Magical!Miracle!days2

  

 パチリと目が覚めた。
 目が覚めた、というからにはその前は寝ていたわけで、夕陽丘という地名通りの鮮やかな夕日が射し込むリビングで有栖はまたやってしまったという気持ちのまま眉間に小さく皺を寄せた。
 今ひとつはっきりとしない頭の中にポツポツと浮かんでくる記憶の数々。
 そう、片桐から荷物が届いて、その後すぐに火村からフィールドワークの誘いの電話が来た。けれど何となく行きづらくてそのままにしてしまって・・・・
「・・・・」
 ブルブルと頭を振って有栖は半ボケだった目をしっかりと開いた。
 火村に(多分)キスをされてどうしたらいいのか、何故そんな事をしたのか悩んで考えて出した答えは結局火村がそのままならば自分もそのままだという何ともある意味とてもいい加減なものだった。
 他力本願(ちょっと意味が違うが・・)極まれりという感じだが、それならばどうすればいいのかと考えたら、どうにもしようがなかった。
 何より有栖自身が火村との関係を【こんな事】で終わらせたくないと思ってしまったのだ。
 長年の男である友人からキスをされた事を【こんな事】と思ってしまう辺りがどうなのか・・なのだが、こればっかりは【こんな事】としか思えなかったのだから仕方がない。
 考える事は嫌いではないが、いくら考えても答えが出ない事をグジグジと考え続けるのは性に合わない。 というよりもそれ以上にとんでもない事を考え出してしまいそうで考える事を放棄したのだ。
(・・・けどなんでそれで眠ってしまうんや・・)
 がっくりと落ちた肩。
 言い訳をすれば確かにこの所よく眠れなかった。
 それが勿論グダグダと悩んでいた割に寝こけてしまった理由にはならないけれど、それでも眠って起きた頭は何となくすっきりしているような気がした。
(まぁ・・寝ちゃったもんはしゃあないし・・)
 それに・・・と続けて有栖は思う。
 それに、火村が今日来るかもしれないという事がなければう自分はまだ同じような事を考え続けていたに違いない。
 そう考えて有栖は溜め息混じりの苦い笑みを落とした。
 すっきりとしている今なら判る。
 どうしてそんな事をしたのだとか、なぜこんな事としか思えないのか、多分・・自分は先日の事を気付いていたと火村に知られる事の方が怖かったのだ。
 それに対して火村がどういう態度に出るのか。
 悪かったと謝られる事も、酔っていて覚えていないと言われる事も嫌だった。
 それならどうすればいいのかと問われればそれも今の有栖には判らないのだけれど・・・。
“・・・なんやしょうもないな・・”
 寝起きの割にひどくクリアーな頭でそんな自己分析までして、有栖はポツリとそう呟いた。・・・否、そう呟いたつもりだった。
 けれど、有栖の耳には自分のその声が聞こえてこなかった。それどころか・・・。
“え・・?”
 視線を上げると瞳に飛び込むテーブルの足。
 いつからこのテーブルはこんなに太くて立派な足になったのだろう?
 大体今、自分は床の上に寝そべっているわけではない。立ち上がっている訳でもないがそれでも身体は起こしているのだ。
 それなのに、今更だけれど、どうしてテーブルの足が視界の真ん中にあるのだろう?
“ち・・ちょっと待て。落ち着け・・”
 自分に言い聞かせるように言った言葉もやはり自分の【声】としては耳に届かなかった。
“・・・・・嘘やろ?”
 冷たい汗が背中を流れてゆくような気がして有栖はヒクリと顔を引きつらせながらゆっくりと立ち上がった。
 否、立ち上がった筈だった。
 けれど、でも、しかし、目線はやはりテーブルの下から見える夕日が映る窓で・・。そして・・・。
“何で!?”
 瞬間、叫び声にも似た声を上げると「ニャー!!」と言う耳障りな声が聞こえた。
 そう・・・先刻から聞こえてくるこの「ニャーニャー」と言う声は一体何を意味しているのだろうか。
“・・・・・・・”
 恐る恐るといった様子で有栖は視線を下に向けた。
 そこにはフローリングの木目が見えて、その上にふかふかとしたうす茶色の毛に覆われた小さな足が見えた。
“・・・・・・・”
 しかもそれはどう見ても、人間のものではない。  【猫】の足だ。
 クラリと目眩がしたがここで気を失っている場合ではないと有栖は自分自身を宥めるように口を開いた。
“・・ま・・まだ夢を見とるのかもしれへん・・”
 相変わらず「ニャーニャー」と聞こえる声を無視して有栖はそっと自分の手を動かした。
 けれど視界の中では柔らかそうな猫の前足が動いている。
 慌てて今度は足を動かすとフローリングを滑るようなおぼつかない感じが身体全体に伝わってくる。
“!!!!”
 次の瞬間、有栖は無我夢中で目の前のソファに駆け上っていた。けれどそれすらがどうにもうまくいかなくて三回目でようやくソファに上に登って、回りを見回すと、信じられないくらい大きなマグカップとそのそばに確かに有栖が着ていた服が床の上に落ちている。
“・・・・嘘・・マジ・・ちょっと・・何で・・”
 切れ切れの言葉は、小さく、少しだけ悲しげな鳴き声に聞こえた。
 試しに信じられないほど高いソファの上から飛んでみたが、ひどく身体が痛かっただけで、事態は一向に変わらない。つまり、夢ではないのだという事実を痛みと共に有栖に伝えただけだった。
“・・・・・ど・・どないしたらええねん・・”
 確かに自分は猫になりたい等と現実逃避じみたことを考えた。けれどそれはほんの一瞬で、次には火村と同じように自分もそれをなかった事として接していこうと決めた。
 勿論それもまたある意味の逃げではあったかもしれないけれど、猫になるよりは遙かに有意義な事だと思う。なのに何だってこんな事になっているのだ。
 大体自分の家系はこんな事が出来る家系ではない筈だ。先祖が猫になった等という話は聞いた事がないし、変身する事では真偽はともかくとして有名な狼男の家系でもないと有栖は思考を膨らませる。
 納得がいかない。
 もしも・・・そう・・もしもこれが一瞬でも猫になりたいなどと思ってしまったせいだとか、あるいは考える事を放棄して楽な道に逃げようとした罰だとしたら、あんな事をした火村にだって十分すぎる責任がある筈だ。
(どうして!なんで!どないしたらええねんーー!!)
 パニック寸前の頭で一気にそこまで考えて、叫んで、次に有栖はこの状態はいつまで続くのだろうと思い始めた。
“もしかしてずっとこのままなんやろか・・”
 そう、どうしてこんな事になってしまったのかよりも、多分そのほうが重要だった。
 そのうち・・・楽観的な考え方をして明日にでも元に戻ればいいが本当にずっとこのままだとしたら自分はどうすればいいのだろう?
 このままでは猫のまま死んでしまうかもしれない。
 この手では蛇口を捻る事も、冷蔵庫を開ける事も、ましてや電話で助けを呼ぶ事も出来やしない。
“・・・・・ほんまに・・どないしよ・・・”
 ようやく痛みの引いた身体を丸めて有栖はジワリと涙を浮かべた。
 猫でも涙を流すんやなと、そんな事を考えながらきりもなく落ち込んでゆく気持ちに有栖はペタリと床の上にうずくまる。その途端・・・・。
“!?”
 確かに玄関のドアが開く音がした。
 次いで聞こえてきた馴染みのある声。
“火村や・・”
 思わずピンと耳が立つ。
 近づいてくる足音と声にドクントクンと早まる鼓動。
「おい、アリス!また鍵が開いてたぞ。お前は何度言ったら・・」
 言いながら開かれたリビングのドアを見つめながら有栖は、そう言えば宅急便を受け取った後鍵を掛けずにそのまま電話を取りに行ったのだと思い当たった。
 いつもの悪癖が時にはラッキーをもたらす事もある。
 頭の中でまるでファンファーレが鳴り響いているようなそんな気持ちで有栖は目の前に現れた、この3日間ずっと有栖の頭の中を占拠していた男に向かって走りだしていた。
「・・いないのか?アリス?・・っとうわ、何だ!?」
“火村!!ほんまによぉ来てくれた!俺、どないしたらええのか判れへんねん!!!”
 けれど勿論有栖のその言葉が火村に聞こえる筈がなかった。
 必死に走って飛びついたのに、火村のズボンの裾にしがみついただけという情けない状態に、それでも必死に落とされまいと爪を立てると遙か頭上から幾分驚いたような火村の声が降ってきた。
「・・・・猫・か・・」
“ちゃうねん!俺や!!”
「何だよ、あいつ猫を飼うつもりなのか?」
 呆れたような響きを持つその言葉に有栖はムッとしたように顔を顰めた。
“それはどういう意味を含ませた言葉なんや”
 言いながらしがみついている火村のズボンにアグアグと噛みついていると、ヒョイと身体を上に持ち上げられてしまう。
“こ・怖いって・・おい、下ろしてくれ!”
「ふーん・・・子猫か・・。ところでお前のご主人様はどこに行ったんだ?」
“俺はここや”
「って・・猫に聞いても判る筈がねぇな。おい暴れるなよ。落とすだろう?」
 その言葉に有栖は慌てて火村の手にしがみついた。  それを見て火村はクスリと笑いを漏らす。
「誰かさんを彷彿させるな。それにしてもお前を置いてどこに行ったんだあいつは」
 そう言うと火村は有栖をトンと床の上に下ろして代わりに床の上に落ちていた有栖の服を持ち上げた。
 途端に眉間に寄せられた皺。
「・・・ストリーキングでもしてるのか、あいつは」  火村がそういうのも仕方がないと言えば仕方のない事だった。
 有栖の服はそれこそ下着までそっくりそこに残されているのだ。
 普通下着まで脱ぐなら風呂に入る時で、脱ぐのは脱衣所だろう。百歩譲ってクローゼットのある寝室ならばあり得ない事もないが、どう考えてもカーテンも閉めていないリビングで真っ裸にはならない。
「・・・アリス?」
 火村はカチャリと寝室のドアを開けた。
 そしてその次に今度は無言のまま、書斎のドアを開けて閉じる。
「・・・・・・」
 唇に当てられた人差し指。それは有栖が良く知っている火村が考え事をする時の癖だった。
“・・火村”
 おそらく「ニャー」と聞こえたのだろうその声に火村は顔を上げそれからスタスタとリビングを斜めに歩き出す。
『俺だ、アリス。まだ寝てるのか?』
“!!”
 聞こえてきたのは先刻の火村自身の声だった。
 どうやら留守電が点滅しているのを見つけてスイッチを押したらしい。
 有栖自身が聞いた通りの二件のメッセージが部屋の中に流れ出して、終わると火村はおもむろにキャメルを取り出した。
“・・・火村・・やっぱ俺て判らへんよな・・”
 有栖はひどく悲しい気持ちでそう呟いた。
 それを子猫の鳴き声として聞いた助教授はフワリと笑うとスタスタと歩いてソファに腰を下ろし、有栖に向かって小さく指を動かした。
「おいで」
“・・・・・”
 勿論戸惑いはあった。いくら今は猫の姿態をしていても有栖は有栖なのだ。
 長年の友人であった、しかも先日あんな事のあった男の膝に抱き上げられるというのはなかなか複雑なものがある。
「何だよ、最初は飛びついてきたのに。ああ、煙草の火が怖いのか?」
 そういうと火村は目の前でまだ長いキャメルを灰皿に押しつけてしまった。そうして改めて伸ばされる大きな手。
「ほら、来いよ」
“・・・・・・”
 怖ず怖ずと近づいて行くとクスリと笑う顔。
 こんな表情も出来るのか。
 そんな事を考えながら有栖は今の自分とっては信じられないほど大きな火村の手にちょんと前足を乗せた。
 その途端フワリと抱き上げられた身体。
「よしよし・・」
 気付けばキャメルの匂いの染みついた火村の膝の上に抱き上げられていて有栖は居心地悪げに身体を動かした。それを見て火村は押し潰すようにその背中に手を乗せる。
“ぐえっ!・・何すんねん!”
「全く飼い主に似て落ち着かないヤツだな。それにしても服を脱ぎ散らかして、鍵も開けっ放しでどこに行ったんだろうな。なぁ、お前は見てないか?」
“・・・・・・”
「留守電を聞いていないって事はその時にはもう居なかったんだよな。・・・ああでも荷物は受け取っているのか」
 言いながら火村はテーブルの下の箱に手を伸ばして貼られている送り状をビリッと剥がして眺めた。
「・・・何時に配達されたかまでは書いてねぇよな。まぁ調べりゃ判るだろうが・・・」
“・・・・・”
「・・・まったく・・・居ても居なくても人騒がせだな、あいつは」
“・・・あのなぁ・・”
「いて・・おい噛むな」
“やかましい!”
「じゃれるなよ」
“・・じゃれとるんやない!むかついとんねん!”
「判った判った。腹が減ってるのか」
“・・・・・”
 どうしてそうなってしまうのだろう。けれど確かにそんな気もして大人しくなった有栖に火村は小さな身体をソファの上に下ろしてゆっくりと立ち上がった。
「・・・何か食えるもんがあるのか・・?」
 そんな言葉を聞いて有栖は自分の家の冷蔵庫事情を考えた。あまり食べられるものは入っていないかもしれない。
 案の定キッチンの方から「信じらんねぇ」という声が聞こえてきて有栖は流石に首を縮こませた。
(せやって・・まさかこんな事になるとは思ってなかったんや・・)
「おい、チビすけ。とりあえず何か食えるもんを買ってくるから待ってろよ」
 言うが早いか火村はソファの背に掛けてあった上着を手に玄関に向かって歩き出した。
 そうして20分後。有栖は生まれて初めて、ミルクを皿から舐めて飲んだ。


ははは・・・・本当に猫です(^^ゞ
個人的には猫は大好きなんですけど。やはりキワモノ!?