Magical!Miracle!days3

  

「ええ・・・とりあえずその宅急便の配達人によると1時位に届けたって言うんで。・・・・・そうですねとにかくここで一晩待ってみようと思います。・・・ええ、もしも何か連絡がありましたら・・・はい・・お願いします」
 聞こえてきた声に有栖は目を開けた。
 キョロキョロとして視界に映った見慣れた顔に小さく口を開く。
“火村・・”
 けれど出てきたのはやはり「ニャー」という声で、起きたら元に戻っていたという夢は脆くも崩れ落ちた。
「起きたのか?ご主人様はまだだぜ?」
 どこかに電話を掛けていたのか、或いは掛かってきたのか、受話器を置いた彼はそう言いながら有栖の所にやってくるとそのままそっと指を伸ばしてきた。
「全く何をしているんだろうな・・」
“・・・・猫になってここに居るんや・・”
 勿論その言葉も火村には伝わる筈がない。
「・・どうした?元気がないな、チビ」
 長い指が薄い茶色の毛をフワフワと撫でると有栖は何だかひどく切ないような悲しいような気持ちになって火村のその指に小さく歯を立てた。
「・・・・っ・・」
 元気など出せる筈がない。
 寝て、起きても元に戻らなかった。
 一瞬狼男のように月が関係しているのかとも考えたが、昨晩ぼんやりとベランダから見た月は満月にはほど遠いものだったと有栖は思い出してしまったのだ。 本当にずっとこのままだったらどうしよう。
 こんな風に撫でられて、餌を食べさせて貰う事しか出来ないような存在になってしまうなんて・・。
「チビ?」
“・・・チビやないわ、アホ”
「何だよ、また腹が減ったのか?子猫は小腹がすくって言うしな」
“ちゃうわ、ボケ!”
 アグアグアグ・・・・。
「いてて・・だから噛むなって・・こら・・」
 ひょいと持ち上げられて先程と同じようにソファに座った火村の膝の上に乗せられて有栖はギュッと身体を丸めて顔を俯かせた。
「・・・・何だよ、拗ねるなよ」
“・・・・・・”
「・・アリスが帰ってこなくて淋しいのはお前だけじゃないんだぜ?」
“・・・っ・・”
 瞬間、有栖の脳裏にあの日の言葉が甦った。
『・・・無防備すぎだ、馬鹿・・』
 同じような言葉の響きに思わず耳がピンと立ってしまった有栖を見て火村は小さく笑いながら「お前言っている事が判るのか?」と言った。
“・・・・なぁ・・それはどういう意味なんや?”
 3日前に聞けなかった問い。
 火村には判らない言葉でそう問い掛けて有栖は火村の指にそっと顔を寄せた。
「・・・どうした?眠いのか?」
 ひどく優しい声だった。
 つい先程起きたばかりだというのに、火村の言う通りなぜかひどく眠たくなって、有栖はウトウトとし始める。
「・・・アリス」
「・・・ニャー(・・何や)」
 霞み始めて行く意識。
 もしも明日の朝起きて元に戻っていたらこの関係が壊れる事を怖がるのではなく、何かを新しく始める為に火村に尋ねてみよう。
 ぼんやりとそんな事を考えた有栖の耳に「お前タイミングが良すぎだ」という火村の笑いを滲ませた声が聞こえた。

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   窓から差し込む明るい日差し。
 眩しくて目が覚めるとコーヒーの匂いが鼻を擽った。
(・・・何や・・すごい優雅な気分・・)
 そんな事を考えて目を開けた途端飛び込んできたのはふかふかのタオルだった。
 そうして見えた、うす茶色のふかふかとした毛の生えた小さな足に有栖は思いきり大きな溜め息をついた。
 やはり、駄目だったのだ。
 元には戻れなかった。
「チビすけ、起きたのか。飯をやるからこっちに来いよ」
 その途端聞こえてきた声に身体を起こして顔を向けると火村がダイニングのテーブルで食事をしているのが見えた。ソファの上には折り畳まれた毛布。
 おそらく彼はそのソファで仮眠を取りながら『有栖』の帰りを待っていたのだろう。
 申し訳ないような気持ちになって有栖はおそらく火村が作ってくれたのだろうバスタオルで作られた小さなベッドからノソノソと這い出すとヨロヨロ歩き始めた。
「ほら」
 出されたのは又もや皿に入れられたミルクだった。
“・・・・・・”
 理屈では判る。今、自分はうす茶色の子猫なのだ。
 だからミルクというのは仕方がない。
 これでキャットフードや煮干しを出された日にはそれはそれでいたたまれない気持ちになると思うのだけれど、先程から漂うコーヒーの香りがひどく気になって有栖はトンと火村の膝の上に飛び上がった。
「おい・・」
 少しだけこの身体に慣れてきたのか昨日よりはうまく身体が動かせる気がして、次にトンとテーブルの上にジャンプした。
 カシャンと鳴ったトーストの入った皿。
「こら、行儀が悪いぞ」
“コーヒーが飲みたいんや”
 必死に力説してみたけれど火村には「ニャー」としか聞こえていないのが現実でせっかく登ったテーブルの上から有栖は再び床の上に下ろされてしまった。
「あいつはテーブルの上で食事をさせてたのか・・」 
 呆れたような声。
 「大体いつから飼ってるんだよ。この前来た時はいなかったのに」とブツブツという火村の声についむかついて目の前の足に噛みついてやろうと思った瞬間、部屋の中に電子音のメロディが鳴り響いた。 
 それは有栖でさえ時折耳にする流行のラブソングで、どうやらまた着信音を変えられてしまったらしい火村の携帯の音だった。
「はい。・・ああ、おはようございます。・・・・ええちょっと・・・判りました。すぐに行きます」
 切れた電話。聞こえてきた言葉で有栖は多分大阪府警からのものだと思った。
 おそらく昨日火村が関わったの事件で何か判った事があったのだろう。
「・・呼び出しがかかっちまった」
 言いながらチラリと向けられた視線に有栖はひどく不安げな表情を浮かべた。勿論猫である自分にどれほどその表情が浮かんでいるのかは有栖自身全く判らなかったけれど、それでも何でも、この状態で置いて行かれるのは辛かった。
「ついでにお前のご主人の捜索願も出してくるよ。大の大人が僅か一日居なくなった位で大騒ぎするなって言われるだろうけどな」
“火村・・”
「じゃあな、チビすけ」
“待ってくれ!火村!”
「・・・・・」
 食器を手早く片付けて上着を手にすると火村はスタスタと玄関に向かって歩き出した。
“火村!なぁ、終わったら帰ってきてくれるんか!?なぁ、このまま京都に帰ったりせぇへんよな?火村ってば、火村!!”
 自分の耳に「ニャーニャー」と言う、今の有栖自身が出している悲愴な鳴き声が聞こえていた。
 どうしてこの小さな手足はこんなに必死に動かしても早く前に進めないのだろうと有栖は泣き出したいような気持ちで思った。
 喉がヒリヒリと痛むほど鳴いて、息が切れるほど追いかけても止まらない火村の足には追いつけない。
 やっとリビングを抜けて、廊下に出た時は火村はすでに玄関を出るところだった。
“火村!!”
 必死に絞り出した声は、けれど玄関の閉まる音でかき消された。
 閉じられたドア。
“・・・・っ・・”
 大丈夫。絶対に火村はここに帰ってきてくれる。
 けれどそう思うそばから切なくて、悲しくて、有栖はポロリと涙を零した。
 猫になってしまってから2度目の涙だった。
 シュンと垂れた耳と床の上に伸びた小さな尻尾。
 リビングに戻る事も出来ずに閉まってしまったドアをぼんやりと見つめていると、それは再びゆっくりと開いた。
“!!”
 上げた瞳に映ったのはどこか困ったような、苦い表情を浮かべた火村だった。
「・・・・来るか?チビすけ」
“・・・・・火村?”
「俺の所であいつを待つか?」
“行く!!”
 短くそう答えて必死にジャンプした小さな身体を火村は両手で受け止めた。
「ただし、その前に寄る所があるから大人しくしているんだぞ」
“任しとき!!”
 胸を張ってそう答えた有栖に火村クスリと笑ってその小さな頭をワシャワシャと掻き回した。
 そうしてリビングから持ち出した鍵でドアに鍵を掛けると火村は手帳にサラサラと何かを書いて破るとそれを新聞受けにそっと落とす。
「さてと、じゃあ行くか」
 キャメルの香りの染みついた上着にしがみつくようにして抱きかかえられながら有栖はふと、今度ここに帰って来るのはいつになるのだろうかと考えた。
 そうして無事に元の姿に戻って今し方彼が書いたあのメモを自分は読む事が出来るのだろうか。
 次第に遠ざかってゆく見慣れたドア。それに比例するように大きくなって襲ってくる不安。
 けれど今は、この男に着いていくしかないから・・。
(絶対に、戻ってくる)
 祈るようにそう誓って有栖は火村のコートに小さく爪を立てた。



これ、このシーンはかなり皆様から好評でした。
ただ笑えたのが、有栖が可愛いと喜んでいる方と火村が戻ってくるところがネコ馬鹿ぽくて好き・・と意見が分かれたの。
さて、皆様はどっちに比重が!?(笑)