Love fool days4 「一体俺は何をしとるんや・・・」
すっかり暮れ切って夜の帳に包まれた街並み。
疲れた様にそう呟いて有栖はゆっくりとハンドルを切った。そうしてそのまま見慣れた建物の地下駐車場へと車を滑り込ませる。
「・・・アホか・・ほんまに・・」
定位置に止めた途端再び零れた言葉。そう、これだけ走り回ったにも関わらず、ついに火村と会う事が出来なかったのだ−−−−−・・・・・。
「え・・っ・・帰ってきてない?」
学生時代からの馴染みである味のある日本家屋。
綺麗に水打ちをされた玄関先とその出入口に生けられた季節の花が家人の優しさをうかがわせる。
「さっき連絡が入りましてなぁ、警察の方の仕事が入ったから遅くなる言うて。約束をしてはりましたの?」
たった一人になってしまった店子を自分の息子同様に面倒をみている元、京美人−−もとい、今でも十分美人である−−家主の“婆ちゃん こと篠宮時絵は有栖の驚いた様な、がっくりとした顔に気の毒げに眉を寄せた。
「いえ・・あの・・原稿が上がったんで。・・火村の方は学会があるって聞いてたもんやから、そんなら陣中見舞いにと思うて」
「そう・・・まぁまぁ、こんな所で立ち話言うのも気が利かん事やし。せっかくのお持たせを戴かせて貰ろうてええかしら。話し相手になってくれはりますやろ?」
言いながらにっこりと微笑ったその顔に有栖は否とは言えなかった−−−−−−・・・
ノロノロと車から降りてそのままエレベーターのボタンを押す。1階にいたらしくすぐにそれは降りてきた。
開いたドア。
誰も居ない四角い空間の中に身体を滑り込ませて“7 の数字を押すと微かな浮遊感と変わってゆく数字のランプ。
結局2.30分のつもりがハタと気付けば1時間を優に越えていて、慌てた有栖に家主は再び優しく微笑んで「どうせやったら夕御飯も食べていったらええわ」と言った。それに「とんでもない!」と答えた有栖に彼女は更に言い募る。
「このところ火村さんも忙しいようで、いつもこの子たちとの夕げなんよ。有栖川さんが居てくれはったらこの子たちも喜ぶし、私も作る張り合いが出るわ」
いつの間にか−−−もっとも時間的にそうなのだろうが−−−部屋の中に入ってきていた3匹の猫たち。
一番人懐こい小次郎が足元に身体を寄せて来て有栖は思わずその身体を抱き上げる。
「何やコオ・・淋しいんか?」
言うと猫は「ニャー」と答えた、気がした。
「新のジャガイモとそらまめを戴いたんよ。ジャガイモは味噌汁と煮ものと・・後は・・」
そうして結局、いそいそと台所に向かうその背中に有栖は甘えてしまったのだ。流石に「帰って来はるまで待ってらしたらええのに」という言葉には丁重に辞退をしたのだけれど・・・。
「・・・・・・っ・」
ウィンという軽い唸りを上げて止まった箱が一瞬の間を開けてゆっくりと開いた。
そこから出て半ば無意識にドアの前まで歩いて鍵を取り出す。
「・・・・疲れた・・」
何だか本当にひどく疲れてしまったと有栖は思った。
引きずるような足取りで玄関を上がり、暗闇のままでリビングのドアを開けてカチリと電気をつける。と、その途端、有栖はテーブルの上で点滅をする小さな明かりを見つけた。
「・・留守電・・」
言いながら触れた指先。テープを巻き戻す僅かな時間さえひどく長く感じた。そして。
“俺だ。・・・フィールドの誘いがかかった”
「−−−−−−−−−−−!!」
悪い予感ほど当るものなのだ。その声を聞きながら有栖は思わず電話の前にしゃがみこんでしまった。
“場所は善源寺町・・・・・・・・。来るなら来い”
今日一日・・否、あの日からずっと聞きたかった声だった。聞きたくて、走り回って・・。
『・・曜、○時×▲分です』
告げられた時間は自分がここを出ていくらもしないような時間だった。
「・・・・サイテー・・」
“来るなら来い 等と言うふてぶてしい限りの言い種の中に込められた思いが判らない程鈍くはないと有栖は思った。自分が必死できっかけを捜していたのと同じ様に火村も又、きっかけを捜してくれていたのだ。
「・・・善源寺言うたら目と鼻の先やん」
そんな所に来ていた彼が与えてくれたきっかけを自分は掴むことが出来なかった。
「・・・・・・もう・・居らんやろな・・」
思いながら何かに縋る様に再生のボタンを押す。
繰り返される言葉。
思わず確かめた時計はどう考えてもそこに彼が居る筈がないと語っている。けれど・・。
「・・・・府警に居るやろか?」
一瞬そう考えて有栖は首を横に振った。
捜査本部は恐らく所轄に設置されているに違いない。
本部に連絡を入れても無駄に顔見知りの刑事たちに迷惑をかけるだけだ。
ならばせめて携帯に連絡をして・・。
「・・何て言えばええんや?君を訪ねて行って行かれんかったって・・・まるっきりアホやん・・」
言った途端何かが込み上げてきて目頭が熱くなる。
会いたい、会いたい、会いたい・・・
火村はもう下宿に戻っただろうか。
戻ったらきっと家主から自分が訪ねてきた事を聞くだろう。そうしたらどう思うだろうか?
連絡をくれるだろうか?
あの伝言の様にふてぶてしく“何やってんだこのバカ”とでも言ってくれるだろうか?
でも・・・
「・・捜査が長引いていたら・・・もしかして・・」
そんな訳がないと思ってはいても有栖は思わず地図を出して現場の位置を確かめてしまった。
「都島署・・かな・・」
そうして呟きと同時に、居てもたっても居られずそのまま再び車のキーを掴む。
もしも、ほんの僅かな可能性でまだそこに彼が居るならば・・・もしも・・そうだとしたら。
「・・・・・っ・・」
胸の中に沸き上がるいくつもの“もしも”。
それを掻き集めてバタバタと玄関に行き、靴を履くのももどかしく外に出る。その瞬間・・・。
「よぉ、先生。どこかにお出掛けか?」
「・・・・ひ・・むら・・?」
履きかけの靴、握り締めた地図、指の間から滑り落ちたいくつかの鍵のついたキーホルダー。
それだけで全てが判ったかの様に火村は小さく口の端を歪めて笑った。
「遅せぇんだよ。バカ」
次の瞬間、クシャリと泣き出しそうに顔を歪めて、有栖は目の前の身体に抱きついていた。