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『本尊問答抄』について(5)

 

5−4 現代の文化状況と曼荼羅正意説

 

 5−4−1 私の個人的研究過程

 私が曼荼羅本尊正意説を採用するのは、日蓮の『本尊問答抄』の能生所生の議論を受容しやすい議論として受け入れているということ、また私の所属する宗教法人が日興門流から大きな影響を受けており、その日興が曼荼羅正意説を採用していることなどが宗教的理由になるのだが、実は私個人はそのような宗教的理由についてはあまり重きを置いていない。私は学生の頃に池田大作会長の指示だと言われて、東大法華経研究会編の『日蓮正宗創価学会』の改訂版の原稿を作成する作業をしたことがある。そのときに一緒に作業していたメンバーが元創価学会広報室長の故西口浩、現SGI教学部長の斉藤克司、現創価大学文学部教授の中野毅などであった。その後西口、中野とは新学生同盟の責任者として一緒に活動することになり、その時期に池田とはそれなりに懇談する機会もあり、いろいろな指導も受けた。なにしろ40年近い昔のことなので、今では記憶も薄れ、どのような指導を受けたかは定かではないが、自分なりに指針としていることがいくつかある。ひとつは、これは新学生同盟のメンバーとの懇談の機会であったが、西口が「純信とは何か」という質問をした中で、池田が「いろいろ創価学会に問題を感じるかもしれないが、それは皆さん方で変えていけばいい。私も戸田先生のやり方で納得できないことは変えてきた。」という趣旨の指導である(この趣旨の指導はアメリカでも行われたということをSGI-USAのメンバーから聞いたことがある)。もう一つは多分第二東大会の結成式の折だったと思うが、「皆さん方に創価学会を守って欲しいとは言わない、しかし創価学会を支えている庶民を守っていただきたい。」という指導である(このときのメンバーで国家権力機構の一員になってそれなりの立場になった者もいるが、かれらがこの指導をまだ覚えているかどうかは分からない)。
 また一連の懇談の中で池田の人となりをそれなりに知ることもあり、私が池田を宗教指導者として信頼することになるエピソードとして今でも覚えていることは、私が大学院に進学してまもなくの頃、北条浩、山崎正友の下で共産党対策の作業をしていたころ(西口の配慮により、また私の無能により、危なそうな活動をしなくてすんだが、このことに関して西口には感謝している)、たまたま信濃町を歩いていたときに、池田から声をかけられ、そのまま若手本部職員対象の御書講義に参加させていただいたことがあった。そのときの教材が『諸法実相抄』であり、たまたま戸田城聖の獄中の悟達の虚空会の儀式の神秘体験の話題になったとき、池田ははっきりと自分にはそんな体験はないと明言した。私はそれまで、戸田に可能であった体験ならば、自分にも体験可能かもしれないと思い、それなりに長時間の唱題をしたりして努力したこともあったのだが、池田にあっさりとそう言われ、神秘体験は成仏とは関係ないんだと私なりに納得した。(ちなみに法明教会のHPで村田征昭は『本尊は日蓮聖人奠定のままです』というブログで「大曼荼羅を対向として読経唱題するさい、大曼荼羅座配の如く霊山虚空会の聖衆が影現していると信じて礼拝信行しています。」と述べている。日蓮宗の信仰についてはよく分からないが、このような考えが一般的なのだろうか。)宗教指導者であれば、例えば現在の幸福の科学の大川隆法の霊言体験のように一般会員にはない特別な神秘的宗教体験を、自分の宗教的カリスマを飾るために主張することが通例だと思っていた私は、池田のそのような神秘的宗教体験の必要性を認めない、率直な物言いにある種感動を覚えたのも事実である。池田に関してはいろいろな毀誉褒貶があるが、創価学会を神秘的宗教体験なしでも信仰可能な形態に指導したという点では、私は高く評価している(この点では立正佼成会を長沼妙佼の神秘的な指導から解放して、教義の合理化を進めた庭野日敬と通じるところがある)。戸田城聖に関しては、「肉牙」に関する受け入れ難い解説などがあり、私の科学に対するそれなりの信頼感とは抵触するものがあるが、池田の公的な発言に関しては大きく違和感を持つことは少ない。
 その後大学院修了後、新潟短期大学に奉職している頃、創価学会国際局から海外向けの創価学会の教義書を作成したいという話があり、学生時代のメンバーに現創価大学文学部教授の菅野博史やその他匿名にしておくべき学者が数名参加して『創価学会の理念と歴史』を作成することとなり、第1次宗門問題以後の日蓮正宗による教導の時期だったので、教義に関しては『日蓮正宗要義』を踏まえた記述をするように言われ、私の本格的な日蓮正宗研究が始まった。『創価学会の理念と歴史』は諸般の事情で出版されることはなかったが、その過程で書かれた原稿の一部は私や菅野の論文に、それとは明記されていないが、発表されている。
 このような経験の中で、当然西山茂の内棲宗教論も学び、創価大学文学部に転職してまもなくの頃、哲学概論の授業で、その紹介をして、創価学会と日蓮正宗の分離の可能性に言及したところ、学生からそれなりのブーイングの答案をもらったこともある。しかし私は創価学会と日蓮正宗との思想的相違はそれなりに感じていたので、創価学会のアイデンティティを探求する作業を続け、東洋哲学研究所で日蓮や日蓮正宗の資料を小林正博などとともに一緒に研究した。そのような研究過程の中で、池田の『人間革命』の中では否定的に述べられていた牧口の価値論に注目するようになり、学生の頃は手に入りやすい戸田城聖補訂版の『価値論』を使っていたが、もともとの『創価教育学体系』第2巻の「価値論」との差異も目に付くようになり、本腰を入れて研究し始めた。

 

 5−4−2 牧口常三郎の日蓮仏法選択

 その過程で私は「第5章 価値の系統 第6節 宗教と科学・道徳及び教育との関係」において次のような牧口常三郎の議論に出会った。

 

 「吾吾の為して居る科学は事実の総合統観によって真理を明かにし、之を更に現実の証拠に当て嵌めて見て、然る上に信用するのであるが、法華経に於てはこれ等の道理と現証との外に文証といふ経文明記の教詔を加へ、此の三事具有を以て、法文上の所論の必須条件とされてある。即ち道理と文証と現証との具有にあらざれば、仏法論述の自由を禁ぜられてある。
 内道と自称する仏法から観た外道の教へは勿論、仏法中に於ても法華経以前の教説即ち四十余年の諸経に停滞する宗派は、信仰の対象が人格的の神又は仏と名づける具現的の本体であって、之を崇拝する各個人の意識の内に構成する所の或る物に外ならないから、科学の対象とし理想とする真理、法則とは全く異って居るのである。乃ち宗教と科学の背反する所以で、従って道徳とも一致せぬ所以である。然るに法華経に於ける肝心はその名題の表す通り『法』であり、これを賛嘆した『妙法』であり、泥中から出た純潔清浄な法に遵った生活をなして法を具現した仏に譬えた『蓮華』、これを又教説した『経』であり、これに賛嘆帰入するのが『南無』であり、即ち『南無妙法蓮華経』であって見れば、全世界の科学者の憧憬して向ひつつある所と合致するものではないか。
 法といひ、則といひ憲といひ道といひ規といひ準といふ。文字は各各に異っても内容を等しうするもので、普遍妥当ののりであり、自然の法則であり、人間の踏むべき道に外ならないのである。従って科学に根底を置く所の道徳とも背馳しない所ではないか。
 道徳と科学との関係をば、可なり有識階級でさへも、相互に没交渉乃至背馳するものの如く考へえて居る様だが、余は社会学の対象たる社会法則に順応したる生活を道徳というて差支ないと思ふ。此の主張を誤りなしとすれば、当然宗教の説く所と道徳とも背反する所はない筈である。これに関しては詳しくは別に言ふこととする。
 『仏法即世法、世法即仏法』との釈尊の教へは究竟する所、又道徳と科学と宗教との一致を意味するものであるのみならず、仏法の中に悉くが包容される事を意味するものでらう。或は宗教を理解せぬ低級なる科学的解釈として謗法の罪は免れ難いかも知れぬ。切に叱正を待つものである。
 唯だもし異る所あるとすれば、倫理道徳の取扱ふ所の人道即ち社会的因果の法則(道理)は現世に限られ、科学の取扱ふ所の因果の法則は各分化の現象のみに限られて居り、総合科学たる哲学と雖も現世を超越し得ざる人生観、世界観に限られて居るに対して、仏教の教へる所は、吾吾の肉眼の外に天眼、慧眼、法眼、仏眼の五智眼を以て、世間及び出世間即ち過去、現在、未来の三世に亙っての因果流転の法則を明にした所にあると思はれる」

 

 この部分は戸田城聖補訂版の『価値論』では大幅に書き換えられて原型をとどめていない。しかし私は牧口常三郎が日蓮仏法を選択した3つの理由として重要視している部分である。第一に日蓮仏法は自然科学が合理的な理論と実験証明によって成り立っているように、仏法上の議論も合理的な理論(理証)と実験的(体験的)証明(実証)さらには文献的論証(文証)によって成立していて、その点で科学的真理と仏法的真理とは類似関係にあると牧口は見なした。
 ちなみにこの三証の強調は戸田城聖にも継承され、『折伏教典』には「宗教批判の原理」の一つとして挙げられている。この三証が布教上でどのような機能を果たしたかと言えば、文証の議論は文献的蓄積が弱い神道や新宗教を批判する場合に使用され、理証の議論はキリスト教が認める自然法則を超えたさまざまな奇跡(それには処女懐胎や復活の奇跡も含まれる)を挙げて非科学的な宗教であると批判する場合に使用され、現証の議論は葬式仏教的機能が強い既成仏教を批判する場合に使用された。
 第二の議論は本尊論に関する議論であるが、牧口は信仰対象となる人格的神仏の像は、それを制作する彫刻家、絵師あるいは制作を依頼する人々が「各個人の意識の内に構成する」ものにしか過ぎないと批判する。それに対して法華経で信仰される「南無妙法蓮華経」は「普遍妥当ののり(法)」「自然の法則」「人間の踏むべき道」と言い換えられており、「純潔清浄な法に遵った生活」を送ることにより実現される「法を具現した仏」になることを教える法を信仰対象とする全く違った宗教であると主張する。これについては後述する。
 第三の議論は仏法が、自然科学、道徳科学、哲学と矛盾せず、これらはすべて因果の法則を研究するという点で共通し、仏法は他の学問を包容する全体と部分という関係にあるという主張である。牧口はこのような仏法解釈を「宗教を理解せぬ低級なる科学的解釈として謗法の罪は免れ難いかも知れぬ。切に叱正を待つものである。」と述べて、必ずしも多くの宗教者に受け入れられる解釈ではない可能性を自覚しつつも、これが正しいと思っていることを述べる。
 このような牧口常三郎の宗教に対する考え方は珍しいものではなく、創価学会の会員には牧口の著作を読んだことがなくても、同様の考え方をする人もそれなりにいるだろう。(創価学会の会員がどのように宗教を考えているかは、日本国内に関しては、十分な調査が許可されていないのでよく分からないが(調査されていないから誰もその実態については分からない)、イギリス、アメリカの会員の意識調査に関しては、宗教社会学者によるある程度十分な調査が行われ、その調査結果に関しては書物として出版されてもいる。)本論文では本尊論を扱っているので、それに関わる第二の論点だけに注目しよう。
 第二の論点で人格的な神仏よりも普遍的な法を信仰対象とすることが望ましいと牧口は考えているが、これを『本尊問答抄』の議論に絡めて論じると、法本尊が仏本尊よりも勝れているという議論につながりやすく、仏が「純潔清浄な法に遵った生活」を送った結果生じた「法を具現した仏」として位置づけられている。これは法と仏を能生、所生の関係で牧口が考えていると見なしてよいだろう。しかも法を「普遍妥当ののり(法)」「自然の法則」「人間の踏むべき道」と言い換えることにより、法の普遍妥当性、自然に内在すること、また道徳的内容を含むことを主張している。
 この法についての言い換えの中で、「人間の踏むべき道」について牧口は「普遍妥当ののり」としているが、『創価教育学体系』第2巻価値論の中では主に善の価値として議論されており、その議論の特徴は、善は公益=社会全体の利益として定義され、社会によって内容が異なるという社会相対主義の主張が強くなされていることである。牧口にとって社会とはその当時の歴史的状況においてはほぼ国家に等しく、国家を超えた社会はまだ成立していなかったから、人類全体にとっての善を決定する社会制度は存在しない。牧口が国際連盟を人類全体の善を代表するものとは見ていなかったことは、満州事変に関するリットン報告書を採択した国際連盟の決定を第3巻で非難していることからも窺われる。(アニメガンダムシリーズのファンであるならば、国連に相当する連邦政府が地球の一部の特権階級の利益を代表し、多くの宇宙コロニーの利益を搾取する機関となっているというイメージを持つであろうが、牧口にとっても国際連盟は大国(その一つに日本も含まれるということが牧口の議論を危うくさせてもいるのだが)の利害を調整する機関に過ぎず、日本の利益が守れないのであれば国際連盟脱退も選択肢の一つになると牧口は考えていた。これは池田大作の国際連合を中心に人類益を実現しようという考えとは異なる。)
 牧口にとって社会に相対的な善を超えた人類全体にとっての善は、宗教によって与えられるはずのものであった。牧口はそれを次のように述べている。

 

 「善的、道徳的価値の節に於て吾人は善悪の判定の標準を規定したことはご承知の通り。世法即ち社会法則としては恐らくはこれ以上には標準を求められないものではないか。
 さはあれ、以上は相対的の善で、最高至上の絶対的のそれではない。人類の現世に於ける生活法則を対象とする道徳科学としては、これ以上に踏み込む力はない様である。科学の力ではこれ以上に至ることは出来まいが、人生に於ける要求はこれに留まらない。そこに宗教の領域が展開するのである。
 三世常住、永久不滅の霊魂の生活を対象として、そこに一貫する因果の法則を見出して、絶対至高なる正邪善悪の標準を確立し、その規範に則ることによって、初めて至幸至福といふべき生活を遂げんとするのが人心の深底に横たはる要求で、宗教の起る所以である。」

 

 私自身は、牧口のような宗教による善悪の決定ということには懐疑的である。一つには宗教による倫理的判断が、具体的な倫理的問題に対してどのようになされるか不透明であるということである。現在の地球温暖化の一つの要因として、人口が多い中国やインドの人々の生活水準の向上=エネルギー消費の増大ということは科学的に根拠があることだろう。かれらの生活水準が向上したといってもそのエネルギー消費は一人当たりに換算すれば、アメリカや日本と比べれば、はるかに少ないことも明かである。このような事情があるときに、中国やインドのCO2排出量制限問題にどのような判断を宗教が下せるだろうか。中国やインドが、先進国の過去の責任は問わないが、平等性の原理を主張して、アメリカや日本の一人当たりエネルギー排出量を現在の半分にせよ(それでも彼らの十倍近くになるだろう)と要求したら、どのように判断できるのだろうか。おそらくそれなりの規模の宗教運動の指導者であれば、中国やインドの人々が潜在的な信者予備軍であると見なされる場合、この問題にあえて回答をしようなどという無謀なことはしないだろう。あるいはアメリカの中絶問題をめぐって、同じプロテスタントの宗派に所属する人々の間でも、リベラルな人々は中絶容認の立場であり、原理主義者並びに福音主義者は中絶禁止の立場であるというように分断されているのが現状である。
 もう一つにはある社会において、特定宗教が多くの人に受け入れられている場合には、その宗教の善悪の判断がその社会の善悪の判断として受け入れられることは可能であろうが、そのような多数派の宗教が存在しない場合には、宗教の倫理的判断は、少数派の意見として事実上あまり影響を与えないということがある。現在の日本の宗教をめぐる状況がどのようであるのかは、よく分からないが少なくとも宗教に対して好意的であるとは思えない。私の趣味であるアニメやコミック、ライトノベルの分野では宗教は無視されるか、マイナスイメージで扱われることが多い。谷川流の人気ライトノベル『涼宮ハルヒの驚愕』では「神とは、人間の観念が生み出したものだから、有史以来、この惑星のどこにだって神様は不在だ。」というフォイエルバッハの『キリスト教の本質』で主張されるような言葉が高校生の日常的な会話の一つとして語られたりする。あるいは上橋菜穂子の『神の守り人』では「よい人を救ってくれて、悪人を罰してくれる神には、まだ一度も出会ったことがない。悪人を裁いてくれるような神がいるなら、この世に、これほど不幸があるはずがない」と主人公が発言しているが、これに答えるのにライプニッツの最善説を持ち出したとしても、うまく説得できそうにもない。少なくとも日本では宗教者が、宗教以外の分野に関して発言したとしても、それほど大きな影響力はなさそうだ。つまり宗教は文化全体の中ではマイナーな存在となっている。(創価学会の池田の政治的影響力が語られることがあるが、それは政局に関してはあるだろうが、政策に関しては皆無に等しいだろう。このことはロバート・キサラの『平和の預言者たち』で分析されている。)
 文化宗教としての宗教的儀礼はそれなりに尊重されているが、教義、教団については必ずしも宗教にとって本質的な要素になっているとは見なされていない。創価学会もかっては日蓮正宗の影響もあり、教義的な問題にこだわっていた時期があったが、日蓮正宗と分離してからは、その教義がどのように変更されたのかはそれほど問題にされることもない。それは日常的信仰生活にとって必要な宗教的指針は複雑な教義理解とは無関係であるからだ。「冬は必ず春となる」「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」「桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見」などという宗教的指針は、日蓮個人の著作に根拠を持つかどうかとは無関係に、日蓮仏法の信仰上の遺産としてどの日蓮宗の宗派においても共通にその役割を果たしていると思われる。
 私は、「人間の踏むべき道」が「普遍妥当ののり(法)」であるという牧口の考えには賛成していないが、牧口が「普遍妥当ののり(法)」を「自然の法則」と考えていることには賛成している。現代の多くの人は、法の中でも法律などは人間集団が人為的に作ったものであり、その適応されるべき集団を超えた普遍性を持たない相対的なものに過ぎないが、自然科学の法則は、そのような人為的な法律とは違い、自然に内在する原理を明かにした普遍的な法則だという考えを持っているだろう。量子力学に関するコペンハーゲン解釈やトーマス・クーンの『科学革命の構造』におけるパラダイムの強調などもあり、自然法則は自然に内在するものではなく、自然を人間がどのように見るのかということに関係しているというカントの『純粋理性批判』における現象の世界の構成論に近い考えも、それなりに見られるが、多くの人は中学、高校の理科教育の中でなされる内在説を支持しているだろう。牧口もそのように考え、宗教は宇宙に内在する人間の生活に関する因果法則を究明するものだという考えを持っていた。その考えが戸田城聖に継承され『生命論』として展開され、仏法は宇宙生命に内在する因果の理法を解明したものであり、その法則に順応した生活を送れば、個人の生命が浄化され、幸福な生活を送ることができ、その法則に反すれば、個人の生命は汚染され、不幸になると主張される。池田はそれを継承し、唱題は宇宙生命に内在するリズムに自分の生命を調和させる行為であると説明していた。

 

 5−4−3 理法と教法

 仏法をこのような生命論で解釈することが創価学会の大きな理論的特徴の一つになっているが、私自身もこのような考えにはなじんでいて、それほど違和感を持っていなかった。ところが第1次宗門問題で、このような仏法を宇宙に内在する理法と考えるのは根本的な誤りであると細井日達から厳しく批判された。第1次宗門問題に関しては、創価学会にも日蓮正宗にもお互いに不満はあったにせよ、あそこまで大騒動する必要性は今でも見出せない。創価学会にとっては教義的正統性を日蓮正宗によって保証してもらうことは、自前の教義を持つ能力がない以上、必要不可欠であり、日蓮正宗にとっても、弱小教団から日本を代表する大教団へと発展するためには、創価学会の人的経済的支援は必要であったろう。だからこそ、正本堂が本門戒壇であるかどうかをめぐって生じた創価学会と妙信講(現顕正会)との争いで、従来の教義からは妙信講に理がありながらも、創価学会を日蓮正宗が擁護したと思われる。(この辺の分析は西山茂の諸論文に詳しい。)私はその当時は大学院生であったので、創価学会の本部の意向を知る立場にはなかったが、第1次宗門問題が生じる少し前に、実質的に私の信仰指導をする立場にあった野崎勲から創価学会本部へ呼び出しを受け、私も所属していた伸一会のメンバーに池田から「・・・桜」という揮毫が与えられ(中には原島崇(嵩に訂正)のように「新弟子」という称号まで授与されたメンバーもいたらしい)、そのときに野崎から「これから大変なことが起きるかもしれないが、しっかりと本部についてくるように」と言われ、私には事情は飲み込めなかったが、後になってこういうことかと思った。私は基本的にリベラルであり、自分の宗教体験を重視する人間なので、日蓮正宗の宗教的権威などは認めていなかったので、問題が生じてからも、創価学会に行きすぎはあっても、何もお詫び登山までさせることはないだろうと思っていたが、仏法は宇宙に内在する理法であるという考えは根本的に間違っているという細井日達の批判には、一体どうしてそのような議論が生じるのか、正直分からなかった。
 その後日蓮正宗の教義を研究する中で、法についての理解が創価学会と日蓮正宗では決定的に相違していることが分かった。創価学会は既に述べたように、仏法も自然科学の法則と同様に宇宙に内在する法=理法であると見なしているが、日蓮正宗では仏法は仏がその悟りを人々に教えるために説いた法=教法であると見なし、それゆえ仏の悟りを媒介にせず、直接法を修行するということはありえないと考える。しかも日蓮正宗は単に仏法を教法と見なすだけではなく、その教法はまだ完全には人々に示されていず、その一部は仏である日蓮の後継者につながる大石寺住持にのみ口伝されているという考えも持っている。それゆえ本仏日蓮の救済の秘儀は大石寺住持に何らかの仕方で結びつくことによって可能になる。カトリックのサクラメント論で言えば、聖別(聖職者の介在による救済)というサクラメント(プロテスタントでは否定されたが)が絶対必要であるという理論になっている。このことは例えば第1次宗門問題のときの『法華講連合会 総講頭・池田大作に辞任を勧告』の中で「如何なる時、如何なる場合においても、御法主上人猊下の御言葉を仏の金言として受け入れていくことが古来日蓮正宗信者の道であります。御法主上人猊下の御心をないがしろにすることは、もはや信者の道を逸脱していると申せます。」という法華講連合会の公式文書にも表れている。大石寺住持=日蓮代理人説が日蓮正宗の根本的教義の一つなのだ。
 (理法と教法との区別は『平川彰著作集 第1巻 法と縁起』による。特に「第1章 原始仏教における『法』の意味」を参照されたい。この著作は私が博士課程に在学していたころ、菅野博史や斎藤克司らの創価学会出身の若手文系研究者と一緒に「日蓮研究会」という私的な勉強会を形成していたときに、教材として使用したものである。私の議論も多くの研究者仲間からの刺激によって形成されたものであり、かれらの研究を整理し、まとめたに過ぎないと思っている。ちなみに原始仏教から法華経に至るまでの教法と理法との関係について下記で紹介した村田がHPで「ふたたび仏と法について」という論文で『平川彰著作集』の第4、5、6巻、苅谷定彦『法華経<仏滅後>の思想』を使用しながら簡潔に説明しているので、参照されたい。)(2011/12/26 付加)
 日蓮正宗の大石寺住持=日蓮代理人説は日蓮宗では採用することはないが、法を教法と見なし、法勝仏劣説を否定する見解は日蓮宗でも共通である。上述した村田征昭は法明教会のHPに田中智学の法仏関係の見解をまとめて紹介している。私の世代の研究者にとって田中智学は戦前に日蓮仏法を天皇制に適合するように歪曲した張本人というイメージしかないので、批判点を探し出すために読むことはあっても、田中智学から日蓮仏法について学ぶものがあるとは全く思っていなかったので、村田からメールで田中智学について教示していただいたときには少し驚いたものであった。田中智学の議論で当面必要なものを法明教会のHPから転載させていただくと「第二項 仏勝法劣対迹門」で次のように述べている。

 

 「即ち諸宗が区々の諸仏を本尊としているから、これを統一するに、ただ久遠実成の釈尊というても、また久遠実成の弥陀とか、大日法身とか、いろいろの理屈が生じるから、何等理屈をいふ余地のないのは、諸仏の成仏は法によりて得たものであるから、法を諸仏の師であることは明白であるゆえに、法勝仏劣の義によりて、法本尊を主張せられたので、即ち諸宗の本尊統一の為めであるから対他門としたのである、しかるにその法を本尊とするといふ法は、爾前権迹共通の理円常住の法ではない、本有十界互具百界千如一念三千の法で、即ち事円常住の妙法である、この妙法の中心は本仏である、かの権迹共通の理円の法の如きは、本門の仏の顕発によりて、根底より打壊(うちこは)される法である、ゆえに単に法というても迹門爾前の法は本尊となることは出来ない、此の迹法に対しては、本門の仏は遙かにすぐれて、法の枢鍵を握る仏陀であるから『本門の教主釈尊を本尊とすべし』と人本尊を主張せられたものである、ゆえに法本尊は本法、人本尊は本仏で、理に約して本法、事に約して本仏といふのである、事理もとより一体であるから、法仏は要するに一体の両名である、而して他門に対するときは理に約せる法を以て統一し、迹門に対しては事に約せる仏を以て破折せられたものである。・・・されば法仏同体としても、法と仏を同時に呼ぶわけにいけないから、その場合によりて、法を以て仏を呼ぶこともある、これ法は仏の外面であるからである、また仏を以て法を呼ぶこともある、これ仏は法の内容であるからである、かく仏と法と二致あるものでなく、一体に名づけられたるものぞといふことを研究するが次の人法一如の問題である、(日蓮主義教学大観第四巻2490〜2505頁より抄出)」

 

 この田中智学の議論は「爾前権迹共通の理円常住の法」と「事円常住の妙法」とを対置して、前者においては「諸宗の本尊統一の為め」という「対他門」において「法勝仏劣の義」が主張されたが、後者においては「法本尊は本法、人本尊は本仏で、理に約して本法、事に約して本仏」であり、「事理もとより一体」(ここに本迹一致派の見解が明かであるが、勝劣派がこの議論を容認するかどうかは分からない)であるが、「迹門に対しては事に約せる仏を以て破折」するので「仏勝法劣」が「対迹門」において成立すると主張している。このような田中智学の解釈は少なくとも『本尊問答抄』においては明確になっているわけではなく、また優陀那日輝の議論を別の箇所で援用しているし、また『御義口伝』の引用(その箇所は日蓮正宗がよく「人法一箇」を示すとして引用する箇所「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」と同一である)があるなど現在の日蓮思想についての議論の基本的前提と抵触するのであるが、理法=「爾前権迹共通の理円常住の法」、教法=「事円常住の妙法」と解釈すれば、理法よりは教法が勝れているという日蓮正宗と同様な立場である。

 

 5−4−4 現代の文化状況と理法、教法

 さて法を理法と考えるか、教法と考えるかという問題は、私にとっては、法を自然科学のように宇宙に内在する普遍的な法則として考えるか、それとも何らかの集団なり個人が、人為的に考える法律や規則として考えるかという問題と並行的な問題に思われる。もし法が教法として考えられるべきだというなら、それはその法を教えた仏の個人的見解に過ぎず、どうして普遍性を主張できるのかという問題が生じる。ある人が成仏するためのある法を発見したとして、その人が自分で発見した法を実行してみたら、確かに仏(それがどのような状態なのか私には分からないが)になったとしよう。でも仏になるための法はその人が発見した法しかないのか、それとも他にあるのか、あるいはその人が発見したよりももっと簡単で効果のある法があるのか、という疑問に対して、どのような回答が可能であろうか。(仏法内部でどのような修行があるタイプの人々に最も有効な修行かという問題は常に扱われていたのだから、このような問いもありだろう。)(しかし、この議論はなんとなく、化粧品や健康食品、健康器具のセールストークに似ているように感じてしまうのは私だけであろうか。)
 この問いは別の脈絡では、論理実証主義者のモーリッツ・シュリックとウィトゲンシュタインの倫理的原理に関する見解の根本的相違とも関連する。シュリックは『倫理学講義』において、倫理的命法、規則の根拠は神の定めによると考える人々に対して、「もしその神の定めた命法が受け入れ難いものであったら、たとえ神の命法であっても、われわれは実行するであろうか。神の命法が受け入れられるのは、その命法が、神の命法であるということとは無関係に、われわれにとって受け入れることができる命法だからだ。」と主張した。たしかにアズテカの神のように、太陽は神々の力によって運行されているのであり、人間の心臓を神に捧げなければ太陽は滅んでしまうという教えを説き、その生贄を獲得するために周辺諸国を武力で征服するという行動規範が生じるような場合、アズテカの人々にとっては受け入れられる神の生贄の要求であっても、周辺諸国にしてみれば受け入れ難い神の要求と見なされただろう。兵力で劣っていたスペインが、アズテカ帝国を打倒することができたのは、周辺諸国のアズテカへの不満を組織化することに成功したからだとされているが、神の命法が普遍的な命法であるかどうかはアプリオリに定まるわけではない。その意味でシュリックの考えはそれなりの説得力を持つだろうし、私もそれなりに支持している。
 ところがウィトゲンシュタインは「もし神が命法を定めたのでなければ、どのようにして人々が一致してその命法を受け入れることができるのだろうか。」と述べて、シュリックを批判した。行為の選択基準を各人の良心などに任せてしまえば、倫理規範は人によって違うものになりかねないので、むしろ神の権威を持ち出すことによって、その議論を封殺したほうがいいという意見であろう。ウィトゲンシュタイン自身が、自分のこの見解がどれほどの説得力を持っているかについて自信を持っているかどうかについては怪しいものがある。ウィトゲンシュタインは自分が自然科学的な世界像とともに生きていることを自認しており、それとは異なったカトリックの世界像があることを認めていたが、神を持ち出すことによって、カトリックの世界像を持つ人々を説得することは可能であるかもしれないが、ウィトゲンシュタイン自身が属する自然科学的世界像を持つ人々を説得することはできない。「人々が一致して」受け入れる倫理規範は実際には成立しないだろう。
 このシュリックとウィトゲンシュタインとの論争は、別の脈絡で言えば、リベラルな人々と原理主義者との論争とも重なるだろう。リベラルな人々はある宗教の教えが受け入れられるのは、その人が自分の宗教体験を通じて納得する場合であり、その体験がなければ、たとえ聖典にどのようなことが記述されていても、それが受け入れられることはないだろうと考える。私は50年以上創価学会と関わりを持ち続け、かってはそれなりに仏法対話をしてきたが、そのときに使用したのが、生命論的解釈をほどこした十界論を説明した後で、「論より証拠、ためしにこの御本尊に唱題して、自分で生命力の変化を実感してみなさいよ、私にも体験できたのだからあなたにも体験できるでしょう。」という論法であった。人によってはこの議論に初信の功徳の話、法罰の話などを加える人もあったようだが、私は個人的に功徳体験があまりなかったので(多分功徳を欲求する気持ちが強くなかったのがその理由だと思われるが)、その話はしなかったが、布教対象者に宗教体験をさせた後で、教義の詳しい説明をするというのが創価学会の布教方法であったと私は理解している。海外布教の場合は、本尊の下付自体が諸般の事情で長期間不可能だった地域もあり、そのような地域では壁に向かって唱題することによって宗教体験を感得させようという布教方法をとったこともあった。伝統宗教であれば、檀家制度という基盤の上で、聖典に基づく教義の説明なども可能であったろうが、新宗教である創価学会にとっては、とにかく宗教体験を通じてそのよさを知ってもらう以外にはなかったろう。当然試した人が全員宗教体験を得るということはなく、試したけれど何も感じなかったという人もでてきて、その人たちは自然と退会するということになり、布教の累積数と現実の宗教的実践者数との間に大きな乖離が生じることになる。新宗教としての創価学会には宗教体験重視というリベラルな考えに基づく布教活動しか選択の余地はなかったのであるが、伝統仏教としての日蓮正宗は、宗教体験に基づく布教活動を積極的に行わないのであれば、檀家制度に立脚して、聖典に基づいて、信徒に教義を教えることが可能であった。牧口常三郎は聖典による布教を真理観に基づく布教であり、創価教育学会が行うのは宗教体験による価値観に基づく布教であり、後者が勝れていると主張していた。第一次宗門問題のときの細井日達の言葉に「700年間守り続けてきた伝統と教義の根本はあくまで守り伝えなくてはならないのであります。これをふまえなかったならば仮にこれからいくら勢力が増しても、広宣流布は見せかけのものであったか、との後世の批判を免れることはできないのではないか、と心配いたします」という発言があるが、これは創価学会が体験主義に基づき布教活動を行うことを、聖典に基づく教義を守るという点から、批判したものであり、両者の立場の相違をよく示している。
 私のように、仏法を自然科学の法則と似たようなものと考え、教法よりも理法を重視する人間にとって、仏とはどういう存在なのだろうか。私は、仏を宇宙に内在する成仏の法を最初に発見し、最初にその法を自ら修行し、その法の有効性を証明した人と考えている。このような解釈は私だけのものではなく、日蓮信奉者の中にも智の『法華玄義』を参考にして『当体義抄』を作成した者は次のように述べている。

 

 「当体蓮華の釈は玄義第七に云く『蓮華は譬えに非ず当体に名を得・類せば劫初に万物名無し聖人理を観じて準則して名を作るが如し』文、又云く『今蓮華の称は是れ喩を仮るに非ず乃ち是れ法華の法門なり法華の法門は清浄にして因果微妙なれば此の法門を名けて蓮華と為す即ち是れ法華三昧の当体の名にして譬喩に非ざるなり』(中略)此の釈の意は至理は名無し聖人理を観じて万物に名を付くる時・因果倶時・不思議の一法之れ有り之を名けて妙法蓮華と為す此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して闕減無し之を修行する者は仏因・仏果・同時に之を得るなり、聖人此の法を師と為して修行覚道し給えば妙因・妙果・倶時に感得し給うが故に妙覚果満の如来と成り給いしなり(中略)問う劫初より已来何人か当体の蓮華を証得せしや、答う釈尊五百塵点劫の当初此の妙法の当体蓮華を証得して世世番番に成道を唱え能証所証の本理を顕し給えり、」

 

 ここの議論では「劫初」という時点を「五百塵点劫の当初」と置き換えて、そのときに、聖人が、それまで名づけられていなかった「至理」に「妙法蓮華」という名称を与え、その法を修行して、成仏したという構成になっている。この文章で「聖人此の法を師と為して修行覚道し給えば」とあるので、「能証所証の本理」とは妙法蓮華が「能証」、仏が「所証」という関係になっており、その因果の法則が「本理」と表現されている。智もこの『当体義抄』作成者も自然科学の法則については何も知らなかったが、「万物」の中に「至理」がもともとあり、それに妙法蓮華という名称を与えたという議論は、理法が仏の出現以前に宇宙に内在し、仏はそれを発見して、修行、実証したという私の考えに近いと思われるが、どうだろうか。
 もし仏が自然科学における法則の第一発見者に近い存在だと見なされた場合、仏と法則との関係は偶然的と見なされうるであろう。また仏は第一発見者としての栄誉を受けることがあっても、それはその発見した法則が人類にとってどれだけの価値があるかによって左右される。もしその法則の発見者が、日蓮正宗が考えるように発見した法則の一部を秘密にして、容易にその法則が予言する結果(成仏)を実証できないようにしたとしたら、他の科学者たちは、追実験ができないような法則は法則の資格を有しないとして否定してしまうだろう。法則が予言する結果が非常に望ましいものであれば、それを得ようとする人々の中には、法則の秘密を握っている継承者に一種の特許料のようなものを払って、追実験し、その結果を得ようとするかもしれないが、成仏などというもともと曖昧な結果を求めて、そこまでする人は多分ごく少数であろう。
 私は少なくとも日本においては宗教が文化的にはマイナー、あるいは周辺的な役割しか持たず、多くの人の日常的な思考にはそれほど大きな影響を与えていないと見なしており、法についても、自然科学の法則のように宇宙に内在する法=普遍的な法と、法律のような人によって作られた法=相対的な法との区別という理解が一般的であると考えている。文明開化以前においては、自然科学的知識が存在しなかったがゆえに、仏教は儒教などと並んで人々の思考に大きな影響力を与えており、その中で聖典がそれなりの権威を持っていたことがあり、仏の教法もそれなりに普遍的であると見なされたかもしれない。しかし現代のような宗教がマイナーな文化となってしまったら、教法であるということは普遍性の理由には全くならず、普遍性は自然科学の法則をモデルにする以外にはなくなる。
 このような文化状況を考慮に入れれば、牧口常三郎が日蓮仏法を成仏するための「普遍的なのり」「自然の法則」と見なし、それを継承した戸田城聖が仏法を宇宙生命に内在する法則として生命論を説き、池田大作が唱題を宇宙のリズムに合致するための修行と述べたのも、伝統的な教法重視という点から見れば問題があるだろうが、日蓮仏法が全人類の救済を目指すのであるならば(日蓮は全人類救済=一閻浮提広宣流布を想定しているが、宗教によっては全人類救済ではなく、一部の信仰者のみの救済の約束をするものも多い)、その救済の普遍性を何らかの仕方で保証しなければならず、その普遍性を自然科学の法則の普遍性と類似したものとして説明することには十分な理由があると私は考えている。したがって仏法は宇宙に内在する理法であるという考えは根本的に間違っているという細井日達の批判には、宗教をとりまく文化状況についての無認識があると思う。(西山茂の言葉を借りれば、もはや日蓮正宗の印籠教学の印籠の威光は失われている。)しかも現在では日蓮の宗教思想も宗派による宗学的解釈のみが権威をもつわけではなく、学問的研究による日蓮の宗教思想の解明もそれなりに進み、それを無視しては宗学も説得力を持たなくなっていることも確かだろう。

 

 5−4−5 曼荼羅正意説のメリット、デメリット

 私が曼荼羅正意説を主張するのは、このような文化状況を背景にしてのことである。救済の普遍性を理念として掲げるなら、それにふさわしい教義を理論として用意することは宗教運動の責務だと思うが、果たして仏像本尊論は救済の普遍性を示すことができるであろうか。仏像制作は歴史的には釈尊がなくなってから数世紀隔てた頃、ギリシャ文化の影響を受けて始まったとされているが、識字率が低く、仏教の教義理解がごく限られた人々にのみ可能であった時代においては、芸術の力を借りて、救済の理念を感じさせようとすることは自然の流れであり、仏像が釈尊の平安な心や、慈悲心などを芸術的に表現している限りは、大いに仏教を広めるのに役立ったであろうし、その意味では仏像本尊にも十分な歴史的文化的背景があったといえよう。私は日本の伝統文化にもそれなりになじみがあり、古寺の仏像などを拝観するとそれなりに敬虔な気持ちになることもあるが、異なった文化圏の人々が仏像に対して同様な気持ちを持つかどうかは分からない。中国文化圏では仏像は立像、あるいは坐像が一般的であると思われるが、南伝仏教では涅槃像も見られるが、横になった釈尊像を尊いと感じるか、それとも行儀が悪いと感じるかは分からない。
 ミケランジェロの『最後の審判』は、作成当時、多くの登場人物が裸体で描かれていたが、ミケランジェロの死後に教皇の命令によって腰布や衣服が付け加えられていくが、現在では作成当時の状態に修復されているという。ミケランジェロが宗教画として信者に信仰心を喚起させる目的でこの絵を描いたのかどうかは私には分からないが、少なくとも聖職者たちはミケランジェロの『最後の審判』は信仰心を喚起させるという目的にはふさわしくないと判断したから加筆させたのであろう。黒い聖母像はいくつかあるが、その由来については不明なことが多いが、メキシコの『グアダルーペの聖母』は白い肌の女性として描かれていず、インディオの肌の色をしているが、そのことによってインディオに深く信仰されたが、インディオにとっては征服者と同じ肌の色の聖母に対して何らかの違和感があったのかもしれない。神仏の像が人間によって作成される限りは、無意識のうちに自文化中心主義を反映するものとなり、異なった文化を持つ人々に違和感を与える可能性は排除できない。
 このような文化的相違をどのように克服して普遍性を担保するのかという問題は極めて解決困難な問題であり、カントやヘーゲルのヒューマニズムの普遍性に訴えるという方法も、結局は西洋中心主義に基づくヒューマニズムであり、被抑圧民族の人権を含んだヒューマニズムではないという批判にさらされているのが現状である。現在のところ文化的相対性を超えて普遍性を有しているのは、多分自然科学と論理学であろうと私は考えている。もちろん自然科学や論理学をマスターするにはそれなりの教育投資が必要であり、それが可能な豊かな国とそれができない貧しい国との間には大きな格差があるという主張にもそれなりの説得力があるが、適切な研究方法に基づき、ある程度価値のある研究成果を挙げれば、アマルティア・センの経済学上の業績が、彼が開発途上国のインド出身であるということで過小評価されることは学問の世界では生じなかったように、その研究者がどのような文化圏に所属しているかは問題にされないという普遍性はあるだろう。
 もし仏法が救済の普遍性、さらには平等性を主張しようとするなら、自然科学をモデルにした、理法としての仏法という側面を強調し、聖別というサクラメントを排除して、それぞれの修行者が実修実証するという方法を採用するのが現在の文化状況においては適切であると私は考えている。救済の普遍性という理念を分かりやすく表現できるのは、仏像よりも、妙法蓮華経が中央に描かれ、その周りに十界の衆生が配置された曼荼羅が最も適切であると思われる。
 もちろん曼荼羅にも文化相対主義的問題はある。それは曼荼羅が大部分漢字で書かれているという問題である。漢字文化圏に所属する人々であれば、曼荼羅を見て、その普遍的な救済理念を知ることができるが、漢字文化圏に所属していない人々には、何が表現されているか全く分からない。
 世界宗教にはキリスト教、イスラム教、仏教があるが、文化相対主義と関連した言語問題に関しては、仏教、キリスト教とイスラム教とでは全く異なった対応をとる。仏教はインドで発生したが、仏教がさまざまな地域、民族に伝播していく過程で、発生時の言語表現は失われ、教典はさまざまな言語に翻訳され、儀礼もそれぞれの言語で執行されるようになった。これはキリスト教も同様で、旧約聖書はユダヤ民族が救済対象であるからヘブライ語を使用していたことは当然だが、そこから発生したキリスト教はイエスの言語表現が失われ、新約聖書の最古の写本はイエスが使用することのなかったギリシャ語であるというのが研究者の大多数の見解であり、その後ローマの国教となったことからキリスト教は大きく発展するようになり、そのためラテン語聖書が中世ヨーロッパでは使用されたが、やがてプロテスタントが積極的に聖書の自国言語への翻訳を進め、それとともに儀礼もそれぞれの言語で行われるようになった。これらに対してイスラム教では神はアラビア語でムハンマドに語りかけたと見なし、アラビア語聖典とアラビア語による儀礼の執行を遵守し、聖典の翻訳は理解のためであって、翻訳された聖典を儀礼に使用することはない。
 このような宗教伝統を考慮すると、仏教はもともと多言語主義だから、曼荼羅が聖別を必要としないのであれば、救済の普遍性のメッセージを伝達することができればよいのだから、曼荼羅も漢字で書かれる必要性はなくなるだろう。日蓮は方便品、寿量品の読誦を必要な修行と認めたが、それも何も漢字の経典を、日本語化した中国語式発音で読誦する必要もないだろう。私は、祖母の葬式で日蓮宗の僧侶が法華経の提婆達多品を書き下し文で読誦しているのを見聞して、それまで日蓮正宗の読誦方法しか知らなかったので、妙に新鮮に思ったことがあった。当然漢字文化圏の外では、それぞれの言語に翻訳した方便品、寿量品を使用することも救済の普遍性という観点からは許されるだろう。唱題くらいは漢字で表現されているが、その一部はサンスクリット語に由来する「南無」であり、残りは中国語の漢字だし、発音は日本語化した中国語という国籍不明な言語で表現されているのだし、短い表現だから世界共通の表現としてもよいだろうとは思っているが、そこも突っ込まれると何とも返答しにくい。そのときは日蓮の『報恩抄』の「日本・乃至漢土・月氏・一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし」という文言を引用して、日蓮の権威で議論を封殺するしかないかもしれない。
 実は曼荼羅に関しても日蓮はその曼荼羅を文字で表現せよという指示はしていないようだ。日興は曼荼羅を文字で表現するのが当然だと考え、『原殿御返事』でも「聖人の文字にあそばして候いしを安置候べし」と述べているが、日向が絵師に描かせたという絵曼荼羅について批判をしている様子はない。日興は「日蓮聖人御出世の本懐南無妙法蓮華経の教主釈尊久遠実成の如来の画像は一二人書き奉り候えども」とも述べているのだから、もし一尊四士の絵曼荼羅であったならば日興が批判する理由もないだろうと思われる。曼荼羅の具象化という作業は日蓮信奉者の中では早くから着手され、中山3世日祐の『本尊聖教録』には「打物題目、釈迦多宝二尊像並びに四菩薩像各一体」とあり、一塔両尊四士という先に紹介した藻原寺の本尊安置形態が、それよりはるか昔に実現されていたことが分かる。打物題目だけは文字で表現されるが、それ以外は絵像、木像で表現されるという表現様式であり、諸尊が文字で表現されるか、絵像、木像で表現されるかの相違はあっても、宝塔の中心部にある「南無妙法蓮華経」によって十界の衆生が光明を与えられるという理念はそれなりに表現されているだろう。
ただ問題もいろいろあり、曼荼羅では釈迦多宝の二尊だけがこちら側を向き、その他の衆生は妙法蓮華経ならびに釈迦多宝のほうを向いているのだが、絵像、木像にした場合、二尊以外の向きをどうするのかということがすぐ生じる。日蓮宗の一塔両尊四士の安置様式は、全員こちら側を向いているようだが、そうなると曼荼羅では右尊左卑を表して上行菩薩は向かって右側に配置されているが、全員こちら側を向いている場合、上行菩薩を曼荼羅に合わせて、向かって右側に配置するか、それとも右尊左卑の原則を守り、向かって左側に配置するのかという問題まで生じてしまう。日蓮宗蓮城寺のHPの「本門の本尊」の項には「一塔両尊四士といって、真ん中の宝塔には、南無妙法蓮華経と書かれ、向かって左に釈迦如来、右に多宝如来が一つの蓮台に乗っていて、右に上行、無辺行のそれぞれの菩薩が、また左に浄行、安立行のぞれぞれの菩薩が奉安される形式です。また、これには文殊・普賢・四天王・不動・愛染の諸尊も添えられる場合があります。(中略)その前の中心線上に日蓮大聖人の御尊像と法華経八巻を乗せた経机が奉られています。もちろん、大聖人の御尊像は御本尊でないのは言うまでもありません。本化上行菩薩応現の大聖人の教えを通して御本尊を観なければならないということです。」とあり、文字曼荼羅に合わせて、向かって右側が多いようだ。
 文字曼荼羅の具象化としての一塔両尊四士の安置形態は言語による文化的障壁を越えることが可能かもしれないが、今度は絵像、木像が持つ感性的な文化的障壁の問題が生じる。このジレンマはそれぞれの言語に翻訳された曼荼羅が作成されるまでは解消しないだろう。

 

 5−4−6 暫定的な結論

 読み返してみても、自分でも読むのが嫌になるほど、長々と議論をしてきたが、当初は日蓮、日興の議論で終わらせて、理法、教法の議論は別の機会にしようと思っていたのだが、この議論をしなければ法勝仏劣の議論は説得力を欠くと思い、プラン変更をしたため、ここまで長くなってしまった。しかし夏休みもそろそろ終わりに近づき、新学期の準備もしなくてはならないので、話をまとめるとしよう。
 私が曼荼羅正意説を採用するのは、以下の理由による。日蓮教学の上では、『本尊問答抄』だけが、法本尊と仏本尊との関係を明示し、能生・所生という論点から、法本尊が仏本尊より勝れているという議論をしていること、他の本尊論に関する日蓮の著作では法本尊=曼荼羅と仏本尊=一尊四士との関係は明示されていないこと、また日蓮自身の事跡を考察しても両者を本尊として認めており、そこに両者の関係の明示がないこと、また著作の本尊安置様式と実際の安置様式とは一致しないことなどから日蓮の本尊思想が首尾一貫していたとは言い難く、そこからすべての人を納得させるような統一的な本尊論を導き出すことは困難であることなどを示した。次いで日蓮教団史の上から、日興が一尊四士を容認しつつも、実際には一尊四士の造立をせずに、文字曼荼羅のみを本尊と認めたことを示し、その理由は『本尊問答抄』に求めるしかないことを示した。ここから『本尊問答抄』ならびに日興の事跡から判断すると、曼荼羅正意説が日興門流としては当然の結論になることを示し、日蓮正宗が『御義口伝』などを使用して人法一箇説を主張することは無効であり、日興の本尊論とは違うことなどを示した。
 さらに理法と教法の議論をすることによって、仏が法を発見するかどうかとは無関係に、理法は宇宙に内在するということを主張した。教法であればそれを説いた仏の悟りの内容を配慮する必要があるだろうが、理法であれば、自然科学の法則が、それなりの実験によって真偽を確かめることができるように、その理法に述べられていることが真であるかどうかは、それなりの手続き(宗教体験)によって確かめることができるかもしれない。牧口常三郎はこのように考えて、宗教に関する実験証明を主張した。この考えは宗教に関するリベラリズムの考えであり、聖典を根拠とする原理主義とは異なる。
 そして創価学会の布教方法は、本尊に対する唱題を通じて、各人が宗教体験を得ることを重視したリベラリズムに基づくことも主張した。創価学会はかっては日蓮正宗の影響を受けて、聖別された本尊(大石寺住持によって印可された本尊)のみに、功徳が生じ、聖別されていない本尊は、たとえ日蓮が図顕した本尊であっても、功徳はないと主張していたが、この主張が正しいかどうかは、教義が決めることではなく、宗教体験のさまざまな事例によって判断するしかないと考えるのがリベラリズムの考えである。
 功徳がどういう現象であるかは定かではないが、例えば長期的な視点から、一族の繁栄の維持ということも、どうやら人々が宗教に願うことの一つであったようだから、これをとりあえずメルクマール(判断の手がかり)としてみよう。大石寺の最大の功労者は南条時光であろうが、その子孫は二つに分裂し、日道と日郷の争いに関わり、鎌倉幕府の滅亡とともに、一族は衰退し、やがては日蓮が時光に授与した曼荼羅も手放さざるを得なくなったが、少なくとも南条一族の繁栄の維持は結果として実現できなかったようだ。これに対して日興が身延離山を余儀なくされた謗法を行った波木井実長の子孫は、その分家が東北の地で栄え、やがて南部氏として江戸時代は大名の地位を維持した。波木井一族の繁栄の維持はある程度実現できたようだ。これらは分かりやすい事例を挙げただけであるが、どのようなメルクマールを選んだとしても、特定宗派のみに功徳があり、その他の宗派には功徳がないということを社会統計学的に示すことはできないだろう。
 功徳は、個人がそれぞれの実存状況において、何かを願い、その宗教的指針を信じ、行動する中から、それぞれが体験するものであるから、聖別があるどうかは、その体験においては殆ど考慮されない。創価学会が日蓮正宗と分離してから、創価学会は大石寺住持の印可のない本尊を授与して、会員はそれを本尊として信仰生活を送っているが、印可があった本尊を信仰していた時期と、印可のない本尊を信仰している時期とで、大きく宗教体験が変わったのだろうか。日蓮正宗が主張するように、印可のない本尊を信仰すると不幸が起るという主張が正しければ、多くの会員は不幸になっているはずであるが、少なくとも私の見聞した範囲では、不幸な出来事も生じているが、幸運な出来事も生じており、大部分の会員にとっては大きな変化はなく、明白に日蓮正宗の主張が正しいことを証拠立てる事例はそれほど多くはないようだ。
 日蓮正宗は聖別のサクラメントを強調するが、これはカトリックがローマ教皇=ローマ初代司教のペテロ(新約聖書では「ペトロ=岩盤」のたとえでイエスの後継者とされる)のカリスマを継承する者という建前から聖別のサクラメントを主張するのと類似して、日蓮の救済のカリスマが歴代の大石寺住持に継承され、その時代の大石寺住持は日蓮の代理人であるという怪しげな文献『御本尊七箇相承』を根拠にして主張されていることである。そして聖別のサクラメントの内容の一つとして本尊書写権は大石寺住持のみにあるという主張も含まれる。
 日蓮正宗は日蓮の救済のカリスマは日興のみに日蓮から授与されたと主張するが、曼荼羅書写に関しては、現存の直弟子曼荼羅に関する限り、日朗が日興より早いし、また『富士一跡門徒存知の事』には「御筆の本尊を以て形木に彫み、不信の輩に授与して軽賤する由、諸方に其の聞え有り。所謂日向・日頂・日春等なり。」とあり、他の門流がどのような曼荼羅を授与していたかについてそれなりの情報収集をしていたことが伺われるが、日朗などの老僧が自ら曼荼羅を書いて授与していたことを非難していない。また京都の日尊門流の日大の『尊師実録』に「本尊書写事 尊仰云大聖人御遷化之刻六人老僧面面二書写之給ヘリ然而無異議」とあることから、日興だけが本尊書写権を持っていたのではなく、他の老僧も持っていたという認識が日興門流の一部にあったことは確かである。また三位日順の『摧邪立正抄』においても、「第八に挙ぐる所の日蔵(日像)書筆の本尊題目の下の判形等の事・是非の問答又枝葉たり、其の故は先づ書する所の本尊率都婆を見聞するに敢て聖人御筆の漫荼羅に似ず、其の体異類にして物狂逆態なり、何ぞ大都の違背を閣いて徒に愚判の所在を論ぜんや、」と述べて、日興門流とその他の門流では「日蓮在判」の部分の書き方に大きな相違があるが、その点に関して、日順は些細なことであるとし、日像が髭題目の髭の部分を曲線で描き、グラフィック的には華麗な表現(これは私の個人的感想に過ぎないが)をしたことに対して、日蓮の曼荼羅に似ていないと非難をしている。日蓮正宗では「日蓮在判」と書くことが、日蓮から継承された曼荼羅書写様式であり、他の門流では日蓮からの継承がないから書写様式が違うという主張をして、非常に重要視している点だが、日順はその「日蓮在判」の問題よりも、髭題目の書き方のほうを重視している。
 また『尊師実録』に「富士門跡ハ付弟一人可奉書写之由日興上人御遺戒也云々其故ハ賞法燈以為立根源也云々依之本尊銘云仏滅後二千二百三十餘年之間一閻浮提之内未曾有大曼羅也云々予モ叉存此義之処日興上人御人滅後於一門跡面面諍論出来互ニ成偏執多起邪論人人面面奉書写之云々」とあることから、日蓮正宗は、日興の生前は日興とその付弟日目だけが本尊書写権を持っていたと主張するが、それに反する事例が『富士宗学要集』に「日仙上人御筆大漫荼羅の分。元徳四年二月彼岸、□□成に之を授与す、 同(讃岐) 中之坊。」とあり、日興の生前に本六の一人日仙が本尊を書写していることを記述している。この矛盾を説明するために松本佐一郎は『富士門徒の沿革と教義』において、「この当時の高瀬(讃岐)は富士との連絡が不便だったであらうから、檀家の請を容れ一鋪だけ書いたのが元徳四年のものではあるまいか。」と述べているが、日興が讃岐関係者に与えた本尊で日仙が書写したのと同年の本尊が二体あることが、『富士宗学要集』の日仙の曼荼羅の記述のすぐ上に記述されている。(『日興上人御本尊集』によれば、No. 258の曼荼羅は『富士宗学要集』には「元徳四年」と表記されているが、「元徳二年」の読解が正しいと言う。写真版で見るかぎりは「二年」説に説得力がある。また『富士宗学要集』に記載されている「元弘二年五月日 同上」(「元弘二年」は「元徳四年」と同年)の曼荼羅については『日興上人御本尊集』では言及がない。『日興上人御本尊集』には「我々の作成した御本尊目録によれば、何らかの形でその存在を伝えられる御本尊は二九九幅に及ぶ。しかし今回紹介できなかった一三八幅(ほとんどが未調査)の中には曽存が確認されているもの、又『家中抄』『大石寺明細誌』など古い記録にあって新しい目録にないもの(曽存の可能性が高い)、そして模写・偽筆の御本尊が含まれている可能性もあって、現存数は幾分少なくなるであろう。」(p. 369)。とあり、『日興上人御本尊集』に収録されていないからといって存在しないと断定は出来ないが、その存在も主張できない。しかし2年前に讃岐に日興の曼荼羅が届けられているのに、日仙が日興の生前である「元徳四年」に曼荼羅書写をしていることは遠隔地ということでは説明できないだろう。(2012/2/18付記))松本佐一郎もこの記述は読んだであろうが(松本佐一郎は『富士門徒の沿革と教義』の中で『富士宗学要集』について言及している)、それを無視していることに私は作為的なものを感じるが、遠隔地であっても日興の曼荼羅は讃岐に届いていたのであるから、それを理由に日仙の曼荼羅書写を合理的に説明することはできないだろう。結論は唯一つ、本六の日仙は日興、日目のみが本尊書写権を持つということを認めなかったということであろう。日興の死後讃岐関係者に対して、大石寺住持が曼荼羅を授与したことは記録されず、日仙の曼荼羅授与のみが記録されている。日興、日目が相次いで亡くなってからは、有力な日興の弟子たちが本尊書写をしたことは、日大の記述の通りである。
 以上述べたように本尊書写権という聖別のサクラメントが日蓮、日興、歴代の大石寺住持にただ一人継承されているという説は学問的には否定するしかないだろう。曼荼羅の作成様式は日興門流とその他の門流では「日蓮在判」があるかどうかで大きく違っているが、この相違は日蓮の指示によるものだろうか。日蓮正宗は日興のみが本尊作成様式を日蓮から口伝されたと主張するが、私は、日蓮の生前に、日蓮に対して、日蓮死後の曼荼羅の作成様式について、尋ねることができるほど度胸がある弟子がいたかどうかを疑問に思っている。そんな向こう見ずなことをしそうなのは、日蓮の弟子の中で唯一日号を使用せず、六老僧全員を相手に論争し、『御本尊七箇相承』で「日蓮の蓮の字に点を一つ打ち給ふ事は天目が点が一つ過ぎ候なりと申しつる間・亦た一点を打ち給ひて後の玉ひけるは・予が法門に墨子を一つ申し出す可きものなり、さてこそ天目とはつけたれと云云。」という日蓮の曼荼羅図顕に対して突っ込みを入れたという伝説がある天目ぐらいであるが、六老僧に選任されなかった天目に曼荼羅作成に関する伝授があったとも思えない。そうならば日蓮が自ら弟子に教えたという可能性もあるが、一人だけに伝授して、他の弟子には伝授しなかったとすれば、それは日蓮死後の揉め事の大きな原因になるから、他の弟子たちにも教えるか、あるいは一人だけに教えたから、それを守るようという趣旨のことを他の弟子たちにも伝えるだろうと思われるが、そのような事実はないようだ。ここから想定されることは曼荼羅の作成様式については誰も日蓮から伝授されず、それぞれの弟子たちの曼荼羅作成に対する解釈によって作成されたということであろう。日興のように曼荼羅を書写すると考えた者は、「日蓮在判」を日蓮花押のあった位置に書いたであろうし、日朗のように、曼荼羅作成の責任を明確にするために日蓮花押の位置に自署、花押を書いた者もいたし、日向、日頂のように日蓮の曼荼羅を模写して形木印刷した者もいたということであろう。
 日蓮は仏道修行にとって本尊が必要なことについて、何も説明せず、当然のこととしている。日蓮信奉者の中で、本尊の意義を明確にしようとして建治3年に系年されている『日女御前御返事(本尊相貌抄)』を作成した者は、(ここでも出典不明の「実相の深理本有の妙法蓮華経」が使用されている)次のように凡夫の己心本尊論を述べている。

 「(十界の衆生が)此の御本尊の中に住し給い妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる是を本尊とは申すなり。(中略)此の御本尊全く余所に求る事なかれ只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり、十界具足とは十界一界もかけず一界にあるなり、之に依つて曼陀羅とは申すなり、曼陀羅と云うは天竺の名なり此には輪円具足とも功徳聚とも名くるなり、此の御本尊も只信心の二字にをさまれり以信得入とは是なり。日蓮が弟子檀那等正直捨方便不受余経一偈と無二に信ずる故によつて此の御本尊の宝塔の中へ入るべきなりたのもしたのもし」

 

 日蓮は『観心本尊抄』で無始の古仏が己心に内在すると主張していたし、一部真蹟が残っている弘安元年の『日女御前御返事』には「宝塔品の御時は多宝如来釈迦如来十方の諸仏一切の菩薩あつまらせ給いぬ、此の宝塔品はいづれのところにか只今ましますらんとかんがへ候へば、日女御前の御胸の間八葉の心蓮華の内におはしますと日蓮は見まいらせて候」とあるから、このような『日女御前御返事(本尊相貌抄)』の議論は比較的多くの日蓮信奉者に受け入れられたであろう。
 同様の己心本尊論の趣旨は『法華初心成仏抄』でも次のように述べられている。

「凡そ妙法蓮華経とは我等衆生の仏性と梵王帝釈等の仏性と舎利弗目連等の仏性と文殊弥勒等の仏性と三世の諸仏の解の妙法と一体不二なる理を妙法蓮華経と名けたるなり、故に一度妙法蓮華経と唱うれば一切の仏一切の法一切の菩薩一切の声聞一切の梵王帝釈閻魔法王日月衆星天神地神乃至地獄餓鬼畜生修羅人天一切衆生の心中の仏性を唯一音に喚び顕し奉る功徳無量無辺なり、我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり、譬えば篭の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し、空とぶ鳥の集まれば篭の中の鳥も出でんとするが如し口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ、」

 

 凡夫の己心に本尊が内在するという己心本尊論を明確にした著作がいずれも真蹟、身延曽存、直弟子写本にはないが、これらの著作を作成した者たちは、日蓮の本尊論の真意を表現したと自負していただろうし、それゆえこれらの著作は日蓮の思想として多くの日蓮信奉者に受け入れられてきたのであろう。
 日蓮信奉者の中には、例えば本門仏立宗の長松日扇のように一遍首題の題目に脇書を書き、これを「要法本尊」と称し、従来の十界曼荼羅を「別勧請本尊」として禁止するという過激な立場を表明する者もいた。私個人は「Simple is Best.」という趣味の持ち主であるから、日扇の考えは好みであるが、多くの信仰者は単純すぎて、ありがたみがないと思うだろう。曼荼羅制作に関して日蓮の教示があったことは学問的には証明できないし、あとは宗教運動なのだから、多くの信仰者が納得できる曼荼羅を教団の独自の見解で作成すればよいと思われる。
 私がこのように主張すれば、「創価学会は池田本仏論を準備して、独自の本尊作成を考えている」などと邪推するものが出るかもしれないが、この論文は私の個人的見解であり、私の所属する宗教法人、学校法人の意思、意向とは全く無関係である。そもそも「・・・本仏論」なる議論が何を言いたいのか私には分からない。どうやら日蓮本仏論は、日蓮正宗にとっては、日蓮正宗以外はみな誤った宗教だから、日蓮の教えを正しく継承している大石寺住持に服従しなさいというプラグマティックな意味を持っているようだが、そのような日蓮本仏論は創価学会においては信仰されていないようだ。私が見るところ、創価学会では日蓮本仏論は凡夫本仏論の一部をなす理論であり、凡夫が仏である、あるいは仏になれるということの、手本として日蓮本仏モデルが採用されているのに過ぎないだろう。(このような見解の代表例が松戸行雄の『人間主義の「日蓮本仏論」を求めて』や『日蓮思想の革新ーー凡夫本仏論をめぐって』の議論であろう。私と松戸は東洋哲学研究所で同じ研究員として何度も意見を交換しているが、私が日蓮思想を真蹟、身延曽存、直弟子写本に限定するスリム日蓮説を採用するのに対して、松戸はそれ以外の文献も日蓮思想に含めるというファット日蓮説を採用するという点にあったが、松戸の凡夫本仏論から現代の日蓮思想の可能性を探るという考えに関しては、日蓮個人の思想に基づくというなら賛成できないが、日蓮に淵源を持つ日蓮仏法に基づくというならそれなりに賛意を表明している。)(2011/9/28 付加)だからモデルすなわち参考事例に過ぎないから、日蓮の議論に誤りがあっても、日蓮本仏論が破綻するわけではない。日蓮は鎌倉時代という状況の中で凡夫=仏としての姿を示しているのであり、それと別の時代においては、別の凡夫=仏の姿がモデルとしてあってもよいだろうという程度のことに過ぎない。創価学会の壮年部の教育者がある壮年向けのセミナーで「成仏というのは、例えば、生きているときは多くの人の手助けをして、一家繁栄し、健康、長寿で、死ぬ時には、多くの友人、知人が葬式に集まり、感謝されるような生き方だと思う」という趣旨のことを述べていた。私個人としては、いろいろ突っ込みたいところもあるが、このように成仏を自分の言葉で理解し、それを目指して生きていくという点においては、私も傾聴すべきものがあると思う。私のように文献資料を相手に、オタク的な研究をしている者には、私なりの宗教体験があり、彼とは別の成仏モデルがあるが、多様な宗教体験と、そこから生じる多様な教義理解を、互いに容認することが、リベラリズムのあり方であると思っている。

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