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漆畑正善論文「創価大学教授・宮田幸一の『日有の教学思想の諸問題』を破折せよ」を検討する(1)

 

1 はじめに

本論文は既に私のHPに発表されたものであるが、関係者の依頼によって、紙媒体に転載することとなった。それなりの学術雑誌も電子ファイルになり、電子ファイルだと、検索も訂正も容易であるし、紙資源を無駄にすることもなく、作成に多くの人の労力、時間を必要としないので、私は学術研究には好適の発表媒体であると考えているが、ある程度の関心を共有する研究者が参加している『法華仏教研究』に発表させていただき、皆様からご批判をいただければ、私にとっては非常にありがたいと思う次第です。(2011/12/18)『法華仏教研究』第11号掲載にあたっての付加

 

私は日蓮の著作の中で、本尊について、法本尊と仏本尊との区別を示し、両者の関係を述べた唯一の資料である、『本尊問答抄』の記述を根拠にして、法本尊=曼荼羅本尊正意説を主張しているが、その議論の過程で、久遠実成仏を仏本尊とする日蓮宗各派も、久遠元初仏=日蓮御影を仏本尊とする日蓮正宗も、仏本尊を定立するという点では、法本尊正意説から逸脱しているという批判を展開した。私の議論に対して、日蓮宗の方からも、日蓮正宗の方からも、いろいろ批判が寄せられており、それに対して私なりの返答をしなければ、とは思っていたのだが、腰痛のため、長時間机に向かっていることができず、また長時間集中して文章を作成する習慣が身についているので、時間を区切って仕事をすると集中できないため困っていたが、最近バランスチェアを使用することにより、3時間くらいは集中して仕事ができるようになり、ようやく宿題に着手することができそうである。
 さまざまな批判の中で、創価学会の関係者の方からは、日蓮御影が仏本尊であるという御影本尊論が日蓮正宗の教義であるということに関して、私の誤解ではないかという指摘をいただいた。創価学会員はそれほど日蓮正宗の教義に興味があるわけではないから、『富士宗学要集』を読むことも殆どないし(購入している人はそれなりにいると思われるが)、私が監修した第三文明社発行の『牧口常三郎 獄中の闘い――訊問調書と獄中書簡を読む』の中で、堀日亨の『日蓮正宗綱要』を使用しながら、牧口が日蓮正宗の本尊について、法本尊=曼荼羅を説明した後で、人本尊(=仏本尊)として「末法には人格者としての日蓮大聖人を信じ奉って木像にも絵像にも作って、なお生きておられる如く敬い奉るのであります。」(同書 p. 113)と述べていることを明示し、牧口が入信時期には、法本尊=曼荼羅本尊正意説であったのが、ある時期から日蓮正宗の伝統教義を受け入れ、日蓮御影を仏本尊とする考えに変わったことを暗示したが、それに気づいた読者がどれくらいいるかは心もとないようだ。目白の牧口宅には日蓮御影がある時期から安置され、その御影が八王子の牧口記念会館の記念室に開館初期には安置してあったのだが、現在はどのようになっているかは不明である。また正本堂にも日蓮御影が安置してしたのだが、そのことにどれだけの創価学会員が気づいていたのだろうか。
 このように多くの創価学会員が御影本尊論に無知であることについて、私の議論を批判した高橋粛道は『御影本尊論』の中で、「宮田氏は宗祖御影について『なぜ創価学会は日蓮御影本尊論を全く無視することになったのか』(130)と得意気に言うが、狡猾が入り混じっている。事実は御影本仏を知らなかったからではないか。恐らく日淳上人から教えられなかったのではなかろうか。和泉覚が総本山の御堂に入堂した際、『あの人形はなんだ』と言ったという有名な話があるが、これは『無視』でなく『無知』であったことを如実に示すものであろう。」(p. 12)と述べている。
私も多くの創価学会員が御影本尊論に関して無知であることは否定しないが、上述したように牧口常三郎は御影本尊論を受け入れていたし、戸田城聖も御影本尊論については知っていたと思われる証言を得ている。戸田家に御影本尊があったかどうかについては知る由もないが、私が東洋哲学研究所の学術大会で牧口常三郎について発表し、御影本尊論に言及したとき、出席していた篠原誠に、戸田城聖が御影本尊について何か言ってなかったかと質問したことがあった。すると彼は、池袋の寺院で戸田が住職も同席して青年部の幹部と懇談していた折、戸田が「創価学会の本尊には本当に功徳がある。」という話を強調していたので、創価学会の本尊も日蓮正宗の本尊も同じなのに不思議なことを言うなと思って、篠原がどういう意味かと尋ねたところ、住職に向かって、戸田は「お前のところの本尊はよく見えないじゃないか」と日蓮御影の陰になって、曼荼羅本尊が見えないことを指摘し、後に寺院から日蓮御影が撤去されたというエピソードを紹介してくれた(小野不一によれば、寺院は常在寺で、住職は後の管長となる細井日達だそうだ。)(2011/9/16付加)。このエピソードは、戸田城聖が日蓮御影を本尊とすることに対して無知だったわけではなく、否定的見解を持っていたことを示していると私は考えている。

戸田が日蓮御影について否定的見解を持った理由については、高橋粛道が同書で「曼荼羅を法本尊、御影を人本尊とする人法一箇論は、人法が一幅の曼荼羅に存在するという教学が浸透するにつれ、末寺や塔中では曼荼羅一幅の奉安様式に一律化していったようで御影本尊論は忘れかけられていった如くである。しかし論議されないから御影本尊論はなかったとか、不要とかいうことではなく、折伏の妨げになることや、本尊の全体が拝せないなどの理由で御堂式は用いられていない。」(同)と述べているように、布教上の理由が大きいと思われる。
私が仄聞した話では、初期においては、創価学会員も法華講員と同様に、ある程度信行が進めば(もっとも法華講員の場合は、それなりに所属寺院と本山に寄付することが必要であったらしいが、創価学会員の場合についてはわからない)、常住本尊が下付され、その折に、常住本尊を板曼荼羅にし、それと同時に日蓮御影を購入し安置するという日蓮正宗の儀礼を採用した創価学会員もいたということであるが(私は板曼荼羅が安置されている創価学会員については見聞したことがあるが、御影本尊を安置している創価学会員については知らない)、真偽のほどは御影本尊を作成していたという赤澤朝陽あたりに確かめるしかないのだが、関係者がまだ存命しているかどうかもわからない。その後布教活動が進みすぎて、急激に会員数が膨張すると、下付すべき常住本尊(曼荼羅に授与者の名前が書き込まれることによって即身成仏が決定するという教義的意義づけもあったのだが)の作成が困難になり、元来は常住本尊が下付されるまでの一時的な仮本尊とされていた形木印刷の曼荼羅も常住本尊と同じ宗教的功徳があるというように教義変更されて、創価学会員に対する常住本尊の下付は停止されたとのことである。曼荼羅を幸福製造機と言って憚らなかった戸田城聖が、布教対象の貧しい人々に、信徒格差の象徴である常住本尊と御影本尊の重要性を強調することはありえないだろうと私は思うし、創価学会にとっては、御影本尊論は布教の邪魔になる教義でしかなかった(『戸田城聖全集』第2巻「質問会編」には「奉安殿の大御本尊様、ここの客殿の御本尊様、私どものいただいている常住御本尊様、あなた方が拝んでいる御形木御本尊様、それぞれ違うのです。違うのですが、こちらの信心の仕方で少しも違わない結果を出せるのです。すべてそれは信力の問題です。」p. 29とあり、堀日亨が『有師化儀抄註解』において主張した、常住本尊=真本尊、形木本尊=仮本尊という議論とは全く異なる)(2011/9/16付加)。(他方、戸田は「このたび、御法主猊下にお願い申し上げて、一千幅の常住御本尊様を下付くださるようお願いしました。」と述べて(『戸田城聖全集』第4巻「講演会編」p. 422) 、宗教的意義を曖昧にしたままで、学会活動に功績があった者に常住本尊を下付することを決定したが、日蓮正宗の伝統的な常住本尊解釈に明確に反論せずに、本尊の格差を是認する戸田の態度は、宗教的権威を日蓮正宗に頼らざるを得ない宗教運動指導者としての限界を示している。)(2011/9/27付加)    しかし高橋粛道が述べているように御影本尊論は伝統的な日蓮正宗の教義として存在していたのであり、そのことを否定することはできない。

さて私の議論に対しては、日蓮宗の僧侶である村田征昭(ハンドルネーム川蝉)がそのHP法明教会に批判論文を掲載しており、また『法華仏教研究』第5号(2010年7月)に「『本尊問答抄』をめぐって」という論考を発表しているので、それを参照していただきたいが、それに対する私の回答は準備の都合上、しばらく延期させていただきたい。
日蓮正宗からは、『富士学報』第39号(2007年)に「(課題論文)創価大学教授・宮田幸一の『日有の教学思想の諸問題』を破折せよ。」という論文名で、「堀部正円」「漆畑正善」の2名の論文が掲載されており、また上述の高橋粛道の『御影本尊論――宮田幸一説を批判する』(2008年妙道寺事務所発行)が公表されている。『富士学報』は日蓮正宗の僧侶の教学研修機関である富士学林研究科が年1回発行する論文集であるが、非売品でもあり、発行機関に問い合わせても頒布してもらえず、大学などの研究機関の紀要とは国会図書館での扱いが異なるため、ネットで検索しても電子ファイルを入手できず、どうしても読みたければ国会図書館に直接出向くしかないという論文集である。私が以前に所属していた東洋哲学研究所には、第2次宗門問題以前には学術交流の一環である交換雑誌として『富士学報』が毎号送られてきており、私もそれを読んで日蓮正宗の研究をしていたが、第2次宗門問題以降は交換雑誌も途絶え、聖教新聞社の資料室にも最近のものはないので、古書店から出品があればその都度購入しているという状況であり、私もそれらの批判論文の存在は知っていても、直接見ることができなかったので放置してきた。今回ようやくそれらを入手することができたので、ある程度学術論文の形をとっている漆畑正善論文「創価大学教授・宮田幸一の『日有の教学思想の諸問題』を破折せよ」を検討したい。学術的な専門学会の論文発表では当然「破折」に対しては「反論」をするのだが、彼の論文はそういう性質の論文でもないし、それらの議論の説得性を判断する専門学会という議論の場もないので、ここでは議論の説得性の判定は読者に一任するとして、できるだけ漆畑論文を詳細に紹介し、その議論のどういう論点に私が疑問を持っているかを提示するだけにしよう。
 なお高橋論文については「日寛上人は諸法実相抄の文から妙法蓮華経を本仏とされ、本尊問答抄は御影本尊を説顕する御書として用いられていて、それを当家では文底読みと称している。文底読みは当宗独自のもので創価学会などから批判を受ける筋合いのものではない」(前掲書、p. 11)と述べているように、「文底読み」という学術的な専門学会では認められない独自の解釈方法を採用しているので、私も反論のしようがないところがあるので今回は割愛させていただく。

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