トップページ

日本仏教と平和主義の諸問題(2)

6 日本帝国主義と日本仏教

 明治政府は神道を国教とし、江戸幕府の仏教優遇政策を放棄した。僧籍の廃止により、僧侶は身分ではなく職業として扱われ、僧侶にも他の平民と同様の徴兵義務を課した。(当初の徴兵令では、官吏・官立学校生徒・洋行修行者、戸主・相続者・家の継承者、代人料270円(現在の金額で数百万円)を支払う者などが兵役免除者となっていた。しかし僧侶は免除者ではなかった。
)僧兵という例外はあったが、僧侶の武装は禁止されていたため、これまでは僧侶は不殺生戒を守ることもできたが、徴兵制度が実施され、僧侶であっても兵士として前線で敵兵を殺害しなくてはならない事態が生じた。(注10)
 ところが仏教教団は明治政府による反仏教的政策に怯え、政府の政策遂行に協力することで、教団の維持を図っていた。それゆえ不殺生戒を強調して、教団所属の僧侶兵士に兵役拒否することを指導するなどということはせず、むしろ積極的に政府の戦争政策に支持を与えた。
 戦争においては多くの仏教教団は軍資献納や慰問品寄贈などの物質的支援の他に、教団の訓示として、義戦であることを強調し、真俗二諦論、王法為本などの教義を根拠にして、軍務の遂行が仏教徒の義務であることを強調した。不殺生戒は国のために敵を殺すことを制止していないという見解を示し、戦死者は宗教的義務を果たした者として往生を認められた。(木場 p. 252) 敵国死者の追悼が怨親平等という仏教的理念の発揚として行われたが、戦争自体を非難することは無かった。
 伝統的な仏教教団は、教団の政府への協力姿勢を見せるために、政府の戦争遂行政策に支持を与えるという受動的な態度であったが、積極的に戦争遂行政策を主張する新仏教教団も出現した。還俗僧田中智学は1880年蓮華会を結成し、1885年立正安国会、1914年国柱会と名称変更し、教団改革を主張し、在家主義を唱えた。
西山茂の「日蓮主義の展開と日本国体論――日本の近・現代における法華的国体信仰の軌跡」によれば、日蓮の立正安国論は個人的悟りや彼岸的救済とは異なる、現世に仏国土を建設することを目的としたものであった。(西山 p. 167) 田中智学は、日蓮の宗教は仏法のみではなく、世法、王法も含めた立正安国の理論と実践であると解釈し、社会変革をめざす宗教的な価値志向運動を展開した。その中で田中は、国体を天皇中心の日本国家の理想的本質と見なし、日蓮主義の立場から日本国体の使命を明らかにしようとした。
   田中は1903年の「皇国の建国と本化の大教」において、日本建国の3つの道義理念(積慶・重暉・養正の建国三綱)=日本の天職であることを示し、1922年の『日本国体の研究』において、建国三綱と日蓮三大秘法の関係を示し、本国土としての日本の役割や、天皇=金輪聖王としての宗教的意義を明らかにした。
田中は、日本が建国のときから、世界の統一により、理想の道義的世界を作る使命があることを強調し、日蓮はそれを法華経の観点から解明したのであり、広宣流布という宗教的目的が、日本の世界統一という政治目的と一体になっていることを主張した。大正期の日蓮主義の黄金時代は、当時の民族主義的な国民心理と合致したもので、日本の世界史的役割を説明したからであると西山は分析している。(同 p. 179)
 田中の影響を受けた軍人石原莞爾は、『撰時抄』の最終戦争への予言を信じ、その後に賢王=天皇による世界統一が達成されると解釈した。石原は1931年の満州事変を指導し、翌年満州国建国を達成し、五族協和、王道楽土、東亜大同を提唱した。
関東軍副参謀長時代に参謀長の東条英機に対して、満州国での日本軍の支配を批判して五族協和を主張し、左遷された。石原は世界統一のユートピア思想として、日蓮主義を解釈し、金輪聖王としての天皇の役割を強調したが、侵略戦争には反対した。(西山 p. 183-185) この日蓮主義運動は、日蓮の思想には戦争を積極的に肯定する危険性が潜むことを示している。

7 戦後の平和運動と仏教

 第二次世界大戦で壊滅的な打撃を受けた日本は、アメリカの要求に従って戦争放棄を謳った日本国憲法を制定し、軍事的な野心を持たず、安全保障をアメリカに依存し、経済再建に専念する国家政策(一国平和主義)を採用した。
敗戦後の悲惨な生活体験から、戦争政策に協力してきた伝統教団も平和を唱えるようになり、また戦後の憲法で認められた信教の自由により、自由な活動を保証された仏教系新教団も平和運動を大きな活動の柱としてきた。その中で特に注目されたのは、出家者を中心とする日本山妙法寺の反戦活動と、立正佼成会の世界宗教者平和会議の活動と、創価学会の反戦出版や反核展などの運動であった。
 日本山妙法寺は藤井日達(1885−1985)によって設立された出家教団で団扇太鼓を叩きながら、南無妙法蓮華経を唱えて、平和行進をし、世界各地に平和塔を建立するなどの活動をしている。藤井日達はガンディーの影響を受け、戦後は絶対平和主義を唱えて、活発な行動を展開してきたが、その教団は比較的小規模なままにとどまっている。藤井は日蓮の立正安国の思想を非暴力に基づく仏教精神により国土、世界の平和の実現を願ったものであると解釈し、日蓮の謗法断罪をそれほど重要視していない。(注11)
   立正佼成会は霊友会から派生した在家仏教教団であるが、庭野日敬により日蓮ではなく、法華三部経を根本とする仏教教団として編成され、世界平和のための宗教間対話、宗教協力を積極的に推進し、世界宗教者平和会議の主要メンバーとなり、アジア宗教者平和会議の設立などに関わってきた。国内においても日本宗教連盟や新日本宗教団体連合会の主要メンバーとして大きな影響力を持っている。
立正佼成会の平和活動としては、他の教団とともに、世界宗教者会議日本委員会として平和問題に関するアピールを提言し、また毎週一回の断食を伴う一食を捧げる運動を通じて、アフリカの貧困諸国へ資金提供などをしている。立正佼成会は法華経を根本経典としているが、日蓮を重視していないので、かれの謗法禁断論とも無縁であり、諸宗教との対話、協力を積極的に展開できる利点がある。
 創価学会は、その前身である創価教育学会の創立者牧口常三郎が、王法為本の立場をとって軍部政権の伊勢神宮の神札の強制奉祀に同調した日蓮正宗を批判し、あくまで仏法為本の立場によって、神札奉祀を拒否したことにより、治安維持法違反などで、弾圧され獄死したという反軍国主義の歴史遺産を持っていた。
そのため、第2次大戦以後の仏教界、宗教界が戦前の戦争協力という負い目をもちながらの平和運動を展開していたこと対して、比較的に優位な立場を持っていた。戸田城聖の原水爆禁止宣言や、池田大作の積極的な平和講演などを背景に、創価学会青年部、婦人部による反戦出版や平和展、難民支援活動など熱心に平和活動を展開した。
   しかし戦後の冷戦構造の厳しさの中で、アメリカが日本の再軍備を要求し、自民党政権は自衛隊を創設し、さらにはアメリカが日本の一国平和主義という戦後の中心的な政策を無視して、湾岸戦争やイラク戦争などでは自衛隊の海外派遣を要請するという状況の変化が生じた。日本の政治の主流は、軍事的負担を避けて、一国平和主義と経済的繁栄を維持したいというのが本音であったが、日本の防衛をアメリカの軍事力に頼るという依存関係があるために、ある程度アメリカの要求に従わざるをえなかった。
多くの宗教教団は平和主義を唱え、政府の自衛隊海外派遣に反対しているが、この状況の中で非常に苦しい立場に置かれているのが創価学会である。創価学会は平和志向が強い教団であるが、その支持政党の公明党が連立与党の一員として戦争協力に賛成するというねじれ現象が生じており、創価学会員でこの問題で悩んでいる人も多い。一部には平和主義を守り、連立政権から離脱すべきという意見もあったようであるが、結果的には創価学会本部としては黙認している。
一方では、相変わらず機関紙聖教新聞では、創価学会は、平和主義、ガンジー主義礼賛を繰り返しているが、他方では、その支持政党である公明党がイラクへの自衛隊派遣を支持していることに対しては沈黙して、総選挙で公明党支持を会員に訴えていることに対して、疑問を感じている会員が筆者を含めて少なからずいる。

8 非暴力への日本仏教の課題

 現代の仏教徒の中には、釈迦族が、因果の理法の上では、殺すよりは殺されるほうがよいとして、滅ぼされた故事を引用して(中村3 p. 439-440)、絶対的な非暴力、平和主義を主張するものもいる。あるいは修行僧の守るべき規定の中には、「杖や刀や武器を手にしている者に法を説いてはならない」ということがある。(中村3 p. 432)
しかしこの故事や規定は小乗仏典に含まれており、中国仏教、日本仏教は大乗仏教を受け入れ、小乗仏教を排斥した。いくつかの大乗仏教経典は治安の維持や仏法守護のために不殺生戒を捨てることを許している。歴史的に見て、日本仏教は不殺生戒を無視してきた。
もし平和主義の仏教徒が絶対的非暴力を主張するなら、いくつかの大乗仏教の教えを捨てなければならないと筆者は考えている。多分建前として絶対的非暴力主義を主張する仏教徒は多いのかもしれないが、現実には、自分や家族の命を守るために、暴力を使用する人が多いのではないかと考えている。このような人は絶対的非暴力主義という呪縛を断ち切って、いかなる場合に暴力の使用が正当化されるのかということを明確にした条件付きの平和主義を自覚的に採用すべきであると筆者は考えている。(キサラは日本山妙法寺の絶対的平和主義に共感しながら、正当防衛の考えを捨てきれないアメリカ人のシンパについて言及している。キサラp. 73)
 実際には多くの仏教徒は条件付きの平和主義を主張すると思われる。かれらは、治安維持のための警察や軍隊という暴力組織や、他人からの暴力に対して自分を守るために暴力を使用する正当防衛を容認する。また場合によっては仏教徒であっても、強圧的な独裁者を人々が暴力によって打倒する国民の抵抗権をも容認するかもしれない。かれらは国民のより少ない暴力は独裁者のより多くの暴力よりはましだと考えるだろう。
 しかしこれらの場合において、治安維持のために暴力を使用するための仏教の経典による教義的正当化に関しては、仏法守護という条件しかないのである。このことは皮肉にも、仏法守護のためには、より多くの暴力も正当化されるということを意味している。この論理は僧兵や宗教的一揆において使用された。筆者は条件付きの平和主義的仏教徒が、暴力の使用に関してどのように教義的正当化をあたえることができるのか疑問に思っている。
 もし三世にわたる生命の輪廻を認めるならば、この世における命は必ずしも絶対的な価値を持たない。来世における宗教的により高い価値を持つ生命のために、今世の生命を犠牲にする殉教という行為を賞賛しない宗教はないだろう。(注12)
 宗教的悪人は宗教的善人に殺されることによって、救いの道を歩むことができるという教義が宗教の中にないのであろうか。(オウム真理教のポアの思想は例外的な思想なのだろうか。)大乗の『大般涅槃経』には仏法守護のために、仏敵を殺す在家の王が、釈尊の前世の姿であるとして描写されている。
          筆者は自分が仏教徒であると思っているが、条件付きの平和主義が仏典によって正当化される必要は必ずしもないと考えている。正当防衛の思想は現世の生命の尊重に限定した議論であるから、仏教が三世の生命を前提にしていると解釈するなら、基本的に正当防衛を仏教によって正当化することには困難がある。
中村元は、毒矢の譬えを挙げながら、釈尊の仏教、原始仏教では来世について議論することを禁じていると解釈しているが(中村2 p. 203-214)、このことは三世の生命を前提としない仏教もありうるということを示唆していると筆者は考えている。生命は今世限りのものであるかもしれないがゆえに、尊重されなければならないというプラグマティックな仏教があってもいいのではないだろうか。そうすれば正当防衛に関しても、それなりの正当化の理論が可能になるであろう。
 さらにドミエヴィルが指摘していることであるが、竜樹に仮託されている『大智度論』の中には、殺人の極端な正当化が含まれている。そこでは、全ての存在は空であるから、不変の実体としての衆生は存在せず、たとえ衆生を殺しても、実際にはなにものも殺してはいないのであり、それゆえ殺人は生じていないという議論がある。(注13) もし空の思想が仏教の重要な教義の一つであると信じるならば、どのようにして殺生を非難できるのか疑わしいと私は思っている。
 もし仏教徒が平和と非暴力を促進しようと思うなら、これらの問題を解決する必要があるだろう。このことは平和主義と両立しないいくつかの仏教的教説を明確に否定することを意味することになるが、この理論的作業がまじめに行われているかどうかは、私にはよく分からない。

注1 この発表原稿の日本語訳は『東洋学術研究第42巻第2号』 に掲載されている。
注2 日蓮の伊豆流罪中の著作とされる『顕謗法抄』には、「命を絶つ者はこの地獄(筆者注 等活地獄)に堕ちる。蝿蟻蚊などの小虫を殺した者も懺悔しなければ、必ずこの地獄に堕ちる。・・・それゆえ現在の日本国の人は上一人より下万民にいたるまで、この地獄を免れる人は一人もないだろう。」(創p. 443、定 p. 248)とあり、不殺生戒を犯さざるをえない生活の現状を指摘している。
しかしその後の議論の展開において、日蓮は法華信仰により、この罪が消えると主張している。このような議論は、筆者のプラグマティズム的解釈においては、法華信仰を勧めるための、理論的装置として不殺生戒を利用するという議論であり、何らかの条件をつけて不殺生戒を守ろうとする議論とはまったく性格が異なる。
筆者は、不殺生戒の罪を宗教的に解消させるのではなく、人が守るべき倫理として条件付きの不殺生戒をそれなりに提案できるかどうかが、仏教に問われていると考えている。殺すことは、宗教的のみならず、社会的にも罪なのだから、両者の次元を関係づけることが必要になる。
注3 例えば、平和運動に熱心な仏教教団として知られる立正佼成会のホームページに掲載されている「仏教の平和観 『不殺生』『非暴力』を第一義に」という立正佼成会会長庭野日鑛の論文では、「仏教ではこの不殺生ということを一番の重要な戒律としています。いのちの尊さ、尊厳を、教えの根本に据えているからこそ、殺し合いをやめて、尊重し合っていく大切さを説くのです。そして復讐的態度、暴力的態度を強くいさめます。国際的な緊張が高まっている現在ほど、この不殺生、非暴力という精神を第一義とした問題解決の道筋が求められているときはありません。・・・私は、昨年の米国同時多発テロ事件以降、『まことに、怨みは怨みによって消ゆることなし。怨みは怨みなきによってのみ消ゆるものなり』という法句経の言葉を、お互いさま、肝に銘じて学んでまいりたいと申し上げてきました。このことこそが、まさに私たちの目指す宗教的態度だと信ずるからです。」とあり、テロ防止のための軍事的行動さえも否定し、絶対的平和主義を主張していると思われる。
あるいは創価学会のホームページに掲載されている「不戦世界を目指して――ガンジー主義と現代」という池田名誉会長の講演論文には、「短いスパン(間隔)で見れば、ナチスへの非暴力抵抗の勧めなど、ガンジーの主張があまりにも現実離れした理想論に見えたときもあったでありましょう。しかし、長いスパンで戦後の歩みを振り返ってみれば、戦火のなか、自由と民主主義は非暴力によってのみ救われるという荒野の叫びを、倦むことなく叫び続けていた、ガンジー的課題を我々が乗り越えたなどとは、とうてい言えません。むしろ、世紀末を覆う人間不信のペシミズム(悲観主義)は、人間への信頼を誇らかに謳い上げたガンジーの透徹した楽観主義を肝要の課題として浮かび上がらせているように思えてなりません。・・・アインシュタインは『われわれの時代における最大の政治的天才』とガンジーを称えておりますが、私は、その『われわれの時代』を『人類史上』と置き換えても、決してほめすぎにはならないと思う一人であります。」とあり、絶対的非暴力を主張しているかのようである。
しかし他方では2003年1月26日の「SGIの日記念提言」では、全体的論調としてはアメリカの軍事力優先主義に対して批判を加えているけれども、「テロ行為は絶対に是認されるべきものではない。それと戦うためには、ある場合には武力を伴った緊急対応も必要とされるかもしれない。またそうした毅然たる姿勢がテロへの抑止効果をもたらすという側面を全く否定するつもりはありません。・・・軍事力を全否定するということは、一個の人間の『心情倫理』としてならまだしも、政治の場でのオプションとしては、必ずしも現実的とはいえないでしょう。」と述べて、ガンジー主義の非暴力路線とは整合しない条件付きの平和主義を主張している。
筆者は絶対的非暴力主義者ではないから、後者の発言を支持しているが、前者の発言との整合性の欠如には問題があると考えている。仏教は多くの人が実際には採用しない絶対的平和主義への未練を断ち切り、暴力の使用条件を明確にすることにより、暴力の使用を制限する条件付きの平和主義へと転換すべきであると筆者は考えている。
なお池田名誉会長は武力行使のためのさまざまな条件を挙げており、今回のアメリカのイラク攻撃がその条件を満たさないことは明確であると筆者は考える。したがって創価学会が戦争を容認した公明党を支持することには、平和主義という点からは、問題が多いと筆者は考えている。
注4  キサラは「厳格な平和主義は、出家教団や、共同体的集団、あるいはドロシー・デイ(アメリカの第1次世界大戦への参加に反対して投獄されたカトリック系の社会運動家)のような傑出した個人に限定される理想と思われる。ローランド・ベイントンが指摘しているように、いわゆる平和主義的キリスト教会、例えば再洗礼派、クエイカー派、ブレスレン派(兄弟団)なども、社会の主流派の一部となるにつれて、その平和主義を妥協的なものにしていった」(キサラ p. 9)と述べている。
注5  ドミエヴィルのこの論文は1986年に林信明によって『禅学研究第65号』において翻訳された。残念ながら原典が入手できなかったので、この翻訳を利用する。
注6 中村元は、聖徳太子が仏教の中に、儒教的な身分倫理を持ち込んだ例をいくつか挙げている。『勝鬘経義疏』の「尊長」という語について、吉蔵は「尊長=師、父、兄姉」という解釈をしていたのに対して、聖徳太子は「尊長=君、師、父、兄姉」という解釈をしている。「君」の挿入により身分制を重視した聖徳太子独自の解釈であるとして中村元は批判を加えている。中村1 p. 169-170)
注7 現代の日本の仏教者が、聖徳太子の和の思想を仏教の平和主義の一つのあり方であると主張していることは、筆者には説得力がないと思われる。たとえば立正佼成会のホームページに掲載されている庭野会長の「イラク問題の早期終結をめざして 緊急談話」の中で、「私は今年の方針の中で、聖徳太子が十七条憲法の第一条に掲げられた『和を以て貴しと為す』という言葉を紹介させて頂きました。『和』の実現が、いまほど求められているときはありません」と述べている。
この和の精神に対して、袴谷憲昭は『批判仏教』の中で、「これ(筆者注 第一条の和の精神)は、宗教的信条を高く掲げたものでは断じてないどころか、銘銘の信条をかなぐり捨てて、いかにも長いものに捲かれて和気藹々と徒党を組むかという結束主義(syncretism)を謳いあげたものなのである」(袴谷 p. 285)と批判しているように、和の精神の強調は、国家の行う戦争政策への協力の正当化にもつながり、結果的に国家政策に異論を唱えて反対することをできなくさせるという効果があった。
聖徳太子は議論を尽くせば、お互いに理解しあうことができ、和が実現できると考えていたようであるが、議論の結果、見解が最終的に対立した場合は、どうすべきか、という、ロールズが『正義論』で論じた市民的不服従や宗教的信念による良心的(兵役)拒否の問題(ロールズ p. 281-302)が提起されている現代において、単純に聖徳太子の和の精神を強調することは、あまりにも日本仏教の平和主義の安直さを示すものであろう。
注8 日置英剛『僧兵の歴史』には、15世紀に作成された『慈恵大僧正伝』を引用して、「文殊菩薩の円証の本誓を標識するものは、一に利剣、二に経巻である。利剣は利智の用をあらわし、経巻は智恵の徳をあらわす。われら僧徒の学ぶ経文は中道の徳、これに利剣の用を加える。かくてこそ活文殊というべし」という見解が慈恵大師の言葉であるとされる伝説を説明している。(日置 P. 49-50)
注9 今谷明は、『天文法華の乱』において、法華一揆が京都防衛、室町幕府の細川晴元政権への加担、一向一揆との対決、京都町衆の自治権拡大、税金減免闘争などが複雑に絡み合った運動であり、結果的には法華宗の自治権拡大、反税闘争を嫌った細川政権が、延暦寺の僧兵や一向一揆と手を結び、法華一揆を裏切って弾圧したとしている。(今谷 p. 222) 
今谷は、法華一揆は細川政権の道具としてピエロ的役割を果たした側面は否定できないが、早熟な宗教的市民運動、革命運動としての側面をも持つとしている。(同 p. 246)
 また「あとがき」では天文法華の乱は、ほぼ同時期にフランスのパリで生じたセント=バーソロミューの大虐殺と同様に、新教に対する旧教、しかも権力者側からの弾圧であることを指摘し、その歴史的意義を強調している。(同 p. 259)
注10 石山力石は「禅僧の社会意識について」の中で、曹洞宗の著名な僧侶となった沢木興道が日露戦争において、いかに敵兵を殺戮したかを記述している。(石山 p. 176-178)
注11 この藤井の日蓮解釈に対して、戸頃重基は日蓮が非暴力主義者ではなかったとして厳しく批判を加えている。この論争について渡辺宝陽は「『立正安国論』と和平の希求」の中で、戸頃の議論を容認しつつも、立正安国論の趣旨は、地上の和平の希求ということにあったとして、日蓮ならびに藤井を弁護している。(渡辺 p. 11)
注12 日蓮は『種々御振舞御書』の中で、殉教を称えて、「各各私の弟子と名乗ろうとする人々は、一人も臆してはいけない。親や妻子や所領を心配してはいけない。無量劫の昔より、親子のため、所領のために命をすてたことは大地の微塵よりも多かった。しかし法華経のためにはいまだ一度も捨てていない。法華経を多少は修行しても、このようなことが出現すれば、退転してしまっている。・・・各各思い切りなさい。この身を法華経にささげることは、石を金に代え、糞を米に代えるようなものである。」(創 p. 910、定 p. 961-962)と述べて、殉教が成仏にとってどのような重要性があるかを述べている。この殉教への賞賛は、自爆テロを聖戦として賞賛するイスラム聖職者の発言と同様な機能を持ちうる。
注13 『大智度論』には「菩薩は諸法が不生不滅であり、その本性がみな空であることを知っている。もし人瞋恚を起こしたり、罵詈したとしても、もし打ったり、殺したりしたとしても、それは夢のようなものであり、幻術による変化のようなものであることを知っている。」(25.96b) とある。
あるいは「我が今無相であることから、無我であることが分かる。もし我が常住であるならば、殺人罪ということはありえない。どうしてかというと、身体は常住でないから、身体を殺すことはできるだろう。しかし我は常住であるから、我を殺すことはできない。では我が常住だから、殺人罪が適用できないとしても、身体を殺したということで殺人罪を適用できるのではないか。答えて言うには、もし身体を殺したということで殺人罪を適用するなら、毘尼(律)の「自殺は殺人罪ではない」という規定と矛盾することになる。罪となるか福となるかは、他者を悩ますか、他者を益するかによって生ずるのであり、自分の身体を他者の供養にしない場合の自殺は罪だが、自分の身体を供養する場合は福となる。だから毘尼では自分の身体を殺すことは罪ではないとしているのだ。(ゆえに身体を殺すということで殺人罪を適用することはできない。)」(25.149a) という議論を展開している。捨身、自殺、殺人は宗教的教理においては、罪になったり、賞賛されたりするが、世俗的観点からは、また別の議論が展開可能である。

使用文献一覧

仏典に関しては大正大蔵経の巻数、ページ番号、段数のみを表示した。SATデータベースを利用させていただいたことを感謝する。また日蓮遺文に関しては『創価学会版日蓮大聖人御書全集』と『昭和定本日蓮聖人遺文』の両方のページ数を表示した。
キサラ  Robert Kisala Prophets of Peace: Pacifism and Cultural Identity in Japan’s New Religions 1999 University of Hawaii Press
ドミエヴィル  ポール・ドミエヴィル「仏教と戦争――殺生戒の根本問題――」(林信明訳) 『禅学研究第65号』1986 花園大学禅学研究会
ロールズ ジョン・ロールズ『正義論』(矢島鈞次監訳)1979 紀伊国屋書店
石山   石山力山「禅僧の社会意識について――近代仏教史における武田範之・内山愚堂の位置づけをめぐって――」日本仏教学会編『仏教における和平』1996 平楽寺書店
今谷   今谷明 『天文法華の乱――武装する町衆――』1989平凡社
木場   木場明志 「明治期対外戦争に関する仏教の役割――真宗両本願寺派を例として――」『論集日本仏教史(8)明治時代』1987 雄山閣
中村1  『中村元選集(決定版)第3巻 日本人の思惟方法』1989 春秋社
中村2  『中村元選集(決定版) 第15巻 原始仏教の思想1』1993 春秋社
中村3  『中村元選集(決定版)第18巻 原始仏教の社会思想』
  中村4  『中村元選集(決定版)別巻6 聖徳太子』1998 春秋社
西山   西山茂「日本の近・現代における国体論的日蓮主義の展開」『東洋大学社会学部紀要』22−2 1985
袴谷   袴谷憲昭 『批判仏教』1990 大蔵出版
速水   速水侑 「律令国家と仏教」(『論集日本仏教史(2)奈良時代』1986 雄山閣
日置   日置英剛 『僧兵の歴史――法と鎧をまとった荒法師たち』2003 戎光祥出版
渡辺   渡辺宝陽 「『立正安国論』と和平の希求」日本仏教学会編『仏教における和平』1996 平楽寺書店

BACK

NEXT

トップページ