仏教では仏がどのような存在であるのかという問題に関して複雑な教理があり、伝統的にその問題は仏身論と呼ばれてきた。後世の大石寺教学で主張された久遠元初の無作三身=日蓮本仏という思想は、日蓮自身の信頼できる文献には「久遠元初」「無作三身」という用語の積極的使用が見られないことから、日蓮自身が持っていた思想ではなく、日蓮が持っていた仏身論をある方向に発展させた結果として生じた思想であると考えることができる。
『観心本尊抄』では「釈迦・多宝・十方の諸仏は我が仏界なり・・・寿量品に云く『然るに我実に成仏してより已来・無量無辺百千万億那由佗劫なり』等云云、我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり」(『創』247、『定』712)と述べて久遠実成の報身仏が凡夫に内在することを主張していた。
仏界が凡夫に内在しているというのは、天台大師の十界互具論の前提ではあるが、ただ天台大師の場合はこの人界に内在している仏界を顕現すること(六即の中の究境即に至ること)は非常に困難なものであり、今世では名字即の凡夫の到達不可能な境地であると見なされていた。
しかし日蓮は天台大師のように究境即への到達が困難なものとは見なさなかった。日蓮は『観心本尊抄』で「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う、」(『創』246、『定』711)と述べて、妙法五字の受持が釈尊の因行果徳の二法の実践になることを主張した。
さらに『開目抄』では「但天台の一念三千こそ仏になるべき道とみゆれ、此の一念三千も我等一分の慧解もなし、而ども一代経経の中には此の経計り一念三千の玉をいだけり、・・・諸経は智者・猶仏にならず此の経は愚人も仏因を種べし不求解脱・解脱自至等と云云、我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、」(『創』234、『定』604)と述べて、宗教的迫害に耐えて、妙法五字の修行を持続すれば、必ずいつかは成仏することを主張していた。
このような凡夫の成仏を唱題によって可能なものとする日蓮の『観心本尊抄』『開目抄』の立場は、日蓮本覚思想文献のひとつである『当体義抄』(真蹟、上代古写本なし)の「所詮妙法蓮華の当体とは法華経を信ずる日蓮が弟子檀那等の父母所生の肉身是なり」(『創』512、『定』759)という主張、すなわち凡夫である日蓮の弟子檀那は本来妙法蓮華経=無作三身の当体であるという議論へと展開していく。『観心本尊抄』『開目抄』では、単に信者の成仏の可能性だけを強調していたのが、この『当体義抄』では、信者であれば既に成仏しているという議論へと発展している。
さらに『諸法実相抄』(真蹟、上代古写本なし)では「釈迦・多宝の二仏と云うも用の仏なり、妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ、経に云く『如来秘密神通之力』是なり、如来秘密は体の三身にして本仏なり、神通之力は用の三身にして迹仏ぞかし、凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり」(『創』1358,1359、『定』724)と述べて、単に凡夫が成仏しているだけではなく、迹仏である釈迦多宝の二仏を仏にしたのは本仏である凡夫であるという凡夫本仏論的本覚思想へと発展していった。
これらの日蓮本覚思想文献は既に日隆の議論に引用されているが、その後に活躍した日有は仏についてどのように考えていたのか検討しよう。
日有は無作一仏という根本の仏をまず想定している。それはまた妙法蓮華経であり、また無作本覚の仏であるとも言われる。「無作一仏」という言葉が使用される場面は二つある。一つは『化儀抄』で「貴賤道俗の差別なく信心の人は妙法蓮華経なる故に何も同等なり。・・・信心の所は無作一仏、即身成仏なるが故に道俗何にも全く不同有るべからず」(『富要』1-61)と述べているように、正しく信仰している人が無作一仏=妙法蓮華経であるという文脈での使用である。
同様な表現としては『連陽房聞書』に「底下薄地の凡夫なりともこの経を受持して妙法蓮華経と唱へ奉るは無作本覚の仏なり」(『富要』2-142)とあり、あるいは『化儀抄』に「高祖以来の信心を違へざる時は我等が色心妙法蓮華経の色心なり、この信心が違ふ時は我等が色心凡夫なり」(『富要』1-64)などとあり、正しく信仰していない時は、その人は無作一仏ではなく、凡夫になると述べられている。
この信者が信仰している状態が仏の状態であるという表現は、上述の日蓮本覚思想の『当体義抄』の記述と整合的である。この使用法では無作一仏は信者の信仰という因行が即身成仏、無作一仏の状態という果徳を生み出すと考えられるから、無作一仏は報身として扱われている。
もう一つの使用法は『化儀抄』に「経を読むには必ず散華あるべし、信の時は法界妙法蓮華経なるが故に一仏なり、その一仏の三身に供するなり、これ即ち本門の無作なり」(『富要』1-64)とあるように、正しく信仰している人がいる場合には、その周囲の法界も無作一仏=妙法蓮華経であるという表現法である。
第一の使用法では、人間がある特殊な状態=信仰している状態にいる場合はその人は無作一仏であるということから、その仏概念が人格的意味を帯びていることは明らかであるが、第二の使用法では、法界という様々な存在を含む集合全体が無作一仏であるということから、この仏概念には人格的意味が欠如していることも明らかである。法界が無作一仏となるという場合には、無作一仏は法身として考えられている。
ところで日有は「無作一仏」という用語を使用するが、この用語は創価学会版の『御書全集』には見当たらない用語であり、この用語に該当するのは偽選説が強い『御義口伝』で多用される「無作三身」という用語である。
「無作三身」は天台本覚思想文献でも、日蓮本覚思想文献でも多用される用語であるし、既に述べたように日道の『御伝土代』にも「久遠実成無作三身」という用語も見えるから、日有が使用しない積極的な理由はないと思われる。むしろもし『御義口伝』の存在を日有が知っていれば、その用語や概念を使用して、無作一仏の思想を語るほうが自然であろう。確かに日有も「無作三身」という用語を使用しているが、その使用頻度は「無作一仏」に及ばないし、『御書全集』に見当たらない「無作一仏」を積極的に使用しているということに、日有の議論と『御義口伝』との関係のなさが目を引くのである。
たとえば信仰している凡夫の姿が無作一仏であるということは、『御義口伝』の「第二 如来秘密神通之力の事 御義口伝に云く無作三身の依文なり、此の文に於て重重の相伝之有り、神通之力とは我等衆生の作作発発と振舞う処を神通と云うなり・・・今日蓮等の類いの意は即身成仏と開覚するを如来秘密神通之力とは云うなり、成仏するより外の神通と秘密とは之れ無きなり、此の無作の三身をば一字を以て得たり所謂信の一字なり」(『創』752,753、『定』2663)の文などは、明瞭にそのことを述べている。
あるいは信者の周囲の法界が無作一仏であることは『御義口伝』の「第三 我実成仏已来無量無辺等の事 御義口伝に云く我実とは釈尊の久遠実成道なりと云う事を説かれたり、然りと雖も当品の意は我とは法界の衆生なり十界己己を指して我と云うなり、実とは無作三身の仏なりと定めたり此れを実と云うなり成とは能成所成なり成は開く義なり法界無作の三身の仏なりと開きたり、仏とは此れを覚知するを云うなり」(『創』753、『定』2663)などの文に見られる。
筆者が日蓮本覚思想文献について強い疑義を持っているのは、それらの文献が真蹟、直弟子写本もなく、またそれらを引用した議論もないということにある。この日有の無作一仏の議論に、同じような議論を展開している『御義口伝』の反映が全く見られないということは『御義口伝』がその当時存在していなかったという疑いを強くさせる。なお「無作一仏」という用語は、日隆の『私新抄』では「無作三身」と同じ意味で数箇所使用されている。
既に第二節でも引用したが日有は『化儀抄』において「仏身において因果の身在す故に、本因妙の身は本、本果の身より迹の方へ取るなり」(『富要』1-76)と述べて、本因妙の仏身=日蓮、本果妙の仏身=釈迦という解釈をしている。釈迦は断惑証理の仏であるが、日蓮は未断惑の導師、末法の四依の人師、地湧の菩薩であり、それは実は本因妙の仏であるという議論である。
地湧の菩薩(九界の衆生)がどうして本因妙の菩薩ではなく、本因妙の仏なのかということに関しては、伝統的な天台教学では疑問が生じるが、中世において仏教の議論でよく使用された、本地仏(本因妙の仏)の垂迹としての菩薩(地湧の菩薩)というレトリックが想定されていると思われる。
因果の上で仏身を考察することは、修行を通じて(因)、最上の悟りを得て、仏となる(果)ことと解釈されるから、この場面では報身の問題が扱われている。
さてこの本因妙、本果妙の議論が集中的に論じられているのは偽撰説が強い『百六箇抄』であり、そこでは、「久遠従果向因の本迹 本果妙は釈迦仏・本因妙は上行菩薩・久遠の妙法は果・今日の寿量品は花なるが故に従果向因の本迹と云うなり。」(『創』863、『宗全』2-20)と述べ、本果妙は釈迦仏、本因妙は上行菩薩として、本因妙の仏を特に認めない記述もあるが、「下種の法華経教主の本迹 自受用身は本・上行日蓮は迹なり、我等が内証の寿量品とは脱益寿量の文底の本因妙の事なり、其の教主は某なり。」(『創』863、『宗全』2-21)と述べた箇所では、本因妙の教えである下種の法華経の教主は、本地自受用身の垂迹上行日蓮であることを主張し、さらに「下種の今此三界の主の本迹 久遠元始の天上天下・唯我独尊は日蓮是なり、久遠は本・今日は迹なり、三世常住の日蓮は名字の利生なり。」(『創』863、『宗全』2-21)では日蓮が「久遠元始」の仏であることを主張している。この『百六箇抄』では、本因上行菩薩日蓮の本地は久遠元始の本仏日蓮であるという本地垂迹説による説明になっている。
この『百六箇抄』は日有の死後まもなく活躍した元住本寺僧で後に大石寺派(日蓮正宗)に転向した左京日教が議論の中で引用する文献であり、その写本には「玉野太夫(=日尊)」「上行院」とあるから(創価学会版の『御書全集』収録の『本因妙抄』には「玉野太夫」「上行院」の用語は削除されているが、『日蓮宗宗学全書』所収の『本因妙抄』にはその用語が見られる。『宗全』2-31)、京都の日尊門流で作成された文献を、その系統に属する日教が大石寺に持ち込んだと推測される。日有の議論には『百六箇抄』の議論は反映されていない。
既に述べたように日隆は報身の因位と果位を区別したが、本因妙の仏が修行の結果本果妙の仏となると考えているから、両者は同一の報身であるが、大石寺派は本因妙の仏と本果妙の仏を別体の仏と考えている。日隆は本因妙の仏の位と上行日蓮の位はともに因位の修行をしているという点で同一であり、日蓮即本因妙の仏という表現もしているが、基本的には上行日蓮は応身であるという立場をとっている。
しかし日有には応身について論じた箇所は『雑雑聞書』の「日有云はく・我等凡夫の上に於いて無作三身をば何かに心得べきや、答ふ住持は報身・衆徒は法身・檀那は応身に軈て但躰但用之れ有るべし云云」(『富要』2-167)という記述だけであり、特に重要な議論はない。
本門=下種益が迹門=脱益より勝れており、末法においては下種の妙法五字の修行をすることを強調する勝劣派(大石寺派も含む)では、因位の修行を強調するあまり、果位の徳(つまりいかなる基準をクリアーすれば成仏したといえるのかという問題)に関してはほとんど考察されないという特徴を持つ。
現代においては宗教も他の世俗的な営為と同様に、それが生活上にどのような役割を果たすのかということを無視して存続することは難しい。その意味では宗教もクライアントの獲得のためには精神的な商品としての効能を人々に訴えかける必要がある。
仏教のセールスポイントは、本来は、このような修行をすれば、このようなすばらしい状態になることができ、やがてはこれこれのすばらしい徳目を備えた人格=仏になれるのですよということにあるはずだと思われるが、私の見るところ、仏として規定されるための徳目に関して仏教は曖昧な表現にとどまっているようだ。
特に日本仏教では消極的な修行としての戒を重視しない傾向が強く、そのため仏教が倫理規範としてあまり有効に機能していない。在家者においても五戒、特に不飲酒戒は意識されることもなく、出家者においても肉食妻帯が仏教の戒律に反するということの強い自覚もない。
戒を守らず、どのような修行をして、どのような状態になることを目指すのかを、日本仏教は明示できていないところに大きな問題がある。修行の目的である仏の果徳を引き下げる、いわば成仏のバーゲンセールというところに、本覚思想のひとつの特徴があるが、日有の成仏論にもそれは明確に現れている。以下において、日有の成仏に関する記述を特徴付けてみよう。
日有は前節の無作一仏で述べたように信仰している状態が成仏であると主張することが多い。『化儀抄』には、「貴賤道俗の差別なく信心の人は妙法蓮花経なる故に何れも同等なり、然れども竹に上下の節の有るがごとく其の位をば乱せず僧俗の礼儀有るべきか、信心の所は無作一仏、即身成仏なるが故に道俗何にも全く不同有るべからず」(『富要』1-61)とあり、信仰している状態にある僧俗はともに即身成仏しているとする。
また『連陽房聞書』には「仮令ば世間通法の言葉なれば此の経を受持申してより信心無二なれば即妙法蓮華経なり、即身成仏とは爰本を申すなり、三界第一の釈迦も既に妙法蓮華経を得たまひてこそ仏とは成れ三世諸仏も爾なり、底下薄地の凡夫なりとも此の経を受持して妙法蓮華経と唱へ奉るは無作本覚の仏なり、」(『富要』2-142)と述べて、凡夫が受持唱題している姿が無作本覚の姿、即身成仏の姿であるとする。
日有は即身成仏のためには信仰のみが重視され、智恵は無益であることを、『連陽房聞書』において、「さて末法の時は本法の五字を我等凡夫の愚者迷者の衆生が・又余念無く受持する処が即身成仏なり是は但信の一字是なり、されば智者が此の旨を得意信心を致す今時の像機なり、其の故は何にも知らざる俗男俗女・無二無三に信心を致し受け持つが今時の正機なり、さて智慧が信心を至す処は傍と云ふ事は智慧が面と成る間だ・今時の正意に非るなり」(『富要』2-147)と述べる。
同様なことは『下野阿闍梨聞書』に「仰せに云はく・惣じて我等凡夫名字初心にして余念の事も無く南無妙法蓮華経と受け持つ処の受け持つ処の受持の一行・即一念三千の妙法蓮華経なり即身成仏なり、其の故は釈尊の本因妙の時も妙法蓮華経の主と成りたまへば仏なり、師弟共に三毒強盛の凡夫にして又余念も無く受持すれば即ち釈尊の如く妙法蓮華経も別躰無し即信の一字・即身成仏なり妙法蓮華経なり、去る間信ずる処の受持の一行当機益物なり、然れば修一円因の本因妙の処に当宗は宗旨を建立するなり、はや感一円果の処は外用垂迹なり智者なり理なり全く当宗の宗旨は非るなり」(『富要』2-153)とあり、日蓮仏法は知恵の宗教ではなく、信の宗教であることを強調する。
即身成仏には智恵だけでなく、また戒も不必要であることを、日有は『化儀抄』において「法華宗は大乗の宗にて信心無二なる時は即身成仏なるが故に戒の持破をも云はず、又有智無智をも云はず、信志無二なる時は即身成仏なり、但し出家の本意なるが故に何かにも持戒清浄ならん事は然るべし、但破戒無智にして已上すべからず云云。」(『富要』1-739)と述べている。
そして信仰が三世に続くことを日有は『連陽房聞書』において、「仰せに云はく夫れ人間は隔生即忘して前世の事を知らずと云へども、先生に法華経を信じたる人は又今生にも法華経を持つて能信に即身成仏し法界をも助くるなりと云云。」(『富要』2-143)と述べている。
信を強調するのは鎌倉新仏教の浄土系の法然、親鸞ならびに法華系の日蓮の特徴であり、それに対して知恵を重視するのは禅系の道元の特徴である。日有が信を強調して、智恵の役割を否定することは、仏とは何かと考えることを無益なことと見なしているからであるが、妙法五字を受持唱題している信仰者の姿がどうして即身成仏の姿であると言えるのかという問題を提起されれば、はたして日有に説得力のある回答が可能なのだろうか。後に述べるように日有は仏の果徳を実現するということ自体を否定するという、本覚思想に共通の成仏概念の革命を行っている。
日有は即身成仏のためには智恵は必要ではないというが、それでもある程度教義を知る必要がありそうだ。たとえば『連陽房聞書』では、「当宗御門徒の即身成仏は十界互具の御本尊は当躰なり、其の故は上行等の四菩薩の脇士に釈迦多宝成りたまふ所の当体大切なる御事なり、他門徒の得意には釈迦多宝の脇士に上行等の四菩薩成りたまふと得意て即身成仏の実義を得はづしたまふなり、去れば日蓮聖人御筆に曰はく一閻浮提の内・未曽有の大漫荼羅なりと云へり、又云はく後五百歳に始たる観心本尊とも御遊ばすなり、上行菩薩等の四菩薩の躰は中間の五字なり、此の五字の脇士に釈迦多宝と遊ばしたる当躰を知らずして上行等の四菩薩を釈迦多宝の脇士と沙汰するは、中間の妙法蓮華経の当躰を上行菩薩と知らざるこそ、軈て我が即身成仏を知らざる重で候へばと御伝へ之れ有りと云云」(『富要』2-140)と述べて、他の門流による妙法五字の信ではなく、大石寺派の信仰が即身成仏をもたらすことを強調している。
日有は生きている信者の信仰生活がそのまま即身成仏の姿であると主張するばかりではなく、追善供養の力により死者も成仏することを次に主張する。たとえば『化儀抄』では「仏事追善の引導の時の回向の事、私の心中あるべからず、経を読みてこの経の功用によって当亡者の戒名をもって無始の罪障を滅して成仏得道疑いなし」(『富要』1-61)と述べて、僧侶が戒名を与え、仏事を行うことにより、死者が成仏することを主張している。
同様に『連陽房聞書』では「当門徒・常の惣祈祷経廻向の様は、読み奉る此の経の功用に依つて万難静謐・寿福増長・現世安穏・後生善処と申し上ぐる計りなり、又云はく当病の時は読誦し奉る御経の功徳に依つて除病延命現当安穏と申上ぐる計りなり、又云はく供養の時は只今読誦し奉る御経の功用に依つて無始の罪障消滅して即身成仏疑ひ無し・乃至法界無縁平等利益、若有聞法者無一不成仏と申す計りなり。」(『富要』2-139)と述べて、僧侶による法華経の読誦の種々の功徳を挙げる中で、死者の生前の信仰生活に言及することなく、死後の僧侶による追善供養の功用により死者の即身成仏が約束される。
ここでは、成仏が自己の修行の結果として得られるものであるという自力的な信仰観に対して、子孫が追善供養すれば自己の修行とは無関係に成仏できるという家の宗教による救済という信仰観が明確に主張されている。
このことは逆に子孫が信仰を捨てれば、既に即身成仏したと思われた信者も子孫の悪縁に引かれて六道輪廻するという主張になる。たとえば『連陽房聞書』には「当宗において信の道の大切なることは親師匠能信の徳によって即身成仏したまひたるその跡を継ぎたる弟子など不信なればその親・師匠を悪趣に輪廻させんずるなり、また親師匠不信なれどもその跡を継ぐ子・弟子能信なればまた成仏すと云へり」(『富要』2-142)と述べている。
このような子孫や弟子の信仰継承を重視する記述は日有において非常に目立っている。たとえば『化儀抄』では、「二親は法花宗なれども子は法華宗に成るべからずと云ふ者あり、其時は子に中を違ふなり、違はざる時は師範の方より其の親に中を違ふなり云云。」(『富要』1-63)と述べて、子供が信仰を継承しない場合は、親子の縁を切るように主張し、もし親が絶縁しなければ、僧侶がその親を破門するように主張している。
それは他家に養子に出す場合も同様であり、たとえば「「仏法同心の間に於いて人の遺跡を相続する時は別の筋目の仏法の血脈にも入るなり、同心なき方へは、たとへ世事の遺跡を続ぐとも我が方の法の血脈にはなすとも、同心せざる方の邪法の血脈には入るべからず云云、邪法の血脈に子供を入るゝ時は其の親の一分謗法になる姿なる故に親に中を違ふべし云云」(『富要』1-63)と述べて、他家に養子に行き、その世間的遺産を相続しても、他家の邪宗の信仰を継承してはならないことを強調し、もし邪宗の信仰を継承した場合は、絶縁することを実の親に求めている。
あるいは先祖の信仰を保つことの重要性について「親先祖、法華宗なる人の子孫は経を持たざれども真俗血筋分るに皆何の代なりとも法華宗なるべし、根源となる躰の所仏種を断つ時、自ら何れも孫ひこの末へまでも断仏種なり、」(『富要』1-68)と述べて強調する。
それらの信者によって改宗した人は,その布教した人が退転したとしても、僧侶に指導を仰げば、問題ないことを「但し他宗他門の真俗の人、法花宗の真俗の人に引摂せられて師範の所にて経を持つ人は、縦ひ引摂する真俗の人、仏種を断つ故に不審を蒙るといへども、引摂せらるゝ他宗他門の真俗の人は仏種を断つ引摂せらるゝ人に同せずんば師範の不審を蒙るべからず云云。」(『富要』1-68)と述べる。
日有は単に子孫の信仰継続を主張するばかりでなく、それはまた先祖供養を信者の義務とすることを「当宗の経を持つ人二親をも当宗の戒名を付けて又仏なんどをも当宗の仏を立つる時、初七日より乃至四十九日百箇日乃至一周忌乃至十三年三十三年までの仏をも立てゝ訪はん事然るべし云云」(『富要』1-1-67)と述べている。
そして子孫が信仰を継承しなかった場合には、たとえその亡くなった人が信者であっても、その葬儀に関与してはならないことを「縦ひ昨日まで法華宗の家なりとも孝子施主等無くんば仏事受くべからず、但し取骨までは訪ふべし云云。」(『富要』1-73)と述べる。ここでは亡くなった人の信仰心とは無関係にその子孫の信仰心が重視されている。
同様のことは「親師匠は正法の人なれども、其の子、其の弟子謗法たらば彼の弟子、子に同しては訪ふべからず、但し謗法の弟子、子はイロハずして正法の方へ任せ彼の亡者を訪ふべし、但し孝子なくんば取骨までは其の家にて訪ふべし、其の親の姿が残りたる故に、其の後は謗法の弟子、子の供養受くべからず云云。」(『富要』1-75)と述べて、家の信仰の継承に失敗した場合には、僧侶による追善供養も受けられないことを述べる。
さらにはそれとは逆の場合の、他宗の親や師匠の年忌法要に関して、もし子孫や弟子が法華宗になれば、積極的に行うべきことを「他宗の親師匠の仏事を其の子、其の弟子、信者にて成さば子細有るべからず。」(『富要』1-74)と述べる。
同様のことは「師匠の法理の一分を分けたる弟子が正法に帰する時は、謗法の師匠の正法を信ずる姿なるが故に弟子の望に依て謗法の師匠を訪ふべきなり云云。」(『富要』1-74,75)とあり、謗法の師匠であっても、弟子が正法に改宗すれば、僧侶の追善供養が受けられるとする。そしてはじめに述べたように僧侶の追善供養の効力により死者の即身成仏は可能になるのである。
この議論を適用すると、たとえば日蓮の在俗の信徒であった四条金吾やその子孫は日蓮滅後大石寺に帰依していないが、もし大石寺派が日興以外の五老僧はすべて日蓮を裏切った謗法の弟子であると主張するなら、それに帰依した子孫を持つ四条金吾も成仏してはいないということになろう。あるいは主要な弟子の大部分に裏切られたとされる本仏日蓮自身もその悪縁に引かれて成仏していないという議論さえ可能になるだろう。
生前の信者の信仰よりも子孫・弟子の信仰を強調する議論は信仰心を腐敗させるということは、たとえばキリスト教の歴史においても、死者ミサの功用を強調し、免罪符を購入することによって先祖の救済を確保しようとした宗教改革前夜の状況を見れば明らかであろう。
さらには子孫・弟子が不信にあることによって先祖・師匠が成仏から転落するという議論は、成仏という概念を無意味なものにする。家の宗教の維持、教団内の本末関係維持に腐心した日有がそれを統制するための化儀を制定したことにはそれなりの理由があるが、その教団統制という宗内政策を即身成仏という教義問題と絡めてそれまでになかった教義的に根拠のない議論を展開しているのは問題が多い。
日有は僧侶による追善供養が死者の即身成仏を可能にすることを強調し、子孫・弟子の信仰を強調するばかりでなく、成仏に関する大石寺住職の宗教的権威も強調する。
日有は『下野阿闍梨聞書』において、「他門跡云く・如何なれば富士方に神座を立てざるや、仰せに云く・他門跡に立つるところの神座は理の神座なり・ただ当宗は事の位牌を本となすゆえに別に神座を立てざるなり、事の位牌とは本尊の示書これなり、そのゆえは本尊に当住持の名判を成されそれに向て示す人の名を書けば、師弟相対して中尊の妙法蓮華経の主となればその当位即身成仏これなり」(『富要』2-153)とあるように、大石寺住職が弟子、信徒に与える常住本尊に授与された当人の名が書き入れてあれば、その弟子、信徒の即身成仏は決定していると主張している。
同様なことは『化儀抄』でも「曼荼羅は末寺に於て弟子檀那を持つ人は之を書くべし、判形は為すべからず云云、但し本寺住持は即身成仏の信心一定の道俗には・判形を為さるる事も之有り・希なる義なり云云。」(『富要』1-71,72)と述べて、大石寺住職のみによる常住本尊の授与と即身成仏が語られている。
後で述べるように僧侶による追善供養が死者の即身成仏を可能にする宗教的カリスマは実は日蓮の後継者である大石寺住職の宗教的カリスマから派生しているのであり、それが大石寺住職による常住本尊の示書による即身成仏ということに表現されている。
しかしこの常住本尊の示書による即身成仏という議論は、上述の議論との整合性を持っていない。もしその弟子、信徒が大石寺派に帰依することを止めた場合は、どうなるのか。あるいはその子孫や弟子が大石寺派に帰依することを止めた場合にはどうなるのか。
もし常住本尊の示書による即身成仏は不変であるというなら、上述の議論は無効だし、即身成仏から転落するというなら、常住本尊の示書による即身成仏は永遠の成仏にならないということになる。
日蓮から大石寺の寄進者である南条時光に与えられた常住本尊は埼玉県戸田市の日蓮宗妙顕寺により所有されているが、このように大石寺派から見れば謗法の他門の寺院によって崇拝されている場合は、日蓮による南条時光の即身成仏はいかなる運命をたどることになるのだろうか。
なおこの常住本尊と形木を使って印刷された本尊との関係について、堀日亨は『註解』において、「曼荼羅書写の大権は唯授一人金口相承の法主に在り・・・曼荼羅書写本尊授与の事は・宗門第一尊厳の化儀なり、仮令意に妙法を信じ口に題目を唱へ身に殊勝の行ありとも・当流にては対境の本尊を授与せられ示書中の人とならざれば・信心決定即身成仏と云ふこと能はざるなり、・・・古来形木の曼荼羅あり仮に之を安す、本山も亦影師の時之を用ひられしと聞く、此に於いて有師仮に守護及び常住の本尊をも・末寺の住持に之を書写して檀那弟子に授与する事を可なりとし給ふ・即本文の如し、・・・然りといへども此は仮本尊にして形木同然の意なるべし、故に守に於いては『判形有るべからず』と制し・曼荼羅に於ては『判形為すべからず』と誡め給ふ、此の判形こそ真仮の分るゝ所にして猶俗法の如し」(『富要』1-112,113)と述べて、常住本尊の書写は大石寺住持の権能であるが、一般信者の信仰上のニーズにこたえるために仮の本尊として末寺住持の書いた本尊や印刷された形木本尊の使用が認められているとする。
この仮の本尊にも即身成仏の効能があるのかどうかは不明であるが、大石寺住持の権能を強調した文からは、そのような効能は期待できないだろう。ほとんどすべての創価学会員の家庭には仮の本尊でしかない形木本尊が安置されているだけであるが、これらの人は日有以来の伝統教義によれば即身成仏ができない信者であるということになる。もちろんこの常住本尊の示書による即身成仏という日有以来の伝統教義が日蓮、日興にはないということを指摘しておく必要がある。
大石寺派の教学の特色の一つに下種益のみを強調し、熟益、脱益を否定するということがある。たとえば『化儀抄』には「種熟脱の位を円教の六即にて心得る時、名字の初心は種の位、観行相似は熟の位、分真究竟は脱の位なり、脱し終われば名字初心の一文不通の凡位の信にかへるなり、迹に云く脱は現に在りとえへどもつぶさに本種に騰ぐと釈して脱は地住以上にあれども具に本種にあぐると釈するこれなり、この時釈尊一代の説教が名字の信の本益にして悉く迹には益なきなり皆本門の益なり、よって迹門無得道の法門は出来するなり、これ即ち法華経の本意滅後末法の今の時なり」(『富要』1-77)とある。
同様に『化儀抄』で脱益の否定は、「下種を本とす、その種をそだつる智解の迹門の始めを熟益とし、そだて終って脱するところを終わりと云ふなり、脱し終れば種にかへるゆえに迹に実体なきなり、妙楽大師、雖脱在現上の如し云々、これより迹門無得道の法門は起るなり」(『富要』1-78)と述べられている。
また『連陽房聞書』では「後五百歳の今時に師弟ともに三毒強盛の愚者迷者の上にして位・名字の初心に居して師弟相対してまた余念なく南無妙法蓮華経と受持する名字は下種なり、この下種によって終に脱するなり、さて何物を脱するぞと云へば本の下種を脱するなり、たとへば籾を何ともせずして指し置くところは種なり、籾を田へ下すところは下種なり、さてそれが苗となり果を結ぶところは熟なり、熟してはや刈り取って籾にする所は脱なり、さる間脱すれば本種になるなり」(『富要』2-147)などにも見られる。
この日有の議論の特色は、末法の衆生の機根が劣悪であり、成仏のための種を持っていないから、まず下種の修行をすることが最重要であり、下種の修行がないのに熟脱の修行であるそれ以前の修行をするのは無効であると主張するのに留まらず、さらに脱する、つまり成仏すると再び下種を受けるときと同様の状態、すなわち「名字初心の一文不通の凡位の信」に戻ってしまうと主張することにより、名字初心の凡位から永遠に逃れることはできないとしていることにある。これは因位の修行を重視するあまり、果徳の実現を実体のない虚論であると否定する立場を示している。
この考えは釈尊以来の涅槃の考えを全く否定するものである。生きている時の苦悩をなくすことを目的として、その苦悩のない涅槃の状態を目指して修行し、再び輪廻しないように願うのが仏教の基本的動機であるとするなら、日有の考えはそのような涅槃などはありえないという主張である。
人間が愚者、悪者の状態から大きな人格的変化をすることはないという徹底した人間に対するリアリズム、あるいは絶望感の表現という哲学的な観点からはそれなりに評価することができるが、仏教思想として見た場合には、果徳の実現を否定するというのはかなりの逸脱である。
しかし本覚思想として日有の成仏論を見れば、このような議論も当然な主張と考えられる。しかも日蓮自身の成仏概念には日有の脱益、果徳の否定という要素がないわけではないという問題もあるのである。
日蓮自身がどのような本覚思想を持っていたのかは詳細に検討しなければならない問題のひとつである。
日蓮の成仏論を考える場合に基本となるのは『観心本尊抄』『開目抄』の二つの文献であるが、『観心本尊抄』では「観心とは我が己心を観じて十法界を見る是を観心と云うなり」(『創』240、『定』704)と述べて、己心に内在する十界特に仏界を覚知することを重視する。
六道の内在については「瞋るは地獄・貪るは餓鬼・癡は畜生・諂曲なるは修羅・喜ぶは天・平かなるは人なり」(『創』241、『定』705)と述べて、日常の感情の変化を六道の状態として記述する。
四聖の中の声聞・縁覚・菩薩界については「世間の無常は眼前に有り豈人界に二乗界無からんや、無顧の悪人も猶妻子を慈愛す菩薩界の一分なり」(『創』241、『定』705)と述べてある種の生き方がその状態であると説明するが、仏界については「但仏界計り現じ難し九界を具するを以て強いて之を信じ疑惑せしむること勿れ」(『創』241、『定』705)と述べて、説明の困難さを認める。
そのうえで仏界の事例として「尭舜等の聖人の如きは万民に於て偏頗無し人界の仏界の一分なり、不軽菩薩は所見の人に於て仏身を見る悉達太子は人界より仏身を成ず此等の現証を以て之を信ず可きなり。」(『創』242、『定』706,707)と述べる。
この日蓮の議論で注目すべきは二点あり、その第一の論点は尭舜という中国の伝説上の聖人、不軽菩薩という法華経の神話上の菩薩を除けば、歴史上の人間で仏になったという実例はインドの釈尊しかいないということを日蓮が認めていたということである。この立場は、信者が唱題している姿が即身成仏の姿であるという日蓮本覚思想の安易な成仏観を否定するものである。
また第二の論点は尭舜という儒教の聖人を仏の状態の一部であるとする基準は、宗教的理由によるものではなく、「万民に於て偏頗無し」という倫理的行為によるものであるということである。つまりこの『観心本尊抄』では成仏、仏の果徳ということを厳密に考えて、凡夫が容易に到達できる境地であるとは見なしていない。
しかし他方では「我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり」と述べて、凡夫に久遠実成仏が内在することを強調し、「一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頚に懸けさしめ給う」(『創』254、『定』720)と述べて、末法においては唱題という修行があることを述べ、その唱題の意義について「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(『創』246、『定』711)と述べて、唱題が単に成仏のための因位の修行であるだけではなく、成仏という果徳の実現を可能にすることを強調する。凡夫から仏への状態変化について日蓮は「自然に彼の因果の功徳を譲り与えられる」と述べて、特に大きな変化のメルクマールがあるわけではないことを『観心本尊抄』では述べる。
唱題という修行を続ければ自然に成仏するという日蓮の思想は『開目抄』でも「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし」(『創』234、『定』604)と述べられているが、ここでは『観心本尊抄』とは少し異なって、「諸難」に耐えるということが強調されている。
その難の意義について日蓮は「我れ無始よりこのかた悪王と生れて法華経の行者の衣食・田畠等を奪いとりせしこと・かずしらず、・・・又法華経の行者の頚を刎こと其の数をしらず此等の重罪はたせるもあり・いまだ・はたさざるも・あるらん、果すも余残いまだ・つきず生死を離るる時は必ず此の重罪をけしはてて出離すべし、功徳は浅軽なり此等の罪は深重なり、・・・今ま日蓮・強盛に国土の謗法を責むれば此の大難の来るは過去の重罪の今生の護法に招き出だせるなるべし」(『創』232,233、『定』602,603)と述べて、成仏するためには過去世の謗法の罪を消すための法難を受ける必要があるという主張を展開する。
同様な議論は『兄弟抄』でも「此の法門を申すには必ず魔出来すべし魔競はずは正法と知るべからず、第五の巻に云く『行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る乃至随う可らず畏る可らず之に随えば将に人をして悪道に向わしむ之を畏れば正法を修することを妨ぐ』等云云、此の釈は日蓮が身に当るのみならず門家の明鏡なり謹んで習い伝えて未来の資糧とせよ。」(『創』1087、『定』931,932)と述べて、法難の宗教的意義を説明する。
『観心本尊抄』では唱題という修行により「自然に」仏果を得るとされていたが、その「自然に」ということの中には宗教的迫害を耐えてという意味があることを『開目抄』は明らかにしている。
これらの日蓮の代表的遺文では凡夫の成仏はそれほど容易なことではないことが述べられ、またいつ成仏するのかということに関しても「自然に」というだけで明示しない。だが日蓮自身の真蹟が一部残っている『上野尼御前御返事』では、「一切経の功徳は先に善根を作して後に仏とは成ると説くかかる故に不定なり、法華経と申すは手に取れば其の手やがて仏に成り・口に唱ふれば其の口即仏なり」(『創』1580、『定』1890)と述べて、信者が唱題している姿がそのまま仏の姿であることを肯定している。
あるいは日興の写本がある『波木井三郎殿御返事』には「末代の悪人等の成仏・不成仏は罪の軽重に依らず但此経の信不信に任す可きのみ、而るに貴辺は武士の家の仁昼夜殺生の悪人なり、家を捨てずして此所に至つて何なる術を以てか三悪道を脱る可きか、能く能く思案有る可きか、法華経の心は当位即妙・不改本位と申して罪業を捨てずして仏道を成ずるなり、天台の云く『他経は但善に記して悪に記せず今経は皆記す』等云云、」(『創』1373、『定』745)と述べて、殺人を家業とする悪人である武士もその家業を辞めなくても成仏できることを主張する。
この本覚思想が明確に打ち出された日蓮の立場は『観心本尊抄』『開目抄』の立場とは必ずしも整合的であるとは言えない。この日蓮の本覚思想の立場では、殺人する仏の存在も認められる。このことは日蓮が仏の果徳ということをあまり重視していなかったということを示すものと思われる。厳しい修行がなくても、仏の果徳を体得することがなくても、容易に成仏できるという成仏のバーゲンセール思想を日蓮も持っていたのであろうか。この日蓮の本覚思想の立場が日有にも継承され、一層強調されているのである。