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赤化青年の完全転向は如何にして可能なるかーー全国数万の赤化青年転向指導のために (1935年12月号)

はじめに

 以下の資料は私が関わった第三文明社刊行の『牧口常三郎全集』第9巻「後期教育論集U」に未収録の創価教育学会機関雑誌『新教』掲載の牧口の諸論文である。内容は一読してわかるように、創価教育学会がその活動の初期において、内務省警保局、警視庁労働課という左翼の転向問題を扱っていた治安機関と連携しつつ、長野県などの赤化教員の転向工作に積極的に関わって、それらの赤化教員を積極的に創価教育学会にオルグしようとしたことを示す資料である。創価学会の中では、牧口常三郎は軍部政権の宗教政策に反抗して獄死したということが強調され、この獄死は、多くの左翼関係者、自由主義者、宗教関係者が弾圧されたことと同様の反権力の意味を持ち、多くの宗教教団が軍部政権への協力体制をとっていたこととは一線を画し、戦後の創価学会の宗教運動にとってそれなりの社会的ステータスとイメージを与える教団的には重要な遺産であった。この牧口の遺産は、宗教運動がメインであった戸田城聖の時代にはそれほど活用されることはなかったが、言論問題以降社会における教団のイメージ向上の重要性を認識した池田大作にとっては重要な遺産となり、牧口が弾圧された理由も宗教的理由から反戦平和という理由へシフトされた。創価学会の知識人に対するメディア戦略にとって、牧口常三郎が軍部政権と戦って獄死したということは、その当時文化的影響力を持っていたいわゆる進歩的知識人というグループへ接近するためのそれなりに有効な材料となり、戸田城聖の時代には、日蓮仏法を広めるためにはむしろ邪魔な議論だとされた牧口の価値論もそれなりに教団的には再評価されるようになった。特に創価学会の活動目標が、宗教運動のみから、宗教運動を基盤とした平和、文化、教育運動を展開することへと変更された頃からは、池田はしばしば牧口に言及するようになった。
 そのような全体的機運の中で第三文明社から『牧口常三郎全集』が斎藤正二という牧口研究者で非創価学会員の日本教育史の研究者の協力の下で刊行され始めた。私もオーバードクターの頃、東洋哲学研究所の牧口価値論研究会で斎藤の『創価教育法の科学的超宗教的実験証明』に関する発表を聞いて、それまで私は戸田城聖補訂版の『価値論』を中心に牧口思想を考察していたのだが(研究会に招いて話を聞いた柏原ヤスは「牧口先生は入信したときから仏様のような人です」という趣旨の話をしていたが、私もその当時は似たような考えであった。)、『創価教育学体系』以降の思想的発展の中で宗教思想の発展を捉えるべきだという斎藤の主張に、眼から鱗が落ちるような気持ちで感銘を受け、それ以後牧口常三郎を創価学会の創始者としてではなく、思想を発展しつつある一人の思想家として考察するようになった。創価学会員で牧口思想について研究していた学者の卵はそれほど多くはなかったので、第三文明社から宗教関係の論文の出版の手伝いを要請されるようになった。そのころたまたま牧口の生まれ故郷である柏崎にある新潟短期大学(現新潟産業大学)に奉職することとなり、奇縁を感じてそれを契機に本格的に牧口研究に取り掛かった。斉藤は創価学会がまだ入手していなかったさまざまな資料などを所有してはいたのだが、その資料を使って牧口の宗教思想を論じることは、非創価学会員であるということからか、遠慮していたので、私などよりは斎藤のほうが適任ではあったと思うのだが、私が初期の創価教育学会の機関雑誌『新教』掲載の論文の脚注、補注、解説などをすることとなった。初めてその諸論文を読んだときには、内容的に「これはヤバイ」とすぐ直感した。それでもなんとか牧口をフォローすべく、あれこれ理由をつけて牧口を弁護する補注を書いて、そのゲラをその当時創価学会のイデオロギー部門の担当者であった野崎勲に提出して出版許可を貰おうとしたが、野崎はあっさりと「これはまずすぎる」と言って、いくつかの論文を削除するように指示した。私は野崎とは個人的親交もあったし、私自身もヤバイと思ったくらいだから、第三文明社の担当者と相談して、全集だから手元にある牧口の文章を全部収録するのが本来の姿だが、教団的には現時点で出版するのは不都合だから、将来出版することが可能であるような状況になったら、全集の補遺として出版しようということで当面の公表を断念した経緯がある。
 その資料を今回公表しようとしたことにはそれなりの理由がある。それらの資料の存在は、斎藤も『伝記戸田城聖』を書いた西野辰吉も知っていたが、創価学会にとっては不都合な資料であるからという理由で、できるだけ言及しないように配慮してくれていた。私は『牧口常三郎全集』の中で、今回公表した資料の中で、『光瑞縦横談』の存在だけはやむを得ず補注の中で言及したが、治安当局との関係に関しては全く言及しなかった。また私の『牧口常三郎の宗教運動』の中でも、長野県赤化教員事件で中心人物の一人として治安当局から見なされた高地虎雄の手記などを引用したりはしたが、治安当局との関係については言及しなかった。とはいえ聖教新聞社編『牧口常三郎』に収録されている矢島周平(秀覚)の手記には牧口が矢島を内務省警保局に連れていって転向保証をしたことは記述されているし、第三文明社編『牧口常三郎、戸田城聖年譜』にも治安当局との関係は記述されていて、完全にその情報が隠蔽されていたわけではないが、一般には入手しにくい資料であり、私も多少の不安をかかえつつも様子を見ていた。
 村田聖明が1969年に出版した『Japan's New Buddhism』がしばしば英語圏の創価学会研究者の参考資料として使われるので、私も外書講読の教材として取り上げて読み進んでいるうちに、戸田城聖の項目で戸田と牧口だけが非転向であったと記述されているので、私の理解とは違うと思って、その出典を調べるために、ネット検索でもう一人の非転向者であったと思っていた「矢島周平」について調べていたら、聖教新聞(2009年1月9日付)に連載された『若き指導者は勝った』で矢島周平が裏切り者として糾弾されているのを知って驚いた。私はなぜ今頃、かなり昔に死んでしまった、多くの会員にとっては名前も知らない矢島周平が批判されなければならないのか、その理由が分からないが、どうせ創価学会の本部内の権力闘争という御家の事情にすぎないことで、私のような権力とは無縁な一般会員にとってはどうでもいいことではあるとは思うが、その記事の中で「思想犯のレッテルを貼られ、闇から闇へ逃げるしかなかった矢島。それを、ここまで牧口が治安当局のトップと話をつけ、日の当たる場所に戻してもらったのだから、ありがたい話である。」ということが書いてあった。この記事により牧口が治安当局から信用されていることが聖教新聞という一般会員も眼にするメディアで明かにされたことを知り、創価学会にとって牧口と治安当局との関係はオープンにしても構わない情報なのだと思った。さらにネット検索を続けると、「ルーシェン通信」というHPの「『矢島周平』批判の今日性について」というブログには『抵抗の歴史』(労働旬報社)という資料をもとに、「矢島の場合は『転向の信用度』が『確』となっていました」ということまで、ご丁寧に記述されている。つまり牧口が転向保証したことにより矢島は完全転向を治安当局から認められたことを語っているのである。
 私も全共闘世代の一人だから、左翼活動家の何人かの知り合いもいるが、私が治安当局に人物保証したからといって、信用されることは全く無いと確信を持っている。それに比べて退職した一小学校長に過ぎない牧口が信用されたということには何か特殊な事情があるに違いないと、多少の事情通であるならばすぐ見当をつけることであろう。野崎勲や西口浩のような切れ者が生きていればこんな情報は隠蔽し続けると思うのだが、現在の創価学会の本部の判断では、われわれの世代に少しは残っている反権力志向を持つ人々への配慮もしなくなったということなのだろうと私は見切りをつけている。このような状況であれば、治安当局との関係をいつまでも隠蔽しておく必要もないと私は判断して、今回資料を公表した。この資料の公表に当たって、それなりのトラブルが発生することが予想されるが、後進の牧口研究者に発表の重荷を負わせるのも酷だし、私が編集責任に当たっていた部分の資料であるから、それを公表するのは私の責任であろう。私も還暦を過ぎて、体力も衰え、腰痛もひどく、いつまでも生きてられるわけではないから、墓場に持っていくつもりもないことは公表したほうが良いだろうと思っている。なお脚注、補注の資料はあるが、膨大な量になるので、それを公表することは体力的に無理なので、牧口の論文のみを公表する。この資料をどのように解釈し、評価するかは読者の皆さんに一任することにしよう。
 なお最後に長野赤化教員グループのメンバーについて言及しておく(岡野正『1930年代教員運動関係者名簿改訂版』によるところが多い) 。『新教』5月号に掲載されている組織表には、「創価教育学会幹事 矢島周平 創価教育学会『新教』編集部 渋谷信義 小林済 創価教育学研究所員 土岐雅美 石沢泰治 高地虎雄」の名前が記載されているが、これ等のメンバーが全員長野赤化教員関係者である。かれらの経歴を辿ってみると、最初に創価教育学会に参加した渋谷信義は新興教育(新教と略称されたのも因縁深い)長野支部に加入し、その後日本共産党の指導の下にあった日本労働組合全国協議会(全協)の一般使用人組合教育労働部(教労)長野支部に加入した。執行猶予付きの有罪判決を受け、教員失職後、東京に来て、戸田の経営する時習学館に講師として応募し、牧口から雑誌『新教』編集部として活動するよう指示され、彼との関係で後に矢島が参加する。渋谷は『新教』編集主任の任を高地虎雄に譲ってから、日蓮正宗総本山大石寺に百日間の修行に出かけたが、「ルーシェン通信」にあるように、その途中の7月20日に大石寺で自殺した。辞世の歌「たえたえてついに果なき淋しさの道とし知らば迷はざりしを」がHPに紹介されているが、少なくとも渋谷は創価教育学会によって一時的には救済されたようだが、最終的には救いの道を見出すことができなかったようだ。
小林済は渋谷信義の勧めで、新興教育長野支部に加入し、その後教労長野支部に加入した。執行猶予付き有罪判決後、日本精神講習会の受講を経て、転向を認められ、受講者は教職に復帰を認められたものも多かったが、小林は『新教』編集部に所属し、その後は不明だが、1986年死去した。土岐雅美(正三)は新興教育加入後、教労に加入した。執行猶予付き有罪判決を受け、創価教育学会に関係した後で、1945年中国で戦死している。石沢泰治は新興教育に加入後、教労長野支部結成大会に参加し、諏訪地区責任者、長野支部書記局常任、会計を担当した。実刑判決、出所後、創価教育学会と関係し、翌年の1937年中国で戦死した。
最後の参加者である高地虎雄は、新興教育に加入後、教労に加入し、更埴地区責任者となり、実刑判決、出所後、小林済の紹介で、転向者の就職をあっせんする「更新会」を運営していた小林杜人と知り合い、小林杜人に連れられて大審院検事平田勲と面談の末、家庭教師として働き、また牧口の嘱望によって『新教』(改題『教育改造』)の編集主任になったが、まもなく雑誌が廃刊になった。平田は日本共産党の中心者であった佐野学、鍋山貞親の転向声明に成功するなど思想検事の代表であったが、高地の印象では「相手の人格を大変重んじる人だった」ようで、思想犯の高地に子供の家庭教師を依頼し、子供にも「高地先生」と呼ばせるようにしたということである。高地は牧口の教育革命の思想に大きく共鳴し、その宗教的基盤である日蓮仏法にも強い関心を寄せたが(そのことは私の『牧口常三郎の宗教運動』で紹介している)、「唯一つあれ程熱中の精魂込めて打ち込んだはずの創価教育学会の真髄が平田勲検事の言うような『ご利益主義宗教集団』と批判された一語は痛烈な打撃を受けました。創価教育理論の編纂には全知全能で取り組んだはずなのに、時の潮流に流されていく学会の、その矛盾さに心痛めたあげく、九死に一生を果たせたキリストの愛に目覚めた(高地は1937年に召集され、日中戦争勃発と共に中国へ出征し、戦闘中地雷を踏んで瀕死の重傷を負ったが、婚約者からもらったポケット版の聖書を胸ポケットに入れていたために、破片を聖書が受け止めて、心臓直撃を避けることが出来たという体験をした)のが、自分の生きる道と悟る事ができました」(多羅澤一郎『身代わりの聖書』p. 184)とあるように、教育改革よりも信仰による功徳を強調する宗教運動へ創価教育学会が傾斜していくことに違和感を感じ、創価教育学会から離れ、後にキリスト教の牧師になった。結局残ったのは矢島周平だけであり、牧口が治安当局と連携して赤化教員を転向させて創価教育学会に加入させようとした試みは成功しなかったと総括できよう。

    

 赤化青年の完全転向は如何にして可能なるかーー全国数万の赤化青年転向指導のために (1935年12月号)

                                                       

 序  説

 赤化事件に関係した禍によって郷里の教育家からいつまでも疑ひの目を以て見られ、悲惨な生活を送って居る在京者の四君が不思議な因縁によって本会の正会員となり、半歳余り創価教育学の科学的研究から、遂に宗教革命にまで徹底した結果、茲に完全なる転向が出来、明朗勇敢なる生活に復帰したことを赤裸々に郷党に報告して謝罪すると共に同境遇に苦悩しつゝある百余名に光明を与へんとする目的を以て、それらの四名と共に余は某県に旅行して左の如き講演をして帰京した。これは全国の数万人を超えたる同境遇の青年に対して共通の事として、教育家諸君の一顧を煩はすに足るべしと信ずる。
 吾々は先づ内務省警保局、警視庁労働課長等を数回訪問、関係教育家等と懇談して少からず感動を与へ、内務省より郷里の警察部へ特別電話までかけて貰ったこととて、万事に都合よく完全に予定の目的を達したものである。
一、完全転向を保証する原理はあるか。
ニ、完全転向とは何を意味するか。
三、その証明は何を以てするか。
四、その基礎たる宗教とは何ぞや。
五、宗教革命は可能なるか、その方法。
六、国体と一致したる宗教とは如何。
七、創価教育学との関係如何。

  

 一、完全転向を保証する原理はあるか

 現在の赤化青年のすべてを完全に転向せしめ得るだけの指導原理はあるか。もしあるとせば、本人は勿論、社会のためにも、はた日本全国に於て知識階級の最も注目すべき緊急事項ではないか。だが、「今の世にそんな事が出来るものか」と真面目に考へやうともしないのが、普通のやうである。これは今日まで転向者は多くても、大概は止むを得ざる境遇や事情からであって心の奥底から目醒めたのではないと思はれるから無理はない。といって、我が国の数千余名の青年教育者がこの儘朽ち行くのを袖手傍観することも出来ないとしてか、一人前百余円も出して赤色脱退の講習などに派遣するのを見れば、内実は注意されるに相違ないと信ずる。そこでもしも、実際上に完全転向の証明がされ、その基づく原理が説明されるならば最早疑ふ余地がないではないか。之が吾々の当地へ参った重要なる理由である。たゞしこれは局外者としての立場から言ふことで、事件の当事者としては、その前に「皆さんに大なる心配をかけて、済まなかった。就ては不幸中の幸に完全なる転向が出来たつもり故、証拠となって、他の友達をも導びきたい」といふ謝罪の意味である事は申すまでもないのである。
 これだけを表明したならば、もう、いつまでも過去の怨みを持たれる方はあるまい。悪かったには相違ないが、その悪を未然に反省せしめるだけの先輩も無かったといふことには、責める者にも反省の余地があらうからである。ともかくも今回は警保局や警視庁や特高警察部等へ亘りをつけた上、教育界へ宣明したのであれば、もはや関係者には安心されて然るべしと思ふ。これ以上に運動がましきやうの意味は毫もないことだけは特に御断りしておく。

 

 二、完全転向の意義如何

 完全なる転向とは何を意味するか、先づ以て判明されなければならぬ。先日警視庁の労働課へ帯同して、転向にも無数の程度があるなどを話し合ったが、消極的と積極的、利己的と社会的等、種々の検討が必要であらう。少くとも左の三ケ条だけは要求されねばなるまい。
 一、皇室中心の国体観念と合致し、虚妄なる観念論的日本精神でなくて充実したるそれたる事。
 二、あくまで合法的手段の生活をなすこと。
 これだけでも転向者たるに於て今の内では沢山でないか。しかしながら、これだけならば気の抜けたビールのやうなもので、毒にはならぬが、薬にもならぬといふ非社会的の個人主義で、教育者としては最劣等級のものといはねばなるまい。是に於てか、こんな消極的なる転向よりは、も一段飛躍したものでなければならぬ。そこで今一ヶ条を加へなければならぬ。
 三、自己一身を衛れば足るといふ消極的の個人主義の生活を脱し、積極的に社会の指導に任ずるといふ愛国心に燃える事。
 かの階級闘争の手段として自国を超越して世界のプロレタリアをあてにするといふ、観念論的なマルキシズムは全く捨てると共に、日本精神も内容の空虚なる観念論に満足せず、盲目的感情論に堕せず、国体の根柢にまで突き詰めた上で、建て直った教育者とならねばならぬ。而して合理的計画的の教育をなし、他の文化的分業者が悉く科学的指導によって挙げつつある程度の高い能率を教育者も挙げ得るやうにならねばならぬ。是に於て初めて前科を償却した完全教師といふことが出来るであらう。

  

  三、何を以てその証明をするか

 この事を何によって証明するか。単なる観念論的理論だけではなく実際生活によっての証明でなくてはなるまい。而してその上にその基づく理論が説明されるならば、もう疑ふべからざるものとしなければなるまい。この場合に「文証と現証と道理との三つが具備しなければ信ずる勿れ」といふ釈尊の御遺言が役立つのである。
 その現証として完全転向せる四君の告白が如何ほどの価値を持つかは、こゝに云ふべき限りではない。が、全国の赤化事件の当事者が等しく憂鬱の生活に沈淪してゐるのを普通とする中に、敢然として警視庁や警保局を訪ひ、仇敵を忘れて朗かに懇談し、積極的に同じ境遇者に呼びかけんとする途上にある以上は、これをだも疑ふのはあまり懐疑論者でないか。それよりは、「何故か」の研究こそ今後の方針として重大でないか。然らば問題は最早その根拠如何といふことに進んだものであらう。いかに立派な言動でも人間同志では欺くことが出来るから、容易に安心は出来ない。そこに宗教的根拠の要求が生ずるのである。
 といふて、如何なる宗教でも偽れぬ保証になるかといふと、さうではない。生き仏の如く尊敬を博して居る高僧や牧師でも、随分如何はしいものがある。氏子総代が公然賽銭をごまかしても神罰がないといふ世の中ではそれもあやしい。是に於てか、正善必賞、邪悪必罰といふ文証と道理と現証とが具備した宗教でなければ人格の保証にはなれないことになる。
 四君の言によると私に何か非凡の力でもあって、完全転向をさせた如くに聞えるかも知れないが、これは全く間違ひである。頭脳明晰なる為にマルキストにもなったほどの青年が、私の如き無名者の言説に動かされるなどとは思ふのが既に間違ってゐる。たゞ経文通りの実証が、てき面に表はれ、それが一々道理に合ふといふ説明がつくからたまらない。それが為めには如何ともする能はず、信仰に入って見ると、ここにマルキシズムや、ありふれた宗教とは全く異った境地が展開するので、行と解とが二つながら進んで来、するとこんどは今までの独善主義で到底、居られなくなった結果、今度の如き頼まれもせぬのに、苦しい中から自腹迄きって同境遇者に呼びかけ、聊か罪亡ぽしと共に、社会奉仕をしようとするのである。こんなことは既成の宗教に囚はれた見解では、恐らく理解され難いことで、五年も十年も宗教生活を重ねてさへも出来ないことを半年や一年で、生意気だと評価されるであらう。そこでこの四君の場合に於て、単なる枝葉の如き、浅いものなら証拠にはならぬが、宗教の革命、信仰によって心底の根本が改められたればこそ、完全転向が出来たことが肯かれると共に、宗教革命までに達しなければ、此種の救済が出来ないといふことが言へるであらう。吾々はこれ以外に恐らくは如何なる方法もあり得ないといふ仏語を疑ふ能はざるものである。がこれだけの魂明では到底納得させることは出来ないであらうが、今は之れ以上には及べないことを遺憾とする。たゞこれ以上のものが他にあるならともかく、さもなくば文証と現証と道理の三具足を条件として、実験されんことを切望するものである。
 赤化教員諸君よ、破廉恥罪とは異ふぞ。完全転向が出来たらば、いつ迄も憂欝であってはならぬ。維新革命の志士は大概一度は獄舎に修養したものでないか。今日の立憲政治は往年自由党の諸志士が藩閥政府と闘ったお蔭である。たゞ他力を頼み、独を慎しむだけで、無害とはなったが、有益とならなければ真の甦生とは云へない。悪を去ると共に善に向って敢然と進んだ以前の勇気を恢復してこそ、初めて毒が変じて薬となるのである。そのためには自行と化他との両生活を並行せねばならぬことを記せられよ。

   

 四、その基礎たる宗教とは何か

 然らば完全転向の根拠たる宗教とは一たい何か。之に答へるのは造作ないが、幾人にも試して見ると、十中の九分九厘までその名前を率直にいふと、開いただけで、既成宗教の基礎観念から「又例のか」と、怨嫉軽蔑の感情を起し、認識もしない前に評価して、真面目に聞かうとはせぬものである。それが経文に明記される文証の通りであるのに驚かされるので、少しく予備的な断りを必要とする。
 他の事なら何でもないことが、宗教問題に限ってさうであり、一たん怨嫉の感情が遮ったが最後、もう常識を失って仕舞って、狂態にまで至るものがあり、それを如何なる智者でも学者でも宗教家でも、小さき個我を捨てきれぬかぎり、必ず免れ得ないこと、恰も罪人が警官の前に立ったやうになるから、斯くは念を押すのである。     

 五、宗教革命は可能なるか

 さてその宗教革命の問題に入るに当って、如何なる宗教を選定すべきか。これは前記の完全転向の三条件を直ちに之に適用してよいと思ふが、要するに科学に背反せずして、しかも現当二世の生活原理たるべきものたること、「古今ニ通シテ謬ラス、中外ニ施シテ惇ラス」と教育勅語に仰せられた神ながらの大道に合致して、所謂日本精神の根柢たるべきものでなければならぬ。
 果して然らばそれこそ学校教育に取り入れて差支なく、又この根柢がなくては真の教育は出来ない。今の教育の欠縮がここだと断言してよいと思ふのである。純真なる科学的検討を切望してやまない次第である。
 さて如何したらその比較検討が出来、而してその中から最高の宗教が選定されるかの問題に入らねばならぬが、これは仲々の大問題であって、茲に言ふ余裕はないから、たゞ「日出でぬれば星かくる。巧を見て拙を知る」といふ伝教大師の金言に基づく、評価法の原則によって、オリンピックの競走や、撃剣柔道の試合や、美術の展覧会などのやうな、宗教それ自身の比較討論や、現証の比較などをなすことが出来るならぱ決して不可能ではなく、且つ案外造作ないことだけを言ふておく。
 廻りくどくも、だめを押すのは評価と認識をも混淆せず、宗教の本質を認識した上で、公平に評価されんことを切望するからである。
 さて愈々是等の人々の完全転向を可能ならしめた宗教は何かといふと、それはもう御察しでもあらう所の法華経である。
 といふと、天台宗や日蓮宗の各派を十把一束に批評されるのが普通であるが、これに対して茲に結論だけをいふと、その中に於ける唯だ一つしかない日蓮正宗といふ富士山麓の大石寺派をいふのである。何故に他のすべてに比較して之のみをいふかと、次の疑惑が起ると思ふが、それは明確なる歴史上の根拠があり、文証と現証と道理の三つが具足されてゐるからの事で、冷静にそれが解るならば、歪曲してゐない限りは何人でも理解し得べき事であり、理解した以上は必ず信ぜざるを得ないと思ふのである。要するに日蓮宗といへば「南無妙法蓮華経」の題目を唱へればよいと思ふであらうが、それだけでは何にもならぬもので、日蓮聖人が日興上人に血脈を相承された法華本門の本尊と、本門の戒壇と本門の題目との三大秘法に従ひ、正統なる本尊に対し奉って、唱題するにあらざれば、真の大利益はなく、それによる事によってこそ、初めて賞罰が明に証明されるのである。
 世界無数の宗教を比較検討することなどは、痴人の夢だと嘲るかも知れぬが、それにはちゃんと仏は判定の標準を示してござる。理論とその価値(功徳又は利益)との両方から右の如くすれば造作ない。「快刀を以て乱麻を断つ」が如きものである。たゞ弱いものが負けるのを恐れて、正々堂々と議論することをせず、陰でこそこそ悪口をいふ。評価と認識とを混淆するから、いつまでたっても正邪の見別けがつかぬ。そこで今日の如き思想混乱がつゞくのである。
 左の五重相対がその標準尺度である。
宗教 外道ーー因果の法則を無視した又は現世だけの宗教等
   内道ーー小乗教ーー個人主義的な小利益の仏教
       大乗教ーー権教ーー観念論的の教説
            実教ーー迹門ーー久遠の生命の開顕されぬ教説
                本門ーー脱益
                    下種益 
 これによって判定するならば、吾々にでも解るのではあるが、ここにそれをすれば大論文とならねばならぬので、一例をいふに止める。権実相対の如きは観念論的と実証論との哲学などに比すべきものであり、小乗教とは個人的の生活法であり、大乗教とは社会的生活法のことである等。
 もしも釈迦と孔子と基督が同一の場所で会談することがあると仮定せよ。吾々凡夫の間に見るが如き、浅ましき感情衝突があるであらうか。地位名誉等の小なる個我を超越したが故に、万人の尊敬を受ける程の聖賢である以上、お互に解らない間は真理闡明のためには、己を空うして忌憚なき議論をこそすれ、釈然として師弟の関係にまで至らねば止まないものでないか。然るに「親心子知らず」の各門下がその浅はかなる見識を以てはてしなく醜き論争をつゞけ、遂に感情の衝突を以て終始するが如きは、その事自体が、既に唾棄すべき陋劣を暴露するものであらう。然るにその善悪優劣を見別けもせず、法衣を着てさへ居れば、何でも構はず妄信するといふに至っては言語同断の極ではないか。
 人があり。前後矛盾の実行を敢てする、狂人でなくて何であらう。果して然らば釈尊一仏の説教が時によって水火の矛盾があるとせば狂人の言として信ずるに足らぬものでないか。一そのこと全く信ぜぬならばまだしも、然るに仏として無上最高の崇拝を捧げながら、其中に於ける念仏と真言、禅と法華等と氷炭相容れざる論争を対岸の火事視し、しかもその何れかを妄信し、若しくは何れをも信ぜずといふに至っては何と評すべきか。理性を備へた甲斐がどこにあらう。所詮宗教革命によって心の根柢から建て直さなければ、一切人事の混乱は永久に治すべからずと云ふ所以である。
 さて法の価値の比較に至っても要するに「日出でぬれば星かくる巧を見て拙を知る。」といふ伝教大師の金言を日蓮聖人が実証によりて裏書されたのを原則とすれば造作ない。これが即ち創価教育学の価値原則とする所である。
 美術、芸術などの鑑賞はそれである。上級のものが現はれない間は、最上の美として輝いて居られるが、一度上級のものが出現して、それに対するや、忽ち醜と変化する。撃剣柔道なども然り、この場合弱者は強者に対し、必ず嫉妬心を以て、比較されるを嫌ふものである。現今沢山の宗教が蘭菊と無階級に並立し、人間の帰趨を惑はしめる所以がそれによる。
 目前に小利益を与へて遠大の損害を与へる宗教は、速大の利益を与へるためには、目前に小損害を与へて警醒せしめんとする親心の表現された宗教に対すれば悪魔である。
 知らぬ間こそ今までのものが一番よいと思はるれ、一旦解った以上は最早信ずる能はざるに至ること、恰も流線型の自動車に一度乗って見ると旧式のそれには乗れない心持がすると同じである。
 斯くの如くに比較し検討して来ると、勢ひ妙法といふ最高最大の正法に到達せざるを得ぬ。然らば最早以下の小法による生活即ち小さな利害に打算的なる生活などに執着して居られないやうになるのである。これが即ち完全転向となった根拠である。

  

 六、国体と一致したる宗教とは如何

 そんな最高の宗教がこの世に存在するなら「なぜ今までに顕はれないのか」とは、次に誰にも起こされる疑問であるのが判で捺したやうである。この間に答へることは、同時に「国体と一致した宗教は如何」の問にも答へる事である。
 日蓮聖人が最も力強く世に警告する例に挙げられたのは承久の乱である。三上皇とも島流しにされ給ふたあの御最後は何事ぞ。権の大夫は臣でないか。猫と鼠、鷹と雀の闘ではないか。鼠が猫に勝ち、鷹が雀に敗けるといふ法があるか。と左の如く言はれてゐる。
 「天子いくさにまけさせ給ひて隠岐ノ国へつかはされさせ給ふ。日本国の王となる人は天照太神の御魂の入りかはらせ給ふ王也。先生の十善戒の力といひ、いかでか国中の万民の中にはかたぷくべき。設とが(失)ありとも、つみ(罪)ある親を失なき子のあだむにてこそ侯ぬらめ、設親に重罪ありとも、子の身として失に行はんに天うけ給ふべしや云々。」(高橋入道御返事)
 斯様なる強い折伏を時の政府に対って忌憚なくされるから、あの迫害の来たのは当然である。されば日本国体に違背したる幕府に容れられないのは徳川時代でも同様であらう。是に於てか当時の政権に阿附迎合して、その勢力を得てゐた諸宗並に日蓮各派の中にありて、あくまで宗祖の正意を頑強に伝へて屈するところないのが、日蓮正宗唯一つあるのみとせば、明治の世になって初めて顕はれることに怪しむ所はあるまい。蓋し覇道をしりぞけ、皇道を顕揚し、天壌無窮の神勅に合致するが故である。
 聖徳太子や桓武天皇は申すに及ばず、和気清麿でも、菅原道実でも、楠正成でも国史中の最大忠臣は皆法華経の信者であり、徳川光圀、加藤清正、大石良雄、大塩平八郎、相馬大作、佐久間象山、勝海舟等諸英雄なども悉く法華経の信者であったことを思ひ合せると歴史家の宗教に対する無識、歪曲から殊更に之に触るることを避けた為に教育社会には一向注意をされないで来たのであるが、法華経が日本国体といかに親密の関係があるかゞ察せられやう。「古今ニ通シテ謬ラス中外ニ施シテ惇ラズ」と仰せられた「神ナカラノ大道」と契合するからである、と断定するに異議はあるまい。
 赤化事件の闘士が精神の根柢として宗教革命にまで及んだ結果、初めて完全なる転向が出来、前途に輝かしい光明が認められ、茲に止むに止まれぬ積極的精神に立ち帰った理由がわかると共に、これこそすべての赤化青年の唯一の完全転向の途であり、ここまで至らなければ真の積極転向は言ふべくして能はざる所として過言ではあるまい。

  

 七、創価教育学との関係如何

 創価教育学との関係如何といふことが最後に残る。従来の哲学的教育学は、人間の心を見詰めて、それから方法を案出しようとする傾向であるから、理論は如何に高遠でも、実際の教育に役立つことが少い。今日の教育の行詰りを来した所以であり、又我国教育界の不祥事の原因とも見られる所である。茲に於て他のすべての分業が科学的根拠によって、最高の能率を挙げるまでに至って居るのに鑑みて、教育法も、もっともっと効果的の方法によらねばならぬといふのが社会の要求である。それが為には科学的の教育法を見出さねばならぬ。医学の発達の順序に倣へば一番手近に出来る筈である。
 医学は哲学者の手によって出来たものではなく、薬や治療法など人類の発生以来の経験の蓄積によって出来たのである。教育も然り学者の指導を俟つ迄もなく、人類の原始時代から教育があると共に、治療法と同様に教育法もそれぞれ発明されて居るのである。現に恩給年限にも達するほどの教育家は悉く一かどの教育技術を持って居る。それは自己一代の発見ではなくて、人類経験の総成果を継承するが為である。故にこの経験の結果を自然科学的研究法によって帰納するならば、法、医、農、工、商等の分科科学と同様に、教育学も独立対等の分科に成立ち、実際教育家の指導原理が得られ、そこで教育の最良の大法が見出されるに相違ないといふのが創価教育学の期する所である。
 此の科学の目的は教育法の最良の大法を見出さうとするものであって、方法の研究が主ではあるが、それだけでは「仏が出来て魂の入らぬ」ものである。いかに形式の研究がされたとて国家生活の改造の基礎には教育内容の研究対象たる国体観念までにどうしても徹底しなければならぬ。是に於てか教育の改造には、その根本中核となるべき宗教の革命にまで及ばない限り、龍を画いて点晴を欠くに同じといふのである。
 加之、教育法の価値判定にも前記宗教判定の標準たる五重相対がぴったり当てはまる。従って他のすべての生活法のそれにも適用され得るのである。
教育法ーー自然的教育法ーー因果の法則を無視して自然の成り行きに一任する教育法で、内外相対の外道の法といふのに相当する。
 合理的教育法ーー小乗的小法ーー枝葉末節なる小利益の教育法で、又個性董を原則とする個人主義的教育法。
 大乗的大法ーー観念論的教育法ーー権教に相当した哲学的観念論であって実際には縁遠い教育法。
 実証主義的教育法ーー迹門的教育法ーー吾々如き個人の発見した法がいかに優れたとしても知れたものである。人類の原始からの総生産たる本を明かさなければ信用はされない。迹門と名づける所以。
 本門的教育法ーー脱迹的教育法ーー教師自身を円満具足と妄信する注入主義の教育乃至人格主義の教育が之に相当する。
 種本的教育法ーー学習の模範を国定教科書に置いて共に精進せんとする指導主義の教育法。而して結局は宇宙の大道久遠の生命にまで導かうとすること。
 教育方法の最高最大のものを求むるにしても、又その内容の究局目的を認識して指導原理とするにしても、最高最大の宗教によらなければならぬといふのが創価教育学の不動の信念である。
 余はもとより斯かる小論文によって、かゝる広汎なる大問題を解決して皆様の賛同を得んとすることは覚束ないことを知って居る。たゞ論より証拠、今の世に如何に説明しても、とても疑惑は解けないとまでに思ひ込まれてゐる赤化青年の完全転向が出来るといふ実証を、現前に提出しての論証で之がある以上、よもや一顧の価値なしとはされまいと信ずる。
 要するに宗教革命によって心の根柢から建て直したればこそ、本人等の斯様な率直明確なる自信ある告白も出来、又見聞者のそれに対する信用も出来るといふもので、とても人力の能はざる所と云はなければならぬ。そこで、斯やうな明確なる文証と現証と道理との具足によって、斯かる赤化の青年完全なる転向は、宗教革命を前提とせる教育改造によってのみ可能であって、今までの処、それ以外には不可能と断じて差支ないと信ずるのである。が果してそれが過言でないか杏かは、憂ふべき現下の我国家の為に、真率なる検討を請はんとする所である。而してなほ適確なる反証の挙がるものがないならば、全国数万を数ふる赤化青年の為、切に指導階級に対して真面目なる考慮を煩はさうするのである。
 這問す、和気清麿の誠忠を教授するに当り、学校では「宇佐八幡宮の神託を如何に取扱って居るか」。宗教に無知識の歴史家たちが「触らぬ神に祟りなし」とする指導に遵ひ、お伽噺の如くにしては居ないか。果して然らば、伝説の上に史実を結び付けんとするもので、恐るべき心的影響を生徒に与へはせぬか。そんな事で国体の明徴が可能か。法華経の信仰を離れて、その説明が出来るであらふか。斯かる現実問題に直面しながら実際家諸君は「之をどうするか」と、文部省に詰め寄るだけの熱意が職責上なくてもよいかと。

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