非常に重要な役割を果たしているという意識がずっとあるから、しつこく研究しているわけであります。40年といいましたが、私が創価学会と縁したのは、小学校3年の頃、母が健康を願って創価学会に入ってからです。わりと病弱な母が元気になって会合に出かけるのに私も付き添っていたので、創価学会というのはそこそこまともな宗教団体だなという印象を受けました。教義とか思想的なことは何も知らずに親の勧めるままに私も中学生の時に入信しました。
高校に入ってから教学試験を受けた時に、少し困ったことに出会いました。青年部の人がくれたプリントに「正法千年、像法千年、末法万年」「大聖人は末法の御本仏である」と書いてありました。私は歴史が好きだったので、「大聖人が鎌倉時代だから逆算すると、釈尊が死んだのはBCの900何年ということになるな」と計算してしまいました。それでちょっと気になって世界史の年表を見たら、釈尊が死んだのがBC400年頃と書いてありました。「あれ一、学会ではこう習ったけれど、どうなっているのかな?学校で習うことと違うな。困ったな。」と思いましたが、教学試験には、仕方ないから学会で習った事を書きました。その後このことはずっと気になっていましたが、私も受験勉強に忙しかったので、大学に入ったらゆっくりだれかに聞こうと思っていました。
さて大学に入ったら2ヶ月くらいまともな授業があったんですが、すぐ全学ストライキが始まり、それから1年以上授業がない、そういう時代になりました。学生が授業なかったらどういう生活をすればいいのか困っちゃいますよね。それで仕方ないので、その頃寮に入りまして、いろいろな先輩とか同期の人たちと一緒に学会活動するしかない。そういう中で、ちょうどその時東京大学の学内責任者が津田忠昭さんで、すごく面倒見もよくて、僕もよく相談していました。それで津田さんに末法年代のことについて、「学会ではこういっているけれど、歴史の年表には別のことを書いてあるのはどうしてですか?」とたずねたら、津田さんは「そんなことはどうでもいいんだよ。大事なのは君がご本尊に対してどれだけの確信を持てるか、信仰体験を持てるか、そっちの方が大事なんだ。」という内容のことを言われました。私は親の信仰体験は見ていますけれど、自分の信仰体験なんてほとんどないに等しい状態でしたから、「それもそうだな」と思って、仏法ってようわからんからとりあえずやってみようかなと思って、暇ですから学会活動をやり始めたというわけです。今から考えるとすごいこと言いましたね。「教義なんかどうでもいいんだよ、体験なんだよ。」ということですから。
ただその後まもなくフッサールの現象学を読んだら、その中に面白いことが書いてありました。「物事の本質を掴むためには先入観をなくさなければならない。そのためには一切の先入観を括弧にくくる。或いは判断停止をするということが必要だ。」と書いてありました。私は信仰の本質を知るためには教義を括弧にくくるということが必要かもしれないと思って、とりあえず教義問題は棚において、信仰活動の方に一生懸命励みました。
1-2 東大法華経研究会編『創価学会の理念と実践』
ストライキが強引に解除された後も授業は事実上出来ない状態が続いているころ、池田先生の方から「東大法華経研究会」編の『創価学会の理念と実践』の改訂版を「在学生の皆さんで作ってください。」という指示がありました。議論好きな在学生で、いろいろ検討し、「創価学会こそ世界で最も優れた思想、宗教だ」と言うためには、それをそこそこ証明するためのいろいろな議論をしなければならないということで、「創価学会の世界史的意義」なんて大それたテーマをつくって、西洋のデカルト以降のいろいろな思想の流れを踏まえて、そういう思想の限界を超えるものこそ創価学会である」というストーリーを書いてみました。しかし基礎の勉強が全然足りないから、けっこうこじつけみたいになって「お前それ説得力無いんじゃないの」とか言い合いながら、あまりいい出来じゃなかったけれど、とりあえず原稿だけ出しました。その時に「説得力をもった話をするには、信仰体験だけではなく、やっぱり勉強しなきゃいけないな」と思いました。
1-3 新学生同盟
その後津田さんが創価学会の外郭団体で学生運動を担当していた新学生同盟の議長になり、その後まもなく学生部長になりました。それで先に述べた原稿を一緒に書いていた西口浩さんが議長になり、中野毅さんが副議長、私が書記長という体制で新学生同盟を運営することになりました。私はそれまで学内活動しか経験がなく、新学生同盟の実態については何も知りませんでしたが、行ってみると学生運動をやっている学生部員が結構いました。新しい学生運動の構築を目指すという意気込みはあったのですが、具体的に何をやればよいのかというと、それぞれの大学によって状況が異なり、とりあえず勉強会を組織していくことになりました。
その頃創価学会ではやったキータームが「総体革命」です。仏法を根本に政治、経済、文化、教育、マスコミ、その他いろいろな面で社会活動をやっていこうというニュアンスがありました。その総体革命論に合わせて、創価学会系の労働組合運動が計画され、「青年政治連盟」「女性平和連盟」などの外郭団体が作られました。現在でも残っているのが「働く婦人の会」「主婦同盟」ぐらいかなという程度で、ほとんど解散してしまいましたが。
そういう状況の中で「創価学会の社会的意義」や宗教団体としての創価学会と外郭団体との役割の相違などを、あれこれ考えて実験したりしていた時期だったんです。私も勉強会でこの問題をいろんな人と検討してきました。その後西口さんたちは本部職員になって、創価学会の反戦・平和運動を担当するようになりましたが、そのきっかけは新学生同盟時代の経験ということになります。
1-4 哲学的探求
さて私も卒業する頃には、将来のことを考えなくてはならなくなりました。私のしたいことは「創価思想の宣揚」ということでしたが、本部職員になると思想的自由がなくなりそうだったので、とりあえずヒマそうな哲学科の大学院に進みました。ところが行ってみると予想がはずれ、結構大変で、研究者として自立するための勉強に忙しく、創価思想の研究はいつも頭の片隅にはあるが、ほとんど出来ないという状態でした。オーバードクターの頃に、中野さんの紹介で東洋哲学研究所の研究生になり、研究課題として一番専門に近い牧口価値論の研究をすることになり、後藤所長が中心になった牧口価値論研究会に毎月参加することになりました。そこでいろいろな人に刺激を受けて、また哲学的研究の中で習得した議論の方法を応用して、私なりの牧口研究、創価思想研究ができるようになりました。新潟短期大学に赴任した頃は牧口全集の注釈、解説を依頼され、そこでかなり牧口研究が進みました。その後縁あって創価大学人文学科に来ることができ、現在は私なりに自分のライフワークが進められる状況になっています。
一度は教義問題を棚上げにして信仰活動をしていたわけですが、いくつかのシンポジウムなどで創価学会の意義について語る必要がでてくると、いつまでも括弧に入れて封印しておくわけにもいかず、徐々に括弧を外す理論作業をしてきました。この問題を考える場合に一番重要なことは、宗教的真理を含む真理一般をどのように考えるかという問題です。例えば、「大聖人の仏法は絶対に正しい、永遠の真理である」などと言ったりしますが、哲学の議論では「絶対に」や「永遠の」という言葉は、定義できない言葉であって、話者のある種の感情を示すことはできても、何かの事実に関して有意味な情報を与える言葉ではないと考えられています。また「正しい」や「真理である」という言葉も、その言葉を使う人々の間に共通の正義観、真理観がなければ、有効な議論をすることができないということも明らかであります。20世紀前半
までは哲学の世界でも、永遠の真理を目指す傾向が強かったのですが、現在は相対主義的な真理観が比較的多くの哲学者に支持されていると思われます。
牧口先生も『創価教育学体系』においては、「公益=善」と定義していますが、それは「社会が変われば、善の定義が変わらないにしても、善の内容は変わっていく」という相対主義的考えです。そういう相対主義的な善と「大聖人の仏法は絶対的な真理である」という主張とを、どのように整合的に説明するのかという問題があります。
私は大学院ではフッサールの現象学を研究していましたが、フッサールは永遠の真理を探求し続けた哲学者です。宗教が永遠の真理を主張するから、それを哲学的に基礎付けることのできる方法論を探して、私はフッサールを研究していたのですが、そのうち真理を認識論的に基礎付けることによって永遠の真理を獲得するというフッサールの方法論には無理があると思うようになりました。大学院時代に流行ったものに、トーマス・クーンの『科学革命の構造』という本があったのですが、そこでは科学的真理に関しても相対主義的な考えが述べられていました。
オーバードクターの頃は後期ヴィトゲンシュタインなどの分析哲学にも研究の幅を広げていきましたが、そこで学んだ言語行為論が真理問題に新しい視点を与えてくれました。言語行為論では真理ということについて文と言明を分けます。例えば、「大聖人は釈尊滅後二千年以後の末法時代に生まれた」という文について考えると、その文はいつの時代においても真か偽かどちらかであり、その真理値は永遠に変わることがないという考え方が、真理値を文に認める考え方です。それに対して言語行為論では、「真理値は文ではなくて言明にかかるんだ」という考えです。つまり「誰が、いつ、何を言ったのか」ということが真理であるかどうかを判断する場合に重要なことだと考えます。例えば「今日は天気がいい」という文を考えると、快晴の日にこの文を発言すると、その文は真になりますが、雨の日に発言すると、同じ文が偽になります。だから文ではなく、特定の人に発言された文=言明が真理値を持つという考え方が必要になるわけです。そしてある言明が真とされたり偽とされたりする場合に重要なのは、その発言がなされる社会の知識のあり方、文化によって真偽がその都度判定されるという真理に関する文化的相対主義を認めることだと思われます。
ですから大聖人が鎌倉時代に「自分は末法時代に生まれた」と言った時に、その言明は偽なのかというと、それはその当時の文化的条件により判断されるわけです。その当時は皆、釈尊が死んだのは、今で言う紀元前九百何年だと信じている文化の中で生きていたのですから、大聖人は真なる言明をしたと判断されたわけです。
ところが現代になると歴史学的研究の結果、釈尊の亡くなった仏滅年代というのが変わって、標準的には約紀元前四百年頃ということになっている。したがって今誰かが「大聖人は釈尊滅後二千年以後の末法に生まれた」と言うと、それは歴史的事実に反していると判断されることになります。「いや、これは大聖人が言っていることだから、正しい」という原理主義的な態度を取ることも一つの可能性としてありますが、ここで考えるべきことは、大聖人がそう言ったのは、鎌倉時代の文化的状況の中でそう言ったのであって、現代の文化的状況の中で、同じ文を誰かが言ったとしても、それは大聖人の言明ではないということであります。
このことはまた同じ文と見えるものが、実は異なった文であるということを例によって示すことで、少しは理解しやすくなるかと思います。例えば「3+3=6」という文を考えて見ましょう。フッサールはこの文は古代ギリシャにおいても、現代においても不変の真理であると考えました。ですから多くの哲学者は永遠の真理の見本を数学的真理に求めました。でも例え
ば小学生なら「1-3=」という問題を出されれば、「1つのものから3つのものは引けないよ」という反応をして、この問題はおかしいと判断します。でも中学生になると負の数という概念を導入することにより、計算可能になります。つまり「3+3=6」という文は、小学校時代と中学校時代では異なった意味領域の中にあり、異なった数学をしているのだから、数記号や演算記号が同じだからという理由で同じ意味を持つ同じ文だとは判断してはならないということになります。真理に関する文化相対主義の必要性についてはまた後ほど述べてみたいと思います。
2 現代宗教の諸問題
2-1 支配的文化の変動
次に現代宗教について考える場合に必要な支配的文化の変動ということについてお話したいと思います。要するに現代の支配的文化はサイエンスであるということです。みなさんがたがどう考えるかは分かりませんが、祈るという心の作用によって物を動かすことができるかといえば、それはできないというのが現代の科学の回答です。ですから人類は長い間宗教的儀礼を通じて天候に関する祈りを捧げてきましたが、それは天候には何の影響も無いと現代では考えられています。鎌倉時代に大聖人は祈雨の効験によって仏教の正邪を争うということをしていますが、それは雨をコントロールしているのは竜神であり、宗教的儀礼が竜神に影響を与えると信じられている文化の中で意味を持つ行動であります。天候と信仰を関係づけるということは人類の根深い風習ですが、科学が支配的な文化においては、実効的な行為とは見なされません。
心によって物を動かすことはできないというのが現代科学の大前提ですが、例えばオウム真理教では空中浮遊を主張し、そんな教団に理科系の大学院を出た人間が加入するという現象が起こったりして、必ずしも現代科学が前提としている唯物論が受け入れられているわけではない。なぜ唯物論がかならずしも説得力を持つわけではないのかといえば、人間は少なくとも自分の身体は自分の心によって動かしていると信じているからです。一部の過激な哲学者は、このような心が身体を動かすという考えを「folkpsychology(民間心理学)」と呼んで、脳科学を知らない人々の誤った考えであると非難していますが、生活実態としては、心が身体を動かすと考えてもほとんど不都合はないわけです。
我々の日常実感とはちょっと違いますが、現代科学はいろいろな生命現象を物理現象で説明する。生物をDNAで説明する。自然科学を哲学的に基礎付けたデカルトは、人間の身体は他の動物の身体と同様に物ではあるが、人間には物とは異なる精神があって、それが身体を動かしているという二元論を主張しました。デカルトは「少なくとも人間の心だけは物じゃない」と言いました。人間の心は他の動物が持たない「理性」と「自由意志」を持っている。だから人間は「物」に還元できないと主張したのです。
ところが現代においてはその心が脳によって生み出されているという脳科学的な考えが強くなってきています。皆さんもスーパーの魚売り場で「さかなを食べると頭が良くなる」という音楽を耳にしていると思います。30年前でしたら、こんなことを言うと非科学的と言われたと思うんですが、現代では皆そうかもしれないと納得して魚を買います。それは魚に含まれる特定のたんぱく質が脳の記憶活動を活性化するという科学的データがでたとされているから納得しているわけです。またカルシウム不足になると怒りっぽくなるとか心理状態も脳の状態によって説明されたりする。要するに「脳」をコントロールすることによって「心」もコントロールできる。つまり「心」というのは自立した存在ではなくて、「脳が生み出すもの」なんだという考え方が非常に強くなってきています。
これはある意味で現代宗教にとっては大きな脅威になっていくと思います。宗教は今までずっと「心」を頼りにして、「心」を標準にして、頑張ってきたんですね。人間やはりいろいろ落ち込む。「落ち込む」というのはどういうことか知りませんが、なんとなく「心」の状態だという気がしますよね。そんな時にいろいろな人から声をかけられて、自分で心をもう一回しっかりさせて頑張る、そんな「心」があるというイメージ。その「心」を何とか良い方向に持っていく。そのために宗教があるんだ。
ところが落ち込んでいる心を元気にさせる脳内物質が発見されれば、「落ち込んでいる」「ああそう、じゃあ、注射1本」「はい、元気になりました」なんて時代になったら、どうなるんだろうという気がするんですけれど。そこまで行かないにしても、それに似たような現象がその内起こるかもしれません。そうなったら「宗教なんて要らん」という世界になるかもしれません。これが私の一つの問題です。
「脳を操作することによって、人々に幸福感を感じさせる」という脳科学に基づいた技術が生まれる可能性はありますね。そういう時代になれば幸福になるためには宗教が必要だという議論も事実上の説得力を失う可能性があるかもしれません。
なかなか「サイエンス」というのは厄介な相手です。とにかく我々はサイエンスの動きの中で、宗教を考えていかなければならない。長い間、宗教が文化の中心だった。大体、宗教が生まれたのがいつかは知りませんけれども、葬式をしたというのが宗教の始まりであれば、7万年か8万年前に葬式をしたらしいです。ですから人類は7万年も宗教を持ち続けてきたわけです。つい最近になりまして、その「脳科学」ができまして、「脳で心を操作する」そんな話になってきました。まだその考えにはそんなに慣れていませんし、技術的にもまだ可能ではないので、とりあえずは、「自分の心によって自分の行動をコントロールする」ということに焦点をあてた宗教の有効性はまだ説得力を持ち続けるだろうと思いますが、いつまでこの状態が続くかは予測しがたいものがあります。
2-2 現代宗教の役割の変化
ただ宗教の役割自体は大きく変わりました。中世において、宗教は教育機関でもあった。或いは医療機関、福祉機関、それから学者の機関、法律を宗教が制定する。そういう社会のあらゆるところに宗教が浸透していた時代があった。ところが近代以降、そういうものがどんどん減っていく。そういうような世俗の教育であれば学校とか大学とか、医療だと病院というものが造られる。福祉については今なら福祉施設はいくつもできています。そういう意味でどんどん社会制度として宗教から独立していく。これがマックス・ウェーバーの『世俗化論』という話で、社会全体が世俗的になって宗教の果たす役割というのは人間の心の中に行ってしまう、そういう議論です。
今社会制度として宗教が果たしているのは、国によって違いますが、「婚姻制度」があります。教会で式を挙げて牧師がサインをする。それが正式の婚姻証明書になるという制度の国もあります。それから葬儀やお祭り、こんな程度が現在宗教に残っている社会制度としての機能だと思うんです。もっともイスラム国家では宗教の社会制度として果たす機能はもっと大きいものがありますが、多分社会制度の世俗化という傾向は続くと思われます。
社会制度としての宗教の機能は縮小したけれども、創価学会が熱心にとりくんでいるような活動、基本的には心のケアというか、人々が自信を持って生きていけるように、なんとかその方向に心をケアしていく、そういうような仕事というか社会的役割というのが現代宗教の主な仕事になってきています。そういう意味で、宗教の役割もかなり変わってきています。それで役割の変化に伴って、信仰についての形もかなり変わってきていると思います。
2-3 信仰の諸形態
それで信仰の形態には大きく分けて3つあると思うんですが、「伝統主義」と「原理主義」と「改革主義」。皆さんにわかりやすい話をするとすれば、日蓮正宗が「伝統主義」です。基本的には近世以降担ってきた「葬儀」と「法要」という社会制度的な機能を遂行していく集団です。これは既成の価値観とか社会的機能を維持するというものになります。一般に新しい価値観に対しては批判的でありますが、自分達の既得権益がそれなりに確保されていれば、権力に対しては従順です。
それに対して、新しい価値観を積極的に受け入れて、宗教も新しい社会に一層適応したものに変えていこうというのが改革主義です。伝統主義的な宗教には魅力を感じないが、それでも宗教は何らかの意味で必要であると考える人々が持つ信仰形態です。創価学会もこの形態に含まれます。
原理主義は伝統主義と同様に新しい価値観に対しては批判的でありますが、自分達が重要だと考える宗教的理念を実現するためには、それを邪魔する権力や既成集団に対して激しく敵対するという特徴があります。社会悪の理由を信仰心の、しかも特定の宗教心の欠如に求める反体制的な復古的な運動であります。今まで創価学会関係で「原理主義」のグループというのは、正本堂建立の時に顕在化した「妙信講」、現在の「顕正会」のグループと言えます。創価学会を「改革主義」といい、「妙信講」を「原理主義」という、その基準は一体何なのでしょうか。
実は正本堂を作るときに、「本門事の戒壇の建立」という位置付けがありました。「本門戒壇の建立」というのは「三大秘法」が完成し、広宣流布という宗教的理想が実現されるという意味がありました。
ところが「三大秘法」の中でも「本門戒壇」については、「三大秘法抄」以外に明確に記述した文献がありません。「三大秘法抄」が本物であるか偽物であるかということについていろいろ論争がありますが、私はどっちでも構わないというか、基本的にあそこに書いてあることは大聖人が書きそうなことだなという、そういう気がします。大聖人は最澄が大乗戒壇をつくったということをモデルにして考えています。或いはその当時の「出家制度」というのが今とは違って制度的にしっかりあります。どこかの大きな寺院の役僧になるためには、正規に戒壇で受戒しなければなれません。そういう僧侶は国家公務員みたいなものです。そういう制度がしっかり残っていますので、大聖人もそれを踏まえて、やはり「本門戒壇」というのはパブリックな形で認められなければならないと考えていたと思われます。それを「三大秘法抄」では「勅宣並に御教書」と書いてある。「勅宣」とは「院または朝廷の許可」、「御教書」というのは「幕府の許可」要するに「幕府と朝廷の正式の許可」があって、「本門の戒壇」を作るんだというのが「三大秘法抄」に書いてあるんです。
それで戸田先生が政治活動を創価学会がする理由を二つあげて説明しています。一つは「本門の事の戒壇を建立する」、つまりこれは国立戒壇を建立するということです。どうなれば国立戒壇になるかというと、国会の議決、これをしないと国立戒壇にならない。だから国会議員にシンパを作って議会の過半数でもって「国立戒壇を建てましょう」という国会決議をしてもらう。もう一つは世の中こんなに不幸になっている。それは国全体は少しは良くなったかもしれないけれど、庶民はまだまだ貧しい。個人の幸福と社会の繁栄が一致する。そういう社会をつくろうではないか。そのために我々は政治に参加するんだと。この二つの理由です。
私はそれはそれでいい理由だと思うんですけれど、ただ問題なのは「国立戒壇」を国会の議決によって作るというのは憲法上できないんです。今の憲法では、国は特定教団に援助をしてはいけない、国は宗教に対して中立でなければならないと規定しています。国会決議で「本門の国立戒壇をつくりましょう」とは、今の憲法ではできません。それをいろいろなところから批判されました。それでその当時の法制局長官の答えは「公明党や或いは創価学会がそういう運動をするのは憲法違反ではない」なぜなら、自民党だって「憲法を変えよう」と政治活動している。だから「憲法を変えよう」とか或いは「政教分離原則を廃止しよう」という趣旨を含む運動、これ自体が憲法違反になるわけではない。ただしそれをやるには憲法を変えてくださいというのが法制局の見解でした。
それでそういう批判があったときに、創価学会には二つの道があった。一つはあくまでも「創価学会は頑張って絶対多数を取って憲法を変える」そこまでやろうという運動路線が一つです。もう一つは「政教分離原則を受け入れて国立戒壇を作るのはやめよう」という考え方です。それで最終的に創価学会は1970年の5月3日に「国立戒壇論」を全く放棄しました。そして「国教にする」ということも否定しました。それによって正本堂は「事の本門戒壇」であるけれども、「民衆立」なんだと、こういうふうになった。
これで一件落着と思ったんですけれども、やはりいるんですね。「原理主義者」が。「妙信講」のメンバーが「御書に『勅宣並に御教書』と書いてあるじゃないか。戸田先生だって国立戒壇と言っていたじゃないか。創価学会は間違っている」と、批判してきたんです。彼らは創価学会に言っても埒があかないものですから、日蓮正宗の宗務院に矛先を向けました。その時の教学部長が阿部日顕。彼が書いたパンフレットの中には「本門の戒壇は国立戒壇である必要はない」と書いてあります。最終的にはその時の法主である細井日達が、「正本堂は将来において本門の戒壇になるべき建物である」というような裁定を下しました。要するに「先に建っちゃったけれど、これは本門の戒壇である。現時点では本門の戒壇だ」そういうニュアンスでした。それで基本的に「勅宣並に御教書」はありませんから、そう意味では「三大秘法抄」には反するのですが、一応宗門も創価学会に立場を合わせてくれた、そんな感じのことがありました。
それでは創価学会がなぜ重要な教義解釈を変更したのか。それは、国立戒壇に固執すると、戸田先生が言った第二の目的、つまり「個人の幸福と社会の繁栄が一致する」そういうような社会をつくるという目的を達するための政治活動ができなくなるという、ある意味で世俗的な目的というか、会員の多くにとって共感されている目的の実現のために変更する。そういう考え方を取ったわけです。これが「改革主義」ということの重要な論点です。
それでは何故創価学会がそんな考え方を取るのか、また取ったとしても会員の方から多少は不満が出ても、大多数の会員が創価学会の教義解釈変更を支持したのか。それは最初に述べた教義の棚上げ問題があります。「教義なんてわからなくてもいいんだ。信仰して体験してみることこそ大事なんだ。」という考えは、創価学会のある種の体質というか、基本的な信仰の受け入れ方になっているということです。それでこういう体質はどこから出ているのかというと、実は牧口先生なんですね。
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