Magical!Miracle!days4

  

「・・・・じゃあ、有栖川さん。昨日の1時くらいから消息が掴めないんですか?」
 大阪府警察本部内の一室。
 捜査会議に使われているその部屋で昨日の事件についてその後の進展を聞きながら火村は気付いた事を2.3口にした。
 そうして参考人として浮上してきた人物から後日改めて話を聞く、と言う事で話がまとまった後、今回の事件でも関わっている捜査一課の船曳警部から「そう言えば有栖川さんはお元気ですか?昨日はお見えにならなかったので」と話を切り出され、火村は昨日の事をかいつまんで話をして冒頭の船曳の言葉になったわけである。
「ええ」
 胸ポケット中からキャメルのパッケージを取り出して火村は短い返事を返した。
「・・・荷物を受け取るまでは部屋にいて、火村先生が電話を掛けた時は服を脱ぎ捨てた状態で居なかった・・と言う事ですか・・何とも・・それは・・」
「普通だったらどこかにカンヅメになっているとか取材旅行に行ったとか考えられるんですが、出版社の方からも留守電が入っていて、夜にも電話があったもので余計気になりましてね」
「そうですなぁ・・・大体その猫ですか?鍵も掛けずに猫もそのまま置き去りでどこかにいなくなるというのも有栖川さんらしくないですなぁ・・・」
 船曳の言葉に火村は僅かに苦い笑いを浮かべてそれに答えて隣の椅子で眠っている子猫(アリス)に目を視線を向けた。 本当は車の中に置いてこようと思ったのだが、しがみつかれて仕方なく連れてきてしまったのだ。
 どうなるかと思ったが子猫は二人が話をしているうちに眠ってしまった。
「・・・・あまり良くはない予想ですが、どこか近所に買い物に出て事故にあったとか・・」
 言い淀む船曳に火村はコクリと頷いた。
「ええ、私もその線が濃いような気がしてとりあえずこの後届けを出して病院関係を当たって見ようと思っているんです。まぁ、いきなり何か思い立って後先考えずに出掛けたっていうのも全くない・・とは言い切れないところがあるのでまだ何とも言えない状況なんですが。大の大人が1日消息が掴めないというだけであまり大事にするのもどうかという気持ちと、万が一事件にでも巻き込まれていたらと思う気持ちと両方あって・・」
「判ります。とにかく無事に帰ってきてくれれば笑い話になりますからね。何でしたら私の方で病院関係の方は調べてお知らせいたしましょう」
「・・・・お忙しいところお手間を取らせて済みません」
 ぺこりと頭を下げた火村に船曳は太鼓腹を揺らして笑いながら「いやいや」と口にした。
「いつも先生にお世話になっている分の足元にも及びませんよ。それではまた後日。時間が決まり次第ご連絡いたしますのでよろしくお願いします」
「こちらこそ」
 互いに頭を下げると小さなノックと共にカチャリとドアが開いて1課の若手刑事、森下が顔を覗かせた。
「失礼します。コーヒーが入りました」
「何しとったんや。もう話も終わりやで」
「すみません。急ぎの電話が入ってしまって・・あの、入れ直しましたので」
「わざわざすみません」
 コトリと置かれたコーヒーを見て火村は小さく笑っうと先程取り出した箱からキャメルを一本引き抜いて銜えると火を点けた。
「そうや、森下。お前昨日の午後一時過ぎから市内の病院に担ぎ込まれた身元の分からない2.30代の男性が居ないかちょっと当たってくれ」
「は・・?」
「そない時間はかからんやろう?」
「・・あ・・はい・・・あの・・」
 意味の分からないと言った若い刑事に火村は苦い笑みを浮かべながら口を開いた。
「実は昨日から有栖川の消息が分からなくなっていましてね。リビングに服は脱ぎっぱなしで、玄関のドアも鍵がかかっていない。いえ、鍵に関してはよくある事なんですが。そしていつの間にか飼い始めたらしい猫も置きざりでそのままなしのつぶてなんです。締め切りの方がいよいよ切羽詰まってカンヅメにでもなったのかと思ったんですけど、どうやらそれも違うらしい」
「・・・そりゃ確かに妙ですねぇ。判りました。すぐに調べてきますので少々お待ち下さい。あ・・それが有栖川さんが飼い始めたっていう猫ですね。茶トラの子猫か・・可愛いなぁ」
 そう言って森下は火村の隣のパイプ椅子の上で眠っている子猫にそっと触れた。
 その途端丸まっていた背中がピクリと動く。
“・・・うん?”
「あ、起きた」
“あれ・・?森下さんや。あ、そうか俺、火村と一緒に大阪府警に来とるんや”
「うわ・・ほんまに可愛い。馴れとるんやなぁ。ちょっとだけ抱っこしてもええですか?」
 言いながらすでにヒョイと小さな身体を抱き上げてしまった森下に船曳が小さく眉を寄せた。
「森下」
「はい。すぐに行きます。でもいいなぁ。ペットを飼うなんて夢のまた夢みたいな話やもんなぁ。下手すると3.4日戻らないなんて事もありますからね」
“ああ・・それはそうやろねぇ・・大変やもんなぁ”
 アルマーニの背広に少しだけ爪を立てて抱かれながら有栖はしみじみとそう言った。
 勿論、関係者各位には「ニャーニャー」としか聞こえていない。けれどその次の瞬間。
「こら、静かにしてろ」
 言いながら伸ばされた手に掴まれて、有栖は森下の腕の中からひょいと火村の膝の上に乗せられてしまった。 それに少しだけ残念そうな顔をして森下は「すぐに調べてきます」と部屋を出てゆく。
「・・それにしてもほんまに可愛い猫ですなぁ。何か血統書がついているんでしょうかねぇ」
「雑種だと思いますよ。ああ、そう言えば部屋の中に『世界の猫』なんていう写真集があったな。種類を調べようとでも思っていたんでしょうかね」
「ははぁ・・そうするとペットショップなどで買ったわけではないですね」
「おそらく。拾ったか、貰ったか・・・・ああ、預かったっていう線もあるか」
 大人2人が勝手な想像を繰り広げている間に有栖は火村の膝の上から身体を伸ばしてテーブルの上へとよじ登った。 
 すぐに火村に「こら」と言われたが船曳が「まぁまぁ」と言ったので有栖はそのままテーブルの上で船曳に向かって口を開いた。
 それが「ニャーニャー」にしか聞こえい筈でももしかしたら一人くらいは猫語を理解できる人間が出てくるかもしれない。有栖自身普通で有れば信じられないような事が起きてこの状態になっているのだ。猫語が話せる、または理解できる人間だって可能性は0ではない・・だろう。
“なぁ、船曳警部、どこかに猫になった人間を元に戻すクスリなんてないやろか”
「お腹が減っているんですかな」
 どうしてどいつもこいつも腹具合の方に行くのだろうと有栖は少しだけグレたくなる気持ちになった。
“ちゃうって。そら猫語なんて判らんやろうけど、ちょっとはこう何か伝わってくれへんかな”
「ああ、そうかもしれません。煮干しでも持っていれば良かったな」
“アホ、そんなん食うか。そら確かに食べ物やけどな俺の中ではそれはダシの元や”
「・・・ミルクでもあればよかったですねぇ」
「いえすぐに連れて帰りますので」
 ようやく飲める温度になったらしいコーヒーに口を付けて火村は長くなった灰をトンと灰皿の上に落とした。カチャリと小さな音を立ててソーサーに戻されたカップ。
(あ・・・そういえばコーヒー、今朝もこいつに邪魔されて飲めなかったんや)
 そう思うと今のやりとりの悔しさも手伝って有栖はどうしてもコーヒーを飲みたくなってしまった。そして次の瞬間『これぞ猫!』という素早さで火村のカップに手(前足)を掛けて口を付ける。
「あ・・」
「このばか!」
“*#%◎☆×−−!!!”
 どうにかカップが倒れずに済んだのは火村が素早くカップごと有栖の身体を受け止めたからだった。
 けれどこの一件で、有栖は自分の舌も味覚も見事に『猫』になっている事を身をもって知らされた。
 とにかく、猫にとってはそれは恐ろしく熱くて、恐ろしく不味かったのだ。
 「食い意地の張ったところは飼い主にそっくり」等と怒りながらそんな事を言う火村の指を悔し紛れに噛みついて有栖はとにかく元に戻るまではどんな事があってもコーヒーは飲まないと心に誓った。
 そうしてその5分後。
 そんな事があった事など全く知らない森下が火村の元に『身元不明の男性が担ぎ込まれた病院』の資料を持ってきた。
 「見つかったら挨拶に来させます」と軽口を叩くように礼を言って府警を出ると火村はその情報を自分で確かめる為に市内の病院を4件ほど回った。
 けれど当たり前だがそれらの病院に彼の捜す『有栖川有栖』は居なく、4件目の病院から出てきてベンツに乗り込むと火村は「・・あの馬鹿」と苦く呟きながら深い息をついた。
“・・・火村・・”
 漏れ落ちた声はやはり「ニャー」としか聞こえず有栖はひどく悲しくて居たたまれない気持ちになる。
 取り出された携帯。
「・・・・・何をしてやがる、この馬鹿」
 おそらく有栖の家の留守電に入れられたのだろうメッセージを火村の隣で聞いて。
「待たせたな、チビすけ」
 振り返って伸ばされた火村の手が有栖の頭をワシャワシャと撫でる。
 その指先から伝わってくるぬくもりが、火村の持つ不器用な優しさに思えて有栖は胸の中にやりきれないような切なさと罪悪感に似た思いが湧き上がるのを感じていた。
“ごめんな・・火村・・”
「帰るぞ」 
 夕日の傾き始めた大阪市内。
 車はようやく火村の住む京都・北白川の下宿に向けて走り出した。