トップページ

日興門流における本仏思想の展開 1997.3.13

1、日蓮遺文における本仏思想

「天台宗の御本尊ー釈迦如来ー久遠実修実証の仏ー華厳のるさな真言の大日等は皆此の仏の眷属たり 久成の三身ー応身、報身、法身ー無始無終 華厳宗真言宗の無始無終の三身を立つるは天台の名目を盗み取って自の依経に入れしなり」(一代五時鶏図=真跡 p632)
「寿量品に云く「然我実成仏巳来無量無辺百千万億那由侘劫」等云々、我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり、「我本行菩薩道」等云々、我等が己心の菩薩等なり、地涌千界の菩薩は己心の釈尊の眷属なり」(観心本尊抄=真跡 p247)

2、日興(AN52滅)の本仏思想と日蓮の位置づけ

AN7 『原殿御返事』(要法寺日辰『祖師伝』AN279に全文引用)
「日蓮聖人御出世の本懐南無妙法蓮華経の教主釈尊久遠実成の如来の画像は一、二人書奉候へども、未だ木像は誰も不奉造候 (波木井実長が造ろうとしたが)御用途(=お金)も不候 (大国阿闍梨が奪い取って行った)仏は、上行等の脇士も無く、始成の仏にて候き、 御子孫の御中に(久遠実成の仏を)作らせ給仁出来し給までは、聖人の文字にあそばして候を御安置候べし、いかに聖人御出世本懐南無妙法蓮華経の教主の木像をば最前には可破給」
AN28 『富士一跡門徒存知事』(日興の指示により日澄が執筆、日誉写本AN240)
「御影を図する所詮は後代に知らしめん為なり」(御影本尊論の否定)
「伊予阿闍梨の下総国真間の堂は一体仏なり、而るに去る年月日興が義を盗み取って四脇士を副う」(仏像本尊の容認)
AN47(?) 『五人所破抄』(日興の指示により日順が執筆、日代写本)
「先師聖人(=日蓮)親り大聖(久遠本仏)の付を受けて末法の主為り」
日興の申状(AN46)の引用「日蓮聖人は恭くも上行菩薩の再誕にして本門弘経の大権なり」(五人の天台沙門、天台、伝教余流批判)
「観音=南岳、薬王=天台は迹化、上行=日蓮は本化」
年代不明 『三時弘経次第』(写本大石寺)
「迹門の寺 付属の弟子は薬王菩薩 伝教大師 比叡山 始成の釈迦仏 像法
 本門の寺 付属の弟子 上行菩薩 日蓮聖人 富士山 久成の釈迦仏 末法」

3、日道(AN2ーAN58)の本仏思想と日蓮の位置づけ

AN52(?) 『御伝土代』(正本大石寺)
「日蓮聖人者本地是地涌千界上行菩薩の後身也、」
「日蓮聖人云、本地は寂光地涌大士上行菩薩六万恒河沙上首也、久遠実成釈尊之最初結縁令初発道心之第一御弟子也。本門教主は久遠実成無作三身、寿命無量阿僧企劫寿中不滅我本行菩薩道所成寿命今猶未尽復倍上数の本仏也。」(久遠実成=無作三身説)
「法華本門釈迦は上行等の四菩薩を為脇士云々」
「何閣三身即一之有縁之釈尊、強に執一体修三之無常之仏陀哉、」
AN55 「申状 」
「先師日蓮聖人者…天真独朗…如経文上行菩薩後身遣使還告菩薩也。所弘法門寧非塔中伝付秘要末法適時大法乎」

4、日順(AN13ーAN75以後不明)の本仏思想と日蓮の位置づけ

AN37 『表白』(重須談所 大師講講師の表白、日心(西山11代?)写本)
  「生を二仏の中間に受くる」
「像法=迹門=薬王菩薩=天台大師=根本大師(伝教) 末法=本門の肝心=上行菩薩」
AN55 『用心抄』(大師講の日、日眼(西山8代AN205滅?妙蓮寺5代AN103滅?)写本を南条日住が相伝)
「末法の敬信すべき人法 人は上行後身の日蓮聖人、法は寿量品の肝心たる五字の題目なり。」
「久遠実成の如来…五百塵点の実成を明かし、…皆直ちに如実知見の妙法を聴きて、速に本仏の身を成す」
「久遠の如来は首題を上行菩薩に付属し、日蓮聖人の法門は日興上人に継承し」
AN55 『日順阿闍梨血脈』(日心写本)
「久遠実成の如来は…末法の時には法華本門を上行菩薩に付属す、…日蓮聖人の出現は上行菩薩の後身なり、」
  「日興上人は…始行の菩薩に非ず、殆ど無辺行の応現か」
「久遠実成釈迦如来ー上行菩薩ー後身日蓮聖人」
AN69 『摧邪立正抄』 (日心所持本)
「AN67に富士門徒日仙の弟子日寿と日朗門下日像の弟子日学との法論 日学は本尊抄の「迹門は…再往凡夫・正像末をもって正と為す正像末の三時の中にも末法の始をもって正が中の正と為す」を根拠に迹門を末法当機の法門とする、日寿はその次の「本門…一向に末法の初をもって正機と為す」によって末法は本門のみを主張」
「(日寿が) 富士の義に云く、日蓮聖人は上行菩薩にてござす、大宮方(=日像門流)には迹化の菩薩と申すは僻見なりと云々、(日学が)尋ねて云く、抑も聖人は上行菩薩と申す事は何の御書に見たるや委細その証拠を引くべし、(日寿が)富士の義に云く、金吾抄(大田金吾御書(曽谷入道等許御書)p1038)に云く、「予地涌の一分に非ざるも兼ねて此の事を知り地涌の大士に先だって粗ぼ五字を示す云々」、(日学が)反詰して云く、是こそ上行にてござさざる証拠にて候へ、地涌の一分に非ずと候こそ、地涌にて無き証拠にて候へ、また要の一法は迹化の菩薩にも付属し、末法には迹化の菩薩も出現すると観心本尊抄にある(要約) 日像日学は大聖人は全く上行に非ずと云々」
AN74 『法華開目抄上私見聞』 (AN209妙本寺写本)
「(宝塔品の)分身の文は迹門にありといえども、実には本門無作三身(=久遠実成仏)の化用なり」
参考 年代不明 『本因妙口決』(日棟写本 江戸時代)
日蓮宗の宗号使用(AN255 天文法華の乱以後の使用強制)
  注 日学 尼崎慶林坊日隆(AN104ーAN183、八品派の教学大成)の師匠(?)
(『有師物語聴聞抄佳跡』による)

5、日大(AN28ーAN88)の日蓮の位置づけ

年代不明(AN64日尊寂) 『尊師実録』
「方便品読誦論争に関する日尊門流の見解、天台の九法妙の議論と迹妙、本妙、観心妙の議論とを使用する、所破説を批判、方便品は迹門にあるが、迹に即する本であり、実質は本門に属する 日蓮=上行菩薩再誕 久成の釈尊=四菩薩脇士造立」
AN82、83 『日大直兼台当問答記』
「日大説 破迹門立本門、迹門の仏像と本門の仏像の区別、迹門の戒壇と本門の戒壇の区別、迹門の戒=菩薩界と本門の戒=仏戒との区別が、富士の義だがどうか
直兼の説 当然だ」 
「日大説 一心三観は迹門の弘通であり、末法の当機には適切ではない
直兼の説 妙法即三千であり、唱題も一心三観も入門の相違に過ぎず、落居=仏果は同じ」
「直兼  伝教の七面口決について、東陽の座主忠尋の三帖の秘要(=『漢光類聚抄』『法華略義見聞』?)を伝授してあげよう 直兼 自分は俊範から四代目 自坊は俊範の護摩堂の跡地に建つ 日大 大聖人は俊範から天台の法門を相承した 自分は大聖人から四代目 奇遇だ」
「直兼 天台大師の法華相承に二種類 一つは霊山薬王菩薩相伝、もう一つは多宝塔中釈尊が震旦で直授南岳、直授天台の相承である。天台宗は後者を本意とする。日蓮の本地は何か。
日大 上行再誕
直兼 それは経文の上からの霊山付属にすぎない。日蓮は清澄寺で妙悟の時、多宝塔中の釈尊から末法相応の法門を直授したはず
日大 観心本尊抄、神力品の偈に本地が示されているが、広宣流布のときに直授の義は披露する」
注 七個の大事 広伝四個の大事(止観大旨、法華深義、一心三観、心境義)と略伝三個の大事(蓮華因果、無作三身、常寂光土義)(『三大章疏七面相承口決』)
注 忠尋?『漢光類聚抄』『法華略義見聞』ほぼ同内容を含む(伝教による宗旨と宗教の二個の法門の相承、宗旨=『止観』、根本法華、天真独朗、三千三観の観門、本覚門 宗教=『玄義』『文句』、四教五時本迹の教門、始覚門 良源以後源信(恵心流)が宗旨を、覚運(檀那流)が宗教を主に伝えたと説明 恵心流の立場)
東陽房忠尋ー皇覚ー範源ー俊範(実子)ー静明(実子)ー維羅?(横川恵心流)
静明ー心賀(娘婿)ー尊海(関東天台)
(静明の実子or孫の静範と相承争い)
日有『下野阿闍梨聞書』にも引用)
参考 硲慈弘『日本仏教の展開とその基調…日本天台と鎌倉仏教』

 

6、日時(不明、AN84大石寺住職ーAN125滅)写本の本仏思想と日蓮の位置づけ

AN110(?) 『本因妙抄』(写本の由来の記述無し)
爾前、迹門、本門、観心の四釈(伝教?の『三大章疏七面相承口決』=本覚法門を底本にする)
台当24番勝劣 9、彼は薬王、此は上行 15、彼は熟脱、此は下種、22、彼は(法華経)一部に勝劣を立て、此は一部を迹と立てる、24、彼は応仏昇進の自受用報身の一念三千一心三観、此は久遠元初の自受用報身無作本有の妙法を直ちに唱える
雑問 文底とは久遠実成の名字の妙法を余行にわたさず、直達正観事行の一念三千の南無妙法蓮華経 釈尊久遠名字即の位の御身の修行を、末法今時日蓮の名字即の身に移した(注記 日辰写本では「久遠実成多宝塔中釈尊ー上行菩薩ー日蓮ー無辺行菩薩ー日興」の記述)
参考 『有師物語聴聞抄佳跡』(31世日因)
「京都妙満寺日什は武蔵仙波の天台宗の能化、日時が仙波に学問をしに行ったときに、日什に御書を与えて、それが機縁で、後に日什は大石寺の近くの富士大宮の学頭となり、日時の代官日阿から法門を聞いて改宗した(AN98)、その後他の門流に学びに行った」
日什(AN33ーAN111) 本迹勝劣派、経巻相承を唱える

7、日有(AN121ーAN201)の本尊思想と日蓮の位置づけ

AN202 『有師化儀抄』(日住正本)
「33 当宗の本尊の事、日蓮聖人に限り奉るべし、…滅後の宗旨なる故に未断惑の導師を本尊とするなり、…末法四依の人師、地涌菩薩にて在す事を思い合わすべし」(堀の注解 日蓮=人本尊)
118 当宗には断惑証理の在世正宗の機に対する所の釈迦をば本尊には安置せざるなり、その故は未断惑にして六即の中には名字初心に建立する所の宗なるが故に、…釈尊は名字初心の感見には及ばざる故に、釈迦の因行を本尊とするなり、その故は我等が高祖日蓮聖人にて在すなり、…仏教に於いて実大乗の釈迦は普賢文殊を脇士とし、本門の釈迦は上行等云々、故に滅後末法の今は釈迦の因行を本尊とすべきなり、是れ則ち本門の修行なり」(菩薩本尊論or仏本尊論)
AN195 『連陽房雑雑聞書』(日因写本)
「当宗御門徒の即身成仏は十界互具の御本尊の当体也。その故は上行等の四菩薩の脇士に釈迦多宝成り給う所の当体大切なる御事也。他門徒の得意には釈迦多宝の脇士に上行等の四菩薩成り給うと得意て即身成仏の実義を得はつし給う也。…上行等の四菩薩の体は中間の五字なり、此の五字の脇士に釈迦多宝と遊ばしたる当体」
「底下薄地の凡夫なりとも此の経を受持し妙法蓮華経奉唱無作本覚の仏なり。…末世の法華経とは能持の人也、かように沙汰する当体こそ事行の妙法蓮華経の即身成仏にては候へ。」
AN191 『下野阿闍梨聞書』 (日因写本)
「日尊門徒で西山方の僧大宝律師の質問 一念三千の法門は寿量品のどの文底に沈めているのか。答 日昭門跡では「然我実成仏以来」日興上人は「如来秘密神通之力」、前者は本果妙、後者は本因妙 」
「越後の本成寺での法論 方便所破論。造仏否定論。法華の教主でも造仏は正像の修行である。富士の本迹(=一部ともに迹)と本成寺の本迹(=一部の中に本迹)との相違。」
『雑雑見聞』(AN277の書写の記述あり)
「今書き顕し給ふ本尊には高祖の御判形あり、即ち高祖の法体にして下種の導師にて御座せば末代の本尊なり、故に脱の教主釈尊をば不造也。」
「尼崎流の名字本覚の解釈批判」
「口伝に云く、本果の本因、本因の本果と約束する也、事行の妙法蓮華経と云うは師弟因果一体にして不相離也。されども本果の本因と云うは本果本因と次第する間、本因と云うもその本体は本果也、彼は脱の筋なり。さて本因の本果と云う時は、本因体内の本果なればその体本因にして此は種の意也。」
「本因上行日蓮上人」
「伝教大師五百塵点劫の顕本は迹仏の寿命、森羅万象万法は本仏の寿命也云々。これを当宗として五百塵点の寿命は迹仏の寿命と云う事経文に分明也、本因妙の寿命は本仏の寿命也。」
「我等凡夫の上に無作三身をいかが心得るべき。答 住持は報身、衆徒は法身、檀那は応身に応じて倶体倶用これあるべし。」
『日拾聞書』(AN289書写の記述あり、日因写本)
「上行菩薩の御後身日蓮大士は九界の頂上たる本果の仏界と顕れ、無辺行菩薩の再誕日興は本因妙の九界と顕れおわんぬ。然れば本果妙の日蓮は経巻を持ち玉えば、本因妙の日興は手を合わせ拝し玉ふ事師弟相対して受持此経の化儀信心の所を表し玉ふ也。」 「本尊七個、14個の口伝、日文字の口伝あり」

BACK

トップページ