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本尊作成に関する諸問題 1991

1 将来の法主問題との関係において 

 日蓮正宗では本尊書写権は法主の専権事項とされ、学会もそれを承認してきた。しかし日顕が法主としての資質に欠け、学会を破門した以上、学会としては現在日蓮正宗には法主はいないと断定する以外にない。今後の法主の存在については、1、一時的に不在である、つまり今後日蓮正宗内部から適切な資質をもった管長もしくは大石寺住職が出現した場合には法主として承認する、2、永遠に不在である、すなわち日蓮正宗内部から選出された者を決して法主として承認しない、の2通りの場合が考えられるが、それに応じて本尊作成の方法や正当化の理論が異なる。
 1の場合は、将来適切な法主が出現するまでの緊急避難という正当化の理論を使用し、これまでの日蓮正宗の歴史や教義の中で、それにふさわしいものを捜し出し、本尊作成の正当性を主張することになるが、その場合作成方法はその歴史的事例や教義に束縛されるのはやむをえない。
 2の場合は、法主が不在である場合に、法主の任務を誰もしくはどのような機関が遂行するのかという主体的決定の問題と、それをどのように正当化するのかという問題が重要問題であり、本尊作成の問題はその一部にすぎない。日蓮大聖人自身は僧侶が儀礼の上だけでなく、布教の上でも重要な役割を果たすと考えており、僧侶を抜きにした教団の在り方を想定していない。したがって法主が不在であるならば、僧侶が法主の任務を遂行するということが容易に出てくる考えである(正信会の血脈ニ管論)。それを否定するためには現在は僧侶の形をした者はいるが、真の僧侶はいないという議論によって、信徒が法主の任務を遂行すると考えるしかないだろう(学会の聖僧論)。以下においてはそれぞれの場合にどのように本尊作成を正当化し、どのように本尊を作成するかを検討してみたい。

2 法主が一時的に不在とする場合

 

2−1 法主に事情があって、法主以外の者が本尊を作成した事例 

a 日興存命中、日仙(讃岐)が本尊を書写 理由 遠隔地であったから 
b 日道存命中、日尊(京都)が日目筆本尊を模刻(寺院用)
c 日道が亡くなってから、日興の直弟子である日代(西山)、日郷(保田)、日妙(北山)、日満(佐渡)、日大(京都)が本尊を書写した 理由 日行の法主権(日興教団統率権)を否定し、教団が分立したから 
d 学頭日照が日有模写の紫宸殿本尊を写真複写により形木本尊を作成 理由 海外布教

2−2 法主以外に本尊を作成することを認める教義

 

a 日有『化儀抄』第78条「曼荼羅は末寺において弟子檀那を持つ人は之を書くべし判形をば為すべからず云々」日亨『有師化儀抄註解』末寺住職の書写した本尊は形木本尊と同様の仮本尊の意義を持つ これにより2−1−dを正当化
b 日因『有師物語聴聞抄佳跡上』第3段 2−1−bについて、模刻した本尊には日尊の判が入ってなく、その脇書に「上行日尊之を刻彫す」とあり、日尊が私的に模刻したことが明確であるから(すなわち仮本尊の意義が明確である)、日有は「当門流の化儀をば心得定められたり謬らざる儀なり」と述べて、承認した。日因の注釈に「尊師刻彫意趣を書き付け給う御判形を極めず候間当家の化儀よくよくお心得決定信心故謬らざる儀とご褒美したまうなり、しかして御本尊に判形あること当家にて唯授一人の相伝なり」とあり、判形さえ入れなければ、法主の許可なく本尊を模刻しても構わないとしている。

2−3 これらの歴史的事例と教義から導き出せる結論

a 末寺住職は判形を加えなければ、仮本尊として寺院用の板本尊の模刻もできるし、本尊を書写することもできるし、本尊を写真複写により形木本尊を作成することができる。すなわち離脱した末寺住職に仮本尊を作成させればよい。
b 信徒が本尊を作成した事例はないし、それを予測させるような教義はない。
c しかし末寺住職の仮本尊作成権についても、2−2−bのように作成事実が先行し、後で法主がそれを承認するということがあったのだから、判形さえ加えなければ信徒が仮本尊を作成しても明確な教義違反とはならない。今は法主が不在という非常事態であるから信徒の仮本尊作成は緊急避難としてやむをえない。ただしこの場合は離脱した末寺住職ではなく、信徒団体が仮本尊を作成することについて、より積極的な理由が必要である。

2−4 作成する場合新たに書写するのか、複写するのか

 末寺住職が仮本尊を書写することは、日有によって承認されたことではあるが、歴史的事実としては、それが承認された事例はない。2−1−a、cの書写された本尊の中で、讃岐、保田は日蓮正宗に復帰したが、その場合これらの本尊をどう教義的に処理したかは不明である。このように新たに書写する場合には多少の問題が残る。形木の本尊であれば複写の実例は2−1−d、後述の日興上人の形木本尊などあるから、問題が少ない。

2−5 どのような本尊を模刻、形木にするか 

a 戒壇の御本尊 根本の本尊が戒壇の御本尊であるという教義を変更しないのであれば、戒壇の御本尊を模刻、形木にするのが最もわかりやすい。しかしこの本尊は大石寺住職に管理権があるから、それを模刻、形木にするのは、肖像権の侵害となるだろう。
b 日蓮大聖人筆の本尊 これまでこの種の本尊は一機一縁の本尊とされ、法主の感得許可がなければ、本尊としてはならないという通説がある。またこの種の本尊を模刻、形木にすることは教義的に禁止されているという説もある(高橋粛道『日興上人御述作拝考1』p230)。(たまたまネット検索をしていたら、「平成20年7月1日発行 高照山 第247号」がヒットし、妙光寺住職尾林日至(広徳)日蓮正宗海外部長の「奉掲の御霊宝について」という記事を読んだところ、妙光寺の御霊宝虫払法要において、元法道院の什宝で、現在大石寺に保管されている日禅に授与した曼荼羅本尊(戒壇本尊のモデルと一部では噂されている)の形木本尊が奉掲され、尾林によって紹介されているという記事があった。尾林は日蓮正宗の能化の立場にあり、当然日蓮正宗の教義については熟知しているはずであるが、日蓮の真筆曼荼羅の形木本尊を非難している様子はない。『富士一跡門徒存知事』の本尊4か条に日向日春などが大聖人筆の本尊を形木に刻み、高橋粛道の説は日蓮正宗の教義であるかどうかが不確定になったといえよう。2013.11.13付加)印刷して不信の輩に授与したことを非難し、それに対して日興上人は書写して授与したということを理由にあげている。文脈的には、形木にして印刷したこと自体を非難しているのか、それとも不信の輩に授与したことを非難しているのか、不明であるが、後続の文で書写のことを述べているから、両方非難しているとも解釈できよう。しかし歴史的には日有が弘安3年の紫宸殿本尊を2体板本尊に模刻しており、また日亨も紫宸殿本尊を写真複写して板本尊に模刻している(「堀上人に富士宗門史を聞く(1)」『大百蓮華』)。したがってこの種の本尊を模刻することは教義的には問題がない。ただし弘安2年(元年に以下訂正。2013.8.23)以前の本尊は不完全な本尊であるという日寛の教義を踏まえれば、この種の本尊でも弘安元年以前の本尊の模刻は避けたほうがいいかもしれない。次にこの種の本尊を形木にすることについては、2−1−dで学頭日照が日有模写の紫宸殿本尊を写真複写して形木にしたから、同様に教義的に問題がないと考えることができる。次に大聖人筆の弘安2年以後の本尊でも様式的にはさまざまなものがあり、中には主題と日蓮の字が直線になってないもの、一体感に乏しいもの、十界の列衆の一部が欠如しているもの、四天王が欠如したもの、主題が貧弱なものなどあり、感覚的にこれまでの本尊との違いに違和感があるものがあるかもしれない。その点では大聖人筆の本尊ならどれでもいいということにはならないかもしれない。
注 この場合、日有の模刻した本尊において、大聖人の花押がそのまま模刻されているのか、それともそこの部分は日蓮在御判に変えたのか不明である。日亨の写真からの模刻本尊は多分花押もそのまま模刻したと文脈的には推定されるが、実際に見たことがあると思われる秋谷、小平氏などに確認する必要がある。もし花押も模刻されていたなら、大聖人筆の本尊をそのまま写真複写して模刻してもかまわないし、花押がないなら、やはりその部分は変えるしかないだろう。(友人から「元となった紫宸殿本尊の写真は「日蓮聖人真蹟の世界(上)」に掲載され、また日有の模刻したという本尊は金原の「日蓮と本尊伝承」にたまたま掲載されており、その二つを見ると、大聖人の花押はそのまま模刻されていることが分かります。」という情報を得た。2013.8.23付記)また形木本尊の場合は、日照の場合、大聖人の花押は変えたように読めるが、これも実物を見たことがないのではっきりしない。ただ日因『有師物語聴聞抄佳跡上』第3段における日因の注釈によれば、日因は日尊が模刻したのは大聖人筆の本尊だと考えていたようで、その場合日蓮花押を日蓮在御判に変える問題については言及していないから、日蓮花押をそのまま模刻しても、判形を加えなければ、教義的には問題ないと考えることもできよう。
c 日興筆の本尊を模刻、形木にする 
 これについては実例があるようで形木本尊については前掲書で高橋も東北地方に散在していること、妙縁寺在勤中何度か見たことがあることを述べている。歴代法主の中でも日興は特別の存在であるから、その書写した本尊はそれなりに意義深いと言えよう。また様式的にも主題と日蓮の字の一体感があり、日蓮本仏論にふさわしい本尊と言えよう。
d 以後の歴代法主の書写した本尊を模刻、形木にする
   cに比べて、特に本尊として作成する理由のあるものはあまりないと思われる。
e 学会本部常住本尊を模刻、形木にする これは著作権の問題があるということなので、検討外とする。
注 b、cの場合でも、歴代法主の花押の部分をどう処理するかという問題は残る。形木本尊の実物を見た人がいれば確認する必要があるだろう。

3 法主が永遠に不在である場合 

3−1 唯授一人血脈の断絶

a 相承の重要性 
これまで日蓮正宗では法主とは誰かについては、唯授一人血脈相承の大石寺住職であるとしてきた。しかしその血脈を相承する者の資格については、56世日応は『法の道』において「法水は…代官は勿論たとえ13、4の雛僧であれ、浄蓮のような新発智であれ、これを伝えて護持せざるべからず。…故に当器のものなくんば、あるいは優婆塞優婆夷に付するも何の妨げかこれあらん。…浄蓮は…信心甚だ深く、故にこれを授け…」(『教学研究書』27−514)と述べて、在家の信者であっても、信心があれば血脈相承を受けることができるとしている。つまり理論的には法主となるには、先代法主から相承を受けるという条件があれば、僧俗いずれの者も法主となれるのである。
b 法主の資質 
では相承さえ受ければ法主かといえば、それは形式的条件が整ったにすぎない。『御本尊七箇相承』には「日蓮在御判と嫡々代々と書くべしとのたまうこといかん。師のいわく深秘なり、代々の聖人ことごとく日蓮なりと申す意なり」とあり、通常は聖人を上人すなわち大石寺住職と解釈しているが、聖の字には聖僧の意味が込められていると読むべきであろう。これは『日興遺誡置文』の「先師の如く予が化儀も聖僧たるべし」とあり、貫首すなわち大石寺住職であっても、女犯があれば衆徒に格下げしなさいとの指南に通ずるものであり、聖僧ではない者には法主の資格はないと読むべきであろう。大聖人も『祈祷経送状』で「御状に17出家の後は妻子を帯せず肉を食せず…今の御身は…誠に持戒の中の清浄の聖人なり、もっとも比丘と成っては権宗の人すらなおしかるべし、いわんや正法の行人をや」と述べ、僧侶の妻帯を禁止している。また日有も『化儀抄』第94条に「出家の本意なるがゆえにいかにも持戒清浄ならんことはしかるべし」と清浄であることを出家の条件としている。また『有師談諸聞書』には「当宗も酒肉五辛女犯等の誡事を裏に用ゆべきなり」とあり、僧侶の条件として妻帯しないことをあげている。つまり僧侶として血脈を相承したなら、僧侶としての最低条件を守らなければ、法主の資格を失うことを述べているのである。
c さらに法主であるための条件として信心がある。aでも信心があれば、在家の信者でも血脈相承を受ける資格があることを述べたが、『化儀抄』第27条には「信といい血脈といい法水ということは同じことなり…師匠の心中を違わざるが血脈法水の直しきなり、高祖以来の信心を違えざる時は我等が色心妙法蓮華経の色心なり」とあり、信心の重要性を強調している。この信心とは僧侶の場合には『化儀抄』第4条に「手続ぎの師匠の所は三世諸仏高祖以来代々上人のもたげられたる故に師匠の所をよくよく取り定めて信を取るべし」とあるように大聖人以来の大石寺住職の振舞いを手本とするのが信心であると述べている。したがって僧侶でありながら聖僧ではない者は僧侶としては信心がないと断定すべきである。
d 以上の点から、形式的に血脈相承を受けた者=日顕はいるが、b、cの点において法主としての資格を喪失していることは明らかである。今後日蓮正宗内部の僧侶が日顕から形式的に血脈相承を受けたとしても、その法主としての内実が既に失われているのであるから、それは法主とはなりえない。つまり永遠に法主は不在となる時代が始まったのである。

3−2 日蓮教団の新たな導師について

 

a 『観心本尊抄』においては釈迦滅後の4類の四依について大聖人は述べられ、本門の四依は地湧の菩薩が末法の始めに出現することを述べられている。そしてその地湧の四菩薩の出現の仕方について「此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成って正法を弘持す」を述べられている。つまり地湧の菩薩の指導者である四菩薩は僧侶のみならず、俗人としても出現することが予想されている。これに関して日寛は『観心本尊抄文段』において「兼ねて順縁広布の時を判ずるか」と述べて、広宣流布の時には四菩薩が俗人として出現するものと解釈している。現在が順縁広布の時代であることは日達の発言もある。したがって、この時代においての日蓮教団の指導者は僧侶ではなく、信徒であり、まさに牧口、戸田、池田の三代会長が四菩薩の役割を果たしているのである。
b また日有も『聞書拾遺』において「高祖日蓮聖人の御抄には、日蓮は日本国の一切衆生の親なりと遊ばして候も今は人の上にて候。但今の師匠在家にてもあれ、出家にてもあれ、尼・入道にてもあれ信心無二にして此妙法蓮華をよく進むる人すなわち主師親なり、よくよく心得べし」(『歴代法主全書1』)と述べ、信心無二であり、かつ広宣流布を推進する人が大聖人と同様に三徳を具備した人であり、それは出家に限らず、在家であっても師匠としていきなさいと述べている。また同じく『有師談諸聞書』では「俗人なれども信心無二の人を供養する意は、御抄にいわく能持の人の外に全く所持の妙法を置かずと、能持の人は道俗男女に依らず法華経なり、末代悪世の法華経とは色体巻軸なし、能持の人を指して当時の法華経とは高祖も祖師もかって遊ばして候なり」と述べて、俗人であっても能持の人は僧侶と同様に供養を受けることができるのであり、僧侶と同様の宗教的役割ができると述べている。
c 以上のような点から広宣流布を大きく推進していこうという時代に、日顕を始めとする日蓮正宗の僧侶が、その聖僧としての資質に欠け、広宣流布への指導的役割を果たすことができないことは、まさに新しい指導者が出現する必然性を示しているのである。『観心本尊抄』によれば摂受を行ってきたこれまでの時代には僧侶の役割もあったが、折伏を現じるこれからの時代には、俗人こそが宗教的に指導的役割を果たすのである。したがって宗教的化儀に関しても広宣流布に即した新しい化儀を制定する必要があるのであり、その制定に関してはもはや僧侶の関与は不必要である。したがって本尊の制定に関しても必ずしも戒壇の本尊を、書写、模写する必要はなく、大胆に学会独自に制定しても構わないと思われる。

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