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日有の教学思想の諸問題(5)

第5節 修行論

次に成仏するためにはいかなる修行をしなければならないと日有は考えているのか検討してみよう。

5−1 末法論

 日蓮はその晩年になって三大秘法の修行が末法にふさわしい法華経信仰のありかたであることを強調し、それ以前において行われていたさまざまな法華経に基づく修行を無効であるとした。日有も日蓮同様にそのことを強調した。
『連陽房聞書』では「御書に云く一品二半より外は邪見教・未得道教と云へり、これは在世正意・断惑証理の観位なり、さて滅後像法の時は善を表となし、悪をもって裏に用ゆ、ゆえに観行即未断惑の位を定めて脱の位とす、ゆえに天台は四依の菩薩として位は観行五品に居して法華迹門を広めおわるなり、さて末法今時は悪心のみにして善心なし・師弟ともに三毒強盛の凡夫の師弟相対して・また余念なく妙法蓮華経を受持するところを即身成仏とも名字下種とも云はるるなり、さる間在世の寿量品とは一代正機の前にして迹中之本名為本門のゆえに迹が中の本なり、さる間初住所在、さて滅後は観行所在と云うも・今時は皆人の上となるなり、今日日蓮所弘の本門とは要法の五字を愚者迷者の我等に受持せしめたまふところが滅後の本門なり下種なり」(『富要』2-147)と述べて、釈迦の生きていた時代の法華経の信仰形態、釈迦滅後像法時代に天台大師によって提唱された法華経の信仰形態、そして末法の今の時代に日蓮によって提唱された法華経の信仰形態はそれぞれ異なることを主張する。
その理由としては末法の衆生は機根が劣悪で、「悪心のみで善心がない」から、善心をもっていることを前提にしたそれ以前の修行方法は有効でないということにある。日蓮の末法論の諸問題については既に『「守護国家論」について(2)』(170,171)において論じたので、ここで述べることはしない。

5−2 名字即

 その末法の衆生の機根を日蓮と同様に日有は名字即の位と規定する。『化儀抄』では「当宗には断惑証理の在世正宗の機に対するところの釈迦をば本尊には安置せざるなり、その故は未断惑の機にして六即の中には名字初心に建立するところの宗なるゆえに、地住以上の機に対するところの釈尊は名字初心の感見には及ばざる故に、釈迦の因行を本尊とするなり」(『富要』1-78)と述べている。
『連陽房聞書』に「末法今時は悪心のみにして善心無し・師弟共に三毒強盛の凡夫の師弟相対して・又余念無く妙法蓮華経を受持する処を即身成仏とも名字下種とも云はるゝなり、・・・今日蓮所弘の本門とは要法の五字を愚者迷者の我れ等に受持せしめたまふ処が滅後の本門なり下種なり、」(『富要』2-147)と述べているように、その衆生は「三毒強盛」、「悪心のみで善心なし」、「愚者迷者」と規定され、『下野阿闍梨聞書』で「何も知らざる俗男俗女・無二無三に信心をいたし受持するのが今時の正機なり」(『富要』2-149)と述べて、末法の名字即の衆生は悪人・愚者であるという主張をしている。

5−3 受持行=信

悪人・愚者として規定された名字即の衆生が成仏するためにはいかなる修行が必要なのであろうか。日有は『下野阿闍梨聞書』で「そうじて我等凡夫名字初心にして余念のこともなく南無妙法蓮華経と受け持つところの受持の一行・即一念三千の妙法蓮華経なり即身成仏なり、そのゆえは釈尊の本因妙の時も妙法蓮華経の主と成りたまへば仏なり、師弟ともに三毒強盛の凡夫にしてまた余念もなく受持すれば即ち釈尊のごとく妙法蓮華経も別体なし即信の一字・即身成仏なり妙法蓮華経なり、さる間信ずるところの受持の一行当機益物なり、しかれば修一円因の本因妙のところに当宗は宗旨を建立するなり、はや感一円果のところは外用垂迹なり智者なり理なり全く当宗の宗旨にあらざるなり」(『富要』2-153)と述べて、余念なく南無妙法蓮華経と信じて受持することが根本の修行であると考えている。
 そして信の強調は智恵、悟りを否定することになる。日有は『下野阿闍梨聞書』で「さて末法の時は本法の五字を我等凡夫の愚者迷者の衆生が・また余念なく受持するところが即身成仏なりこれはただ信の一字これなり、されば智者がこの旨を得意信心をいたす今時の像機なり、そのゆえは何も知らざる俗男俗女・無二無三に信心いたし受け持つが今時の正機なり、さて智恵が信心をいたすところは傍と云ふことは智恵が面となる間・今時の正機にあらざるなり」(『富要』2-149)と智恵が衆生の機根に合わないことを述べる。
さらに『連陽房聞書』で「当宗何事も智恵を面に成し候へば宗旨破れ候なり、その故は愚者の上の名字の初心の信ばかりを専ら宗旨として候なり、智恵は理なり迹なり上代の悟りなり、さる間人の上となって我が得分さらにこれなきなり・当機に叶はざるなり」(『富要』2-144)と述べて、悟りを求めることを断念するように勧める。
この日有の態度には何も考えずにただひたすら信仰することを弟子・信徒に強要する危険性もあり、その根底に潜む末法の衆生は悪人であり、愚者であるという人間観が、考えることの放棄を理由づけている。
 この受持行の強調は謗法行為を厳格に避けようとする態度も生み出す。日有は『化儀抄』で「法楽祈祷なんどの連歌には寄り合はず、其の故は宝号をう唱なへ三礼を天神になす故に、信が二頭になる故に我宗の即身成仏の信とはならざるなり云云。」(『富要』1-66)と述べて、宗教的色彩があるような連歌には参加してはならないことを強調する。
また僧侶の服装などに関しても「事の即身成仏の法花宗を建立の時は、信謗を堅く分ちて身口意の三業に少しも他宗の法に同すべからず云云、身業が謗法に同ずる姿は法花宗の僧は必ず十徳の上に五帖のけさをかくべきなり、是れ即誹謗法花の人に軈て法花宗と見へて結縁せしめんためなり、若し又十徳計にて真俗の差異なき時は身業が謗法に同ずるにて有るべきなり、念仏無間、禅天魔、真言亡国等の折伏を少しも油断すれば口業が謗法に同ずる姿なり、彼ノ折伏を心中に油断すれば心業が謗法に同ずるなり云云。」(『富要』1-70)と述べて、他宗の僧侶とは異なることを要求する。

5−4 師弟相対論・住持(法主)論

 大石寺派の修行観には単に信仰を根本とした受持行が強調されるだけではなく、師弟相対論によって成仏への道を制限するということがある。たとえば日有は『化儀抄』で「手続の師匠のところは三世の諸仏高祖以来代々上人のもぬけられたるゆえに師匠のところをよくよく取り定めて信を取るべし、また我が弟子もかくのごとく我に信を取るべし、このときは何れも妙法蓮華経の色心にして全く一仏なり、これを即身成仏と云ふなり」(『富要』1-61)と述べて、日蓮以来の血脈相承を持つ大石寺住職との法脈関係を持つ各末寺の住職である手続の師匠を尊重すべきことを僧侶に訓戒し、その法脈の中に即身成仏があることを強調する。
同様のことは「信と云ひ血脈と云ひ法水と云ふ事は同じ事なり、信が動せざれば其の筋目違ふべからざるなり、違はずんば血脈法水は違ふべからず、夫とは世間には親の心を違へず、出世には師匠の心中を違へざるが血脈法水の直しきなり、高祖已来の信心を違へざる時は我れ等が色心妙法蓮花経の色心なり、此の信心が違ふ時は我れ等が色心凡夫なり、凡夫なるが故に即身成仏の血脈なるべからず」(『富要』1-64)と述べて、師匠である僧侶の指導に従うことが即身成仏の道であることを強調する。
 師匠は「高祖以来代々上人のもぬけられたる」人であるから、弟子にとっては日蓮の代理人として扱われるべき存在なのである。その師匠の意向に反して別の僧侶を師匠にすることは筋目を違えることであり、自ら成仏への道をふさぐことになるのである。
その筋目の強調は『化儀抄』では「実名、有職、袈裟、守、漫荼羅、本尊等の望みを、本寺に登山しても田舎の小師へ披露し、小師の吹挙を取りて本寺にて免許有る時は、仏法の功徳の次第然るべく候、直に申す時は功徳爾るべからず云云。」(『富要』1-62) 、あるいは「末寺の弟子檀那等の事、髪剃を所望し名を所望する事、小師の義を受けて所望する時望みに随ふ云云、彼の弟子檀那等が我れと所望する時は爾るべからず云云。」(『富要』1-62)と述べて、末寺の住職の認可がなければ、大石寺住持から直接常住本尊を授与されても宗教的功徳はないことを強調する。
 その師匠の中でも第一の位にある師匠は大石寺の住持(住職)である。彼こそ日蓮以来の法水を継承して日蓮の代理人として人々を宗教的救済へと導く存在なのである。他の師匠は大石寺の住持の代理人としてのみその宗教的資質を保証されている。
僧侶が大石寺で修行するときは大石寺住持の指導に絶対服従すべきことを日有は『化儀抄』で「師範の方より弟子を指南して住山させ、又は我が身も住山仕らんと披露するより全く我か身なれども我れとはからひえぬ事なり、既に仏へ任せ申す上は私に・はからひえぬ事なり、然るを行躰にさゝるゝ時は我れは用が有ると云ひ、又我はしえぬなんと云ふ人は謗法の人なり、謗とは乖背の別名なりと妙楽大師釈せられ候、即身成仏の宗旨を背く故に一切世間の仏の種を断つ人に候はずや。」(『富要』1-66,67)と述べている。
大石寺住持が本仏日蓮の代理人であることはまた『化儀抄』では「弟子檀那の供養をば先づ其の所の住持の御目にかけて住持の義に依つて仏へ申し上げ鐘を参らすべきなり、先師々々は過去して残る所は当住持計りなる故なり、住持の見たまふ所が諸仏聖者の見たまふ所なり。」(『富要』1-63)と述べて、生仏としての役割を果たすことを強調する。
  その大石寺の住持には『化儀抄』で「末寺に於て弟子檀那を持つ人は守りをば書くべし、但し判形は有るべからず本寺住持の所作に限るべし云云。  一、漫荼羅は末寺に於て弟子檀那を持つ人は之を書くべし判形をば為すべからず云云、但し本寺の住持は即身成仏の信心一定の道俗には判形を成さるゝ事も之有り、希なる義なり云云。」(『富要』1-71,72)あるいは『下野阿闍梨聞書』に「本尊に当住持の名判を成され其れに向て示す人の名を書けば師弟相対して中尊の妙法蓮華経の主と成れば其の当位即身成仏是れなり」(『富要』2-153,154)と述べているように、常住本尊を書写するという権限、すなわちそれにより授与される相手に即身成仏が決定したことを認定する権限を有している。これらの宗教的権威を背景に大石寺住持は本末関係にある寺院の宗教的事項を統制し、上述した「実名、有職、袈裟、守、漫荼羅、本尊等」の授与権を独占した。
 さらには『化儀抄』で「法華宗の僧は天下の師範たるべき望みあるがゆえに、我が門徒の中にて公家の振る舞いに身を持つなり」(『富要』1-70)と述べているように、大石寺の住持は単に弟子や信徒に対して宗教的救済の絶対的権限を有するばかりでなく、「天下の師範」として世俗社会にも影響力を当然行使すべき存在として考えられている。
天下の経綸に関して有能であるかどうかには無関係に、天下の師範となろうとすることに問題があるが、同時に門徒に対して自分が「公家の振る舞い」をすることを正当化し、当時の身分制度をそのまま追認していることにも日蓮のある種の考えからの逸脱が見える。
この身分制度への配慮はまた『有師物語聴聞抄佳跡上』にも「当門流に於て番匠鍛冶座頭等、万づ職人の当道の子など出家に成す事あるべからず、第一の化儀なり已上。」(『富要』1-233)と述べている。日因はこの日有の言葉に対して「日因私に云く、若し爾らば四姓出家皆名為釈の文如何、仏在世には四姓皆出家して仏弟子となす何ぞ之を簡ばんや、然るに今の意は当山貫首上人の弟子にすべからず、其の故は一閻浮提の座主日目上人の後を紹継するが故に筋なき人の子を弟子となし而して大石寺を相続し難き故なり、此則当山第一の化儀なり、若し地中末寺等の弟子には苦かるべからざる者か、」(『富要』1-233)と注釈をつけて、大石寺住持になる可能性のある大石寺の直弟子に関してはそれなりの身分のものでなければならないことを強調している。
 これらの日蓮正宗に伝わる住持論が日蓮、日興の伝統を受け継ぐとは言えないことを論証するのは、紙面もなくなったので別の機会に行おう。

使用文献一覧
なお人物の生没年に関しては、富士学林編『日蓮正宗富士年表』(1981)によった。

略号一覧
『富要』 『富士宗学要集』全10巻 創価学会 1979       なお引用にあたっては
http://nakanihon.net/nb/yousyuu/mokuji.htm       掲載の電子資料を利用させていただいた。関係者に感謝いたします。
『創』  『創価学会版日蓮大聖人御書全集』 創価学会 1996
『定』  『昭和定本日蓮聖人遺文』全3巻 総本山身延山久遠寺 1952
『宗全』 『日蓮宗宗学全書』全23巻 山喜房仏書林 1983
『文段集』『日寛上人文段集』 聖教新聞社 1980
『要義』 『日蓮正宗要義』 日蓮正宗宗務院 1978
『略解』 『日蓮正宗略解』 日蓮正宗宗務院 1973
『綱要』 『日蓮正宗綱要』 堀日亨著 雪山書房 1931
『詳伝』 『富士日興上人詳伝』 堀日亨著 創価学会 1963

 

執行海秀 『日蓮宗教学史』 平楽寺書店 1988
望月歓厚 『日蓮宗学説史』 平楽寺書店 1987
新宿区青年部編 『末法相応抄に学ぶ』 聖教新聞社 1988
正本堂建立記念出版会編 『歴代法主全書』全3巻 日蓮正宗総本山大石寺 1979
『伝教大師全集』復刻版全5巻 世界聖典刊行協会 1989
創価学会教学部編 『仏教哲学大辞典』全5巻 創価学会 1973
宮田幸一 「守護国家論について(2)」 『東洋哲学研究所紀要』第17号 2002

付録  『創価学会研究』理念編第1部「日蓮正宗論」の概要

 第1部の日蓮正宗論では、創価学会の現在の会則にも見られる日蓮本仏論に関して主に検討する。日蓮正宗と他の日蓮宗各派との教義的相違は大きく二点ある。ひとつは日蓮本仏論の問題である。もうひとつはそこから派生するが、現代における本仏日蓮の救済の秘儀は日蓮から血脈を継承した大石寺住持と唯一の本門戒壇である戒壇本尊との両方に宗教的結びつきがなければならないというサクラメント論である。
日蓮本仏論に関しては、日蓮正宗は室町、江戸時代の日有、日寛の教義を基礎にして主張している。日寛は『本因妙抄』『百六箇抄』などの相伝書といわれる文献を基礎にして日蓮本仏論を主張している。
それに対して、日蓮宗系の立正大学の学者たちは、明治以降の西洋の文献学的仏教学研究をモデルにして、日蓮遺文の文献学的研究を始め、日蓮本仏論の根拠として使用される文献はすべて日蓮死後百年以上たってから出現した資料であり、日蓮本仏論には文献学的に根拠がないことを示した。
 私は日興から日道に至る大石寺の初期の指導者に日蓮本仏論の議論があるかどうかを調べたが、信頼できる文献には皆無であった。
さらに創価学会と日蓮正宗の表に出ない本尊に関する不一致として日蓮御影本尊論に気がつき、その歴史的経緯を調べたが、人本尊として日蓮御影を本尊とする議論は日興から日道まで見られなかった。その時代は人本尊を否定する『本尊問答抄』により曼荼羅本尊正意説であった。
それが日有の時代には日蓮御影本尊論と日蓮本仏論との両方が見え、日寛の時代には曼荼羅正意説の『本尊問答抄』を否定する議論として人法一箇論が主張されていることに気づいた。このことから私は人本尊の具体的対象として日蓮御影を認め、その教義的理論化として日蓮本仏論を日時以降の伝統であると解釈している。
 もうひとつのサクラメント論に関しては、日蓮正宗は上記相伝書のほかに二箇相承などを持ち出して、日蓮は六老僧の中でも特に日興のみに血脈を相承し、その相承が代々の大石寺住持に継承されているという法主=日蓮本仏代理人説を主張するが、その代理人説が明確にされたのは日有の頃である。
日興から日道に至るまで、日興門流が日蓮の正義を維持しているが、他の門流は正義から転落したという意味での日興正統論はあるが、血脈相承の議論は全くない。
相承書は問題が生じたときに裁判資料として使用される性質の文書であり、日興が身延離山の時や、他の門流との教義論争の時に、その資料を使用しなかったのは当時の裁判制度から見れば理解しがたいことであるから、私は二箇相承が存在しなかったと考えている。
さらに血脈が正しく相乗されていないという証拠を『開目抄』の「文底秘沈」の文はどれかという日興門流の議論をたどることによって示した。このことにより日蓮の救済のカリスマが法主に継承されているという日蓮代理人説は日興から日道に至るまでの考えとは相違すると結論づけた。
 さらに戒壇本尊=本門本尊という議論は日寛の議論であるが、戒壇本尊の記事は戦国時代末期に始めて現れ、それ以前は日興に与えた本尊は言及されていても、その宗教的意味や具体的形態については全く論じられていなかった。
戒壇本尊が成仏という救済に関して不可欠な要件であるならば、それとの宗教的結びつきが与えられなかった日蓮正宗の全信徒は成仏できない信仰を大石寺に捧げていたということになり、大石寺の無慈悲さが明瞭になる。救済の必要条件が日蓮死後300年以上経過してから明らかにされるということは私には理解できない。戒壇本尊が日蓮自身によるものだとしても、それが唯一の本門本尊だという宗教的意義は説得力が無い。
 以上の私の考察が創価学会にとってどのような意味を持つのか検討する。創価学会は本尊として法本尊=曼荼羅本尊しか認めていない。人本尊を別に立てれば、それが久遠実成の釈尊像か久遠元初仏の日蓮御影かで論争になるが、人本尊を必要としなければ(当然人法一箇論も採用しない)、日蓮が上行菩薩再誕であっても、久遠元初仏の再誕であっても、どちらでも構わない。
そのうえで日蓮本仏論を維持するメリットをあげれば、これまでの創価学会の教義を変える必要がない、本仏日蓮の教えは最高であるということを言いやすいということがある。
しかしデメリットをあげれば、日蓮本仏論が文献学的には(=学者の間では)支持者がいない、日蓮本仏論は仏教の歴史の中では異端と判断される(文鮮明を第二のイエスとする統一神霊協会がキリスト教とはみなされないように)、本仏日蓮の継承者としての大石寺住持の権威を認めることにつながりやすい(=創価学会の日蓮正宗からの自立の障害になりやすい)ということがある。
 日蓮本仏論を採用しなくても、創価学会が日蓮の正統を継承しているということは、日蓮正宗も他の日蓮宗も、日蓮の『本尊問答抄』の議論に反して法本尊以外に人本尊を立てているが、創価学会だけが日蓮の教えの通り法本尊のみを本尊としているという点に求めることができる。
正統性は血脈にではなく重要な教えをそのまま実行しているかどうかで判断するという論点は日興の立場でもある。以上のメリット、デメリットをあわせて考えれば、私は日蓮本仏論を採用する必要性はないと考えている。

追記 『本尊問答抄』には真蹟がなく、日興写本が一部あるのみであり、これに対して、「曼陀羅正意を立てる日興門流の祖、日興上人の写本しか残されていない遺文を使って、『本門の本尊とは、南無妙法蓮華経だ』と論じても、日興門流以外の人たちの納得は得られないと思います。ですから、僕は、本尊問答抄は真蹟が無いので考察の基礎資料とはしない、という姿勢で考えています。」という見解もある(ネットに掲載されている『富士門流信徒の掲示板』のスレッド「本尊と曼荼羅」の「93問答迷人」書き込み(http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1017873018/))。しかし『本尊問答抄』に関しては、他の日興写本の信頼性によって、日興門流以外でも日蓮親撰と認める学者が多いと私は理解している。日蓮親撰ということを前提にしたうえで、日蓮宗に所属する川蝉は、「『本尊問答抄』は、真言教学になずんで居た人達に対して、大日如来でなく釈尊を本尊とすべしと説明し納得させるには、大日如来と久遠本仏釈尊との違いなどを論拠を挙げて長々と説明しなければならない。それよりも、法勝を面に出して「法華経の題目を以て本尊とすべし」と断定したほうが、理解させやすい。そこで法勝の義を面にして論述されている、と先学(優陀那院日輝・本尊略弁)が、説明しています。」と『本尊問答抄』の意義を説明し、「宗祖にとっては、法華経の題目は法華経の肝心であり、久遠釈尊の証悟でありますから、法華経の題目=釈尊でありましょう。ですから、『本尊問答抄』は、この御書では、『釈尊本尊を否定するばかりではなく、「法華勝釈尊劣」を明言しております。』と云って『法本尊正当説』であると単純には断定できないのです。」( 『富士門流信徒の掲示板』の別スレッド「日蓮聖人の本尊観」の「28」の書き込み(http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1028023669/))と述べて、法本尊正当説に対して異議を申し立てる。この問題については、第2部の「日蓮論」で検討する予定であるが、第一部の「日蓮正宗論」では必要ないと考える。」(2009/3/30)

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