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日興の教学思想の諸問題(1)−4

 (6)要文、記録類、申状その他

 この部類には要文類として、『詳伝』によれば、『開目抄要文』、『内外見聞双紙』、『内外要文』『法門要文』などがある。
 記録類として(以下の表記は『興全』により、( )内で『宗全』の表記を記す)、『宗祖御遷化記録』『墓所可守番帳事』(『身延墓番帳』)『御遺物配分事』『弟子分本尊目録』 (『本尊分与帳』)がある。
 申状類として、『実相寺衆徒愁状』『実相寺住僧等申状』『滝泉寺申状』『四十九院申状』『申状』(正応二年、嘉暦二年、元徳二年)がある。
 その他として、『遺誡置文二十六箇条』(『日興遺誡置文』)『定大石寺番帳事』『日興跡条々事』(『日興跡條條事』)『日興置状(日代八通遺状)』(『日代譲状並置状八通』)『日興付属状』(『日代等付属状』)『日興覚書』(『与日代書)『与日目日華書』『与日妙書』『佐渡国法華衆等本尊聖教等事』『定補師弟並別当職事』『日盛本尊相伝証文』(『与了性房日乗書』)『日興置文』『日興譲状』『本門寺棟札』などがある。

 

 (a)要文類

 『開目抄要文』『内外見聞双紙』『内外要文』『法門要文』」などは、『詳伝』によれば日興の正筆が存在している。しかし日興独自の思想を述べたものではないので、公開の必要はないとしている(『詳伝』p.411)。『興全』はこれらの一部も収録しており、写真版で『諸宗要文』『内外見聞双紙』『法門要文』『玄義集要文』が収録されている。

 

 (b)記録類

 『興全』に写真版で収録されている『宗祖御遷化記録』(『興全』p111『宗全』2-101)『墓所可守番帳事』(『興全』p.117『宗全』2-106)は一連の文書であり、継ぎ目に四人の本弟子の加判がある。『宗祖御遷化記録』の最後の部分に「御所持仏教事」があり、釈迦立像と注法華経の扱いについての遺言が書かれている。
なお『墓所可守番帳事』と同種の池上本門寺蔵『久遠寺輪番帳』があるが、『興全』は「筆致・花押ともに日興上人筆とは認めがたい」(『興全』p.117)としている。私もこの判断に従う。
 『御遺物配分事』(『興全』p119『宗全』2-107)は、後半部分については日興正本が池上本門寺にあり、前半部分は日蓮の弟子日位写本がある。しかし『興全』は「後半の御筆は花押といい書風といい、日興上人のものとは認めがたい。内容的にも疑問があり、全体的に問題が多い」(『興全』p.119)としている。私もこの判断に従う。
 『弟子分本尊目録』(『本尊分与帳』)(『興全』p.121『宗全』2-112)は『興全』に写真版が掲載されている。

 

 (c)申状類

 『実相寺衆徒愁状』(『興全』p.93)『実相寺住僧等申状』(『興全』p.109)は『興全』に写真版が掲載されている。
 『滝泉寺申状』(『創』p.849『定』p.1677)は『詳伝』によれば、前半部分は日蓮の真蹟であり、後半部分は日興の正筆である(『詳伝』p.75)。なお興風談所の菅原関道は、字体の比較研究により、後半の部分は日興ではなく、富木常忍であるという見解を発表したが、比較された字体に関しては、その見解に説得力があると思われる(興風談所御書システムのHPの平成17年2月コラム「『滝泉寺申状』の異筆は誰か」)。
 『四十九院申状』(『興全』p.315『宗全』2-93)には日精写本がある。『原殿御返事』にこの申状についての言及がある(『興全』p.358『宗全』2-175)。したがって第二段階の資料としては使用可能である。
 『申状』(『興全』p.318『宗全』2-93)については、正応二年、嘉暦二年、元徳二年のものが、3通挙げられているが、いずれも上代の古写本はない。うち正応、元徳の2通は幕府への申状で、嘉暦の1通は朝廷への申状である。いずれも伝教大師弘通の天台宗を迹門とし、日蓮弘通の本門とを区別している。
なお『五人所破抄』には上で挙げた嘉暦年間の朝廷への申状が引用されている(『富要』2-2『宗全』2-80)。また『門徒存知事』には2つの幕府への申状に共通する文言がほぼ引用されている(『富要』1-51『宗全』2-119)。また日道の『御伝土代』には元徳年間の申状が引用されている(『富要』5-9『宗全』2-251)。したがって第二段階の資料としては使用可能である。

 

 (d)その他

 

 (d−1)『遺誡置文二十六箇条』(『日興遺誡置文』)

 『遺誡置文二十六箇条』(『興全』p.282『宗全』2-131)については、『宗全』によればAN255年保田妙本寺日我写本がある(『宗全』2-133)。『詳伝』でも古写本が存在しない理由を訝っている(『詳伝』p.433)。
 またAN52年の日道の『御伝土代』の日興伝には『遺誡置文二十六箇条』については全く言及されていない。AN51年の「日興御遺告」に関しては詳しい記述があるのに(『富要』5-9『宗全』2-251)、翌年亡くなる前に定めたとされる『遺誡置文二十六箇条』に言及していないのは不思議である。また古い引用に関しても知られていない。内容的に問題があるとは思えないが、文献考証を基礎とした議論をする場合には、使用を差し控えるしかないだろう。
追記 東佑介は『日興門流文書とその真偽論』において、『遺誡置文二十六箇条』の記述内容を検討し、この資料の中で御書の真偽問題について言及しているが、日興在世中には、日興門流所蔵の御書に関して他門流から真偽論を提起された形跡はないこと、また本迹一致を説く偽書の存在について言及しているが、それは『法華本門宗要抄』を指す可能性が強いこと、神社参詣を厳禁することが、大石寺日有の『化儀抄』とは異なること、年号使用の異常なこと、日道『御伝土代』の「日興上人御遺告」との整合性などの理由により、日興撰述であることを否定している。(東 2007-2, p. 2-8)その上で日興門流諸派の中で偽作した可能性が高いのは重須であるとし、日有が『化儀抄』を講義した時期には、重須も神社不参を主張したと推定できることを根拠に、偽作の時期を『化儀抄』成立の時期から日我写本成立の間としている(同、p. 21-22)。この議論は大石寺が主張する日時写本の存在を否定した上で成立する議論であるが、大石寺が日時写本を公開していないので、私にも判断しかねる。」(2009/3/22)

 

 (d−2)『定大石寺番帳事』

 『定大石寺番帳事』(『興全』p.339『宗全』2-129)については『宗全』によればAN279年要法寺日辰の写本がある(『宗全』2-130)。しかし内容的には『弟子分本尊目録』(『本尊分与帳』)で弘安年間に日興に離反したと記述されている越後阿闍梨日弁を当番にしているなど不審な点がある。
 堀日亨の『詳伝』では参考史料の扱いであり、日弁の問題ともども要検討としている(『詳伝』p.363)。同年の日郷正筆の『日興上人御遷化次第』には越後公日弁は挙げられていない(『宗全』2-270)。『興全』も堀日亨の見解を引用して、内容を疑問視している(『興全』p.339)。資料としては使用不可と考えられる。

 

 (d−3)『日興跡条々事』(『日興跡條條事』)

 『日興跡条々事』(『興全』p.130『宗全』2-134)については、『興全』には写真版が掲載され、「本状には置状・譲状としては年号のないことや全体の筆使いから、日興上人筆には疑義が提出されている」(『興全』p.130)という注が付けられている。
 『宗全』の堀日亨の注に「おおよそ四字は後人故意にこれを欠損す。授与以下に他筆をもって「相伝之可奉懸本門寺」の九字を加う」(『宗全』2-134)とあることから、いろいろの文献的問題が生じていた。
 しかし堀米日淳は堀日亨の他筆という見解を否定して、日興自身の加筆であるとした(堀米p.1462)。高橋粛道によれば、『日興跡条々事』には、走り書きの案文と清書の本文の二つがあるが(高橋p.413)、いずれも公開されていないので、高橋も後述する山口範道も原資料を直接見ていないが、堀日亨の本文と案文との二通の模写本が存在しており、その模写本を山口範道が古文書鑑定したことが述べられている(高橋p.412)。
 問題は本文と案文にそれぞれ、どのような文章が書かれているのか、その案文、本文ともに日興筆であると判定できる根拠があるのかということである。
 『興全』の写真版は『宗全』に掲載された資料ではなく、堀日亨によって欠損、加筆されたとする資料が掲載されている。東佑介の考察によれば、堀が『宗全』に掲載したのは案文であり(東p.57)、案文には「御下文」が書かれていたが、本文は写真版にあるように四文字分が空欄になっている。また案文にはなかった「可奉懸本門寺」が本文に加わった(東p.58)。
 東佑介は日興正本が大石寺にありながら、日付だけに限っても3種類の異本が存在することから、日興正本の存在を疑っている(東p.65)。さらに東は写真版の花押を他の日興の花押と比較して、日興筆を疑っている(東p.66)。また東は、山口範道が『日蓮正宗史の基礎的研究』の中で、『日興跡条々事』の署名・花押として挙げているもの(山口p.223)は、写真版(『興全』p.492)とは異なり、花押部分だけ見れば『日興跡条々事』の写本(山口p.217)と酷似していることを指摘している(東p.67)。この写本は高橋粛道が述べている堀日亨の臨写本と思われる(高橋p.412)。日蓮正宗内で古文書鑑定に関して最も優れているとされる山口範道でも原資料を鑑定できないという状況が存在していることに私は問題があると考えている。
 さて私の見る限りでは、『興全』の『日興跡条々事』の写真版は墨痕がかすれて見える箇所がかなり見られ、山口範道が『日興跡条々事』の署名・花押として挙げているもの(山口p.223)は確かに写真版とは異なって見える。しかし写真版の基となった正本にかすれて見える部分が確かに書かれているならば、日興の花押でないとは言えないと思う。正本の開示が問題を決着させるしかないだろう。
 これとは別に写真版の欠損部分が墨で消されているのではなく、空欄になっていることに私は不思議さを感じている。案文を基にして、正本を書くときになぜわざわざ空欄を作らなければならないのか、私にはわからない。大石寺が資料の公開を拒否している限りは、与えられた写真版で判断するしかないが、『興全』の注に従って、日興の資料としては使用を差し控えるのが妥当であると思われる。

 

 (d−4)『佐渡国法華衆等本尊聖教之事』『定補師弟並別当職事』

 『佐渡国法華衆等本尊聖教之事』(『興全』132『宗全』2-142)と『定補師弟並別当職事』(『興全』133『宗全』2-142)の2通の日満への譲状については、『宗全』によれば佐渡妙宣寺に正本があるとのことであり(『宗全』2-143)、『富要』でも「此の二通の日満への置状は開山上人譲り状中の整美なるものなり、文態、事項、筆格無双なり」(『富要』8-145)と高く評価している。
 しかしこの二つの日満譲状については『興全』には写真版が掲載されているが、年号使用の問題を指摘して、「本状を上人のものと断定することは躊躇される」(『興全』p.132)としている。筆跡などで日興筆と判断できればそれで十分だと私は考えていたが、写真版ではその判断ができないのであろうか。疑義がある以上、日興の資料としては差し控えるしかない。
追記 東佑介は『日興門流文書とその真偽論』の中で、『定補師弟並別当職事』の署名の「興」の筆跡鑑定を根拠に、日興筆であることを否定している(東 2007-2, p. 12-13)。この鑑定に対して他の研究者がどう判断するのか、注目したい。」(2009/3/22)

 

 (d−5)『日盛本尊相伝証文』(『与了性房日乗書』)

 『日盛本尊相伝証文』(『興全』p.135『宗全』2-141)については、『宗全』では古写本によるとしか書いていない。『興全』では正編に収録されており、正本大石寺蔵とあるが、写真版はない。『詳伝』には日興正本が大石寺にあるとしている(『詳伝』p.496)。
 ただし本文に「六人判形可有之」とあるが、その六人を本六の弟子と考えると、AN51年の『日盛本尊相伝証文』より前に(『富士年表』AN48年)本六の一人日秀は亡くなっている。その点で疑問は生ずるが、堀日亨が正本の存在を明言しているから、信用してもよいのではないかと思われる。大黒は前記論文においてこの資料に関しては日興御筆写真がないため、校訂に関して諸問題が生じたことを述べている(大黒p.308)。

 

 (d−6)『日興置状(日代八通遺状)』(『日代譲状並置状八通』) 『日興付属状』(『日代等付属状』)『日興覚書』(『与日代書』)『与日目日華書』『与日妙書』『日興譲状』

 『日興置状(日代八通遺状)』(『興全』p.325 宗全』2-135)は『宗全』によれば西山本門寺に正本の臨写本があるということであるが(『宗全』2-139)、『詳伝』によれば、西山本門寺にはなかったということであり、偽作と推定している(『詳伝』p.361)。『興全』も資料的価値を疑い、続編に収録している(『興全』p.325)。
 『日興付属状』(『興全』p.334『宗全』2-139)については、『宗全』によれば、単に古写本によるとのことであるが(『宗全』2-141)、『富要』によれば、後世の偽託であるとしている(『富要』8-143)。『興全』も同様の判断をしている(『興全』p.334)。  『日興覚書』(『興全』p.335『宗全』2-140) 『与日目日華書』(『興全』p.336『宗全』2-143) 『与日妙書』(『興全』p.337『宗全』2-141) 『日興譲状』(『興全』p.338)の諸譲状についても、前述の『日興付属状』と同様に判断されている。

 

 (d−7)『本門寺棟札』

 『本門寺棟札』(『興全』p.137『宗全』2-111)については、『宗全』によれば正本が重須北山本門寺にある(『宗全』2-111)。『富要』にも『三堂棟札』として日興直筆と判断されている(『富要』8-142)。『興全』では「日興上人の常の書体とは異なるように判断される」(『興全』p.137)としている。この資料も使用を控えることが無難であろう。

 

 略記一覧
 姓のみを記した略記は下記の文献一覧を参照のこと
 『興全』 日興上人全集編纂委員会編 『日興上人全集』
 『宗全』 立正大学日蓮教学研究所編 『日蓮宗宗学全書』 巻数と頁数のみを付けた
 『詳伝』 堀日亨 『富士日興上人詳伝』
 『創』  創価学会版『日蓮大聖人御書全集』
 『定』  立正大学宗学研究所編『昭和定本日蓮聖人遺文』
 『富士年表』 富士年表増補改訂出版委員会編『日蓮正宗富士年表』
 『富要』 堀日亨編 『富士宗学要集』 巻数と頁数のみを付けた
 『本尊論資料』 身延山短期大学出版部編『本尊論資料』改訂版

 

 文献一覧
  東佑介 『大石寺教学の研究』 平楽寺書店 2004
東佑介 2006-1 『二箇相承の真偽論』 非売品(2009/3/22)
東佑介 2006-2 『本尊三度相伝の真偽論』 非売品(2009/3/22)
東佑介 2007-1 『産湯相承事の真偽論』 非売品(2009/3/22)
東佑介 2007-2 『日興門流文書とその真偽論』 非売品(2009/3/22)
  阿部信雄(日顕) 「立正大学図書館長宮崎英修氏の妄説誹謗を排す」『大日蓮』昭和51年11月号(阿部1)
阿部信雄(日顕) 『大日蓮』昭和56年9月号(阿部2)
今谷明 『室町の王権』 中公新書 1990
大黒喜道 「『日興上人全集』正編編纂補遺」 『興風』第11号
金子弁浄編 『創価学会批判』日蓮宗宗務院1955
小林正博 「大石寺蔵日興写本の研究」(『東洋哲学研究所紀要』第24号、2008(2009/3/22)
執行海秀 『日蓮宗教学史』平楽寺書店 1952
執行海秀 『興門教学の研究』(執行1と略記) 海秀舎 1984
菅原関道 「日興上人本尊の拝考と『日興上人御本尊集』補足」『興風』第11号
創価学会教学部編 『折伏教典』 創価学会 1964 改訂四版
創価学会教学部編『日蓮正宗創価学会批判を破す』 鳳書店 1962
高橋粛道 『日興上人御述作拝考1』仏書刊行会 1983
日興上人御本尊集編纂委員会編 『日興上人御本尊集』興風談所 1995
日興上人全集編纂委員会編 『日興上人全集』 興風談所 1995
日蓮正宗宗務院 『日蓮正宗要義』 1978
富士年表増補改訂出版委員会編 『日蓮正宗富士年表』 富士学林 1989
堀日亨編 『富士宗学要集』第一巻 創価学会 1974
堀日亨編 『富士宗学要集』第二巻 創価学会 1975
堀日亨編 『富士宗学要集』第四巻 創価学会 1978
堀日亨編 『富士宗学要集』第五巻 創価学会 1978
堀日亨  『富士日興上人詳伝』 創価学会 1963
堀日亨  『身延離山史』 大日蓮社 1937 
堀米日淳 『日淳上人全集』下巻 日蓮正宗仏書刊行会 1982 改訂分冊
身延山短期大学出版部編 『本尊論資料』新訂版 臨川書店 1978
宮崎英修 「富士戒壇論について」仏教史学会編 『仏教の歴史と文化』(同朋舎 1980)所収
望月歓厚 『日蓮宗学説史』平楽寺書店 1968
山口範道 『日蓮正宗史の基礎的研究』 山喜房仏書林 1993 
立正大学日蓮教学研究所編『日蓮宗宗学全書』第二巻 山喜房仏書林1983 第二版
立正大学日蓮教学研究所編『日蓮宗宗学全書』第四巻 山喜房仏書林 1968 第三版
立正大学日蓮教学研究所編『日蓮宗宗学全書』第十八巻 山喜房仏書林 1968 第三版

筆者後記
 本論文は既に印刷された後に、その記述に関して誤解を受ける可能性がある不適切な表現があることを学兄、友人諸氏から指摘され、よく読みなおすと私の論文全体の趣旨に関して誤解を与えかねない箇所が目に付き、追加説明的な文書を別紙印刷で添付しようとも考えたが、全面的に書き改めたほうがよいだろうと判断し、人文学会の諸先生たちのご理解をいただき、稿を改めさせていただいた。私の配慮の至らなさを反省するとともに、ご迷惑をおかけした関係諸氏にお詫びを申し上げる次第である。

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