アメリカのプロテスタント系のキリスト教は、しばしば二つの陣営として記述される。「自由主義者」と「保守主義者」(これには原理主義者と福音主義者の両者が含まれる)の区分は、深刻な区分であり、しばしば辛辣な対立と定型的な特徴をもつとされる。この辛辣な対立については、社会学者や歴史家に説明を任せよう。本書の目的は、この二つの陣営の知的立場の相違を解明することを手助けし、近代の哲学こそがプロテスタント的キリスト教の思想の二分化の主要な原因であるという主張を提示することである。(私は本書では、プロテスタントの思想に集中しているが、同様の区分はカトリック教会内部にもすることができる。)
本書の二番目の主張は、この区分をもたらした近代の哲学的立場は疑問視されているということである。だから今こそ、ポストモダンの時代においてどのように神学が形成され、左右の神学者たちの和解を形成すべきかを問わなければならない。
本書の第1部で知識と言語に関するさまざまな近代哲学の立場を、自然科学に基づく近代の決定論的世界観を考察し、神学に対してこれらの哲学的議論がどのような影響を与えたかを吟味する。私の主張は、もし神学者が近代世界において、有意義な仕事をしようとするならば、いかなる場合においても、神学者にとっては、哲学的想定(assumption)が与える限られた選択肢を使うしかないということである。実際に神学者たちは、いくつかの選択肢群を提示された。そのどれかの選択肢群を選択することにより、特徴的な自由主義的あるいは保守主義的な神学が生み出された。
第2部において、展開されつつあるポストモダンの思想と並んで、近代の哲学への批判を概観し、この新しい哲学が神学に対してどのような影響を与えるかを考察する。
第1章では、知識に関する近代哲学の二つの主要な側面を説明する。第一に、基礎づけ主義 (foundationalism) は、知識を建築に似たものと考える知識論であり、すべての信念を、疑うことのできない特別な種類の信念(基礎信念)に遡及させることによって、正当化することを要求する立場である。私の主張は、この基礎づけ主義が自由主義と保守主義の分裂をもたらしたのであり、神学者たちは、基礎信念の源泉として、聖典を選ぶか、経験を選ぶか、のいずれかしかなかった。保守主義者は聖典を選び、自由主義者は経験を選んだ。
知識に関する近代哲学の第二の特徴は、「内部―外部」という特徴である。すなわち近代哲学は、認識主体の精神の内容から出発し、この内的表象 (representation) から外的世界の特徴についての結論へと推論しようとするのである(デカルト)。自由主義的神学者は「内部から外部へ」という思想家であり、保守主義者は「外部から内部へ」という方法を採用する。
第2章は二つの近代の言語哲学を考察する。支配的な理論は、表象主義的 (representational) すなわち指示的 (referential) 理論である。この理論は保守主義的神学者によって使用され、かれらの宗教的、神学的言語観は命題的 (propositional) 言語観と一般的に呼ばれている。第二の言語理論は、表現主義的 (expressivist) 言語観と呼ばれうるし、それは自由主義者の宗教言語観である。
宗教言語に関する自由主義者と保守主義者の対立は、どのように、神学や宗教がほかの学問、特に科学と関係するかという問題に対応している。宗教言語に関する表現主義的言語観は、神学と科学とは、実在 (reality) に関して相互に影響しないとみなすことを許容する。それに対して、宗教言語に関する命題的言語観は、神学と科学とは重なり、対立することがありえ、それぞれ実在に関する唯一の記述に寄与すると見なす。
第3章では、近代の世界観を特徴づける一連の概念、すなわち、原子論、還元主義、決定論の関連を扱う。これらは初期の近代科学から力を得た哲学的、あるいは「形而上学的」立場である。これらの神学に対する影響は、神の行為の問題に関係している。すなわち、もし宇宙における物理的過程が物理学の法則によって、厳密に決定されているならば、神はどのように行為するのだろうか。二つの典型的な回答は、1、神は自然過程の中で、あるいは自然過程を通じて、行為するという自由主義の考え(内在主義)と、2、神は特別な啓示的な出来事や摂理的な出来事をもたらすために、自然法則を侵害し、中断させることができるし、それを厭わないと言う保守主義の考え(介入主義)である。
また第3章では、自由主義も、保守主義も、自然や神学の方法に関する整合的な説明を形成するが、その仕方を考察する。すなわち、神学者が神の行為に関してする選択は、他の問題に関する重要な意味を持つ。内在主義的な考えは、神学的な基礎づけに対して経験的な方法を、また宗教言語の表現主義的な見方を採り、外在主義的な説明は、神学的な基礎づけに対して聖典主義的方法を、また宗教言語の命題的な見方を採る。
第4章は、哲学者に基礎づけ主義を放棄させた批判をまとめ、クワインからアレスデア・マッキンタイアに至る、認識論に関して展開されている「全体論」的方法を記述する。われわれは、神学者が使用する全体論をいくつか考察し、その未来の発展可能性を予測する。
第5章では、ポストモダンのルードウィヒ・ウィトゲンシュタインとオースティンの言語論を考察し、神学言語や宗教言語の説明に対するその影響を考察する。
第6章では、自然に関する還元主義や決定論を疑問視させる科学における変化を考察する。その変化は諸科学の間の関係について、また科学と神学との関係について新しい見方を提示し、神の行為についての近代の回答に大きな前進をもたらしている。
結論において、私は、新しい時代において、現在の自由主義と保守主義との相違がどのような役割を果たすかを考察する。私は、左右の神学上の立場の相違は残るだろうが、その相違を全く分裂した二つの陣営にもたらす知的な強制力はもうなくなるだろうと主張する。
私は哲学が神学の発展において果たす役割を強調するが、このことは多くの人を驚かすだろう。私の主張の正当化は、本書における議論の成功によってなされうるが、ここで哲学の役割について少し説明し、それにより、哲学が神学に対して大いに関係すると期待してよいことの根拠を与えることは、有益であろう。つまり、その根拠とは、哲学が文化のほかの部分に対して持つ関係に基づいている。ヒューストン・スミスは『ポストモダンの精神を越えて(Beyond the Post-Modern Mind)』(1989) において、次のように述べている。
「ある時代の想定は、その時代の内部で生きている人々の思想、信念、期待、イメージを特色づける。これらの想定は、つねに我々とともにあるので、ちょうど、眼鏡をかけていても、それに気づかないように、普通は気づかれないままである。だがこのことはそれらの想定が重要ではないということを意味しない。究極的には、我々の外見の基底にあるこれらの想定が、われわれの芸術や制度を規定している様式において、世界を屈折させている。住む家の様式、善悪の感情、成功の基準、何を義務と見なすべきか、男らしさ、女らしさとは何か、どのように神を崇拝するのか、あるいは崇拝すべき神を我々は持っているのか、ということをこれらの想定が規定しているのである。」
哲学の主要な役割は、これらのしばしば見えない想定を明らかにし、それらの想定を批判し、それらを改良したり、改変したりすることである。これらの新しい理論は次の時代の学問が基づけられる新しい想定となる。このようにして、哲学は、過去の時代の最も基本的な特徴を総括し、来るべき時代の特徴を予描するのである。
われわれは、神学者が思考において使用しなければならない素材を研究する、(場合によっては変えることを勧める)学問こそが哲学であると言ってもよいだろう。我々は、キリスト教神学の内容と、神学者がその内容を議論したり、正当化したりするときに使用するカテゴリー、概念、論証形式とを、区別できる。内容とカテゴリーとのこの区別は、厳密ではないが、神学の内容は独自の特殊な資料(例えば、啓示)から生じるのに対して、概念や論証形式は哲学の領分だと考えることができる。
私は「近代」という言葉を使い、哲学における「ポストモダン」の発展という私の発言は、近代の終わりということを意味している。ある歴史的時代と別の時代との明確な境界線を引くことは非常に困難である。変化とともに常に連続性があるし、ある時代から別の時代への移行を示す変化は、すべての学問や地理的な地方において同時に生じるわけではない。しかしながら、哲学では、ルネ・デカルトが最初の近代の哲学者であることは多くのひとに認められているから、1650年のデカルトの死亡の年が近代哲学の始まりとしてしばしば使われている。近代の始まりを示すために哲学史を考察していることに注意を向けてほしい。神学を考察する場合には、その日付は異なる。フリードリヒ・シュライアマハーはしばしば最初の近代の神学者と呼ばれ、1799年の『宗教論――宗教を軽蔑する教養人への講演』の出版が近代神学の重要な日付であり、デカルトから150年以降のことである。
もし自然科学を見るならば、近代の初めは、ガリレオの1632年の『天文対話』の出版になるだろう。なぜならコペルニクス的革命が中世の世界観の終わりの始まりだからだ。
芸術、建築、文学、哲学、自然科学を含む多様な学問において、多くの著者は、近代が終わり、新しいポストモダンの時代が来たと主張している。しかしながら、「ポストモダン」という言葉は非常に論争の的となっているので、これらの学問に共通に適用できる意味を見出すのは困難である。最も一般的な用法は、フランス構造主義から生じた、文芸批評における脱構築主義の用法であろうが、本書ではそれを採用しない。むしろ、本書の第2部では、英米哲学のポストモダンの立場を採用する。この立場はほぼ1950年頃に形成され始めたので、この年を哲学における近代の終わりとポストモダンの始まりとしたい。さらに哲学と文化の他の側面との関係について私が既に述べたことが正しければ、近代自体を1650年から1950年としても不合理ではないだろう。もちろん知的時代は突然終わるものではないし、われわれはまさに、知識、言語、実在についての一つの見方から、別の見方への移行の真最中にいるのである。
第1部で扱う哲学者は、ルネ・デカルト、ジョン・ロック、デヴィッド・ヒューム、トーマス・リード、イマヌエル・カントである。彼らの相互の関係と、神学的発展との関係を示せば、デカルト→ロック→ヒュームと来て、そこからリード→プリンストン大学の神学→原理主義とカント→シュライアマハー→自由主義とへ分岐する。
この描写は、次のような知的依存関係を表現している。ロックはデカルトの知識の基礎づけ主義を継承し、それを多少変えて、宗教的知識に適用した。ヒュームは、ロックの科学的な知識や宗教的な知識に対する肯定的な理論を疑問視する懐疑論的議論のために、この歴史的系列において重要である。リードとカントはヒュームの懐疑論に対して独自に対応し、その中で、神学的伝統発展の哲学的資料を与えた。リードはチャールズ・ホッジやその子のアーチバルド・アレキサンダー・ホッジ、プリンストンのベンジャミン・ウォーフィールドのような神学者へ影響を与えることを通じて、アメリカの原理主義につながる。カントはフリードリヒ・シュライアマハーや他の19世紀のドイツの自由主義的な神学者に影響を与えた。詳細は本論で述べよう。
学者は、「理念型」、すなわち、多様な歴史的立場から抽出される複合概念、ある程度ある学派や伝統に属するメンバーに、全体的に当てはまり、特徴づける思想の一覧表を作ることは有益だと考える。ドイツの社会学者マックス・ウェーバーは理念型を多用した。彼の目標は、もし経済人が完全に合理的に行為したら、何をするかについてのモデルを作ることであった。私の目標も同様である。すなわち、近代の哲学的世界観という条件が与えられれば、2種類の神学のみが、神学に対して合理的で、整合的な方法を形成するということを示すことである。
詳細な歴史的証拠を与えることはできないが、この2種類の神学が神学の実際の歴史と関係づけることができ、特に近代アメリカにおいて、自由主義者と呼ばれる神学者と、原理主義者あるいは福音主義者と呼ばれる神学者との相違をかなり説明できるということを主張したい。両者を統合しようとする神学者は、相手から失敗していると見なされたことを私が示すことができれば、それは非常に興味深いことであろう。
(注 これら(福音主義、原理主義、保守主義)の言葉の正確な指示対象は論争の的となっている。「自由主義」と「保守主義」の適切な用法についての私の見解は、最初の3つの章の仕事であり、ここでは論じないこととする。アメリカの原理主義的な運動は、「ファンダメンタルズ(諸原理)」と呼ばれるパンフレットに刺激された20世紀初期に生じた運動として定義できるが、それは聖書の不可謬性、贖罪、イエスが処女から生まれたことを含む奇跡の歴史性などのカルヴァン派の正統教義を強調している。福音主義者は時にはネオ原理主義者と呼ばれ、その多くはかっては原理主義者であったが、その立場を穏健にした人々である。しかしながら、福音主義的運動は、原理主義と自由主義との中間的立場をとろうとするメノナイト派やペンテコステ派を含む、より広いキリスト教徒を含んでいる。)
歴史家クロード・ウェルチは自由主義神学の主流派の主要な特徴として以下のものを挙げる。
「カトリックが超越を過度に強調したことを矯正するものとして、神の内在を強調すること、自然や歴史的過程に神が関係することについての異なった見解、すなわち進化論的見方をとること、啓示を神の介入としてではなく、人間の発見に相関的なものとして、批判と実験の決して終わることのない過程の中で、真に人間的な媒介を通して神が神自身を開示する過程として理解すること、宗教的経験を科学的データと同様に検証可能なものと見なすこと、聖書を宗教的経験の記録として、それゆえに異なった種類の権威として見なすこと」(ウロード・ウェルチ『19世紀におけるプロテスタントの思想』)
もし上記の特徴を自由主義的なタイプの神学の説明とみなせば、それに対応した、原理主義と保守的な福音主義を含む保守主義的神学の説明を構築することができる。第一に、神の内在の代わりに、自然や人間の出来事の中に介入する神の力の強調がある。第二に、啓示自体が人間生活に対する神の介入であり、この啓示により、保守主義者は、聖書は実際に神や神の宇宙に対する関係についての情報を与えると主張する。そして第三に、神学の基礎付け(データ)として機能するのは、経験ではなく、聖書である。最後に、啓示を神の実在に関する情報源として強調することは、保守主義者が宗教言語を表象主義的に (representative) 考えていることを暗示している。
次の3つの章の課題は、これらの3つの特徴を説明し、その特徴のそれぞれが、2種類の整合的な組み合わせにどのようにしてまとまるかを示し、近代哲学がこれらの組み合わせを作ることによって何をしなければならなかったのかを示し、これらの組み合わせのみが神学者が使用可能であったことを示すことだ。
本書の目的は、近代神学の歴史を記述することではなく、近代神学の理念型を構築することであることを繰り返して強調することは重要である。それゆえ神学者たちの網羅的調査を使用しないし、ここで記述したカテゴリーにとって例外が存在するということは、私の計画を駄目にするものではない。もちろん、近代の神学者のだれもが私の理念型に当てはまらなければ、私の計画はつまらないものになるだろう。だから表象主義的神学者の見解は、上記の理念型を明らかにすることと、それらの理念型が実際の歴史において体現されていることを示すために、記述される。
おおまかな計画は、二人の現代の自由主義者(ゴードン・カウフマンとデヴィッド・トレイシー)、二人の現代の保守主義者(ドナルド・ブローシュとアリスター・マクグラス)、そして1世紀前の世代の神学者たち(自由主義ではハリー・エマソン・フォスディックとシェイラー・マシューズ、保守主義ではチャールズ・ホッジとオーガスタス・ストロング)の著作を主に検討する。それぞれの伝統の創始者として二人の人物がしばしば現れるが、一人は近代自由主義神学の創始者であるシュライアマハーであり、もう一人は、神学者としてよりも哲学者として有名であるが、ジョン・ロックである。彼は近代の保守主義的神学にその合理的な構造を与える。その他の神学者は、論点の適切な事例を提供する場合にのみ時折言及される。